チェンマイ日記2002暮


22(日)  有馬記念の日である。ここ一週間、なんどかスポーツ紙を読んできた。もちろんネット上である。いよいよ直前のきょう、なんとしても結果以前に前売り人気やスポーツ紙の予想を知りたかった。それを読んで盛りあがることのないまま結果だけを知るのはつまらない。事前の検討こそが楽しみなのだ。

 相撲を理解できない人は仕切が長いという。飽きてしまうという。違う。三分間の仕切の間(ま)こそが楽しい。その間(かん)に過去の対戦成績を振り返り、先場所の反省、今場所の意気込みなどを聞いて次第に盛り上がって行くから楽しいのだ。それが相撲の醍醐味だ。それがわからない人はもう相撲を楽しむセンスがないのである。だから私は仕切のない「大相撲ダイジェスト」はよほどのことがない限り見ない。数秒、数十秒の勝負だけを見てもつまらないからだ。

 十時。インターネットカフェに向かう。

《道路の話》

←歩行者天国になるのは赤線部分だけなのだが、一方通行だらけなのでこれだけでたいへんな渋滞と混乱を巻き起こすのである。








 日曜のチェンマイはターペー通りが歩行者天国になる。正午に始まり夜遅くまで賑わっている。きっと長所もたくさんあることだろう。あれだけ賑わっていて好評なのだ。そのうち丸々一日楽しんでみようと思っている。

 が今の私にとってはひどいことばかりだ。なにより初めて来たときからいちばん親しんできて方向感覚の真ん中に据えている町の真ん真ん中の通りが通行止めになってしまう。迂回せねばならない。こっち側にいる方向感覚の悪い私は、はてさてどうしたらあっち側に行けるだろうと考え込んでしまう。元々チェンマイはタイ人ドライバーのマナーの悪さを回避するためか異様に一方通行の多い町である。目の前、直線100メートル先にあるところに行くのに、正規に走っていったら1キロぐらいかかるのだ。蚊取り線香のような渦巻き状態を考えてもらうとわかりやすい。直線と渦巻きである。突っ切れば近いが正直に渦巻きを回ったら遠い。せっかちなタイ人がそんな規則を守るはずがなく、みんな突っ切るような違反ばかりしている。一方通行の逆走なんて日常茶飯事だ。何度体験しても一通のはずなのに対面からクルマが来ると何ごとが起きたかと一瞬パニックになる。

 上記、思わず「せっかちなタイ人」と書いてしまった。彼らはせっかちだけれど時間にルーズで気が長いのも確かだ。せっかちなのかのんびり屋なのかよくわからん。私自身もせっかちとルーズが同居しているので他人事ではないが、それでも私の場合、基本的に原理主義者なので規則はよく守るほうだ。だから直線100メートル先へも渦巻きをぐるぐる回り1キロかけて行っている。

 その渦巻きの一部が歩行者天国という名で分断されてしまうのだ。こうなると方向音痴は困る。もう町中が迷路である。
 それでも、その苦労は私だけのものではない。誰もが同じ事を強いられている。
 きょうも目的地に、さてどういったらいいのかと途方に暮れていた。
 いくら方向音痴でも最低最悪の行きかたはわかる。3キロ先の目的地に10キロぐらいかけて大回りして行けばいい。でもそうじゃなく、ちょいちょいと抜け道を繋げれば4キロぐらいで行けるのである。地図上では簡単である。私も頭の中で描ける。しかし実際にそこに行ったら一方通行というワナ(?)が待っている。一方通行かどうかは地図ではわからない。だから迷路になる。どうしようと困っていたら目の前のトラックとバイクが奇妙なコースを取っている。狭い脇道にみな突っ込んで行くのだ。さして急いでいるわけでもないから、ままよとばかり後を着いていった。すると見事に抜け出したのだった。ああ、こんな方法があるのかと何だか偉大な発見をしたような気になった。こんな気分が味わえるなら歩行者天国も悪くない。

 自分が方向感覚が悪いからといって、良い人を全面的に羨んでいるわけでもない。
 Hさんという友人は、それに命を懸けている(笑)ような人だった。5キロ先のシンプルな目的地に行くのに、クネクネコネコネと町中の細い裏道を曲がりに曲がって走って行く。そのことによって5キロの距離が4,5キロぐらいになるらしい。この道を知っているのはおれぐらいだろうと自慢げだ。私にはその感覚が理解できなかった。裏道の子供が遊んでいたり犬猫が寝そべっているような細い路地を急ハンドルを切りつつそれらを蹴立てるようにして走るのである。そうしてすこしばかりの距離を稼いでなんになるのだろう。気疲れしてしまう。そしてまた、たいして時計は詰まっていない。距離が短くてもとばせないのだから当然だ。単なる自己満足である。私は逆にその5キロの目的地に、お濠の周りのいちばんあたりまえの道をのんびりと大回りして行く。快適だ。風が気持ちいい。5キロが7キロぐらいになってしまうが、曲がることが少ないし人や車とぶつかるような気疲れもない。なにしろ方向音痴なのだからこれでいいのだ。これしかない。それが私の方法論になる。
 Hさんという人は、五円十円をけちって百万円損している人だった。比喩ではなく現実にそうなのである。それはこんな日々の方法論にも現れている。かといって私が金持ちでないところがかなしい(笑)。それでも私の場合は、百万円を好きなものに使ってしまって金がない。日々節約していたのに、だまされて取られてしまってないHさんよりはいいと思っている。
 歩行者天国で困るのは道路ばかりではない。いつも行くXPがある、経営者とも親しいインターネットカフェが休んでしまうのだ。店の前に路店が出るから休日にしたのだろう。よって日曜日はそのことでも苦労する。
 第二候補の店に行ってみた。まだ開いてない。ここは係員の女がいい加減であまり行きたくないからこれ幸いと退散する。第三候補。ここは安いけどいくらなんでも通信速度が遅すぎる。第四候補。ここの係員は横柄だからきらいだ。と、こうして考えるといつもの店がいかにいいかにあらためて気づく。
 かなり遠いがチェンマイ大学のほうにあるインターネットカフェ街(?)まで行くかと走り出す。その途中、以前行っていたちょいとお気に入りの店を思い出して寄る。そこにした。いい店である。
 ここからは有馬記念の話。日本時間三時半スタートはこちらでは一時半である。いま十一時半。発馬まで後二時間である。人気や予想を見て楽しみ、レースの結果自体は夜でも、それこそ明日でもいいと思っていた。
 が案に相違して一年ぶりの店だったし、かつて私が入れておいたお気に入りが消されていたので、サンスポやニッカンスポーツのサイトに繋いで読むまでにだいぶ時間を取られてしまい、Hot mailをチェックしたり、あれこれやっていたらもう一時近い。こうなったら一時半からのレースを、れいの2チャンネルの実況でリアルタイムで楽しんで行くかと腰を据える。

 基本的にミーハーである私は(ミーハーだからこそ三十年も負け続けながら競馬ファンでいられた)3歳牝馬のファインモーションに全勝でグランプリを制してもらいたいと思っている。そのほうが楽しい。ただ伊藤調教師が本当は出したくないのに、売上げを伸ばしたい競馬会の圧力で仕方なく出走させたことは解っている。その意味では危ない人気馬だ。かといって苛酷な王道路線を歩むシンボリクリスエスにルドルフやオグリほどの力があるとも思えないし、ジャングルポケットは右利きだから今回も消しである。勝ち馬がいなくなってしまった。勝つのはなんだ? 

 私の結論は、勝って欲しいと願うファインモーションから大逃げを打つと宣言しているタップダンスシチーや昨年2着のアメリカンボス、アクティブバイオ、フサイチランハート等の人気薄に5000円ずつ流すというものだった。
 私がタイで使っているケイタイ電話から日本に国際電話が掛けられるとつい最近知った。すごいことである。受けることは知っていて何度も利用していたが掛けられるとは知らなかった。特別な申し込みはしていない。
 予算は3万円。それぐらいの金額ならいつでも立て替えて買ってくれる友達が複数いる。頼もうかと思った。みな今頃競馬場にいるはずである。ファインモーションが1番人気なのは知っているが、2着に人気薄が来ればかなりつくはずだ。かなり迷ったが結局掛けなかった。3万円捨てるのが惜しいと思ったのだ。当たっての欲よりも外れての損をおもんばかった。毎年有馬は30万から50万ほども買ってきたのに人間セコくなるとセコくなるものである。もちろん毎年その金は外れ続けてきたのだからセコくなって当然である。気づくのが遅すぎる。貧して窮してやっと気づいた。

 しかしどういうことだろう、発馬は三時半と書いてあったのに本当は二十分だったらしい。さてそろそろかと二十七分ぐらいに2ちゃんねるの実況コーナーに繋いだらもう結果が出てしまっていた。1着シンボリクリスエス、2着タップダンスシチー。馬連140倍。ファインモーションは5着。
 2ちゃんねるの書き込みに、「惜しかった……」とまずいかにも負けたように書き込み、その後にずっと空白を入れて、最後に「おれは買わなかったけどね」という意地悪なのがあって、思わず声を出して笑ってしまった。両隣の白人が怪訝な顔をして私を見た。私の心境もそれである。「3万円損しなかった。うれしい」という正直な思いがある。日本にいたら間違いなく最低でも10万はやられていた。これまたうれしい。得した気分だ。こんなセコいことを考えるようになったらもうバクチは出来ない。引退か。うれしいなあ。今までにスった一億のことを考えると悔しいけれど。
昨年の有馬記念時、私は中山競馬場にいた。すべてのレースの中でいちばん好きだったこのレースにすっかり興味をなくしていた私は、有馬記念を買わずに見学した。レースは400倍の大荒れだった。その後、最終レースを5万円買い、それが運良く当たって8万円になり、友人達と飲みに行ったのだった。この原稿を読むと有馬記念から足を洗えたのが今回初めてのようだがそうではなく、昨年既に競馬場にいながら買わないという凄いこと(これはやはり世界一の売上げを誇る年末恒例大レースの異様な熱気の現場にいて買わないのだから凄いことになる)を達成していたのだった。よって今回、チェンマイにいて買わなかったことはたいしたことではない。訂正しておこう。


《交友録》

 有馬記念を観戦(?)した後、ステーキハウスへ。パソコン雑誌を読みつつステーキとビール。
 部屋に帰って午後三時。日本だと有馬の後だからもう五時だが、こちらはまだ三時である。それから夜の十時までびっちりと七時間、仕事を頑張った。

 十時半に空腹を感じいつもの屋台に行く。きょうは一食しか食べていない。
 路上にバイクを停めたら私に手を振っている人がいる。行ってみるとその屋台をやっている女の亭主だった。シンガポールに出稼ぎに行っていると聞いていたが帰ってきたらしい。自分たちが飲んでいたセンソン(安物タイウイスキー)を勧めてくれる。この辺がタイ人の気さくなところだ。初めて会ったのは何年前だったっけと訊いたら、おれたちがここに来たときだからと指折り数え、七年前だという。早いものだ。シンガポールには丸二年行っていたという。

 スコータイから流れてきた彼ら夫婦は、七年前、私の住んでいるアパートの近くのひどいところに、失礼ながら低地にある二坪程度のほんとにひどい場所に、ソムタム用の臼とガイヤーン用の炭火コンロひとつで店を始めた。テーブルがひとつ、イスが四脚だけの店だった。そこは生活の場でもあり、店の奥には二人の粗末なベッドが見えていた。なにしろ道路より一段と低いところにあり、その辺りは大雨が降るとすぐに冠水する地域なのだから、そうなったらひとたまりもない。旦那がセメントを買ってきて、道路の水が流れ込まないよう自家製の堤防(?)を作っていたが、何度も水没しているのを見たものだった。

 ソムタムもガイヤーンも両方ともうまかったので、私はこまめに通い、いつもほんのすこしではあるが心付けを置いてきた。私なりに応援しているつもりでいた。それは、スコータイ出身の彼らは明らかにチェンマイの連中とは見た目が違っていたことに因がある。真っ黒けなのだ。黒人に近い。色白のチェンマイ人の中で、彼らに頑張って欲しいと思っていた。

 スコータイ人がなんであんなに黒いのか私に知る由もないが、全タイの中でもかなり黒い部に属するだろう。以前ロイコー通りのオープンバーにスコータイ出身の美女が数人いた。面立ちといいスタイルといい、彼女らを見たら誰もがアメリカの黒人美女と思っただろう。この彼女に惚れた日本人詐欺師と横恋慕した日本人との恋の顛末もあるのだが、それはまた別の機会に書こう。これまた抱腹絶倒の話だ。
 この時期、ロイコーの店にはかなりの数のスコータイ美人がいた。ああいうのは連れだって出てくるらしい。今はまったくいない。不思議なものである。今ロイコーで多いのは、なんといってもリス族を始めとする山岳民族である。なにしろスポットライトで踊っているゴーゴーガールにもリス族が六、七人いる時代である。閑話休題。

 正直者の頭に神宿るで、すこしずつ彼らは出世していった。今は路上屋台ではあるが、それなりの店を構えている。三年前だったか、同じく夜食を食っていたら、私のほうを見ているおばさんがいる。あれは不思議なもので、視線というのはたしかに感じるものなのだ。振り返ってみたら彼女だった。「久しぶり」と言う。「ここに店出せたんだ、よかったねえ」と応えた。「旦那は」と尋ねる。シンガポールに出稼ぎに行っていると聞いた。
 なのにその後、彼女の店にあまり行かなかったのは、相変わらず彼女の店の十八番はソムタムとガイヤーンだったからで、バンコクのジュライ前やチェンマイの彼女の店でも、それを私がよく食べていたのは昼なのだった。夜食としてはむいていない。よってそれからも会えば挨拶はするものの、その屋台街で私がこまめに寄るのは近くの違う店なのだった。

 手を振って亭主に呼ばれ、酒までご馳走になってはこちらも腰を据えねばならない。台湾の出稼ぎから帰ってきたばかりという彼の弟もいた。彼女の店のソムタムとガイヤーンはもちろん、両隣の店からもあれこれとツマミ用に取り、二つのテーブルの上に十品ほども並べての宴会となった。新たにニューボトル(笑)まで入れて盛り上がる。大盤振る舞い。一時間半後、精算すると400バーツ(1200円)弱。これだからタイは楽しい。次は女房を連れて来て見せろと言われた。見せましょう。
 帰ってきて午前一時。この『作業記録』を書いていたら二時になってしまった。さあてそろそろお休みの時間。

 鼻風邪をやられたみたいで、おいしいお茶を淹れても匂いがしなくてうまくもなんともない。味は香りのものだ。早く治さないと。 
23(月)天皇誕生日  鼻風邪がひどい。意識したのは金曜の夜に喉が痛かったことだ。土曜の朝にらいぶさん達とランパーンに出かけるときはもう喉が詰まり痰が絡んでいた。かなり苦しかった。それから鼻に来た。といっても熱が出るような典型的な風邪の症状にまではなっていない。風邪っぽくすっきりしないことを除けば、鼻が詰まって臭いを感じられないというだけの不思議な現状である。私がたまにひく風邪は「喉風邪」か「熱風邪」なので(こんな言いかたがあるかどうかしらないけど)鼻風邪はいつ以来か記憶にないほど久しぶりだ。それで珍しい体験をすることになる。

 午後三時。第三候補のネット屋に行く。なぜいつもの第一候補でないのかには理由がある。今朝生じた事態だ。それは伏せておく。話が辛気くさくなる。
 その店で奇妙な体験をした。両隣の外人(アラブ系のようだった)がタバコを喫っているのに気にならないのだ。それどころかしばらくの間、気づかないほどだった。なんか白いものがふわふわと目の前を横切るなと思い、隣を見たらそいつがタバコを喫っていたのだ。驚いた。気づかない自分にだ。

 日本語はタバコのことを「煙い」と言う。煙いとは目にしみるという意味だろう。タイ語では「臭い」と言う。メン・ブリーだ。これは鼻に来るという意味だ。日本人なので当初、というか今までずっと「煙い」感覚で捉えていた。タバコを「臭い」と言う感覚になじめなかったが、そうではなかった。タバコは臭いのである。鼻で感じるものなのだ。タイ語が正しい。
 私はがら空きの新幹線の禁煙車輌最後尾にすわっていて、最前列にいるやつが誰もいないからかまうまいとタバコを喫うと、すぐにそれを察知する。それは「鼻」だった。臭いのだった。煙いのではない。鼻が利かなくなってそのことに気づいた。
 友人の部屋に行っても煙草呑みの部屋は臭くて入りたくない。タバコを喫わないと言い張る女と話していても、その息の臭さで嘘を見抜ける。すべてはニオイだったのだ。

 ここ数日、お茶を飲んでもコーヒーを飲んでも香りがせず、すこしもうまいと思わず困っていた。味とは香りである。それは大きなマイナスだっのだが、鼻が詰まっているとこういう効用もあるのだと知った。隣でタバコを喫われても気にならないのである。
 そういうことから考えると、チェンマイ在住のヘビースモーカーやクスリ方面に走っている人はみな鼻が悪いのである。ただし本人達は自分たちは鼻が利き食べ物の味にうるさいと自負している(笑)。しかしぼくからすると鼻も耳もないに等しい人たちだ。
 なるほどこういうことだったのかと納得がいった。私もこのまま鼻が詰まっていれば『サクラ』や『宇宙堂』のタバコ中毒者の中でも平気で話が出来るだろう。

 下川祐治という旅行作家も、旅先で見つけたタバコのパッケージを蒐集しているぐらいのタバコ好きである。顔も、見るからに鼻が悪そうだ。(これ、人相学的にかなり自信がある。)私は欧米で体臭のきつい白人や黒人に隣にすわられ、我慢できず汽車やバスを降りてしまったことが何度もある。あるいは鼻がひん曲がるほど強烈な香水オババを避けて、だ。我ながら旅に向いてないとうんざりしたものだった。ハッパ等を楽しみに世界貧乏旅行が出来る人は鼻が悪く、ニオイに無頓着な人が多い、とこれは私の旅に関する結論のひとつとする。鼻が悪いことは、言いようによっては「旅をする才能」とも言えるだろう。七つの海を制した英国人が味音痴であるように。そんな才能はいらないけど。

 中国にいていちばんイヤなのは、喫煙率100パーセントで煙いこと(奴ら、エレベーターにも銜え煙草で乗ってくる)と、みんなが大きな声で喚くように話し、うるさくていられないことである。これも鼻が詰まっていて、すこし耳が遠かったら気にならないのだろう。世の中そんなものだったのである。鼻が詰まるという経験をしただけでこんなにたくさんの真理を会得してしまった(笑)。体の一部が故障することも、まんざら悪いことではない。

 しかしまあこの店はインターネットカフェなのにタバコを喫わせるのかとあきれた。見回すと灰皿が置いてある。中国では見かけたがタイでは初めてだ。いつもの店はもちろん禁煙である。インターネットカフェも乱立状態だから、これはこれで経営手段なのだろう。悪いとは思わない。私が来なければいいだけだ。

 もうひとつここで印象的なことがあった。
 ここの女店員は、私の最も嫌いなタイ人=白人ぶら下がり女だった。そういう店が片手間にやっている店なのである。そのことやタバコのことなど気分が悪いので手短に新聞を流し読みして急いで精算した。その時そいつに「アー・ユー・コーリー?」と訊かれたのである。するとなぜか、ものすごく不愉快になったのだった。不快な気分を抑えつつ、「ノー・ジャパニーズ」とだけボソっと言った。英語を使っていることがいかに不愉快だったかを示している。すると女は「オー・イープン・チャー」とうってかわって親しげな顔を見せ、もっと話したいそぶりを見せた。だが間違われたことで私のほうにその気がなかった。そそくさと退散した。

 朝鮮人はケチで無愛想なのでタイでは評判が悪い。きょう私は両隣をタバコを喫う白人に囲まれ、ものすごく険しい顔をしていた。自分でも自覚していた。そのすこし前に彼女と顔が合い、タイ人特有の気さくさでニッコリ微笑みかけて来たのを無表情で無視したことを覚えている。普段そういうことはしない。微笑みには笑みを返す。それがタイの楽しみであり嗜みだ。しかしそのときはタバコが気になって微笑みを返すどころではなかった。いや正確には、気にならないことが気になってならなかった。普段なら席を立つような煙くて(実はそれは臭くてだったのだが)ならない状況なのにぜんぜん気にならないから、なんだなんだこれは、いったいおれはどうしたのだ、何ごとが起きたのだ、とこんがらがっていた。「鼻が利かないとタバコは気にならない」のである。蓄膿症はタバコ好きか。

 もうこの店には行かない。それがタバコを喫わせる店だからかコリアンと間違われたからなのか、どっちであるかはこれから考えてみよう。今までただの一度も朝鮮人に間違われたことがなかったので(実際私の顔はよくもわるくも朝鮮系ではないと思う)奇妙に心に遺る出来事だった。
 中国人か、日本人か、朝鮮人かと考えたその女が、旅行者の数からしても確率的にはこんなところに出入りするのは圧倒的に日本人なので(その店のパソコンは日本語は打てず、白人専用の店だが)日本人であろうと思いつつも、敢えて朝鮮人かと三択をしたのは私の無愛想具合が決めてだったのは間違いない。普通の日本人は平和ボケしてもっと腑抜けの顔をしている。この日の私のようにとんがった顔はしていない。彼女の推測はそれなりに正しかった。嫌いな朝鮮人かと問うたら好きな日本人だというので、「イープン・チャー」と笑顔を向けたのに、そいつ(私のことだけど)は益々険しい顔をして出ていった。日本人の評判を落としてしまったようで気が引ける。でもぶら下がり女だからいいや。

 私は何度も書いているように義理人情に厚く礼儀正しい朝鮮人が好きである。友人も多い。ぜひとも男を立てる朝鮮人の嫁が欲しかった。私の田舎における国際結婚の例でも、フィリピンやタイが文化の違いから評判が悪いのに対し、朝鮮人嫁は親を大切にして働き者だと抜群に評判がいい。最初は親は反対だったのである。だがそのすぐれた性質で評価を逆転してしまうのだ。実の娘よりもかわいいと言っている姑もいた。すばらしいことである。
 間違われて私はなぜ不快になったのだろう。考えてみよう。それが朝鮮人の評判の悪いタイであったことは大きな理由なのだが……。



 風邪気味でもありインターネットカフェと食事に出た以外は一日中部屋に閉じこもっているような日だった。そういう生活をしようと思って来ているのでそれはそれでいい。風邪気味はよけいだが。
 薬を飲み寝汗を掻いたのでこまめに着替えていたら元々すくない衣類が底を搗いてしまった。困った。野球で言うなら三人しかいないピッチャーのローテーションが乱戦の一試合に三人繰り出したので狂ってしまったようなものだ。いつもは近くの洗濯屋に出している。でもこれは一昼夜かかる。明日の分が間に合わない。チェンマイにもコインランドリーが出来たのは知っているが洗濯機のみだった。乾燥機はない。まあその辺に干しておけば簡単に乾くのだからその必要もないのだろう。自分で洗って屋上に干しに行くのも面倒だし、どうしよう。汗くさい服を着て一日我慢するか。この辺が旅行者のせつないところだ。



 夜九時。いつものインターネットカフェに行く。政治方面のニュースを読む。
 カンナオトが寝ぼけたことを言っていた。次回の総選挙で自由党、社民党が躍進すれば民主党と三党合同して政権交代の可能性は六七割だと(笑)。本気で躍進すると考えているのか。だとしたからキチガイだ。考えてなくても口に出せないのはわかるが(笑)。
 自由党がなんとか現状維持で、民主党、社民党は大幅議席減だろうな。で、政権交代の可能性はゼロ、と。これが正着。(いま辞書で出ないので調べてみたら正着という言葉は『広辞苑』にも載っていなかった。これ将棋でよく使う「正しい指し手、最善の判断」のような意味なのだが狭義の専門用語なのか?)。社民党には消滅してもらいたい。果たして国民はどんな判断を下すのか。
24日(火)  昨日の午後、町の薬局で薬を買い指定されたとおり四時間おきに飲んでいたら風邪がほぼ治った。普段薬を飲まないとこういうとき効き目が強くて助かる。
 午後二時。らいぶさんから「お濠沿いのカミさん推薦のおいしいカオマンカイ屋で飯を食っている」と連絡あり。「行くから待ってて」とだけ言って出かける。これで間違っていたら笑いものだが自信があった。カオマンカイの通としては(笑)外れたら腹を切る。迷うことなく向かった店に見事にらいぶさん一家がいた。的中。馬券以外はよく当たる。カオマンカイとお気に入りのチャー・イエン・サイ・ノム(めちゃくちゃ甘いアイスミルク紅茶)。

 公園で話をしているとき、消防車が連続して走って行く。タイでは珍しい。どこかが火事のようだ。その方向がぴったりと自分の住処のほうなのですこし焦る。火事ならThinkPadだけでも持ち出さないと。らいぶ夫人がロビンソンデパートの辺りだろうと言う。で、出かけてみる。

 火事はロビンソンデパートの上階食堂だった。ここは今はセントラルデパートらしい。知らなかった。以前は地元資本のタンタラパンデパートだったのだが数年前にロビンソンデパートに買い取られた。そのままだと思っていた。いつ代わったんだ? 日本でもそうだがデパートというものには全く無縁だ。この時代、なんであんなものが存在しているのか不思議でならない。百貨店の時代は終った。あれは滅びるべきマンモスである。
 やじうまがいっぱい。黒煙が出ている程度のたいした火事じゃない。タイ人も好きなんだねえ(笑)。入れないのでLotusに行くことになる。らいぶさん一家はクルマ、私はバイク。元々デパートに行きますかというときにLotusにしませんかといおうと思ったぐらいだから依存はない。


 Lotusの二階でらいぶさんとビールを飲んでいたらイサオちゃんを見かける。話しかける。長年住んでいたアパート(パパと同じ)の経営者が代わり、出たことは知っていた。どこに行ったのだろうと思っていたら、なんとそれが私のいるアパートなのだと言う。それは先日市場で飲んだOさんから聞いた。でもアパートでは会わない。管理人に聞いても部屋番号が解らない。その謎を尋ねたらなんと偽名(笑)で泊まっているという。なんで?
 イサオちゃんは四十代半ばだがタイ通いは二十有余年の大ヴェテラン。チェンマイ以前はバンコクの楽宮旅社長期在住の古強者である。イサオちゃんにその辺の話を聞くと、当時から楽宮組とジュライ組は仲が悪かったらしい(笑)。日本人らしい話だ。ここに実名を出す人は、有山パパ、ナベちゃん、後藤さんに続いてだが、イサオちゃんぐらいの有名人なら出してもいいだろう。

 ビールを飲んだのはLotus二階の「横濱」(←何故か浜が正字)という店。つまみは餃子と「あんやきそば」。五目あん掛けやきそばなのは言うまでもない。でもそう書いてあった(笑)。「いらっしゃいませ、日本語が話せます」と大書してあったので女店員に日本語で話しかけるが誰も話せない。三人いる店員がひとことも話せず逃げまどう(笑)。
「なんだよ、日本語が話せるって書いてあるから日本語で話しかけたんだよ」
「日本語は話せないけど注文すればわかるから注文して」
 と、以上はタイ語の会話(笑)。

 餃子は揚げ餃子。揚がってない。生。こりゃひどい。具は悪くないのだが。
 五月あん排やきそばもまずくて食えない。ひどいシロモノだ。
 らいぶさんと話しつつビアチャンを三本飲む。タイはすべて大瓶だ。
 私は中瓶なんてつまらないものを発案した日本人を憎む。タイに普及しないように願う。しないだろうけど。
 そいつは「小瓶じゃ物足りなく、大瓶だとあまっちゃうって人のために」なんて言うかも知れない。ごまかしだ。そんなヤツはビールなんか飲む資格はないのである。ありゃ陽気にがばがばと量で飲む楽しい酒だ。酒精度も低い。大瓶を五本も十本も飲むから楽しいのであって大瓶一本であまるようなヤツはビールなんか飲むな! と言いたい。なんともこの「中瓶の思想」は気分が悪い。酒に弱い人のために気を遣ったという社会主義のニオイがする。

 実態は体のいい値上げである。ラーメン屋等は軒並み中瓶になった。そりゃ「ビンビール500円」としておいて大瓶から中瓶にすればぐっと利幅が大きくなるのだから、せこく儲けたい店主には受けたろうし、ビール会社の営業もやりやすかったろう。ほんとにくだらん発明品だ。
「小瓶じゃ物足りなく……」には「大瓶ならちょうどいいのに中瓶に減らされた者の苦痛がわかるか!」と反論したい。私は昼飯にラーメンと餃子を食うとき、お茶代わりに大瓶一本でちょうどいいのである。中瓶だと足りない。だから二本飲むことになる。このことによって私の昼飯代は1500円から2000円になってしまったのである。それで家計がどれほど圧迫されてきたか発案者は気づくまい。えっ? 計算通り。あ、そう。そうなのね。つまらんことで昂奮しまった。とにかく中瓶は大嫌いである。たまに大瓶の店に当たると思わず「やった!」と叫んでしまう。そういうおれも十分せこい。

 自動車のパワーウインドウを始め日本人のせこせこさが発明した偉大なものはいくつもあるが、中瓶なんてのはその中でも最もくだらないものに属するだろう。さすがに世界の国は真似しないわね。
 おれがラーメン屋を経営したなら(そんなことはありえないけど)絶対にビールは大瓶にする。で、「マスターのところって大瓶なの。おれ中瓶がいいんだよね、大瓶だとちょっとあまっちゃって」なんてのが来たら、「出て行けこのクソヤロー、勘定なんかいらねえや。てめえなんぞビールを飲む資格がねえよ。おい塩撒いておけ、塩!」と叫ぶね。すぐに潰れるだろうな、こんな店は(笑)。

 思わず鼻息荒く中瓶の悪口を書いてしまったが、話しもどってここはLotusの二階。日本食堂「横濱」。
 まずいつまみには手をつけなかったが、そのまずさと誤字が十分につまみになってくれた。ビアチャン三本を飲んでらいぶさん、ちょいと赫い顔。

 トイレに行く。連れションしつつ、「まずくてもうどうしようもないな」「ゴガツアンハイヤキソバ、がははは」などと大声で話していたら、「日本のかたですか」と日本語で話しかけられる。タイ人だ。「ヨコハマはどうですか?」と問われ、らいぶさんがでっかい声で「まずくてもうどうしようもないよ」と言った。「そうですか」と彼は応じる。「ありゃダメだね、行かないほうがいいよ」なんて私も口を出す。しょんぼりした彼が言った。「すみません、わたしが経営者です」。二人ともまっつぁお。(←オーハシキョセン風)

 サワンさんは日本の食堂で働き、帰国後「横濱」を出したらしい。
 この店のことはずいぶんと前から知っていた。日本人が話題にしていたのだ。毀誉褒貶相半ばしていた。安くてうまいという人もいれば、あそこはダメと顔をしかめる人もいた。一度ぐらいは行ってもいいかなと前々から思っていた。経営者は何人なのだろう、一度会ってみたいと思っていたがまさかこんな形で実現するとは(笑)。
 タイ人の店員では焼き餃子が出来ないので揚げ餃子にしたとかあれこれ内輪事情を聞く。ま、それはいいんだけど揚がってないよ、あの餃子は。揚がってんのは皮だけ。生だよ、生。
「日本人の間で評判がいいのでこれからもがんばってください」ととってつけたようなお世辞を言って場を辞す。

(横濱の写真がなくて残念。)
 一階で買い物をしていた奥さんと子供達と合流。らいぶさんが子供達にクリスマスプレゼントをした。娘にぬいぐるみ、息子にヒーロー物の人形。二人とも大好きなおとうさんにプレゼントをもらってうれしそうだ。
 ついでだから私もすることにした。娘におままごとセット、息子にラジコンカー。喜んでもらえてうれしい。
 しかしキリストは嫌いなのでクリスマスプレゼントというのはイヤだ。で、昨日が天皇誕生日だったから、「これはクリスマスプレゼントではなく天皇誕生日記念贈答品だ」と言う。伝わったかどうか。伝わらんよな。

 いつの間にか午後六時。薄暗くなってきた。さて解散かと思ったら、奥さんがらいぶさんを連れて行ってもいいと言う。夜遊びの許可だ。らいぶさんも行く気である。
 なぜだろう、その理由を探る。なんだかきょうは奥さんの機嫌がいいなと思ったら、らいぶさんから衝撃の告白。なんとらいぶさん、きょうは真っ昼間から夜のオツトメをしてきたという。えらいなあ、おとうさん。そういえば奥さん、肌もつやつやしている。鼻歌なんか歌っちゃってえらく機嫌がいい。そうか、そうだったのか(笑)。らいぶさん、カオマンカイを二杯も食べていたけど、そうだよねえ、タンパクシツを補給しないと。
 亭主に愛されてる女と何ヶ月も触ってもらってない女は一目見れば解る。どんなにしあわせを装ってもそれは虚しい。気づかれてないと思っている人もいるが。わたしゃびんかん。

 Tさんからお会いしたいと電話があった。後でホテルに行くことになる。

 その前にらいぶさんと、先日Oさんと行った市場に乗り込む。暮れなずむ市場でフツーのタイ人と話すのは楽しい。Oさんは家族と暮れと正月を過ごすため先日帰国した。思えばあの日、市場で飲み会をやったのはいい機会だった。

 一杯飲み屋で飲んでいたら、肉体労働帰りのタイ人オヤジが次々とやってきては、キュッと一杯焼酎を引っかけて帰って行く。一杯13バーツ。40円。日給100バーツ前後だからこんなものだろう。日本なら五千円の日雇い土方をやって三百円の焼酎を立ち飲みで飲む感覚か。
 ひとことも口を聞かず五分もいずに帰る人もいれば、ブロークンイングリッシュで話しかけてくる人もいる。らいぶさん、上手なタイ語全開で浮かれている。色んな人と知り合って楽しかった。

 先日Oさんから紹介されて知り合った女がいる。イサーン出身。市場の中でコーヒー屋をやっている。子持ち離婚済み。32歳。私は彼女をナクラと読んでいる。その理由は日本で有名な美人女優の名前としてあるが、本当は「ネプチューンの名倉にそっくり」だからである。ほんとに似ているのだ。生き写し。それをなんとしてもらいぶさんに見せて笑いを取ろうと思っていた。運良く来た。言う。うけた。うれしい(笑)。
 この市場での楽しい時間は今夜への夜の前戯だと思ったのだが(なんだかきょうはたとえもいやらしい)振り返ってみると実は本番なのだった。
 Tさんのホテルに行く。
 フロントでチェックインしようとしている後ろ姿に見覚えがある。Uさんだった。今パタヤから着いたばかり。この人とも長い。『サクラ』で出会って十年ぐらいか。バンコクでもプノンペンでも会っている。初めてのプノンペンでは世話になった。日本でも会って一緒に競馬場に行ったり麻雀をしたりした。雀荘で働いていたことがあるだけあって巧い麻雀だった。もうひとりのMさんも巧い人であり、私もフリーで打っていたほど麻雀にはのめりこんでいたから、ド下手のHさんがひとりで負けた。あまりにひとりが下手すぎて成り立たないので途中でしらけてしまい止めたのだった。

 Tさんとは話が弾まない。先日A子さんが「Tさんの義侠心に打たれて応援してきたのに裏切られた。もうTさんの顔も見たくない、亭主ももう関わり合いたくないと言っている」と(私に対して)絶縁宣言をした。きょうは、実はもうらいぶさんの奥さんも「あそことはもう縁を切りたい」とうんざり顔で嘆いているとらいぶさんから聞いた。Tさん、C面創価(笑)。

 でもなんつうか、あれぐらいだらしないことをしていたらそうなって当然だ。やっていることが矛盾だらけ。らいぶさんの奥さんには、亭主の友達(私)の友達(Tさん)に、よくぞあそこまで尽くしてくれたと心から感謝している。先週行ったときにらいぶさんの奥さんはTさんの家族から金がない金がないと延々と嘆かれて手持ちの金をあげてきている。(それは後で知った。知っていたら、そんな必要はないと止めたろう)。
 今週は毛布他を差し入れしてくれた。それほど困窮しているはずなのにTさんがたいして用もないのに出てきたチェンマイでなぜ500バーツのホテルに連泊するのか、奥さんは首を傾げる。その感覚は正しい。チェンマイの安宿は60バーツからある。なにかTさんは自分のことを勘違いしているのだ。私だってTさんから、お世話になっているMさんに食事を奢ったなんて話を聞くと、その金はおれやA子さんがあげた餞別だろうが、と思ってしまう。Mさんに飯を奢ってええかっこさせるために金をあげたんじゃない。なんでそんなところでええかっこしいをするのか。しかも私やA子さんはMさんを人として評価していない。はっきり言えば嫌いだ。つきあって欲しくないとTさんに言っている。そのことをTさんは知っているのである。八方美人。しかもMさんはわたしらなんかよりずっと金持ちなのだ。なんだかねえ……。

 Tさんが周囲の友人に次々と愛想を尽かされて行き、今つきあっているのは私関係しかいないことがよくわかる。まあもうすこしで結論の出ることだから私だけでも付き合うしかない。元々はらいぶさんもA子さんも私の知り合いということから始まっている。その私でさえ呆れているのだからみんながうんざりするのも当然なのだ。結論の出る日は近い。

 ただしA子さんのTさんへの絶縁宣言は私のところで止めておいた。めそめそしながら言った感情的な発言だから男としてそれを受けとめるのは当然だろう。Tさんには伝えていない。だから自分がみんなに愛想を尽かされているとは知らない能天気なTさんは、いつも通りランパーンの田舎からA子さんに電話をして援助を要請した。甘えられるとA子さんは許してしまう。それで元通り。これはこれでいい。

 それかららいぶさんと二人、オープンバーに行ったりカラオケに行ったりいろいろ
 バーでSに会った。向かいの席からこちらをニコニコしながら見ているヤツがいるので酔眼を凝らすとヤツだった。こいつは「チェンマイ雑記帳-ししまる君への返答」に出てくる。女癖が悪くがさつな礼儀知らずなのだが、なついてくるので仕方なく付き合っている。久しぶりに会えば懐かしい。ずいぶんときょうはいろんな人と出会った。

 しかあし最後が最悪。以前《「犬も歩けば」で行動しないと何も始まらない。行動してみよう。》なんて書いたことがあったが、なんと歩いていたらほんとに棒に当たってしまった(笑)。
 らいぶさんと二人、気持ちよく歌って出てきた深夜のオリビアの前だ。旅行者でも連れてきて小銭をもらっているのか。真っ黒けの顔に智性のない犬のようなギョロ目。相変わらずのバカ面。らいぶさんに話しかけてきて親しげに肩まで叩いている。目下の者が目上の人の肩を叩くことの非礼すら知らない魯鈍ぶり。親しくもない棒に肩を叩かれて、らいぶさん戸惑っている。終りよければすべてよしの逆、終りが悪かったのですべてがぶちこわしになった。
 その後、なんとか不快感をごまかそうと予定にない深夜の屋台にまで行ってさらに飲んだりしたのだが、バカ棒の白痴面が浮かんできてぜんぜん楽しめない。犬は歩かないほうがいいと悟った。まいった。
25(水)  七時に目覚める。ここはどこだ、自分の部屋だ、宿酔いか、ずいぶん飲んだものな、誰と、らいぶさんと。
 彼はどこにいる、隣に寝ている、そうか泊まったのか、昨夜は……。
 と連想していたら真っ先にバカ棒の白痴面が浮かんできて朝から不愉快。まいった。なんであんな会いたくない最低男と楽しい時間に会ってしまうのだろう。ついてない。

 八時に奥さんが迎えに来てらいぶさん、帰る。はああ~。気分は最悪。

 それからシューベルトを聴きつつ『作業記録』。今十一時。
 あいさんの掲示板への書き込みにより、みなファイル名を指定する方法で読んでいるようだ。写真が見えないのが残念だが文章だけでも読んでもらったほうがいい。もちろんその方法をぼくは知っていたが、それをパソコンに詳しくないあいさんが気づいたというのがちょっと新鮮だった。つまりあいさんはパソコンに関する技術はないが智慧はあったことになる。なかなかである。

 今からいつものインターネットカフェに行き、このファイルをアップしたい。バカ棒と遭ってしまった不愉快さをあなたにも分けてあげたい(笑)。しかあし、いつものインターネットカフェには数日前にチェンマイに来たHさんが出没しているらしいので行きたくない。夜まで待つか。他の店では出来ない。XPでないと。いや、すぐにでもこの不愉快さをあなたに分け与えたい。行ってみるか。こういうのは不幸の手紙と同じで分け与えることによって私の不幸は軽減するのではないか。読んだアナタは不運だったね(笑)。

 ここ数日、こちらで越年する日本人が続々とチェンマイに集っているので、右も左も知り合いだらけ。おれってこんなにチェンマイに知り合いがいたのかと我ながら感心する有様。アヌサーンマーケットなんて半分は日本人。日本語だらけ。行かないけど。

 インターネットカフェに行こうかとと思いつつ、午後二時に近くの店に昼食に出た以外はおとなしく部屋で作業していた。

 今回「将棋B級戦法の達人」という戦術書を持ってきた。そこにあるいわゆるB級戦法(将棋の王道を行く戦法ではなく、既に通じないと定跡が完成している奇襲の類だが、受け方を知らないと破壊力抜群のもの)をパソコン相手に試すと、すでに定跡をを知っていて見事にそれを打ち破るかと思うと、おもしろいように引っかかったりもする。何度やっても楽しくて飽きない。ここのところ仕事の合間によく遊んでいる。
 一時四段までいった将棋の実力は今じゃ初段もない。こんなふうに脳みそは衰えるのかと愕然とする。しかしこれも考えようで、強いときにはバカで相手にならなかったパソコン将棋がそこそこに強くなり、こちらの力が衰えているから近年は好ましい好ライバル関係(笑)。こんなこともある。
 いつしか夕方。



 Uさんから電話。明日パタヤにもどるので会いましょうとのこと。
 それもこれもケイタイ電話のお蔭。ずいぶんとこの機械は人と人の距離を縮めてくれる。故障だらけのタイの公衆電話をイライラしつつ何台も探して、ホテルに掛け、部屋番号を告げ、留守なので伝言を頼むなんてことをする煩わしさと比べたら、この便利さは喩えようがない。

 一昨日、Tさんのホテルに行ったら偶然チェックインしようとしているUさんを見かけて話しかけた。その時はそのホテルの常連なのかと思ったのだが、きょう聞いてみたら初めてとのこと。過剰供給気味のチェンマイのホテル事情だからかなりの偶然である。しかもチェンマイは一年ぶりで三日の滞在で帰るというのだから会えたのはほんとの偶然だった。『サクラ』に行けばパパがUさんが来ていると教えてくれたろうが、上記したような理由で今はほとんど行っていない。五分早くても遅くても会えなかったろう。絶妙のタイミングだった。

 六時から九時まで二人だけの忘年会。親しくしているタイ料理の店に案内した。といってもUさんは飲めないので私だけビールを飲む。でもひたすらタバコを喫いつつコーラを飲んでしゃべるUさんは普通の酔っぱらいより遙かにハイテンション(笑)。時々「あれ? ぼくは今、何を話してたっけ」となるから笑ってしまった。実はこのボケ症状は最近のぼくにも現れていて、泥酔すると熱心に論じている内に何をしゃべっていたかわからなくなる。でもそれは泥酔時に限る。普段はまだ大丈夫だ。何度も何を話していたかわからなくなるUさんを元の道にもどす。もうどこに行くか解らない人で(笑)、日本での年金受給の話を訊いていたのに、いつの間にかプノンペンでラーメン屋を出そうとしたときの苦労話になっている。楽しいからいいんだけどさ(笑)。

 久しぶりにヘビースモーカーを目の前にして話すのでキツい。鼻風邪はもう治っているのでクサくてたまらない。(これからはケムいではなくクサいと書こう。)風の動きを読んでうまく風上になるように位置を変えつつ話を聞く。近日中にSとも飲まねばなるまいが、あいつはタバコマナーが最悪の奴で(その他のマナーも最悪だが)一時それが原因で縁を切ったことがある。ついつい酔った勢いでそのうち飲もうぜなどとケイタイの番号を教えてしまったことを後悔する。ちょっと憂鬱になる。まあ忙しかったら断ろう。

 Uさんはすこし耳が遠いので声が大きい。これはご本人からむかし聞いているので推測ではない。それで思ったのだが、高調子で六時から九時までしゃべるのはたいへんなエネルギーなのではないか。2000キロカロリーぐらいは使っている(笑)。だってたまに相槌を打ちつつ聞いているぼくでも500キロカロリーは使ったから。田辺一鶴が三時間講談をやり続けるのに合いの手を入れ続けていたようなものだ。Uさんの健康の秘訣はこれなのではないか(笑)。ぼくの父が健康なのは、五十年も詩吟をやってきたことが大きい。あれは心肺機能の鍛錬によい。大声でしゃべるUさんに、物静かなタイ人が何ごとかとちらちらとこちらを盗み見る。すこし恥ずかしい(笑)。Uさんなら中国でも通じるな。

 Uさんがコンドを借りて住んでいるパタヤに、次はぼくが出かけて行きますと再会を約束。
 九時。雨が降り出した!ので、濡れない内にと解散。いったいどういうことなのだろう、この時期に雨とは。先日の雨でビニールカッパを買ったが、防寒用にしか役立つまいと思っていた。まさか年末になってまた降るとは……。タイ人なら平気だが日本人なら十分にカッパを着たくなる程度の降り。着て帰る。寒い。なんとも奇妙な季節だ。

 帰ってから気分良く『作業記録』からこの「チェンマイ日記」に文章を写す作業をしていた。
 あっと言う間に午前一時。これはこれでたいへんな作業なのである。通読して誤字を直したりしているとすぐに数時間が経つ。ザーっという音。窓から外を覗くと激しい雨が降っていた。クリスマスに降雨のチェンマイ。信じがたい。
26(木)
 暗い朝だ。七時に目覚める。まさかとは思いつつも窓の外を見る。洪水だった。またも道路が三十センチほど冠水している。近くの河が溢れていた。水が引くまで出かけられないなとコーヒーを飲みつつため息をつく。肌寒い。部屋の中にいてもティーシャツ一枚では寒いので長袖を着た。毛布にくるまってもういちどベッドに入り藤沢周平を読む。大事なお菓子を毎日ひとつずつ食べるように大切に読んできたが残り少なくなってきた。








 八時半。Tさんから電話。今からランパーンに帰るという。送りに行きたいが洪水で出られないと言うと、既にもうバス停にいて出発間際とのこと。なにかあったらいつでも電話してくれと言う。こちらにいる間は出来る限りの協力をするつもりだ。

 九時。旅行会社から電話。十日前から頼んでいた帰りのチケットがやっと取れた。九日のビーマンのビジネス。片道。ここ数年、こちらで買ったTGの一年オープンで往復してきた。私のタイ物語はもうすぐ終る。
 さて今からその旅行会社に払い込みに行こう。
 今回の片道チケットで来て、理想としては当初の予定であり、駐車場の契約でもある五日に帰りたかった。しかしちょうどそれが日曜であることから、六日の仕事始めの人たちの帰国ラッシュとなり無理であろうとは覚悟していた。だからすこし早めの三日ぐらいでもいいと思ったのだが、それでもない。あるのは大晦日のエアインディアだけである。

 今回こちらに来たのはTさんの奥さんを見送るのが目的だった。Tさんが喪主として仕切るなら、クルマをもっているあいさんやらいぶさんに協力を要請して動くために、ぼくがいたほうがいいと判断したのだ。

 九月にTさんの奥さんと会ったとき、ぼくらは今年いっぱいと読んだ。看護婦をやっていたらいぶさんの奥さん、同じく同僚だったY氏夫人も同じ診立てだった。まだ彼女は自分で立ち振る舞いが出来たが、骨と皮にやせ細り、とても正視できる状態にはなかった。坐っている状態から立ち上がるのがつらそうだった。これほどの状態を見ても「意外に元気だからチェンマイに連れてこようかな」と言っているTさんという人が信じられなかった。もう命のカウントダウンに入っているのが見えるのにである。おそろしく鈍い人であった。

 今月の二十一日に行ったときはもうこの世の人ではない状況だった。体重は25キロぐらいか。食事も出来ない。スープのみである。寝たきり状態。トイレもおまるになっていた。あと数日なのは確定していた。

 ここ数日、ぼくは毎日のように旅行会社に通っていた。大晦日に帰れば何も問題はないのだが、亡くなってから葬式までに二日はかかると読んで、まだその通知が来ないのだから、大晦日までにすべてが解決するとは思えなかった。正直に言えば、未解決のまま自分だけ日本に逃げ帰りたい気持ちもすこしはあった。Tさんのあまりのいい加減さに愛想が尽きていた。なんでおれがこんな苦労を、という気持ちが芽生え始めていた。
 チケットは一月十四日ぐらいまでないと言う。そこまではいられない。でもそれしかないか。大晦日か十四日過ぎか、選択を迫られていた。


 そして今朝、旅行会社が、九日のビーマンのビジネス席が取れたと連絡をくれたのだ。すこし遅いがしかたない。
 たぶん九日までには結論が出るはずである。
 代金を払うためにナイトバザーにあるダイナースカードのキャッシング所に出かける。またろくでもない係員に憂鬱にされるのかと気が重かったが、唯一まともな青年がいて気持ちよく出来た。
 もどって支払い。チェンマイ・バンコクのTGを含んで13000バーツほど。

 ところでここ数日の間に「犬も歩けば棒に当たる」というたとえを二回使用した。書いていて自分でもなんか釈然としなかったが辞書を引いて結論が出たのでまとめておこう。

 最初に書いたのは《最近新しい行動をしていない。今回たまたまの出会いがあった。「犬も歩けば……」で行動しないと何も始まらない。こんな出会いを求めてこれからは行動しようと思った》のようなことだった。ここでは「犬も歩けば」が「行動すればよいことに出会う=行動しないと何も始まらない→行動せねば!」の意味に使われている。いや他人事じゃなくて(笑)そういう意味で私は使っている。この時になんかもやもやしたものは感じていた。

 その後、ほんとに棒に当たってしまい(不快!)、《「犬も歩けば」で棒に当たってしまった。犬はあまり出歩かないほうがいいようである。》と使った。これは「よけいなことをするとイヤな目に遭う。分相応におとなしてくしているのがいちばんだ」の意である。これを書いて、これが正しい使いかたであり、前回使用したのは間違いであろうと思った。

 最初に使用した「犬も歩けば」は、「チャンスの後頭部は禿げているorチャンスには前髪しかない→積極的にチャンスをつかめ」のような意味だ。次回のは「雉も鳴かずば撃たれまい→よけいなことはしないのがいちばん」の意になる。これって相対しているんじゃないのと思ったのである。
 それで辞書を引く。引きたくない『広辞苑』なのだが今はこれしかないのでしかたない。それによると。

○犬も歩けば棒に当る
物事を行う者は、時に禍いにあう。また、やってみると思わぬ幸いにあうことのたとえ。(前者が本来の意味と思われるが、後の解釈が広く行われる)


 とのことだった。結果的には私の使用法は両方とも正しかったことになる。二度目の使用法が『広辞苑』のいう「本来の意味」、一度目が「最近よく使われている使用法」だ。ただこれはやはり「本来の意味」が正しいだろう。「犬も歩けば棒に当たる」とは、「犬もおとなしくしていればあんな目に遭うこともなかったのにね」のはずだ。これからはこの意味に限定して使い、「やってみると思わぬ幸いにあうこと」は他の表現にしようと思う。
《不愉快な話、二題》
 ごめんねえ、誰も不愉快な話なんか聞きたくないだろうけどさ、ほら、話すとぼくが楽になるもんだから(笑)。

 その壱・両替所にて
 チケット代を払うのにナイトバザーの両替所にキャッシングに行く。ここは以前から応対が悪く、なるべく行きたくないのだがダイナースカードでキャッシングできるところをここしか知らないので仕方がない。
 前回などパスポートと一緒にダイナースを出している私に、男の係員がふてくされた顔で「VISAはないのか」と聞く。ダイナースだと手続きが面倒らしい。でもそれはそいつの仕事だ。そいつの仕事を軽減させるためになんでこちらがカードの選択をせねばならないのだ。めちゃくちゃ失礼な話である。ないと言ったら、「ああ、たまんねえな」とため息をつきつつ仕事を始めた。なんなんだろう、こいつは。それにだ、私はいまVISAがないが、持っていたなら以前のようにおまえらの顔を見なくて済むATMでやるって。なにが不愉快といって、この「VISAはないのか」に敬語がないのである。年下のガキに言うような言いかたをする。不愉快きわまりない。

 こいつらの口の利き方は乱暴だ。敬語類は一切ない。親しくなったタイ人がみな「クン・ユキ」と読んでくれるので、私はクン(ミスター)はなくてもいいよと言うのだが、こいつらは最初からつけない。呼び捨てにする。「つけろよ! おれは客だ!」と言いたくなる。なんでおまえらが客のおれを目下の者のように呼び捨てにするんだと腹が立つ。
 なんかこいつらの横柄な態度には基本的な勘違いがあるようだ。私はクレジットカード会社から金を借りるわけである。その意味では借金だが、そういう契約をしているし、正規の利子も払う。こいつらはその手続きを行う雇われた係員でしかない。それで給料をもらっている。だがこいつらは、貧乏人に自分たちが金を貸してやっていると勘違いしている。やたら高飛車なのだ。態度がでかい。行くたびに不愉快になる。なんなのだろう、これは。

《タイは上と下はいいが、高卒や短大、専門学校卒あたりが勤めている真ん中がどうしようもない》とは何度も書いてきた。これなどもそのどうしようもない真ん中に当たる。複数のクレジットカードを扱うキャッシングコーナーに坐り、空調の効いた部屋でネクタイを締めて仕事をしているのだから、それなりの立場なのだろうが、なんともはや、どうしようもないレヴェルの低さだ。
 数年前、チェンマイのATMでカードがもどってこなくなってしまったことがあった。あのとき行内で応対したバンコク銀行の行員は、言葉遣いから態度まですべて満点だった。それは上の人である。やはり半端なこのクラスがよくないのである。

 それがあるからカードでのキャッシングそのものを極力しないようにしている。今回はせざるを得なくなった。イヤイヤながら行ったのだが、またも大外れ。初めて見る女だったが、これがもう……。このふてくされ女にいきなりファーストネエムを呼び捨てにされたときはぶんなぐってやりたくなった(笑)。おれはおまえに金を恵んでもらうんじゃねえぞ!

 ま、もういいやね。書いていてつまらない。タイには庶民のおばちゃんのいい笑顔がある、上にはきちんとした上品な人たちもいる、上と下はいいのだ、真ん中のこのクラスは、ぼくが付き合わないようにすればいいのだと割り切って気にしないことにしよう。

 その弐・マッサージ
 Uさんと六時に『サクラ』で会い、九時に鉄道駅まで送る約束をする。残った時間、マッサージでも行こうかとなり、五、六年前、HさんとUさんと三人でよく行っていたダイヤモンドホテルのマッサージに出かけた。ここは人数的にはいちばん大きいんじゃないかな。二番目だという説もある。
 マッサージをしているとよくHさんはイビキをかいて眠ってしまい、それでいて前がもう三角形に膨らんでいるものだから、いったいどんな夢を見ているのだろうとUさんやおばちゃん達と笑ったものだった。なつかしい。

 実はマッサージおばばが百人以上もいるこういう店こそ玉石混淆なので飛び込みは絶対禁止なのである。それはわかっていた。以前のぼくらも長年かかって自分で体験した番号、友人から聞いた番号等を手帳に控えていて、気に入ったおばちゃんがいなければ帰ってくるのだった。AがいなければB、BがいなけばC、CがいなければD、いやDにしてもらうなら明日Aを予約したほうがいい、のように、それなりにシビアだった。それほど技術差が大きい。厳密には、技術の差というよりマッサージそのもののやる気なのではないかと思う。この巨大マッサージ屋でのエピソードだけでも一冊の本になるぐらい(そんなもん誰も読まんか)馬鹿話がある。なんといっても白眉はT漁労長とのことになる。ま、それはそのうち。

 今もここに通っている有山パパから上手だという何人かの番号を聞いていったが、それはみな当然のごとくお仕事中。マッサージのうまいおばちゃんを飛び込みで捕まえられることはまず滅多にない。巧いと事前情報のおばちゃんはひとりもいない。
 入るか帰るかけっこう悩んだ。パタヤ在住のUさんはパタヤのマッサージ屋に決まっている人がいて彼女以外ではしないという。ぼくもそうだ。冷房の問題があり今回は行っていないがここ五、六年ひとりのおばちゃんとしかしていない。Uさんが言っていたが、下手なおばちゃんに20バーツのチップをやるかやらないかと悩むより(こういう悩みをすること自体、チップというものに慣れていない善良で小心な日本人なのだが)、毎回なじみの巧いおばちゃんに100バーツのチップを上げたほうが双方とも気持ちがいいのである。ぼくもそうしている。下手なマッサージなら受けないほうがいい。

 受け付けの整形鼻のおばちゃんが、みんな巧いから同じだと言っている。こっちは十年以上前から通っているのだ。そう、あんたがまだその整形鼻を活かして男相手の商売をしていた頃からね。それができない齢になってここに墜ちてきたんだろうけど(上がってきたとも言えるのか? ここはカタギの商売だから。でも収入的には落ちたのか)嘘はよくないよ。
 それにしても、若い娘でもあの三角定規で測ったような不自然な整形鼻は醜いのに(ぼくはカラオケでもマッサージパーラーでも絶対に整形鼻は指名しない)、こういう汚い顔になったおばちゃんがやたらとんがった鼻をしているのは、見ているだけでもの悲しくなる。顔のあちこちが年齢相応にしわしわになってきているのに、鼻だけつるつるに張っているのだから不自然だ。そりゃ異物を挿入しているのだからそうなる。帰りたくなった。帰ればよかった。

 その整形鼻おばちゃんが百人以上もいる待機群の中から私らに押しつけてくるおばちゃんマッサージャーが、技術が下手の売れ残りで、同類項の整形鼻おばちゃんであろうということは、今になって考えれば火を見るより明らかなのだった。ほんと、帰ればよかった。帰るべきだった。

 いやあほんと、ひさしぶりにいやんなってしまいました(笑)。書きたくないけど、これは我慢してもうすこし書こう。だいじょうぶ、みなさんは不愉快にはならない。他人の不幸は密の味だから。
「タイ語抄-あなた~」というのに書く予定の「バンコクの有馬温泉(という名のマーサージ屋)」で経験したのとまったく同じ不愉快を経験した。まいったまいった。
 整形鼻の太ったおばちゃんが二人入ってきて、しかもカタコトの気持ち悪い日本語を話し始めたときチェンジを申し出るべきだった。帰るでもよかった。

 だめだ、書く気力が続かない。とにかくこのおばば二人はマッサージがまったく出来ずどうしようもなく、それでいて何を期待しているのか「オクサン、タイジンか」「ワタシ、キレイカ」などと気持ち悪い日本語で話しかけてくる。Uさんがタイ経験は長いもののタイ語がブロークンなのでよけいに自信を持ったようだ。うるさくてたまらない。
 最初に受け付けで、私が、タイ語を話せること、こちらに十年住んでいること(嘘だけど)を主張し、日本語など話せなくてもいいからマッサージのうまいのを寄越せともっときちんと意思表示すべきだった。Uさんに任せてろくに話さなかったから、年末休暇に来たタイ語の話せない日本人おやじ二人連れと思われてこんなのを回されたのだろう。まいりました。
 世の中には正に蓼食う虫も好き好きで、こういうおばばの体に触り、手コキで300だの本番で500だのと迫る物好きオヤジもいるらしく、このマッサージのまったく出来ないおばばは、それで生きているのだろう、ぼくらをそういうカモと思ったようだ。まあそれはそう読んでくっつけたフロントの整形鼻おばばの責任である。

 しかし次第にUさんもかなりタイ経験が長く諸事情に詳しいこと、とても自分らのカモにはなりそうにないこと、おまけにUさんがしっかりと、マッサージがうまかったら100バーツチップをやるが、下手だったら一銭もやらないと宣言した辺りで、二人のおばばはすっかりやる気をなくしてしまった。いきなりガムをクッチャクッチャとかみ始め、マッサージどころかただふてくされてこちらの足腰を撫でさすっているだけ。こりゃだめだと二時間を一時間に切り上げて退散した。「快適な生活」を維持するのは難しい。いや簡単だ。「犬も歩けば」で、歩いたから悪い。しかしマッサージ屋でここまでイヤな思いをしたのも十余年タイに関わってめったにない。なのにこいつらフロントに先回りをして待っていたのには笑った。普通そこで金を払い、チップをあげるわけである。あれだけのことをしておいてどっちらけになっているのに、それでもまだチップをもらえるかもと期待していたらしい。図々しいにもほどがある。

 そのいやな気分はすぐにスッキリと晴れた。
 店を出るやいなやUさんが「ごめんね、ぼくがマッサージに行こうなんて誘ったから」と何度も謝るのだ。それは関係ない。だから「そんな、ヘンな気の使いかたしないでくださいよ、ぼくだって行きたくて行ったんだから」と互いに譲り合っていたらいつのまにか不快感は消えていた。いかにも日本人らしい解決法である。
 Uさんは自分のことを「ぼくはなんでもストレートにしゃべるから敵が多い。人に嫌われる」と卑下しているが、そんなことはない。他者に対して気を遣える人だから多くの人が好いている。だいたい嫌われている人は自分が嫌われていることに気づいていない。気づいていても、「あいつらはおれのほうが相手にしていないのだ」と思いこんでいる。

 残った一時間で食事をしようとアヌサーン・マーケットへ行った。先日らいぶさん一家に紹介した店が目的だったのだが超満員ですわれない。美味い店はいつでも流行っている。しかたなく違う店にいった。たいしてうまくはなかったがUさんが喜んでくれたのでいい。周囲に日本人が多い。年末の旅行シーズンなのだと実感する。
 九時に駅まで送ってお別れ。来年はぜひぼくがパタヤに遊びに行きたい。Uさんと会えて楽しかった。
27日(金)  朝八時からThinkPadに向かう。
 午前十時にらいぶさんから電話。先日お願いしたメーサイに行く件を30日でどうかとのこと。VISAの都合で一度タチレクに出たい。先日私だけ出られなかった悔やしさもある。

 そのあと部屋に遊びに来たので一緒に市場に行く。お昼なのでいつもの飲み屋はまだ開いていない。飯屋に入り(そこにはビールはなかったので)市場内の酒屋でビアチャンを買う。一本のつもりだったが「三本で100バーツ」と言われたのでつい三本買ってしまう(笑)。
 らいぶさん、うまそうなぶっかけ飯をわっしわっしときれいに平らげる。ここのところのらいぶさんは以前とは見違えるような食欲である。煙草を止めた人が太るというのがよくわかる。らいぶさんの場合は55キロしかなく痩せすぎなのでちょうどいいだろう。タバコ中毒者はゴキブリも即死するようなニコチンタールの毒素を体にひっきりなしに取り入れているのだから食欲などあるはずがない。見た目も健康そうになってきた。




 どうにも私は食物に関するタイ語が手薄なので食事の注文が下手だ。ま、指さし注文でなんとかなっているが。
 午後二時。下ごしらえなのかナクラが出勤して来た。話しかけ挨拶する。ナクラ、せっせと働く。ローライズジーンズの腰の辺りからパンツが見えたらしい。らいぶさんが「ナクラのパンツが見えている」と教えてくれる。私も見る。二人顔を見合わせてどう反応すべきか悩む。女のパンツが見えた場合、男の反応は二つだ。「やったあ!」と心の中で万歳を叫び、なんてきょうはついているんだと喜色満面になる場合と、「見なかったことにしよう」と今後のしあわせな人生のために目の前の事実を無理矢理打ち消す場合である。ナクラのはみ出しパンツを見て、私とらいぶさんはこれは喜ぶべきか目を背けるべきかと混乱した。年齢的にもルックス的にも彼女はそのボーダーライン上にいる。むずかしい。ニヤつくのでもなくかといって目を逸らすのでもなく、日本人オヤジ二人はネプチューンのナクラそっくりの顔をした子持ち女のハミパンを深刻な顔で見つめるのだった。

 結局ビールをもう一本頼み(飯屋のおばちゃんが買いに行ってくれた。気さくで気分がいいよねえ、こういうところは)食後のコーヒーを飲んで市場を後にする。このコーヒーをらいぶさんが砂糖が一杯入っていて甘いねと言ったとき、閃くものがあった。自分のを一口のみ、らいぶさんのも味を見させてもらう。まったく同じ味。間違いない。これはネスカフェのスティックである。毎日飲んでいるのだから覚えている。
 らいぶさん、おねむになってしまったので私の部屋でお昼寝。連日のオツトメで疲れている様子(笑)。
 午後四時に奥さんが迎えに来て解散。
 なぜか突如Spice Girlsを聞きたくなりCD屋に出かける。ヒット曲を連発した彼女らも解散して久しく最近では元メンバーのひとりがイギリスのサッカー選手の女房として話題になる程度だ。世間的にはベッカムの女房の元歌手なのだろうが、私にはベッカムがヴィクトリアの亭主のサッカー選手なのである。
 で、ここでセコい話。タイのCDは高い。前回なんかクリスティーナ・アギレラの新譜CDを480バーツも出して買った。邦貨だと1500円程度だがこちらでは日雇い土方三日分だからいかに高い価格か解る。しかも大好きなタイの歌手、クリスティーナ・アキラの新譜だと間違えって買ってしまったというお粗末。アキレラ。つまらんのですぐにその辺のネーチャンにあげてしまった。

 それで、SpiceGirlsのCDも250バーツぐらいはするだろうから二枚で500バーツかと考えているとき、違法コピーCDのことを思い出した。あれなら彼女らの全アルバムが入って120バーツで買える。それにすべし、とコンピュータプラザに出かけた。
 ない。たしか彼女らは連続1位の記録がビートルズを抜いたと話題になった大物だからないはずはないのだが……。バンコクなら確実にあるだろう。探している内にどうでもよくなったので(笑)帰ってくる。(写真は帰国してから手持ちのものをいれた)

 コンピュータプラザには欲しいものが山ほどあるが節約生活なので我慢せねばならない。そのことにいらだつ。なんとかここのところ生活費は一日1500バーツ前後で落ち着いている。それでもまだ無駄の多い生活ではあろうが、本人にはいつもの半分だから、日々の暮らしが貧乏くさくてたまらない。もしまた来ることがあったら、その時はやはりいつもの生活費にもどそう。これじゃ毎日がすこしも楽しくない。
 十一時まで仕事。近所の屋台で食事。本を読みつつ就寝。 
28日(土)  午後、インターネットカフェに行く。もうアップは出来ないと諦めてここのところ行っていなかった。知りたいビッグニュースもことさらなかったし。
 昨日らいぶさんにもうこちらからアップはしないのですかと問われたのでもういちど挑んでみることにした。

 らいぶさんの友達のIさんからHotmailにメイルが届いていた。先日のブラッサリーでのライブ体験を喜んでくれていた。そういう感想をもらうと案内したこちらとしてもうれしい。差出人に「ソースア」とあり、そういえばIさんは、後藤さんのホームページ「チェンマイのさくらと宇宙堂」掲示板に「ソースア」のハンドルで書き込んでいた人だったと思い出す。

 ソー・スアは「虎のソ」の意味。タイ語の文字は日本語だと「アサヒのア」「サクラのサ」のように代表的名詞と共に発音する。それがオ段なのが不思議でならない。チャイントンのことを書いていたホームページ主催者ヨー・ヤック(鬼のヨ)さんもいた。こういうハンドルってタイ関係では流行りなの?



 竜王戦七番勝負は羽生が一勝を返し三対三の五分になった。決戦は正月明けだ。一月七日、八日かな。台湾での千日手から始まった熱戦は最終局までもつれこんだ。二人ともくつろげない正月になる。
 挑戦者の阿部は一般には無名だが早くから嘱望されていた有望株だった。高校生三段として関西棋界の注目を浴び、同期の中学生三段だった羽生と当時東西若手話題の対戦をしている。やっと挑戦できる立場まで来た。これで竜王を奪取したらタイトル初挑戦で棋界のビッグタイトル奪取だからたいへんな話題になる。今年森内が初タイトルで名人位を取っているからその可能性はあるだろう。果たしてどうなるか。羽生ファンとしては防衛してもらいたいと願っているが。



無宗教の国立慰霊塔」というのはいったい何を考えているのだろう。産經新聞も書いていたが、慰霊とは宗教なのである。宗教なしに霊のことは考えられない。「靖國で会おう」と言い、国のため、家族のため、後々に生きる私たちのために散華していった英霊の存在を、そんな形でごまかしてはならない。靖國神社に言いがかりをつけているのはそれを経済的政治的に利用している中国と朝鮮だけなのである。世界中の多くの国は靖國神社の存在を当然のこととして認めている。いつまでこのような卑屈な外交を続けるつもりなのか。これは差別用語と指摘されるとすぐに新しい言葉でごまかすのと同じ手法でしかない。中国と朝鮮はそれを「外交戦術」として使っているのだから、片端や不具者という言葉をを廢し身体障害者に言い換えても、いつのまにかシンショーシャが差別用語になるように、それにもまたケチをつけてくるのは分かり切っていることである。だって最高に有効な外交戦術なのだから。
 しかしその論拠はあの裁判として成立していない東京裁判であり、そこで指定されたA級戦犯ウンヌンなのだから、いいかげんなイチャモンには正面切って闘うべきなのである。なさけない政治だ。
 党派を超えて263人の国会議員が反対を表明しているらしいのでだいじょうぶとは思うが憂鬱になる話題である。



 FTPソフトをいくつかダウンロードする。たぶんそれが原因ではなく、ぼくのほうの転送設定に原因があるのだと思う。ただ何もいじってないのに、この間は出来た、今度は出来ないではぼくの実力では対応のしようがない。それで新しいFTPソフトなら出来るかもと見当違いの希望を抱いてそんなことをしている。フリーソフトを三つダウンロードした。あとは部屋に帰って解凍して転送設定してみよう。




 きょうXPをいじっていてその新しい能力を見直した。なんとXPはタイ語ヴァージョンなのに日本語IMEの「かな入力」が出来るのである。おどろいた。今までは日本語入力といってもローマ字入力しか出来なかったからかな入力のぼくは打鍵がかなり遅くなり、なにしろ「きゃ」や「ちぇ」になったらどうしたらいいかわからなくなるレヴェルであるからして(笑)、これは精神衛生上非常に劣悪な環境なのだった。

 思い出す。数年前、チェンマイで日本人の美人娘と親しくなった。明治の文学部出身の彼女は物書きの私に興味を持って色々質問してきたりして、なかなかいい雰囲気だった。その彼女とバンコクのインターネットカフェに行った。いつもローマ字入力の彼女は素早く打ってメイルを書いている。それと比してぼくはカタツムリなわけである。彼女のあからさまに失望した顔が忘れられない。きっとブラインドタッチで素早く名文(?)を打ち続ける姿を期待していたのだろう。しかし実態は「え~と、わたしはWにAでわ、TにAでた、か。しはSにIで、わたし。変換して私、おお、でけたでけた」のレヴェルだったのである。あの彼女のあまりに露骨なコバカにしたような視線は辛かった。赤面しつつ「おれはカナ打ちなら速いんだぞお。ブラインドタッチで目にもとまらぬ速さなんだぞお」と腹の中で叫んでいた。あのこ、元気かなあ、会いたいものだ。

 そんな屈辱の思い出もあり、それでみなさんへのメイルの返事も、ローマ字で「sonouchi nihongo de henji wo kakimasu」なんて一行でごまかしていた。かな入力があるならいくらでも書ける。とはいえユーザー辞書がないからかなりまだ問題ではあるが。なにしろぼくの辞書ではチェンマイなんてのは「ち」で出るようになっている。そういえば何年か前、インターネットカフェのパソコンの前で、「ローマ字でチェンマイってどうして打つんだ」と悩んだことがあった。



 ということで気持ちよくみんなに返事を書いていたら、いくつかの字がないことに気づいた。確認のために「あいうえおかきくけこさしすせそ」と五十音をぜんぶ打ってみる。「む」と「ろ」の位置が違う。よって「つ」も違う。アルファベットとタイ文字しかないキイボードでひらがなのブラインドタッチが出来たので──長年やっているんだからあたりまえなんだけど──自分を褒めてやりたい気分。益々XPでないとだめになった。まだまだ98が中心のチェンマイでは苦労が続く。
 二時間いてコーヒーを飲んだりして80バーツ。

 部屋に帰ってあれこれやっていたら、なんとなくまたアップできるのではないかという気になってきた。今からもういちど確かめに行ってみよう。XPが空いてますように。



 出かけようとしていた午後七時にSから電話。忘年会だと割り切って出かける。ケイタイの番号を教えたこちらがワルイ。アップはお預け。
 ロイコー通りのバーで待ち合わせ。それからいつもの市場に連れてくる。ちょうどナクラが帰るところで彼女で笑いが取れなかったのは残念だ(笑)。

 笑い話。鍋物のうまい店に連れて行った。先日Oさんに教えてもらった店だ。そこでSが「ぼくはトムヤムケーが好きなんですよ」と言った。悩む。鍋物のトム・ヤム(煮る、茹でるの意)には、クン(エビ)、プラームック(イカ)、プラー(魚)、タレー(海=海産物)等いくつも種類があるがケーというのは知らなかった。それは何を入れるのだろう。Sはタイに関わって十四年ぐらい。タイ語は下手だが独自の嗅覚でおもしろいことを知っていたりする。今回もアヌサーン・マーケットのカニの話で盛り上がっていた。わからないのは悔しいから必死に考えたのだが、どうにも食物のケーが浮かばない。それで訊いた。勘のいい人ならもう答はわかっていると思うが、彼は「トム・ヤム系」と言ったのである。トム・ヤム全般が好きだと言ったのだ。そんな系をかってにつくられても困る(笑)。

 トム・ヤム・ムー(豚肉)をつっつきつつセンソム(タイウイスキー)を飲む。ここの看板娘はブルック・シールズそっくりなのでSにそういって紹介する。Sも驚いていた。あんな顔はなぜかタイ娘に多いのである。



 それからぼくの行きつけの屋台に行き、またロイコーにもどりと深夜まで遊んだ。彼と別れたのは午後十一時なのだが、ぼくが部屋にもどってきたのは午前三時だった。ひとりでどこをふらふらしていたのだろう。

 宿酔い気味の翌日にこれを書いているのだが、つまらない時間を過ごしてしまったとの悔いもある。とにかく酒を飲んではダメだ。翌日に響く。しかし飲み始めると止まらない。まあSとも長いつきあいなのだから一晩ぐらいは仕方がないか。旧『サクラ』の隣で浦野さんがジェイムハウス(ゲストハウス)をやっていたころマージャンブームがあった。連日一室を麻雀部屋にしてテツマンだった。十年ほど前か。Sはあの頃からの知り合いだし、昔話や死んだ人、殺された人の話もしたし、忘年会としてそれでよかったのだと思うことにしよう。
29日(日)  宿酔い気味の頭でThinkPadをいじりつつ思った。

『ホームページビルダー』が重くてたまらない。今のこれはVersion7の最新版であるわけだが、そこに附加されている多くの機能はぼくとは無縁である。一切使っていない。ソフトウェアの容量がヴァージョンアップするたびに巨大になってきたのは知っている。だから重い。とするなら、たいしたことはしていないぼくは、むしろ以前の『ホームページビルダー2000』ぐらいを使えばいいのではないか。それなら容量も小さいしこのThinkPadのCPUでも負担にならないはずである。帰国したら試してみよう。
 今からネットカフェに行き、アップできるかどうかまた試してみるつもりだ。



 市場で食事。もうすっかり顔なじみになってしまい、みんなが笑顔で迎えてくれるからうれしい。タイのいちばんすばらしいところである。
 今までにもこんな形でタイ人庶民の市場に凝ったことは何度もあった。この市場に日参するのも初めてではない。五年ぶりぐらいか。ただ五年でここにいる人々が変ってしまったので(すくなくともここのところ通っている店では)新人扱いなだけである。元々がそういう土着のものに対する憧れの強いタイプなので(=そういう性質だからおっさんでもタイ語を覚えられた)、庶民的市場というのは最初にハマッタ場所でもある。(このハマッタという表現は汚らしいと高島さんやリンボー先生は嫌っているのだが、どうにも便利なのでついつい使ってしまう。)



 ぼくは猫的なので、異常にそれに凝るかと思うと、次の日には見向きもしなくなったりする。猫の寝場所がそうだ。市場も凝りに凝ったかと思うと、翌日からは白人向けのバーに日参するようになったりしていて、正に猫の目で変る。今毎日二杯は飲んでいるインスタントコーヒーだって、飲まないときは何年も飲まなかったのではないか。ま、そんな性質だ。だから今、生活の一部として凝っている市場や屋台も、べつにとりたてて珍しいわけでもない。十個ぐらいの凝ったものを巡回しているだけである。しかしそんなどうでもいいぼくの履歴とは関係なく、この市場というもの、そこでのタイ人のふれあいが旅人気分の王道であることは間違いあるまい。



 で、ついでにもうひとつ、これまたどうでもいいことの弁明なのだが、この市場屋台路線と「節約生活」はまったく関係ない
 というのは、まあ敢えて言わなくても明白なのだが(笑)、ここ十年ほど固定しているぼくの生活費一日3000バーツとは、酒とバラの日々の費用なわけである。假に『サクラ』でいつものよう飲み食いして一食300バーツとして、市場や屋台でそれを100バーツに抑えたとしても、それが3000バーツの日常生活費の節約に役立たないことは言うまでもない。そこで200バーツ節約したとしても、夜に一杯100バーツのウイスキーを7,8杯飲み、周囲の女にも奢って1500バーツ使っていたらなんの役にも立たないのである。千バーツのバラを一日に二本楽しむのも同じ事。そんなことをしているから3000バーツになる。要するにうすらバカのチェンマイ日常において、食事代なんてのは微々たるものなので、節約には無関係なのである。ケチくさい生活をするために市場や屋台に行っているのかと思われたら、ぼくも不本意だし市場のみんなにも失礼なので、どうでもいいことだが書いてみた。
 


 明日の早朝から日帰りでメーサイ・タチレクに行くので地図を買う。
 なんでタイってこんなに地図が高いんだろ。北部タイの一枚ペラの地図で189バーツ。70バーツのがあって、それよりもこっちがいいなと思って手にしたら三倍近い値段だった。70バーツでも高いと思うのだけど。
 今よくみたら、これドイツ製だな。世界各国での値段が書いてあってアメリカで9ドルになっているからむしろ安いと考えるべきなのか。

 その値段に驚いたのだが、そのことよりも強く思ったのは、相変わらずDKブックセンターの店員は最低だということ。今までに何十回もそれを思ったのにどうしてまた行ってしまったのか。いつも終ってから後悔する。
 ぼくの言う「タイは上と下はいいが真ん中は最悪」のこれも「真ん中」に属する。立派な店構えの空調附き大型書店の女店員である。ブスが気取っている。こいつら、絶対にありがとうございましたを言わない。絶対に客に笑顔を見せない。今日も知り合いとぶつくさと話しつつ、こちらの顔を見ずに金を受け取り、ソッポを向いてつりを出し、また知り合いと話し始めた。行くたびに不愉快になる。確実になる。でも行くのが年に二三回だから忘れてしまい、不愉快な目に遭ってから思い出すのである。でも今回で確認した。もう二度と行かない。それにしてもこのDKというのがタイ語のドゥアング・カモン、真心の頭文字だってのは皮肉だ。チェンマイ一真心のない店員ばかりである。

 その点、日本人が社長の東京堂書店では、必ず店員はありがとうございましたを言う。まったく違っている。そう教えてあるのだろう。さすがである。
 いったいどんなヤツが「真心書店」の社長なのか見てみたいものだ。佛作って魂入れずだと教えてやりたい。



 今日は日曜でありターペー通りが歩行者天国だからDKブックセンターに行くのにも苦労した。走っている内に、いつものネットカフェが休みだなと気づく。でも念のために行ってみることにした。

 『サクラ』の前を通る。ランプン勤務のTさんがいるのが見えた。あの人、毎日会社の帰りに『サクラ』に寄って六時から九時過ぎまでいて、日曜は昼から出てきて夜まで『サクラ』にいる。よほど友達の少ない人なのだろう。こどもふたりを残してタイ人の奥さんに死なれたらしいが、そろそろ再婚を考えたほうがいい。なんだかTさんを見ているともの悲しくなる。



 いつものネットカフェが開いていた。運良くXPも空いている。早速始める。が、ファイルのアップどころかプロバイダーに繋がらない。新しく使用したFTPソフトのエラーメッセージに数字が並ぶからプロトコルの問題なのだろうか。困ったなあ。前回までの失敗ならファイル名を直接指名して読めるわけだが、これでは完全に更新が出来ない。だけどこちらとしては何も変えていないわけだから、なんでこんなことになったか原因がさっぱりわからない。そのエラーメッセージは文字化けしてしまっているので読めないのである。完全にお手上げ状態となってしまった。いよいよらいぶさんのところからやらせてもらうしかないか。



 今ぼくの部屋にはテレビがない。このアパートは有料で貸してくれるのだが映りの悪い旧式14型テレビなど見たくもない。しかしさすがにここまで映像と無縁の日々を送るとたまには見たくなる。セントラルデパートの映画街で観たい映画と時間を確認してきた。正月に見よう。第一候補は007最新作。ハリー・ポッターは観る気はない。指輪物語の最新作をやっていた。あれは観とくべきか。でも第一作を観てないぞ(笑)。

 というわけで語呂合わせではないのだが、コンピュータプラザでBONDのライブコンサートの二枚組VCDがあったので買ってきた。200バーツ。600円。BONDはイギリスの女四人組のバンド。エレクトリック・ヴァイオリンやヴィオラ、チェロを駆使して先鋭的な弦楽四重奏をやる。セクシーな衣装もいい。先日来日したときは見たくもない「ニュースステーション」を彼女ら見たさで見てしまった。あのクソ番組、時々シャレたゲストを出したりする。その時も冗談で007のテーマをすこしだけやったっけ。



HotBest 2002~2003」という寄せ集めCDを買う。一枚にMPegで176曲入っている。すごいね。

 Madonnaの「Die another day」が入っている。これが007の今回の主題歌かな。
 しかし「HotBest 2002~2003」なのにEaglesのベストが入っていたりするのがタイらしい。あまりHOTじゃないと思うが(笑)。

Popular Hits 6」を買う。アルバム12枚入り。
 Various Artistの「Ketchup Dance」が聞きたかった。
 BONDの「Shine」が入っていた。この寄せ集め具合はなかなかセンスがいい。

 それにしてもキング・クリムゾンだとかユーライア・ヒープ、エマーソン・レイク・アンド・パーマーだとかの全アルバムが入ったCDをたった120バーツ(バンコクだと100バーツ)で買えるのだからマニアにとってここは天国だろう。chikurinさんになにかお土産に買って行こうかとな思うのだが、なにがいいだろう。

 飽きることなく棚を見ていたら、タイ人の青年が「イープン(日本)のゴスペラーズはないか」と尋ねているので驚いた。日本マニアが多いとは聞いていたがゴスペラーズとはねえ。
 目の前にある日本人歌手はウタダと松たか子。なぜか松たか子はタイで人気があり違法コピーCDが出回っている。あのこ、タバコすぱすぱでものすごく根性悪いんだけどね(笑)。わたしもああいう狸顔は好きですけど。

 今日は音楽と映像で満たされた日だった。
 今年も残すところあと二日。明日はメーサイへの往復で一日が確定している。大晦日はどうなるのだろう。元旦は。
 30日(月) ←タチレクは身動きできないほどの大混雑。いやはや今までに何十回も来ているがこんなの初めての経験だ。

 らいぶさんとメーサイ、タチレク、日帰りドライヴ旅行。これはあらためてまとめることにしよう。楽しかった。チェンマイを左手から北上し、右回りで南下してくる路線を取った。
 私がタチレクで買い物をしたいために、らいぶさんに頼んで実現した日帰り旅行だった。感謝。


 7:00出発。
 10:30.ファンでガソリン入れ。食事休憩。
 11;30.タートン。休憩、市場見学。
 13:00.タチレク(ミャンマー)入国。かつて見たことのないとんでもない混雑。
 15:30.メーサイ(タイ)にもどる。帰路出発。

 サパロット街道、カオラム街道の写真を撮る。
 17:30. チェンマイ・チェンライ県境のガソリンスタンドで休んでいるとき、ランパーンのTさんより明日チェンマイにもどると連絡が入る。どういうことなのだろう、わけがわからん。

 思えば11月3日、Kさん夫婦の力を借りてTさんはランパーンに引っ越した。ぼくらは死期の間近い奥さんを看取ってやってくれと出来るだけの援助をして送り出した。それが今、いよいよ目の前に死が迫っているこのときにもどってきてしまうTさんの気持ちがわからない。いや、いちばん事情に詳しいぼくは両者の言い分もよくわかるのだが、だけどなんで今なのだ、あと数日のことではないのか。その我慢が出来ないのか。なんともいえず電話を切る。

 20:00.チェンマイ着。メーサイ、チェンライですごい渋滞だったのでずいぶんと時間を喰った。
 峻険な山道を慎重に運転したのでだいぶ時間がかかってしまった。なんど走ってもあの山道は怖い。

 21:20.ナイトバザーの「Red Lion」で食事。
 この店、高くて不味い。大外れ。
 今日一番の失敗となった。悔やまれる。
 ボロぞうきんを食っているようなまずいステーキだった。
 二度と行かない。死んでも行かん!

31日(火) 
大晦日
  あいさんへいろいろと自分の意見を書きつづったメイルを書かねばならない。いくつものテーマを書き連ね、今じゃかなりの長文になっている。まだまとまっていないのだが、まずは今年中に送って区切りをつけよう。
 特にTさんが今日チェンマイにもどってきてしまうなら、あいさんにはかなり面倒を掛けたからそのことに関して、ぼくの意見を帰ってくる前にまとめて送りたい。

 ということでこのメイルを書こうと思った発端はいつかと調べてみたら、なんと「あいさんにメイルを書かねば」と書いたのは12日である。この「日記」にそう書いてある。翌13日に会っているのだが(笑)、まあそれはともかく、書くと決めたのだから書かねばならない。今日は大晦日、今年最後の日である。


 他の部分は棚上げし、Tさんに関することのみに絞って、昼に書き上げ、第2候補のネットカフェに行く。ここは店員の態度も悪くXPもない。日本語IMEも入ってなくて日本文字も書けない。さらには喫煙オーケーと、とんでもない店なのだが、もうアップはあきらめているし(最近じゃなぜかアップどころかサイトにさえつながらなくなった)、閲覧だけと割り切り、タバコ呑みさえいなければ、三菱の平面17インチCRTが入っていてそれなりに快適なのだ。そう、ディプレイがいいのである。
 先日書いた「風邪を引いて鼻が詰まっているとタバコが気にならない」という経験はこの店で、した。



 Hot mailに繋ぐ。フロッピーに入れた添付ファイルを呼び込もうとする。
 臭い。何だ! 隣の白人が銜え煙草だった。臭くて煙くていられない。もう鼻風邪は治っている。インターネットカフェで喫煙オーケーなんて、とんでもない店だと実感する。こりゃたまらん、困ったことになった、どうしようと思ったとき、目の前の添付ファイル欄が文字化けしている。タイ文字になっているのが笑える。送れない。それで気づく。自慢じゃないがHot mailに添付ファイルで送るなんてワザもほんの三年前に後藤さんに教えてもらってやっと覚えたぐらいの通信初心者だ。そのとき言われたのが「文章名は半角英数字」だった。しばらくやっていなかったのでついつい油断してあいさんの本名を漢字で書いてきてしまった。隣から流れてくるタバコの煙が臭くて困っていたので、これさいわいと立ち上がる。


 根性のねじれた不細工な顔の女(イサーンから出てきて十年だそうな。チェンマイで白人にぶらさがって暮らしているとこんなふうな品のない顔になるという典型的なみにくい顔である)に、もう終りなのかと問われる。この女もカオサンなどによくいるが、こちらがタイ語で話しているのに英語で応えて来るという狂ったタイプである。それでいてちょっと難しい英単語になったらもうわからずタイ語にもどるのが笑える。だったら最初からタイ語で話せ。こっちはタイ語で話しかけているんだ。こういうのには時々わざとわからないような難しい英単語で返事したりする。体で覚えた英語だから知的な単語はなにひとつ知らない。イヤミにそういうイヤミで応えた後、そんなことをした自分が惨めになる。だからこんなところには近寄らないのがいい。

「タバコが臭くてやっていられない。チェンマイにインターネットカフェは数々あるが、喫煙オーケーなのはここぐらいだよ」とタイ語で嫌みを言う。褒め言葉にとられたか(笑)。現にタバコを喫っている白人にわからないようタイ語で言うところが気弱オヤジのなさけないところだ。



 すぐに部屋にもどってファイル名を直したいが、せっかく町まで出てきているのだからメモして来た買い物もしておこう。
 ワロンロット市場に使い捨てコンタクトレンズを買いに行く。
 ここは普段、バイクの路上駐車代を2バーツ取るが、今日は10バーツだった。大晦日特別値段である。



 そこで何年ぶりかでAに会った。彼は今、タイ人女性と結婚してチェンマイに住んでいると風の噂では聞いていた。最初の大恋愛は実らなかったが今が幸せならそれでいいだろう。
「Hさんと会ってますか」と訊かれる。そういえばよく三人で、チェンダオまで遊びに行ったりしたものだった。
 いやぼくは彼とは縁を切ったんだと応える。すると彼がぼくもなんですよと言い、こちらの絶縁に至る事情を説明しようとしたら、「あの人は人からのアドバイスを受けないでしょう。あの人のことを思って言ったことも全部気に入らないと拒んでしまうから、あれでは友達は居なくなりますよ」と、言いたいことを全部言ってくれたので、言うことがなくなる(笑)。そのうちまたと言って別れる。

 Hさんはぼく以外にAとも絶縁していたのかと驚く。さらにはあれだけ世話になっていたおかまのYさんともケンカしたらしい。ぼくの知っているだけでも縁を切った人は十指に餘る。チェンマイで知り合い、十年以上つきあっていた友人では今ではぼくが最古だったはずだ。先日会ったUさんとは切れたりくっついたり、まだつきあいはあるようだが。でも先日、はっきりUさんもHさんを非難していた。彼らも何年か前、一度断絶している。

 Hさんのことはどうでもいいのだ。あまりにだらしない父親なので子供がかわいそうだというのがぼくやYさんの意見だった。ぼくとの絶縁も、ぼくがメールで、こどものためにこうしたほうがいいのでは、と意見したことが原因だった。将来のとんでもない不幸を目にしたくはない。しかし残念ながらHさんはぼくに返事をくれなかった。風の噂で「あんなことを言われる覚えはない!」と立腹していると聞いた。なんとも残念な結果になったが、しかたがない。



 今回買った毎日使い捨てタイプのコンタクトレンズは、日本で買うものとまったく同じである。説明書も何カ国語で書いてある。日本語もある。とすると日本の半額なのだからこっちで買った方がいいことになる。でも毎日使い捨てタイプというのは、開けたときにもう切れてしまっている(壊れている。使えない)のが多く、品質はかなり低いようだ。


 部屋にもどる。Sから電話。どこかで呑みませんかと言う。インターネットカフェから送信が終ってからならいいと応える。あとでまた電話をくれと言って切る。

 ファイル名を半角数字に置き換え、もういちど喫煙可のインターネットカフェへ。無事送信できた。
 あいさんに電話をする。今日も会社のようだ。「メイルを送ったから読んでおいてくれ」と伝える。本来のメイルの趣旨から考えたらかなりずれた発想ではあるが、確実に今日の内に読んでもらいたいことなのでやらねばならない。夜、帰宅してからになるがいいかと言われる。それでオーケー。Tさんに関する詳しい話はそれを読んだ後に電話で、ということで切る。

 部屋にもどり、遅れている日記を可能な限り「今年中」に追いつめよう。
 午後六時かららいぶさんの住む住宅で、路上での「バーベキュー形式の忘年会」がある。近所の人たちがそれぞれ持ち寄って盛り上がるのだという。それに誘われていた。まだ時間はある。それまでにすこしでも文章を書こうと思った。

 すると電話。Tさんから。無事チェンマイに着き、いまナコンピンコンドのNさんのところでお世話になっているとか。
 なんとも言いようがない。すでに食事も取れず、自力で排泄も出来ず、ほとんどカウントダウン状態に入っている奥さんを置いてなんで今、チェンマイにもどってくるのか。わからん。私たちのやったことは何だったのか。


 もういちどSから電話。大晦日です、呑みましょうと。
 今日は酒を飲まずに大晦日を過ごすつもりだったがTさんからの電話で憂鬱になってしまった。呑まずに居られない気分だ。これが午後四時。

 誘いを受ける。いつもの市場に行くことにする。Sが場所を知らないのでむかしよく呑んでいたソムペット市場で待ち合わせ、いつもの市場に連れて行く。これ「いつもの市場」は場所を隠しているのでなくて、、まだ名前を知らない。あそこはなんていうのだろう。

 チェンマイにおける盛り場も栄枯盛衰があっておもしろい。バービアセンターも出来たばかりの時は押すな押すなの盛況だったのに、今じゃすっかり寂れてしまった。ソンペット市場も、以前は十件以上の食堂が流行っていたのに、今じゃ数件がほそぼそとやっているだけである。(これ、正確にはソンペット市場と壕を挟んだ場所である。間違った呼称かもしれない。でもずっと前からそう呼んできた。)

 このソムペット市場でのSとHのケンカとか、おもしろい話は尽きない。そこにメーサイ処女買いのバカ、大阪のOが絡んできたりしたバカバカしい話もある。Oがいかに人間のクズかというのはそのうちきっちり書いてやる。あんなのは日本人として許せない。



 市場ではぼくの知っている店にSを連れて行きながら、ぼくはなじみの食堂のおばちゃんたちの呑んでいるところに行って騒ぎ、Sをひとりでほっておくという失礼なことをしてしまった。でもそういう心遣いが不必要なのがSのいいところだ(笑)。神経が針金で出来ているので並のことでは動じない。その点では便利だ。案の定、黙々とその辺のものを喰い、周囲の連中とかってに楽しくやっていた(笑)。

 ぼくがSのところにもどると、隣で呑んでいたタイ人の長髪の伊達男みたいなのがやってきて、下手な英語で自己紹介し、自分の名前を××だと名乗った。周囲にいたナクラや水商売崩れのおばちゃんがどっと笑う。そいつは無反応の私とSを見てニヤっとした。なにがおかしいかおまえらにはわかるまい、という顔だ。××とは女性器の俗称である。といって正規の「ホー・ヒープにサラ・イー」ではない。近年、若者がふざけて使う隠語だ。私は知っていたがしらんふりをした。Sは笑いの意味がわからないからきょとんとしていた。
 その後、その伊達男の話しかけは一切無視した。気分が悪い。日本人にも、外国人に対し「これはこんにちはという意味だ」などと言って卑猥なコトバを教え込み得意げな奴がいる。そういう奴らとは人生の時間をともにしたくない。

 午後六時、らいぶさんのところに行く時間だが、ちょうどほろ酔い気分である。場所は郊外のサンサイ。約二十キロ。バイクで行くには遠く(いや距離よりも途中の大通りが怖い)、今更迎えに来てもらうのも申しわけない。電話をして遠慮することにした。そのまま市場で呑む。
 

 午後八時。腹ごしらえも済み、ほどよく酔った。あらためてバーにでも呑みに行く前に、もう何日もご無沙汰している『サクラ』を覗いてみようと思った。どうせまた最近の常連で混んでいるだろうが、パパと何日も会っていないことが気になってもいた。

 『サクラ』に行くと、こういうこともあるのだろうか、誰も客がいなかった。エアポケットである。大晦日の午後八時
 これさいわいと久しぶりに丸テーブルにすわる。すると、なんということか厨房からパパが出てきた。今帰ろうとしていたところだとか。ぼくが来たのでもういちどテーブルに坐ってくれる。ついている。いやはや楽しい時間になった。

 トイレに行きもどってくると、パパが「そうだったんですか」と何度も頷いている。パパはぼくが、何度も『サクラ』の前を通り過ぎたり、時にはらいぶさんを後ろに乗せて店の前まで来ながら、入ることなく帰るのを、自分がなにかぼくに不愉快なことをしたからではないかと気にしていたのだという。それを相談されたSが「最近の常連が嫌いみたいですよ」と説明してくれたのだ。パパも同じ感覚なのだからすぐに了解である。Sでも役立つことはある(笑)。

 パパに明日はお雑煮を出すので、ぜひらいぶさんも誘ってきてくれと言われる。約束する。
 ということでパパは九時に帰ったが、これは実りのある時間になったのだった。それにしてもパパも考えすぎる人である。パパに会いたくて『サクラ』に通っているのに、パパに不満などあるはずもない。だいたいがもしそうだとしたら、パパに会わずに『サクラ』に来るのは簡単なのである。午前中か午後九時以降に来ればいいのだ。パパのいる時間に来て、様子を見て寄らずに帰るのだから、パパ以外の人に原因があるだろうとはこれ、推測の初歩。

 Sが『サクラ』にキープしてあったジンを呑む。ミカンがあったので、シーちゃんに頼んでミカンジュースを作ってもらう。最初意味がわからなかったみたいだが、すぐに理解してミカン100パーセントジュースをコップ一杯作ってくれた。これで割って呑むジンはなかなかうまかった。
 前々から「タイでみかんはどこで作っているのだろう」と思っていたが、先日らいぶさんと行ったメーサイで、タートンのあたりでミカン畑を見た。路上で売ってもいた。あれは見たかったうれしい風景だった。

 ちょうどジンもなくなり帰ろうとしたら、シーちゃんがもうすこしでサワディ・ピーマイ(新年)だから居ろと言う。
 はあ? ああ、なるほど、タイ時間午後十時、日本時間零時で新年を祝おうというのだ。時計を見ると九時四十五分。この頃には客が満員になっていた。ただしタイ人ばかり。客全員にウイスキー水割りの無料サーヴィス。テレビでは「行く年、来る年」をやっている。日本の新年に併せて客全員で乾杯。

 ぼくがタイで元旦を迎えたのは六回ぐらいか。その中には『サクラ』で迎えた年もあるはずだがこれは記憶にない。なぜなんだろうと考えてみる。答はすぐに出た。つまり、NHKが入ってからは未体験なのだ。こんなのNHKテレビがなかったら、ただの現地時間の午後十時である。なんてことない時間だ。
 手帳を見てみないとわからないが、大晦日の午後十時を『サクラ』で過ごしたことは何度もあるはずである。でも誰もが後二時間後の新年は気にしていたが、日本時間のことはどうでも良かった。そりゃそういうものだ。

 あ、思い出した、タイ時間での年の移り目を『サクラ』で過ごし、『サクラ』の前に住んでいる警官が新年を祝うピストル発射六連発をやってくれたことがあった(笑)。あれは凄かった。ピストルの音って思っているよりずっと大きいんだよね。タイ人警官はピストルを家に持って帰ってもいいのでこんなことができる。でも経費の無駄遣いとは思うが。

 メイルを読んだあいさんとも電話で話しているのだが、果たして何時ぐらいだったのか。十時過ぎか。この時期にもどってきたTさんに対する決別の意志を感じたのは覚えている。


 それからの記憶が一時的に定かでない。さすがにジンは効く。たぶんこれだったと思う。
 ロイコー通りのバーでSと呑んでいた。その店の三十過ぎの太めのおばちゃんを、きれいだと歯の浮くような褒めコトバでもちあげていたら、おばちゃんがその気になってしまい、二千バーツでぼくの部屋に行こうと言ったのを丁寧に断り(酔いながらも、何考えてんだ、おばちゃんと思ったことは記憶にある)、それから千バーツに値下げしてきたが、これまた丁重に断っていつもの屋台に行った。屋台から再び記憶はしっかりするのだが、『サクラ』から屋台の間が消えているのだ。

 その屋台に着いたとき十一時四十五分だったのは覚えている。ここでを喰いつつ新年を迎えている。この屋台のミーゴープは実にうまく、毎日喰っても飽きなかった。とろみを効かせた卵スープが絶品なのだ。近くにも同じ品を出す店はいくつもあるのだが、まったく味が違う。料理とは奥が深いものだ。

 のちに聞くと今年は例年にもまして打ち上げ花火が派手だったそうだ。まったく記憶にない。街外れだったから見えなかったのだろうか。そんなものでもないと思うのだが。
(あ、思い出した。ロイコーのバーから、ブラッサリーで生演奏を聴きつつ年を越そうと向かったのだ。すると白人客で超満員で立錐の餘地もなく、それで屋台に変更したのだった。)


 午前一時。Sはれいによって置屋に向かった。つよい人である(笑)。あいつももう四十二だ。よしなよと言って止めたがニヤついて出かけていった。だいたい年を取るとMP派になったりしておとなしくなるのだがこいつは変らない。さすが神経が針金の男はつよい。
 Sとぼくが徹底的に合わないのは、女は欲望をはき出すだけの道具だと割り切っていることだ。以前、チェンマイの小さなゴーゴーバーで毎晩違う女を連れ出す異様な青年のことを書いたことがあるが、Sもまったく同じである。毎晩違うのを指名して数を自慢している。話題といえば味が良いとか悪いとかそればかりだ。いやそれはそれでいいのだ。そういう人もいる。自分のほうがどうのこうのとは思っていない。ただ普通の日本人なら、どうしてもそういう情の方向に流れてしまうのに、まったくなにも感じない彼を異国人のように奇妙に感じるのである。タイで、フィリピンで、カンボジアで、結局日本人オヤジ(いやいやオヤジだけではない青年もだ)が、あれこれと引き起こしている色恋沙汰とは、江戸時代の遊郭から気に入った遊女を身請けするためにうんぬんという連綿と続いてきた話と、なにひとつ変っていない。それを異国で繰り返しているだけなのだ。日本人の本質なのだろう。

 ぼくもまた典型的なそういう日本人オヤジなので、まったく情に流されないというか、情が欠落しているとしか思えないSが不思議でならないのである。
 でも欠落しているのは情だけではない。彼にとってはよけいな情報であるらしく政治経済宗教とかの知識も彼にはまったくない。ぼくからすると味も深みもないパサパサの人間になる。彼の話題は毎日のゴルフの成績と毎晩の女のことだけだ。どういう育ち方をしたらこういう人間が出来上がるのか、そこのところは興味津々である。だからここのところSによくそのへんのことを質問する。彼の話には自民党も共産党もない。なんの興味もない。しかしこういうことは興味を持たないようにしていても、オヤジが自民党派だったとか、社会党系の組合活動家だったとかで、いつしか知ってしまうものである。普通に生きていたら、酔った父親が自民党や総理大臣の悪口を言っているのを聞いたなんて経験は誰でもあるはずなのだ。なのにSにはなにもない。質問してみると公務員だった父親の口からそういうコトバを聞いた記憶は一度もないという。不思議だ。どういう父親だったのだろう。(今も元気で同居しているのだが。)

 経済も宗教も興味はない。佛敎もキリスト教もなにを話しても知らないので通じない。よせばいいのにぼくは飯を食っているとき、れいの「キリスト教徒でもないのにキリスト教会で結婚式を挙げる日本人はへんだ」などと一席ぶってしまったことがある。「どうでもいいんじゃないの。おれ、宗教なんて興味ないし」と言われて話は終った(笑)。みじめになったのはぼくだった。Sは、結婚なんてする気はないが、と前置きし、もしそういうことになったら、結婚式なんてのはキリスト教だろうがイスラム教だろうがなんでもいいそうである。間違っているのはそういうヤツにこんな話を仕掛けたぼくである。すいませんでした。

 Sが村上春樹の話をしたことがあった。あ、これもまた正確に書いておこう。彼は村上春樹の話をするわけではない。酒を飲みつつ、ぼくに対して「こういう話があるんだよね。おもしいろだろ。あんたはどう思う」と、まるで自分が経験したおもしろおかしい話のようにして話しかけてきたのだった。繰り返すがヤツはぼくより遙か年下である。誰に対してもタメ口だ。
 ぼくはため息をつきつつ、「あのなあ、それっておまえ、村上春樹の有名な短篇小説の話だろ。それをおれが知らないと思ってるのかよ」と応えた。まあこれだけでも彼がいかに世の中を甘く見ているかはわかる。村上春樹の大ベストセラー小説を読んでいるのはこの世で自分だけだと思っている。
 

 深夜、置屋に向かう精力絶倫のSと別れサンチャ(三軒茶屋)に向かった。午前二時近く。ちょうど閉店になり、看板をしまっているところだった。どうもどうもとかってに乗り込み、アベさんと握手をして、ビアチャンを呑みつつ、しばらくYAMAHAサイレントギターを弾かせてもらう。遅い時間に行って、アベさんに迷惑を掛けてしまったかな? アベさんはよろこんでくれていたけど、もう帰ろうと思っていたアリマー(彼女)は迷惑だったかもしれない。すまんです。でも弾き初めが出来てうれしかった。感謝してます。

 
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