チェンマイ日記2002暮
              

            
2002年12月


12/6日(金)  荷物作りを始めないと。
 今金曜の午前五時。まだ何もしていない。出発は午前十一時。家は八時に出る。朝風呂から上がって、さていよいよ準備という段階。
 果たしてチェンマイからホームページをアップできるのであろうか。今回の課題はそれである。
 最終チェックのつもりで、このスマートメディアのファイルから今アップしてみよう。これがうまく行けば、後はチェンマイのインターネットカフェでUSB接続が使えるかどうかだけの問題になる。

 おお、でけたでけた。ちょいとしたコツがあるようだが、なんとかそれもわかってきた。後はインターネットカフェの問題だね。それが解決すれば毎日アップできる。
 いざ出発。




 バンコク、ドンムアン空港のスモーキングルーム。磨りガラスの向こうではニコチンタール中毒者がせわしげにタバコを喫っている。空気は白く濁っているほど。なんとも醜い光景である。病人の隔離政策だ。曇りガラスにしてあるのはやはり中毒という病気を持っている人たちを一般人には見せないという人権問題なのだろう。昔のライ病患者の隔離を思い出す。あれはひどい話だったが、この場合は見せしめのためにもぜひとも素通しで見せてもらいたいものだ。

 もしも私がタバコ中毒者だったとしても、ここには入らない。人間、最低の矜持が必要だ。こういう場所で中毒者であることを表明したくない。見せ物にはなりたくない。ひとりになれるホテルの部屋まで我慢する。

 そう書いて自分の嘘に気づく。タバコ中毒の私がここを見つけたなら、正に砂漠のオアシスとばかりに早足で駆け込み、いそいそと火を点け、気持ちよくフワーッと煙を吐き出すに決まっている。それを他人に見られてどう思われようが知ったこっちゃない。かつての中毒者時代を思い出せば間違いない。必ずそうする。だからこその中毒なのだ。タバコを喫っている姿を醜いと考え、やせ我慢をしてもここでは喫わず、という発想自体がすでに喫わないヤツの感覚になっている。
 檻の中の病んだ獣を見る感覚で、この部屋の中を覗いていたが、誰もがそんなことは気にせず、体の中に取り入れる毒素の味に恍惚と酔いしれていた。日本人の若い娘が多いことに胸が痛んだ。ただしそれは娘のことを思ってではない、そこまで墜ちてしまった我が国のことを憂えてである。



 チェンマイは蒸し暑かった
 乾期特有の乾いた空気を期待していたのに裏切られた気分である。「今年はまだ冬が来ない」と空港まで迎えに来てくれたタイ人の友も口にしていた。アパートで荷を広げているときクーラーを入れた。早く涼しくなって欲しい。



 『サクラ』にあいさつに行く。パパにご挨拶。今回はたった一ヶ月ぶりなので、私は帰国せずにずっとチェンマイにいたのかと思っている在住の常連もいた。

 Lotus(大型量販店)で生活必需品を買いたいのだが、あそこは何時までやっているのですかと質問する。午後十時ぐらいかと思っていたら零時頃までやっているんじゃないかとみんなは言う。まだ午後八時だから楽勝である。以前からのとはまた別に新しいLotusが出来たらしく、名古屋出身のIさんがおれが案内してやるよとバイクで先導してくれた。ありがたいことである。ちょっと口で教えてもらっても行けない場所だった。まして夜である。

 なんと午前二時まで開いている(写真は空港店。これは零時まで)。こうなるともうレストランから喫茶店、ゲエムセンターまで揃っているし、一種の遊び場、デートスポットである。スタイルのいい美しい娘が多いので見ているだけで楽しい。こんどじっくり遊びに来よう。

 バスタオルを買う。これ生活必需品であるし、今までに買い溜めて何枚も持っていたのだが、もうチェンマイに来ることもないし、使うことはあるまいと先月Tさんにすべてあげてしまった。失敗である。蒸し暑くて風呂に入りたいのだがタオルがなくてはそれも出来ない。
 しかしまあ世の中とはよくできているもので、バーゲン品の59バーツからあるのだが、79、95、159、279、329と値が上がるに従って次第によい製品になるのである。329バーツのふかふかの品を触ったら、とてもじゃないが特売品のへらへらに薄い59バーツでは満足できない。結局高いのを買うことになる。(この60ではなく59という端数感覚はタイでも共通のようである。)
7日(土)  結局ギターのZo-3は持ってこなかった。荷物が増えすぎて不可能になってしまったのだ。
 昼。早速雑貨屋に出かけて写真のギターを買ってきた。450バーツ。ウクレレを一回り大きくしたぐらいのミニギターである。コードを拾うぐらいだからこれで十分だ。

 友人Kの作った曲を打ち込みでインストゥルメントに仕上げるのが主目的なのだが、Kというのは獨自のコード使いをするので正確に拾ってやらないとならない。獨自といっても難しい凝ったことをするのではない。ありふれたコード進行の中にちょっと人とは違ったことをするのだ。異能感覚である。それが彼の持ち味だからそこを間違えるとそもそものこんなものを作ることの意味がなくなってしまう。きっとこのギターは値段の十倍分、いや百倍分の働きをしてくれることだろう。




 『サクラ』に寄る
 パパがそこにいた見知らぬ人たちに私のことを紹介し始めた。最近の『サクラ』の客には好きな人がいない。インターネットの問題もあるしどこに誰がいるかわかったものではない。恐怖である。といってすでに紹介を始めたパパに「止めてくれ」とは言えない。それじゃそこにいる人に失礼だ。パパはこういった。
「この人はka**zoさんと言って、ルポライターで、もう十年以上も前からホームページで『サクラ』のことを宣伝してくれてんの。おれの顔が載っててさ、シーまで載ってておどろいちゃうよ(笑)」
 紹介された人は、ほおほおそうなんですかと頷いている。インターネットなんて知らない人のとりあえずの頷きだ。冷や汗が出る。ホームページで写真入りのパパを紹介したのは後藤さんである。私ではない。さらに十年以上前にはまだこの世にホームページは存在しなかった。それは私とパパが知り合った時期である。その辺のことだけは即座に訂正しておいた。
 こまかいことにはこだわらないようにしよう。ここはチェンマイだ。



 最近なぜかやたらインスタントコーヒーを飲むようになってしまったので買うことにする。中国に行くのなら日本から持ってきたのだがチェンマイだとなんでも揃う。Lotusに出かける。これは先日のとは違ってチェンマイの一号店。私の住まいから近い。

 コーヒーといえば、先月東京の住まいを整理していたら、電気式のコーヒーメイカが二台、サイフォン式が一台出てきたのには笑ってしまった。どれも壊れてはいない。品物を見るとそのときのことを思い出す。どうやら私の中には「本物の男はインスタントコーヒーなんか飲んでちゃダメだ」との思いこみが根強くあるらしく、それで思いつくとそんな物を買ってきて、挽いたコーヒー豆で淹れたりしたのだが、元々コーヒーが好きなわけではないからすぐに飽きて放り投げてしまうと、そういうことを繰り返していたらしい。と他人事風。

 ここでコーヒーメイカがあるのにそれでもインスタントコーヒーを飲んでいたとなると、それは生来の貧乏舌でありそこまでインスタントが好きならそれはそれでいいではないかと割り切れる。私の兄はそうらしく、ネスカフェゴールドブレンドにミルクと砂糖を入れたものがこの世でいちばんおいしいコーヒーらしい(笑)。それはそれでいいと思う。ひとそれぞれだ。私の場合はそういうわけでもない。しばらくするとコーヒー自体を飲まなくなってしまうのだ。あまりコーヒーが好きではないのである。思い出せば、金のない学生時代にも背伸びしてサイフォン式のセットを買ったことがあった。私にも「本物の珈琲を追求する渋い男」に対する憧れはあったらしい。そういう文化に育まれてこなかった田舎者のコンプレックスだろう。とこれも他人事風(笑)。
 今はもう達観しているので平然とインスタント。いいんだよね、それで。なんでもかんでもこだわったら魯山人みたいな世界に行ってしまうし、なにより経済的にそれはとても出来ないことだ。



 Nescafeのスティックタイプが売っていた。コーヒー、ミルク、砂糖全部入っているやつ。これでいい。ちょうど30本入りなので一ヶ月分になる。部屋にもどって早速飲んでみたら、めちゃくちゃ甘い。砂糖の量が日本人向けの製品より多いようだ。これもお国柄である。

 そのとき、左の写真のいつも旅先に一緒に行くステンレスのカップではコーヒーの色が見えずうまくないと思っていたので、下の写真のかわいい花柄のカップと皿を買ってきた。

 食べ物は色である。日本人はそれを大事にする。せねばならない。
 このステンレスのカップはよく西部劇に登場する。荒れ地で焚き火を囲んで野宿するカウボーイが使う。子供の頃映画で見たそれに憧れて携帯するようになったのだが、所詮アメリカ人の雑な感覚である。割れないことが第一義だったのだろう。何を飲んでもうまくない。だって鐵だもんね。万が一のために今でも常に携帯しているが。


 左の写真、白の陶磁器にコーヒーの色。ね、ぜんぜん違うでしょ。これなんですよ、これ。
 これってぼくの本質に関する極めて重要なことになる。このことを「うんうん、そうそう。だよねえ」と思ってくれる人とは一生つきあえるだろう。「ええ? そうお? どうでもいいんじゃない、そんなこと。飲めれば」と思う人とは話が合わない。

 緑茶用には日本から茶碗を持ってきた。割れないように気を遣った。この陶磁器の白に緑が映えるから緑茶はうまいのだ。その白地に生える緑を写真で表現するためにお茶を淹れようとして、茶こしを忘れてきたことに気づく。ありゃあ大失敗だな、これ。
 有山パパのケイタイに電話して尋ねたら、Lotusの家庭用品売り場にあるとのこと。明日買いに行こう。なんでも教えてもらえるからありがたい。



 そのLotusで「塩歯磨き」を見ていたら、その横に早速新製品として「ハープ入り塩歯磨き」が出ていたので笑ってしまった。これも国民性である。タイ人は思いっきりスースーする歯磨きが好きなのである。

 それでも品揃えを豊富にして売上げを伸ばすため、日本では売れているらしいという塩味製品を新発売したが、スースーしないからタイ人の評判はよくない。それで「ハーブ入り」が登場した。なにもそこまでしなくてもと苦笑する。今までのスースーするコルゲートでいいと思うのだけどね。私みたいにスースーがイヤで塩味にしている身としては、塩味にハーブが入ってスースーなったら同じじゃんと思ってしまう。

 ぜひとも写真入りで紹介したかったが、ハーブ入り塩味を使う気はないので写真はない。これは前回撮った普通の塩味。



 インターネットカフェに行き、2ちゃんねるの「スポーツ実況」という分野に繋いでK-1グランプリ中継を読む。これは2チャネラーが試合を見つつ実況で書き込むというもの。同時中継なのでありがたい。しかしまあテレビを見つつよく書き込んだりするものだ。日本とタイは二時間時差がある。テレビは九時からだがあれは録画。本当は七時からなので、こちらの五時過ぎには有料テレビを見ている連中の書き込み中継が始まっていた。

 ボブ・サップがホーストをレフリーストップで破ったときまでは2ちゃんねるも私も多いに盛り上がっていたが、故障棄権でホーストが代わりに準決勝進出と知った時点で白けた。2チャネラーも不満足のようで、「こうなったらホーストに優勝してもらってサップの強さを証明してもらおう」と書いていたのが印象的だった。まさかそれはないだろうと思う。しらけてインターネットカフェを後にした。



 夜九時。C子さんがラジカセを届けてくれる。これでDTMの環境が整った。飯を食いに行こうと誘われて出かける。ニコニコしながら「もうYUKIさんのホームページ、一年以上見ていないんですよォ」と言う。一年以上見ていないってことはまったく見ていないって事だ。だって身内だけの会員制から一般公開して一年だものね(笑)。その理由はアドレスがわからなくなったからだそうな。一ヶ月前にも十ヶ月前にも会っているからそのときも訊けたのにね。なにより電子メイルのやりとりをしているんだからいつでも訊けたのにね。
 こういう人はそういう自分側のリクツの破綻に気づかない。もしもぼくがそれを指摘したなら、今度は忙しくてメイルを書く暇がなかったというだろう。自分を正当化するために次々とヘリクツを連発するから絶対に論破は出来ない。話すだけ無駄だ。


8日(日)  書くことは山ほどあるのだが、まず肝腎なのは旅先からアップできるかどうかである。この文章がもしも読めたなら、それは出来るということなのだが。
 インターネットカフェに行って試してみよう。



 アップに挑戦
 ということでやってみた。まずいつもの店が歩行者天国なので休み。それで違う店に行った。するとUSB接続のジャックはあったものの認識が出来ない。ドライバーを要求してくる。それでこの種の製品を買うとき「WIN2KやXPだとドライバー無しで認識」と謳ってあったことを思い出す。つまりOSが98だと自動認識出来ないのである。ここはまだ98なのだろう。ドライバーは持ってきていない。ダウンロードは出来るだろうがその気になれない。なにより初めて来たこのインターネットカフェは日本語IMEが入ってない。それに遅い。各コンピュータの使用時間を計るソフトすら導入していず、一台ごとにストップウォッチを置いて歩く。まあそれはそれでパソコンソフトより安心できる使用者もいるだろうが。

 私がここに来ることはもうないだろう。なにより係の女がコンピュータをまったく知らない。単なる店番である。これではトラブルがあったとき頼りにならないからダメだ。まずは一頓挫。明日いつもの店で試してみよう。あそこには一台だけXPが入っている機械があった。ここは日本語すら書けない。ローマ字で掲示板にアップに苦労中と書き込む。



 すこしだけネット閲覧。サンスポに繋ぐ。ありゃりゃほんとにホーストが四度目の優勝だって。なんだかねえ。こりゃK-1、盛り下がるぞ。

 チェンマイに来ている日本人のおじさんてのは普通じゃないのだろう。K-1の話をしても乗ってこないどころか誰もそれを知らなかった。パパのように長年こちらに住んでいる人ならともかく数ヶ月に一度通っている人でも驚くほど流行りものには興味がない。それらに興味がなく疎いぼくが驚くのだからこりゃかなりのものなのである。きっとみんな日本にいるときは次の訪タイのことだけ考えて必死に働いているのだろう。K-1の知名度もまだまだだな。



 こちら在住の人で、日本にいたときと同じく相変わらず自分は日本通であると勘違いしている人がいる。長年こちらに住んでいたら、いくらNHKテレビをこまめに見、讀賣新聞を隅から隅まで読んだところで、それはもう浦島太郎なのである。それっぽっちの情報で語れるほど今の日本は単純じゃない。情報以前にこういうのは空気の問題である。触感だ。そうそうアンテナってのは昆虫の触覚のことなんだよね。いくらアンテナを立ててるつもりでも日本という空気に触れてないとアンテナは機能しない。実際に触れるのはタイの生ぬるい空気だけだ。話をしていてもズレること甚だしい。気の毒なので指摘は出来ない。こういう勘違いだけはしないように思う。



 マウスパッドとリストレストを買いにコンピュータプラザに出かける。マウスパッドは10バーツからあったが、いいなと思うものは高く、75バーツのを買ってくる。するとこれが大外れ。いやになる。
 それが左の写真。なかなかいいデザインである。プラスチック製。しかし使ってみると机の上ですべってしまって実用にならない。たしか滑り止めが着いていたはずと背面を見てみる。
 裏側には四カ所、すべりどめのゴムが附いている。しかあし、なんとプラスチックの穴に埋めてあるゴムが薄くて穴の中に埋まってしまっているのである(笑)。周囲のプラスチックのほうが高いのだ。これじゃあねえ。ほんとになあ、おまえらもうすこしまともな仕事をしろよと言いたくなる。

 ゴムを入れる穴を作りました。そこに入れるゴムを作りました。入れました。はい、出来上がりである。形だけにこだわっていて使えるかどうか試していない。四カ所の穴にゴムは入っているが、穴の周囲のプラスチックよりも低いので、埋没してしまい滑り止めの役目をしていない。これじゃ単なる黒のゴムを填め込んだというデザインである。こういう製品を作るタイ人てのは(中国製かもしれないけどね)どんな感覚をしているのだろう。いやはやなんとも呆れてしまう。しょうがないからもういちど平凡なゴム製のやつを買いに行くことになる。たまらんねえ、こういういい加減さは。特に一番高いのを買って失敗だから悔しい。



 隣の写真は日本製の「はい~るキット」の裏側。中身は30ギガのハードディスク。音楽が3000曲入っている。
 四カ所同じく滑り止めのゴムが附いている。黒っぽい部分。もちろん日本製だからしてしっかりと機能している。なんでこんな簡単なことが出来ないのか。わけわからん。



 マウスパッドはタイ人はあまり使わないのかほとんど見かけることがなく、相当数歩き回ったが一軒にしかおいてなかった。199バーツを180にしてくれたが、これまた安っぽい。デザインを選べないのが気に入らない。それでも私には必需品なので手に入ってうれしい。どうせなら日本製のいいヤツを持ってくればよかったと少し後悔。
9日(月)  昨日、夕方『サクラ』によるとIさんがいた。Iさんはらいぶさんの友人で、二年前に蒲田でやった(もう三年前?)後藤さんのオフ会で知り合った人である。それ以来になる。あちらもまさかぼくに会うとはと言っていたが、ぼくもIさんに会うとは想像もしていなかったので驚いた。今回は一週間だけの滞在なので思いっきり散財して羽を伸ばすのだと言っている。11日にはらいぶさんも来る。
 ということで誘われ、飲みに出た。あちこち飲み歩いて帰ってきて零時。
 楽しかったんだけど、これじゃ節約と清廉の日々じゃなくてあいかわらずの自堕落の繰り返しである。反省。

 でも飲みに出たのには理由もある。出かける前に彼のホテルに寄った。そこで彼の部屋にある「国民の歴史」(西尾幹二著)を見かけたのだ。分厚いあの一冊である。この一週間を利用して読破するのだと言っていた。ぼくが西部邁の「国民の道徳」と「新しい歴史教科書」を読んだのは去年の夏のチェンマイだった。その前年にがんばって勉強したのが「チャート式数Ⅰ」(笑)。
 Iさんがパパに届けた雑誌に『SAPIO』があるのも知っていたし、『正論』を持ってきて読んでいるぼくとは話が合うと確信したからだった。

 きょうからは頑張るぞと宿酔い気味の頭でなんとか九時前に起き出す。ThinkPadに向かう。私的な日記とこの『作業記録』を三日分書く。三時間経過。今お昼過ぎ。まだなんか胃の辺りがむかついて気分爽快とは行かないが、それでもまともなことをすこししたのでいくらか気が楽になった。さて食事に出よう。それからアップに挑戦だ。





 というわけでとりあえず完成した私のチェンマイDTM環境。果たしてこの先どうなるやら。



 買おうと思っていた17インチCRTだが、この性格だからいいものが欲しくなってしまうので諦めた。きょうあちこち見て歩いた。中古だと2500バーツからあったが旧型の湾曲画面である。これはいらない。日本のFMVあたりに附属していた中古のモニターが流れてきている。日立、東芝とみな日本製だった。あんな薄汚れた湾曲画面なら10.5インチ液晶ThinkPadのほうがましだ。平面画面はまだ中古が出るほど出回っていない。新品の平面画面だと6000バーツぐらい。ぜんぜん高くはないが今回の滞在でそこまでやるのはちょっともったいないだろう。それにどうせ買うのなら大きな液晶を買いたいと思ってしまう。しかし今回それほどの餘裕はない。だったら我慢か。将来こちらに住むことになったら組み立てパソコンを作って、そのときにいいのを買おう。と予定もないのに希望的未来を夢見てくすぶっている不満を抑え込む。



 アップに挑戦、二回目
 いつものインターネットカフェが開いていた。しかもXPが入っているのが空いている。そこに坐る。USB接続したスマートメディアがすぐにリムーバブルメディアとして認識された。好調。しかしなぜかFTPソフトが起動せずエラーと出てしまう。これはなんだろうなあ、客の勝手な通信を拒むような設定になっているのだろうか。でも親しい経営者に事情を話し、USBを使うことも了承を得てのことなんだけど。なんとかdllがないとCautionが出ている。スマートメディアに落としたFTPソフトが壊れたのだろうか。

 新たにフリーのFTPソフトをデスクトップ画面にダウンロードしてみた。するとそれは起動する。ただし文字化けしてしまって使えない。とりあえず部屋にもどることにした。部屋のThinkPadで開いてみるとコピーしてきたその新たなFTPソフトも文字化けしない。店では起動しなかったFTPソフトもすなおに起動する。壊れてはいなかった。
 明日、違うFTPソフトを入れたフラッシュメモリを持参してもういちど確かめてみるが、ホームページのアップは、日本にいるときから、いつものこの店で目星をつけていた機械を使えば簡単に出来るはずと思っていただけに、今回の失敗はちょっと痛手である。昨日のような失敗ならOSは98だし諦めもつくのだが。



 夕方五時半。激しい雨になった。えっ、なぜなんだ。まるで雨期のような激しい雨である。もう乾期の、しかも12月である。この時期に雨が降ることがあるのか。信じられない。食事に出ようと思いつつ、その前にちょっと片づけようとコーヒーを飲みながらこのペエジを書いていた。乾期だからカッパはバイク屋に預けたままだしこれでは出かけられない。腹減ったなあ。

 先ほど讀賣新聞を買っていつものステーキハウスに行こうと思ったら、きょうは新聞休刊日だというので止めて帰ってきたのだった。「新聞を読みつつ」が楽しみなのだ。そのお蔭で雨に濡れずに済んだけど、ひどい空腹だ。ラジカセからショパンが流れ、外はしっぽりと雨景色と、実にいい雰囲気なのだが、さてどうしよう。腹減ったよお、雨、止んでくれ!

 雨が止んだのが午後八時半。三時間たっぷりと降っていたことになる。一時間経ったとき、もうこれは簡単には止まないなと覚悟を決めて買い置きの菓子を食いつつ空腹に耐えた。まるで雨期のような本格的な雨だった。この時期にこんな経験は初めてだ。

 バンライにステーキを食べに出る。すでにアパートの周りは洪水状態。写真は早くも水浸しになったアパートの駐車場。この辺は河に近く低い地域なのだが、それだけ激しい雨だったのもたしか。ダムが決壊するから水門を開けたのだろう。三時間でそういう非常事態に追い込んだのだからいかに激しい雨量だったかだ。アパート前の道路はもう30センチも冠水しピックアップが水を蹴立てて走っている。

 バンライでは前回親しくなった経営者の娘(といっても三十ぐらいかなあ)がぼくの名前を覚えていて話しかけてくれる。うれしいものである。もちろんこちらも彼女の名前を覚えていて話しかけて盛り上がる。こういうときのために人の名前はすぐに手帳にメモするようにしている。



 Lotusに茶こしを買いに行く。ぼくはお茶を飲むとお茶請けが欲しくなってしまう。日本茶のお茶請けと言ったら御煎餅とか羊羹である。それはチェンマイにはない。諦める。
 クッキーの詰めあわせを見つけたので買う。これでコーヒー請けのほうの心配はなくなった。チョコレートがあったので買う。これでウイスキー請け(?)のほうも心配なくなった。

 カッターナイフを買う。店員に言っても通じず、ミート・レック(ちいさなナイフ)とか言ったり、そこにあった鉛筆を手にして、これを削るものだとジェスチャーしたりしたがなかなか通じない。しばらくして彼が「ああ、なんだカッターのことか」と言って売り場に案内してくれた。なんだかよくわからんが、英語のカッターとタイ語のカッターはまるっきり発音が違うらしい。

 これをなぜ買ったかはちょっとびんぼくさいのだが、先日買った75バーツのマウスパッドの裏を削ってやろうと思ったのだ。周囲のプラスチックが高く、滑り止めのゴムが陥没しているのなら、周囲を削ってゴムを露出させようというのである。けちくさいことをやるようだが、こういう工作が大好きでもある。結果としてなんとかまともになったように思う。ちいさなしあわせを感じた(笑)。



 帰ってきたとき、水浸しで大騒ぎになっているアパートの管理人に、なんで12月に洪水なのだと訊いたら、自分もこんなのは初めてだと言っていた。長年ここの管理人をやっているがこんなのは初めてだと驚いている。でもタイ人のいいところでニコニコと楽しんでいるような顔だ。異常気象なのだろうか、季節外れのこういうのは、あまり良い気持ちのものではない。颱風シーズンに何度洪水になろうと平気だけれど。


 茶こしで淹れた深蒸し緑茶。蛍光灯の下なのであまりきれいな色には出ていないが、やはりお茶はね、こういう形で色も楽しみたい。いいでしょ? このことに納得してくれる人とは友達になれる。
 うまい煎餅が悔いたいなあ。贅沢は敵だ。ここはチェンマイだ。寝ぼけたことをいうな。チェンマイにうまい煎餅はないんでしょうか。餅は売ってるのかなあ。なんだか齢を取ったら食い物にきたなくなってきたような気がする。

 明日、もういちどアップに挑戦して、それでダメだと……。う~む、困ったことになる。
10日(火)  昨日はまったくのノンアルコールだったので爽やかな目覚め。もう酒は控える。飲んでいるときは楽しくても翌朝落ち込むのでは精神衛生上はなはだ悪い。九時から絶好調で作業順調。インスタントコーヒーがうまい。違いのわからない男(笑)。

アパートから横の道路を臨む。道が河になっている。でもたいした洪水じゃない。昨年の夏は中央の赤いクルマが水没していた。それでもバイクではちょっとキツいのだけど。


 十時半に飯を食いに出ようとしたら、水はぜんぜん引いてなかった。バイクはガードマンがフロントに引き上げてある。ためらった。水の中を走り出してエンジンストップになったらひどい。管理人が大丈夫だという。水が出ているのはこの近辺だけらしい。外で食事を買ってもどってきた娘がいる。バイクに乗っている。冠水は20センチ程度か。なんとか走れるだろう。ズボンの裾をまくり上げ、エンジンを掛け、思い切って走り出す。一段と高くなっているコンクリートのフロントからざんぶと水の中に飛び込む感覚である。アパートの外で、30センチ潜り、マフラーが完全に水没したときはヒヤっとした。ギアをローにしてふかす。水を入れなければ問題ない。バイク自体はこちら仕様で水に強く作ってある。バイクで30センチの水をかき分けて走るってのもチェンマイでしか経験できない。何度やっても楽しいものではない。なんとか水のない地域まで走る。他はもうあっけらかんと水は引いていた。

 いつもの店でカオマンカイを食う。冠水がひどいだろうとおやじが笑っている。毎度の会話だ。でもそれはいつも八月だった。まさか十二月にこんなことになるとは……。



 食事が終って考える。もういちどあの水を突っ切って帰るのかと思ったら鬱になってしまった。あそこまでひどいとわかっていたなら、最初から雑誌や文庫本をもってきて、水が引く夕方まで帰らない準備をしてくるのだった。なにも用意していない。このまま町に出て無目的に時間つぶしをする気はない。第一つぶすほど時間はあまっていない。せめてホームページのファイルを入れたフラッシュメモリをもってくれば、インターネットカフェでアップできるかどうか試すことが出来たのだが。

 迷いつつ未練たらしく濠の周りを一周する。大雨の翌日は冷え込むという。だいぶ涼しい気候だ。これから本格的冬(それでも日本の初秋ぐらいだが)になるのか。雨が降った被害がそこかしこに残っており、なんとなく町にも元気がない。陽射しもない。重い空のいやな天気である。明るい陽の下でスタイルのいいタイ娘を見るとそれだけで楽しくなるのだが、みんな天気が悪くて閉じこもっているのか見かけることもない。おとなしく部屋に帰って仕事をすることにする。



 帰路、いつもの薬屋でかゆみ止めを買う。こちらに来てからだいぶ蚊に刺された。タイガーバームを使う人が多いので無難にそれにしようと思ったが、念のためかゆみ止めでいいのはないかと問うと、ジェルタイプのものを薦められた。ベリーグーなんて言っている(笑)。ほんまかいな。高い。タイガーバームの三倍の値段だ。高い物を売ろうとして薦めたのかそれとも本当にいいものなのか、それはまあこれから使ってみれば解る。タイガーバームがかゆみ止めとしてすぐれているとは思わない。あれは基本として香りのものだろう。この薬は箱にまで蚊の絵が入っているぐらいだから期待できそうだ。ドイツ製品のライセンス契約らしい。

 店主が下手な英語でコーリー(コリアン)かチャイニー(チャイニーズ)かと聞いてくる。腹の中で(今までに何十回も買いに来て何度も同じ質問をしてるんだからいい加減に覚えろよ、このボケおやじ!)と毒づきつつ、満面の笑みで「イープンカップ」と応える。もう四、五回は同じ事を訊かれている。



 河の水で冠水した道路を突っ切ってもどる。バイクを停めるときドブ水に足をつけた。部屋にもどってサンダルを丁寧に洗う。以前それをしなかったら乾いてからも臭くてたまらず結局は捨てることになった。こういう水を汚いとは思わないのだけど、あのサンダルの臭さを思うと相当に汚れた水なんだなと思う。今お昼。水が引く夕方まで仕事をしよう。
後日註・やっぱりこのサンダルは臭くてたまらなくなり捨てることになる。数日後、新しいサンダルを買った。



 Iさんから電話。明日水曜からパタヤに行くことにしたという。最後の夜なので飲みませんかとの誘い。夜八時に待ち合わせ。それまでやるべきことを片づけることにする。

 四時半。食事に出かけようとしたら、なんということかまた雨が降っている。激しくはないが傘やカッパが必要な降りだ。プラトーチェンマイ市場でカッパを買う。まさかこの時期にこんなものを買うとは思いもしなかった。店のほうも季節外れゆえ奥にしまい込んだものを連日の雨でもちだしてきたようだ。
 Tさんの田舎の家に行くときに、このカッパは役立つだろう。朝早く出発せねばならないから寒い。そんなとき風を通さないこれは防寒具の役目をする。それに派手なオレンジ色は安全にも役立つ。無駄にはなるまい。
 買ったのは、午後八時にIさんと会うとき大雨だったら出かけられないからである。そんなことで人との約束を破りたくない。

 それにしても異常気象だ。タイ人のみんながこんなのは初めてだと言っている。
 パソコン雑誌を読みながらステーキとビア。帰って来てコーヒーを飲みつつ文庫本を読んでいたら眠くなってしまう。目覚ましを7:40分に掛けて一時間ほど寝る。



 八時に『サクラ』でIさんと会う。テレサ・テンの死んだメイピンホテルに泊まれてご機嫌のようである。たいしたホテルじゃないが、Iさんは彼女の供養のために一度は泊まりたかったようだ。私がテレサが死ぬとき、ちょうどメイピンの近くで飲んでいたのだと言ったらうらやましがっていた。テレサのように台湾から来た二流の演歌歌手ノヨウナ捉えられかたをしていて、時が過ぎてからその天分の凄さを見直される人を天才というのだと思う。デビュー当時の彼女を私はかなりコバカにしていた。彼女も偽造パスポートの入国で捕まったり、かなり怪しい問題を起こしてもいた。だから今も根強くスパイ説があり、ぼくはそれを信じている。彼女の複雑な生い立ちと学歴コンプレックスもおもしろい問題だ。
 今はその表現力の豊かさに酔うばかりである。といっても日本に於ける演歌のヒット曲はあまり興味がない。もっぱら聴くのは中国語のものばかりだ。


 何軒かハシゴ。生演奏時間にブラッサリーに行く。ここでの出来事は「チェンマイ雑記帳-ブラッサリーの魅力」に書き足す予定。トックは手が大きいのでストラト獨自のヴォリューム奏法が巧い。



 メイピンホテルまでIさんを送って零時前に解散。

 近くの三軒茶屋(通称サンチャ)を覗くと知り合いが三人で飲んでいたので寄る。するとなんと奥のステージに「YAMAHAサイレントギターがあるではないか。店主のアベさんはギタリストである。クラシックのプロを目指していた。私はその辺のことで話が合い親しくしてもらっている。

 どうぞどうぞ弾いてくださいと、アペさんがACアダプターを繋ぎ、アンプのスイッチを入れてくれる。甘えて弾かせてもらうことにした。まさか帰国したら渋谷YAMAHAに行こうと思っていたものを、チェンマイで弾けるとは思わなかった。たまりません。

 なんでもこれは入手まで一ヶ月待ちだそうで、アベさんは短期帰国する人に頼んだが、その人が日本にいる二週間では購入が間に合わなかったそうな。それで今度は数ヶ月帰国する人に頼んでようやく手に入れたという。「価値の解ってくれる人がいてうれしいですよ」と言っていたが、それは決して場つなぎの言葉ではないだろう。自分の大切なものの価値を解ってくれる人の存在はうれしいものだ。せっかくそうしてまで手に入れたのに、店に飾っておいても誰も注目してくれなかったという。毎晩深夜にひとり、自分の部屋でリバーブを利かせヘッドフォンをかけて弾くのだけが楽しみだった。「すごいねアベさん、YAMAHAのサイレントギターがあるじゃないですか!」とは私から初めて言われたとのことだ。趣味とはこんなものである。言われてアベさんもうれしい。弾かせてもらって私もうれしい。

 さて感想。音はもちろんいいし、ネックの作りも文句なしだ。軽いからステージでも使える。ボディがないのが慣れないと物足りない気もするが、そこはそれ、それが持ち味なのだから。

 以前弾かせてもらったオペイションは修理に出しているとかでなかったが、代わりにZo-3が二台も置いてあった。ほとんど使っていない。だったら料金を払ってでも貸してもらおう。日本から持ってくるよりずっと楽だ。
 成果の多い日だった。犬も歩けばで、積極的に動かないと新しいことには出会えない。
11日(水)  明け方の四時まで時代小説を読んでいたので起きるのが十時になってしまった。Iさんが何冊か本をくれていった。すこし読んでみたが、どうやら私はIさんが大好きな京極夏彦(という作家)の作品を好きになれそうにない。初めて読んだ。最も興味のない分野の話だ。この人の漢字の使いかたにも違和感を覚える。すぐに放り投げてしまった。プレゼントしてくれたIさんには申しわけないけれど。

 日本の小説であり映画化もされた「リング」がハリウッドでリメイクされ大ヒットしているらしい。日本公開もされた。私はホラーというのにまったく興味がないので原作を読むことも映画を観ることもないだろう。でも「貞子」とかは知っている。これが情報社会である。スポーツ紙や週刊誌を読んでいるから、ほんとは何も知らないのにその部分だけ知っているのである。歪んでいる。



 昼近く、遅めの朝食を取り、いつものインターネットカフェへ。きょうはフラッシュメモリでやってみる。
 XPの入っている機械からFTPソフトの優れものffftpを起動する。起動できた。
 接続する。接続できた。


 ファイルを転送する。転送できた!


 おおおお、ついに出来たぞ。ffftpのお蔭だ。掲示板にI did it!と書き込む。

 冷静になってもういちど見ると、写真が送れていない。これは何度やってもダメだった。送れてはいる。プロバイダーzeroの私のフォルダに写真はアップされている。それは確認した。でもネット上に表示されない。どういうことなのだろう。ともあれ文章だけでも送れてよかった。大きな一歩である。

 インターネットカフェのSVGAの画面で見ると、写真がずれていたり、改行の点など自分のホームページが醜いので愕いた。以前からその話を伝え聞いてはいた。でもそれは低レベルのそちらの機械が悪いのだと解釈していた。その考えは今も変っていない。しかし実際にそれを見るとちょっとショックである。私の作った画面とだいぶちがってしまっている。でもどうすべきなのか。わからん。見にくいのでインターネットカフェの画面表示をXGAにしようとしたら変更出来ないようになっていた。



 昨日の夜『サクラ』にいたときにとりあえず結果だけを知り、きょう詳しく知りたかったのは民主党の党首選だった。菅のシンパが鳩山を引きずり降ろしたクーデターである。みっともない話だ。分裂したいと思っているヤツは多いが、来年の選挙のことを考えたら大政党から脱却できないのだろう。それでも世の流れで岡田がなるはずと思っていたら菅だという。そこまでは昨夜のニュースで見た。午後八時、日本だと十時のNHKニュースだった。九月に現実に菅を破って鳩山がなったのにまた菅になったんじゃ九月の選挙はなんだったのかとなる。まさに迷走としか言いようがない。

 午後、『サクラ』に行って讀賣をむさぼり読む。それを見て誰かが話しかけてくる。当然そのことだと思ったのに、みんなが興味津々なのはきょう和歌山地裁で判決が出るという「林真須美の毒入りカレー事件」なのだった。意外だった。あんなこと私はどうでもよかったので(というのもまずいのかな?)よけいに印象的だった。誰も私の民主党の話に興味を示してくれない。まずいねえ、これは。いくらチェンマイ在住の日本人が政治に興味がないとはいえ、茶飲み話にもならないとは、まずいっすよ、民主党。終ってるわ。

 讀賣の社説に「先月の当社世論調査で、民主党は初めて嫌いな政党9%となり好きな政党5%を逆転した」とある。菅が横路とくっついての党首じゃなあ。選挙に勝ちたい議員がその道を選んだのはわかるけれど、やはりこの党は解党すべきだ。



 五時に食事をする約束のタイ娘がいた。それまで作業をしていたが、パソコンや音楽機器の電源を落とし、時間通りに出かける用意をして待っていた。
 電話が来ない。いらだつ。やっとケイタイに連絡が来たのが5:15分。センターン(セントラルデパート)で待ち合わせの約束をしてすぐにバイクで出かける。5:30分。着く。来ない。電話をする。まだ買い物をしているという。しばらく待つ。5:45分。互いに会おうとしたがすれちがいで会えない。

 で、食事をする予定だったタイスキのコカで直接会うことにする。歩いて五分もしない場所だ。6:00.まだ来ない。なにかあったのかと心配になり店の前で待つ。6:15分。電話をしてみる。まだともだちと買い物をしていた。あきれる。もうすぐ行くからもうちょっと待っててと言われる。帰ることにした。五時から一時間十五分人生を無駄にした。これ以上したくはない。

 コンピュータプラザに向かいビジネスCDを買う。
 部屋にもどって七時。買ってきたCDをひもといている頃、電話が来た。いまコカに着いた、どこにいるのかと。怒っている。
 待ち疲れたので帰ってきたと言って電話を切る。こういう性格の男はタイ娘とのつきあいには向かない。向かなくてけっこうでい、おれは時間にだらしないヤツは大嫌いだ! 

 ここで大切なのは男と女の力関係である。もしも私が彼女に惚れていたなら、下心があったなら、私は待ったに違いない。だが残念ながらそういう関係ではなかった。日本人的な義理人情で言うなら、あれこれと迷惑を掛け、私にお世話になりっぱなしなのは彼女なのだ。待つのは彼女でなければならない。まあ勘違いと自信過剰は若い娘の特権である。それはそれでいい。ただしこちらに振り回される気持ちはない。大切なのは私の時間だ。ガールフレンドをひとり失ったが悔いはない。



 夜半。遅めの夕飯を近くの屋台でとる。カオパット(チャーハン)、バーミーナム(ラーメン)、ビール(ビアチャン大瓶)。合計85バーツ(250円)。日本食堂じゃビール一本飲めない金額だ。節約生活一歩前進。ただし夕方にコンピュータプラザでビジネスソフト違法コピーCDを600バーツ(120×5)買っているのでまだまだであるが。
12日(木)  朝。先日あいさんが真面目な内容の長いメイルをくれたのでそれの返事を書き始める。お互いにチェンマイにいるのだし、近い内に会うだろうけど、せっかくの長いメイルにこちらも文章で返事を書いておきたかった。
 インターネットカフェのMS-IMEでは変換効率が悪くストレスが溜まってしまって書けないので、自分のThinkPadで書きHot mailの添付ファイルにする予定だ。
 在留許可証のことで懇切丁寧に教えてくれた後藤さんにも御礼を書かないと。

 とにかく通信に関してスキルがないので(スキル以前に興味がない)、これからやる「Hot mailにフラッシュメモリのTXTファイルを添付して送信する」という簡単なことも、本人はうまく出来るのだろうかとけっこうドキドキしていたりする(笑)。



 朝十時にらいぶさんから電話。コール一回で応答したら、奥さんから電話を受け取るらいぶさんの「もう出たの!」と驚いている声が聞こえた。フリーのしがないライターなんで電話に出るのは迅速なんです(笑)。その代わり相手に対しても5回も呼んだらもういないのだろうとさっさと切る。単なるせっかちか。
 らいぶさんは昨日の夕方に着いている。二、三日家族孝行をした後に会いましょうと約束。



 Iさんがくれていったパソコン雑誌に不要なファイルを削除しようとの初心者特集があった。むかしはこんな記事に合わせてせこせこといろんなことをやったものだ。そういえばやりもしない不要なゲームが入っているなと思いつく。削除しても再インストールする際にまた入ってしまう。入らないように出来るのは知っているが面倒なのでいつもその辺は後で処理する。ソリティア等を削除しようと思った。何年ぶりだろう、とふとこの懐かしいトランプゲームを始めてしまい、成功できず悔しくて気づくと二時間経過。お昼。これはたいそう恥ずかしい(笑)。なあにをやってんだあ。



 午後四時。一息ついて『サクラ』に行く。運良くパパがひとりでいた。ラッキー! 楽しく話す。らいぶさんが来たことを報告。パパも会いたがっていた。数日後に実現予定。

 もう何年前になるだろう、高千穂商科大学教授のKというのが少女暴行で捕まった。いわゆるロリコンオヤジの買春事件である。12歳と13歳の姉妹との3Pだったか。子供の泣き叫ぶ声で刑事事件となった。三大新聞を始め『週刊新潮』等でも大きく取り上げられたチェンマイを代表するクソのような事件である。こいつが『サクラ』の準常連だった。パパは領事館から頼まれたこともあり、このKに週に一度の差し入れを始め献身的に尽くしていた。ぼくは不幸にしてこの事件(=逮捕の日)のとき、チェンマイにいなかった。Yさんが殺されたときとか、主立った事件の時はかなりの確率でいたのでこれは悔しかったものだ。って悔しがることでもないけど。

 この事件に関して八割は知っていた。残り二割のことをきょうパパから詳しく教えてもらった。差し入れ時の細かな描写などは本人のパパでなきゃ語れない。日本からやってきたどうしようもない家族の話も初めて聞いた。勉強になった。正に「こういう兄弟、こういう女房だからこんな犯罪に走ったのだ」と納得の行くものだった。
 それもこれも二人っきりだったからである。他者がいたらパパはしゃべってくれなかった。けっこうヤバい話もあった。何度も「ええっ! そうだったんですか!」と声をあげた。ほぼ完全に聞き出しているつもりだったのに新たに知る新鮮な情報がいくつもあった。いくつか欠けていたジグソーパズルのピースがぴったりと嵌って完成したのだからその快感はかなりのものだ。詳しくはその内「雑記帳」にでも書こう。タイトルはなんにしよう、え~と「チェンマイで捕まった人、殺された人」か。あまりよくないな(笑)。もっといいのを考えよう。しかしこれは実り多い時間だった。まだまだチェンマイは奥が深い。パパの懐も深い。感嘆である。

 六時近くなりランプン組が来る時間になったので急いで退散する。苦手な社会党系がひとりいる。話が弾んだので二時間もいてしまった。でも充実の二時間だった。
 尚、三十年はくらうだろうと言われていたK元教授は釈放され、現在千葉県にいるそうです。幼い娘さんのいる人は気をつけましょう。




 部屋にもどって音楽と『作業記録』をやる。
 連日更新だあと午後9:10分にいつものインターネットカフェに行く。ぐあ、XPの入っている機械を二台とも白人が使っていた。(Hot mailしかしないんだからおれに使わせてくれよお、おまえら98でいいだろ)と思うがそうも行かない。ここは10:00に閉店する。しばらく待っていたが空かない。その内なにもむきになって毎日アップするほどのことでもないなと思い帰ってくる。


 セブンイレブンに寄って牛乳を買う。さすがに甘すぎるNescafeのスティックコーヒーに飽きてきた。ほんのすこしの湯でそれを作り、そこにどぼどぼと冷たいミルクを注ぎ足すと、それほど甘くないぬるま湯カフェオーレが出来るのではと読んだのだ。


 バイクですこし走っただけで気分転換になっていることに気づく。気分一新といったほうが正確か。これがチェンマイの大きな魅力だ。
 何時間か集中して仕事をして疲れたとき、気分転換に、東京にいるときは深夜まで開いている<TSUTAYA>に行ったりする。本とヴィデオとCDがある。最高だ。田舎だとこれはもう終夜営業のコンビニしかない。深夜や明け方にクルマで数キロ走って行く。夏はいいが、真冬だとフロントグラスが凍っていたりして温風で溶かすまで待たねばならない。けっこう面倒だ。
 常夏のチェンマイだといつでも町に出られる。べつにどこかに寄らなくてもバイクでお濠の周りを一周(約5キロ)するだけでもやもやがスッキリする。いい町だなとあらためて思った。ティーシャツ一枚で、ちょっと涼しいかな、という気温。


 音楽を創り本を読んでいたら午前三時になってしまった。さすがに眠い。時差を考えたら午前五時だ。そりゃ眠いか。出来るなら夜昼を逆にしてこのまま朝の九時ぐらいまでやり続け、そのままぶっ倒れて眠るなんて日々がいいんだけど、そうも行かないようだ。ダウン。
13日(金)  十時半。らいぶさんから電話。遊びに行っていいかとのこと。私のアパートまで奥さんがクルマで送ってきたのが十一時過ぎ。この『作業記録』を書き上げる間、世間話をしつつ私の部屋で待ってもらう。

 フラッシュメモリにファイルを入れ、バイク二人乗りで出かける。その前にパパに電話をする。午後一時出勤のパパも特別にすこし早く出てきてくれることになった。『サクラ』へ行く。



←これ、むかし撮ったナコンピンコンドの写真。これじゃぜんぜんどこかわからんけど(笑)。

 パパは先月、ナコンピンコンドに引っ越した。ナコンピンて日本人はいま何人ぐらいいるのだろう。ぼくの知っている人だけでも十数人いる。じゃあ三十人以上か。もっと? 五十人? チェンマイのジュライホテルのようになってきた(笑)。あ、ジュライなんかよりずっと高級だけどね。知り合いが言うにはNHKが映るとかいくつも魅力的要素があるらしい。NHKなんて頼まれても見ないぼくにはわからない感覚である。その他、あそこにはさゆりの娘とかもいて知り合いばかりだ。




 丸テーブルに二人の問題人物(女性)がいたので坐らず、奥の席に行く。この問題人物に関してもおもしろい話が色々あるのだが、ちょっとリアルタイム進行なので今は伏せておく。あぶない(笑)。まさか「チェンマイ日記」をリアルタイム進行でやることになるとは思わなかった。
 三人で話す。パパとらいぶさんは久しぶりのご対面。



 三時に買い物を済ませたらいぶさんの奥さんが『サクラ』に寄る。ここで解散かどこかに出かけるかとなった。ほんとは部屋に帰ってやるべきことが山ほどあるのだが、らいぶさんの奥さんが新たに始めた洋服店の見学に出かけることにする。メージョー大学の近く。奥さんはクルマで店へ。ぼくらは後からバイクで行くことになる。
 その前にらいぶさんをちょっとだけ普段は行けないような場所に案内(笑)。らいぶさん、喜んでくれる。

 洋服店の前で、四時半からソムタムを肴にタイウイスキー(米焼酎)を飲み始める
 楽しい。楽しすぎてまずい。
 らいぶさんに、明日から一泊二日のドライヴ旅行にでるので一緒に行かないかと誘われる。Tさんの家に行くのでちょうどいい。らいぶさんの奥さんがTさんのことを親身になって心配してくれて感謝している。始まりは私からの関係である。奥さんからすると「旦那の友達の友達」になる。タイ人の面倒見の良さの典型例である。

 六時過ぎにあいさん夫婦も合流。益々盛り上がり、さらにまずいことになる。



 いつものインターネットカフェに寄り、ポケットに入れておいたフラッシュメモリからホームページをアップしたのは九時ぐらいだったか。よく覚えていない。部屋に帰り、もう深夜だと思っていたのにまだ十時なので、もう一回遊びに出ようかと思ったことを覚えている(笑)。明るい内から飲むとこんなことになる。正常な判断を失っている。正に酒は気違い水だ。さすがに抑制が利いて出かけなかった。

 きょうは丸一日外出している日になってしまった。いかんいかん、部屋に籠もって仕事をするための来たのだ。明日と明後日はランパーンからゴールデントライアングルに行くからしかたないが、帰ってきたら気を引き締めて清廉の日々にもどろう。
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