チェンマイ日記-2002秋 10月
    

      
2002年10月
10月1日から21日まで雲南省。
雲南でじかめ日記-日記02秋
10月22日(火)  景洪からチェンマイへ。
「雲南でじかめ日記-ああ、タイの愛しさよ!」を書く。
 午後七時からTさんと焼肉『すずらん』へ。Tさんが金が入ったからわたしが払うと言ってきかない。650バーツ。
 ソムペットの屋台へ。それからオープンバーのはしご。

 コージーコーナーで会った神谷さんに「この間、すごい馬券が出たろう」と言われる。なるほど、たしかに大万馬券が出ることは意味があるのだなと思った。川崎のTさん、年配者のHさん、Eさんらと深夜まで話す。ひさしぶりのチェンマイがうれしく、部屋にもどったのは深夜二時だった。自重しないと。

その後、いろんな人から「大穴が出たの知ってる?」「さすがにあんたでもあれは取れなかったろう?」などと話しかけられた。GTで大穴が出ることはやはりかなり意味のあることであるらしい。
23日(水)  朝七時、K夫人の運転するクルマでランパーンへ。Tさんの彼女の家。同行はTさん、Y夫人。雨期最後と思われる激しい雨。ワイパーが効かないほど。
 往復440キロ。

ドライヴ話
24日(木)  昼、『宇宙堂』でナベちゃんと話す。
 夕方、讀賣新聞、バンコク週報を手に、「ステーキハウス・バンライ」へ。ひさしぶりの新聞がうれしかった。

 夜、『サクラ』でパパ、Iさん、Hさんと話す。いいメンバーで楽しかった。
25日(金)  六時起き。順調に仕事をする。八時にカオマンカイを食べに行く。コーラを飲んで30バーツ(90円)。安くておいしい朝食である。もどってきてまた仕事。いいリズムになってきた。
 順が前後したが、「雲南でじかめ日記-いつものケンカ」を書く。早く笑い話になって欲しい。

その後、妻は雲南の田舎から昆明に出て、さらに北京まで来て、その北京大使館で査証を取ることがいかにたいへんであるか身をもって体験した。よってこの「いつものケンカ」の原因となった話が嘘であることを理解し、見事にそれは笑い話になってくれた。よかった。

 讀賣新聞を買ってステーキハウス「バンライ」に行く。天皇賞枠順を見る。
 もしも私が予想記事を書いたなら、これはもうナリタトップロードから行くに決まっている。相手はシンボリクリスエス、テイエムオーシャン、サンライズペガサス、エアシャカール、か。宝塚記念馬のダンツフレームが人気がない。調子が悪いのだろうか。インターネットを読んでいないのでよくわからん。ま、競馬はどうでもいいや。でも菊花賞の枠順や結果を知ったのは景洪だったし、異国でこういうニュースを読むのは楽しい。
 深夜、あるオープンバーに寄る。そこであったおもしろおかしいことは「ある夜のバーで」とでも題して「チェンマイ日記」に書こう。
26日(土)  昨夜バーで知り合ったソムチャイから電話。サンサイ(チェンマイ郊外)にある彼の彼女の家に行く。昨夜約束したのだが忘れなかったようだ。疲れていたので、忘れて連絡がないなら、それもそれでいいなと思っていた。約20キロ。天気もよく楽しいドライヴだった。
 何カ所かでたくさんの食材を買い、夜はみんなでメコンでも飲んで騒ごうと盛り上がっていた。

 午後四時にK夫人から電話があり、Tさんの奥さんの件で相談事があり、私ひとり帰ることになる。残念だったがこっちのほうが緊急事だ。
 ターペー通りに新しくできた喫茶店JJで話し合う。そのことはまた書くことがあるだろう。
 夜、Tさん、A子さんとアヌサンのイサン料理「ウボン」へ。ひどい雨になった。十月後半は雨ばかりである。

 ソムチャイ、彼女と、オープンバーで待ち合わせの約束があったのでTさんを乗せて出かける。来ていなかった。たぶん雨になったので街までもどることを止め、思いっきり飲んで酔いつぶれたのだろう。ソムチャイは明日から仕事でイサンに行き金曜夜に帰ってくる。再会の日を待つことにする。
27日(日)  昼、いい天気だったので町を走る(あ、バイクね、もちろん。私にランニングの趣味はありません)。雨の日が続くので晴れ間が愛しい。
 ちょっとおもしろいことがあったのだけど、これはあらためて書こう。

帰国後いくら考えてもこの「ちょっとおもしろいこと」が思い出せない。なんだったんだ、気になる。

 スッタッが新品のバイクに交換してくれた。まだ100キロしか走っていないまったくの新車である。新規の客だと一日200だが、長いつきあいだから100で貸している私に回したほうが、クルマを痛められないだろうと思ったようだ。実際外人のバイクの乗り方はめちゃくちゃだしね。正しい判断だろう。
 これがもう気持ちいいの何のって、新車はこんなにもいいのかと思い知った。排気量も99ccから125ccに増量されているので加速がぜんぜん違う。クルマを追い抜くときでもクンと加速して一気である。いやはや楽しい。益々町中をのんびり走るのが楽しみになってきた。これ、「チェンマイ日記」にネタとして書こう。あまりに楽しい。
 夜九時、大雨の中を『サクラ』まで出かける。丸テーブルはもう片づけられ、客は誰もいなかった。
 九時のNHKニュース(日本だと午後十一時のニュース)で補欠選挙の結果を知る。自民大勝となった。8議席中5議席だが後の二つも元橋本総理秘書の江田さん等自民である。負けたのは山形のひとつだけだ。これも加藤こういちが再出馬したら取り返すのはわかっているから完全勝利だ。となると問われるのは民主党の責任になる。鳩山さん、たいへんなことになった。だからもう民主党は解散して、それぞれ元のところにもどるしかないんだって。


 安倍晋三が北朝鮮よりの行動や発言をしていた土井たか子や菅直人に対して「間抜けな政治家」と発言して問題になっていたが、実際どうしようもない社会党崩れと一緒にやっていたってダメだ。もっと小回りの利く鳩山新党を作りなさい。金だってあるんだから。もっとも鳩山さんも朝鮮総連の金正日の誕生パーティに行ってる人だからなあ。まあ野中も行ってるけど。拉致問題でいちばん腹が立つのは中山正輝だね。以前から問題になっていたが、あいつは訪朝してからガラっと態度が変った。どんな甘い汁を吸わされたのか。次回の総選挙では間違いなく落ちる。
 春先には十月のこの補選で自民が大敗して小泉政権の終りって言われてた。わからんものである。だけどそれは拉致問題等の効果ではなく、野党があまりにどうしようもないからだ。小泉政権がどうのこうのと言う前に、そっちのほうが問題である。
 チェチェン兵のモスクワ劇場占拠にプーチンは強気で臨んだ。特殊部隊が攻撃に移り、67人死亡、750人開放。プーチンはこれで大統領としての最大の危機を乗り越えたとなっている。日本でこんなことをしたら、助かった750人ではなく67人も死んだとサヨクが騒いでたいへんだろう。だからどんな為政者もそれをしない。福田首相の「人命は地球より重い」発言が称えられる国だ。その点、ドイツなんてのはおとなだ。テロリストを世に放つなら多少の自国民の犠牲はしかたないぐらいに割り切っている。自衛隊員に武器を持たせずカンボジアに行かせるのがこの国の姿勢である。今度こんな事件が日本で起きたらどうする気なのだろう。それは確実に起きる。アメリカの属国に最も効果的な攻撃をしようとしたなら日本でテロを行うのが手っ取り早い。今のところそれがまだないのはイスラム国家には、「アメリカに最も酷いことをされたのは原爆を落とされた日本」という認識があるからだ。「なのに日本はなぜアメリカのいいなりなのか」と彼らは言う。日本はアメリカに根底から解体されてしまった国だ。その典型が、あの押しつけられた異様な憲法をありがたがる人種を産んだことだろう。覚醒しないままの「米帝打倒」は笑止である。

 讀賣を読んでいて興味深かったのは「早くもストックホルム症候群」の記事が載っていたことだった。人質が犯罪者と時間を共にしている内にシンパシィを感じてしまう状況のことだ。今回のモスクワ劇場占拠にも、ロシア人の人質なのに、チェチェン軍に同情し味方をしようとした連中が出たらしい。でもあれはチェチェンの連中に正義があるからな。ロスケの卑劣さも真っ当に書かないといかんよな、日本のサヨクマスコミも。

 もしも北朝鮮のテロリストが朝日新聞を占拠したらどうなるんだろうなあ(笑)。朝日の記者は天然のストックホルム症候群だ。そこにクメやチクシが招かれて特別取材。朝日の記者と共に人質になる。タバラやコミヤも一緒に。週刊金曜日も同じく。
 無謀な要求をする北朝鮮テロリストに日本政府は敢然と強気の強行突破。激しい銃撃戦の末、テロリストを全員射殺。だが残念ながら人質の朝日新聞記者、クメ、チクシ等もすべて死亡。なんて希望的なストーリィだろう。

 恥ずかしながら私がこの「ストックホルム症候群」という言葉を最初に知ったのは「ゴルゴ13」でだった。心理学用語だからその後興味を持ってけっこう勉強したけれど最初はそれだった。といってもこれはそれほど恥ずかしいことでもない。「ゴルゴ13」が高い支持を受けているのはそういう視点の高さと早さであって、当然シナリオ側もそれを意識して懸命に新たなテーマを探しているから、新聞でカタカナ新語を常時記憶して行く勤勉な人でない限り、私のような凡人がここで学ぶのは至極自然な成り行きなのである。
28日(月)  きょうも讀賣新聞を買う。昨日の補欠選挙の結果を詳しく読みたかった。またもステーキハウス「バンライ」に行って、ビアチャンを飲みつつ、隅から隅までじっくりと読む。肉好きじゃない。どちらかといえば野菜好き、魚好きのほうだ。ところが時折こんな風に連続して肉を食いたくなるようなときがある。それは体がそういう栄養素を望んでいるのだろうと判断し素直に従うことにしている。結果として病気知らずで来た。

 大雨が降っている。雨期最後の大雨だ。
 トタン屋根を激しく叩いている。新潟の田中真紀子票、山形の加藤こういち票、大阪のツジモトの票がどこに流れたかの分析と解説がおもしろかった。

 ところで、ビスタホテルの隣、チェンマイのタイ航空オフィスの近くにあるステーキハウス「バンライ」(私は未だに通りの名を知らないのでこんな表現しかできない)が支店を出した。私がここ数日こまめに通っているのはそのバンライの支店のほうである。ムーンムアング通りからも近い。普通本店と支店を比べたら圧倒的に本店のほうが上に決まっている。私も支店には失望覚悟で行った。ところがなにがどうなっているのか支店のほうがずっといい。ちょうどその前の日、本店に行き、肉は堅いわナイフは切れないわで「バンライももうダメだな」と思っていたので、支店のきちんとした味にはおどろいてしまった。場所もイス、テーブル、明るさ、どれをとっても本店よりいい。よって日参している。
 このことは日本人では私しか知らないことなので、ちょっと大げさに威張って書くと、この「バンライ支店の場所が新『サクラ』になるはずだった」のである。日本人では私しか知らないのということは、パパさえも知らないということである。新『サクラ』への移転はシーちゃんがひとりで決め実行したことでパパには相談されていない。二人の仲が最悪の時期だった。シーちゃんも誰か親しい日本人に、自分の新しい本拠地となるところを見せて意見を聞きたかったのだろう。

 詳しく言うと、最初の引っ越し先候補地は現在の『サクラ』のビルだった。私はシーちゃんとバイクで見学に行き、ここに移るのだと教えてもらっている。ひとけのない閉鎖したゲストハウスだった。それがあることからボツになり、シーちゃんがあらためて探し出したのが今バンライ支店のある場所だった。ここを借りようと思うのだがどうかとシーちゃんに案内されてその場所に行き、こっちを入口にして、ここにテーブルを置いて、と構想を聞かされている。その時は空き家であり、廢墟のようになっていた。締めてある鐵扉をこじ開けて入って見学した。
 それからまた一転して、今の場所と条件妥協して決定したのである。

 その経緯を知っているので、実にいい雰囲気の「バンライ支店」で食事をしながら、「もしもここが新『サクラ』だったら」と考えてしまった。私としては今でもこっちのほうがいいと思う。シーちゃんと話したときも「どっちがいいと思う」と意見を求められ、そう応えている。だから知らない内にまた元のゲストハウス(今の店)にもどってしまったときはすこしがっかりしたものだった。ただしここはクルマは停められない。まあ終った話ではあるけれど。


 午後も雨、夕方も雨。夜も雨。雨期が明ける前には最後の雨水を吐き出すように雨が降り続くと聞いていたが、まったくその状況になっている。いくら南国でたいして寒くはないと言っても衣服が少ないので毎日びしょ濡れになっているわけにも行かない。カッパを着て雨の中を走っている。
29日(火)  『サクラ』でHさんと話していたら「大穴」の話が出た。菊花賞である。Hさん、菊花賞とすら忘れていたが騎手の名前は覚えている。競輪や競艇遊びが好きな人は概してそういう考えかたをする。34万円の3連複も取れたのではないかと獲らぬ狸の皮算用をやっている。
「おれはよ、あれを取ったんだよ、的場がよ、まったく無印の馬で勝って、秋の短距離でよ」と昔話。アグネスデジタルのマイルチャンピオンシップですかと言うとそうだそうだと破顔一笑。騎手と配当だけは覚えている。
「後藤が好きでよ、ずっと追いかけてんだけどなかなかデカいとこは勝てなくてな、それがよ、今年よ、え〜と」
 これはもうわかっていたので「安田記念のアドマイヤコジーンですね」と先に応えておく。「そうだよ五千いくらかついてな」と話は続く。
 競馬好きの何人かは私が競馬の仕事をしていたことを知っているので話しかけてくるのだが、きっとそれは取りあえずの話題ということ以上に、私がすぐにこんなふうなうろ覚えの記憶を補足してあげるからだろう。だいぶもうボケてきて近年のことは忘れているが、大きな流れの血統史のような論議では、ずいぶんとまだ素人よりは詳しいと客観的に思う(あたりまえだっちゅうの)。
 でも何事も正しいことを言っていればいいものでもない。餘計なことを言うと波風が立つ。
 先日も同じく『サクラ』で、麻雀帰りの連中が「親でピンフ、ツモで3200点が」と話していたので、「親のビンフ、ツモは2900点ですよ」と教えてあげたら納得しない人がいてもめた(笑)。といってもそんなことを口出ししたのはかなり前からの顔見知りの人だからである。いくらなんでも見知らぬ人がそんなことを話しているのにいちいちクチバシは突っ込まない。旅先でそんなでしゃばりをしていたら命がいくつあっても足りない。いつもみんなに恥をかかせる形の話し方をする物知りのその人が、得意げに間違いをしゃべっていたので、わざと突っ込んでみた。他の人は符の計算など出来ないから拝聴するだけなのだ。
 関西の麻雀ルールにはピンフにツモはない。ツモには2符がつく。すると20符であることが基本のピンフは繰り上げ30符になってしまうから、ピンフとツモ役は相容れないとする関西のほうが筋としては正しい。ただ一般には今、そのツモの2符を附けず、20符のままでピンフ、ツモの役が成立している。20符だから繰り上げて2000点、親で2900点になる。ひとり1000点通しだ。3200点は25符、50符でしか成立しない。
 司法修習生崩れのその人にはよけいなことを言いやがってといやな貌をされたが、解散際、トイレから帰ってきた人が、よくぞ言ってくれた、いつもあの人には恥をかかされてばかりいるからスッキリしたと囁いて行った。
30日(水)  Tさんがランパーンの彼女の家に引っ越す(=田舎にこもる)ので、預かってもらっていた私の荷物を整理しに行く。バッグ三つ。CANONのプリンターと変電機はあいさんにプレゼントすることにする。バスタオルのような日常品はそのままTさんに役立ててもらおう。結局持ち帰ったのは、音楽CDと本だけだった。

inserted by FC2 system