チェンマイ日記




■まずは口上から
 えーとですね、最初にディスプレイの点数を見てください。若い友人とチェンマイのボーリング場で遊んだときのものです。Yが私。日付は2001年の6月23日でした。


  いやはや便利な時代なんですね。驚きました。こんなふうに各レーンごとにディスプレイがついていて自動で点数が表示されるようになってます。

  コンピュータ・グラフィックスで残ったピンの最適な取り方まで指示してくれます。ストライクが出たときは得意げに踊り、スプリットになったときは頭を抱えてうずくまりと、フレーム毎にアニメで大騒ぎしてくれます。隔世の感ってやつです。なにしろ私が前回ボーリングをやったときは、まだ自分で紙に点数を書く時代でした。 あの頃、点数計算が出来ない人ってのがけっこういて、よく計算係をやらされたものでした。

 それにほら、9本倒して残りは1本だと思い、二投目でスペアを取れたと思ったら、その後ろにもう1本隠れてて実は8本だったってのがあるじゃないですか。あれなんかも当時は消しゴムで消して書き直してました。受付の時、スコア用の紙と消しゴム附き鉛筆をフロントで渡されます。残っているのが4本か5本かを判断するのもむずかしかったですね。書き直しを何度もするとスコアが汚くなっちゃってね。でもストライクやスペアを塗りつぶすのはうれしいものでした。
 今じゃそれもすべて自動で表示してくれるんですね。楽です。便利な世の中ですな。

 なんて書いていると、私が最近のものを何も知らない昔人のようですが、わたし一応パソコンを自分で組み立てるぐらい、機械的なこと、コンピュータ的なことは大好きなんです。それがここだけエアポケット的に遅れているのは、それだけボーリングと離れていたってことです。

 二十八年ぶりぐらいのボーリングは、若い友人達が120点ぐらい。たしか最高点が140でした。私は100点も行きませんでした。75点ぐらいだったでしょうか。当然スペアひとつ取れていません。ストライクなんてもってのほか。ひどいものです。

 というわけで次の写真はいきなり201点になります。これも私です。
 上下のメンバーはタイのオネーサンです。知り合いのひとりを誘ったら三人で来ました。よくあることですね。


 75点の時が6月23日。この201点は7月21日です。
 一ヶ月の間があるようですが、私は6月30日から7月20日まで中国雲南省に行っていました。出発前、6月29日に一回やっています。つまり75点から200点まで実質三日、三回なわけです。

 75点しかとれないヘタクソがでかいことを言っても誰も聞きません。毎度200点以上のボーリングマニアが能書きを垂れたらただの自慢です。でも75点しか出せなかったオヤジが短期間で200点に到達したとなると、なにがあったのか、ちょいと聞いてみたくもなるでしょ?

 てなわけで「チェンマイボーリング話」の始まりです。


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