2005年11月14日~
11/14(月)  第一便──チェンマイ到着

 出発前は何かと慌ただしくメイルも差し上げずに失礼しました。金曜日の夕刻、無事チェンマイに到着しました。もう既に寒季に入っているはずなのですが、思っていたより暑いです。通常この時期には降らない雨も、まだ時々降ってきます。異常気象のせいでしょうか、今年はチェンマイで3回も大きな洪水があり、甚大な被害を受けたようです。

 我が家に着いてまず最初になさなけらばならないのはPCの環境整備です。私がいないと誰も必要なアップデイトやウイルスチェックをしてくれません(笑)。必要なアップデイトを済ませてウイルスをチェックすると15個も見つかりました。またアンチスパイウエアソフトでもスパイウエアを見つけ全て駆除、やっと安心して使える環境になりました。



 出発時、成田空港の待合室でホンジャマイカの石塚さんを見掛けました。その後バンコクの乗継便の喫煙室、チェンマイのイミグレでもまた会いました。同一便だったようです。寒い日本から黒のタンクトップ一枚という軽装で、どこから見ても「石塚」で目立っていました。「デブは暑がり」を地で示しているようです(笑)。バンコクの喫煙室ではマネージャーと思しき人とパンダのことを話していたので、チェンマイ動物園のパンダの取材か、ローイグラトンの取材か、チェンマイ料理で「まいう~」なのか、その辺りなのでしょう。

 さて、市内はローイグラトン一色で、様々な準備が進んでいます。今日月曜日からあちらこちらでイヴェントが催されるようです。この時期にチェンマイを訪れたことがなかったので、今からとても楽しみです。ところで「クラトン」の「ク」は、ゴーガイなので、私のポリシー(笑)に従って「ローイグラトン」と表記することにします。

 ローイグラトンはこれからなので、その様子は次回に譲ることにして、今回は市内の様子を簡単にご紹介します。
 最初に気づいたことは、タクシーメーターです。まだ数は少ないのですが、チェンマイでも時々あの黄色のツートンカラーのタクシーを見掛けるようになりました。
 また、路線バスが新たに運行を開始し、聞くところによれば全車エアコン付きで、値段も市内一律10バーツと、赤ソンテオよりも安価で人気を博しているとか。

 チョータナー通りの立体交差はまだ未完成ですが、チェンマイ―メージョー通りの立体交差は工事が終了し、待ち時間表示つきの信号が設置されています。信号が変るのをカウントダウンで秒単位で知らせるものですが、タイ人にはあまり向いていないような気がします。フライングスタートが多いように感じ、少しばかり危険を感じています。
 またこの通り沿いに「リムピンスーパーマーケット」を中心としたショッピングモールが新たにオープンしました。このスーパーは値段はカーフーやロータス、マクロより高めですが、新鮮さと日本食品の品揃えはチェンマイ一といっても過言ではなく、我が家にとっては近くもあり有難いことです。



 セブンイレブンでたばこを買おうとしたら、商品が見当たりません。店員に尋ねると、カウンターの下からそっと取り出してくれました。知らなかったのですが、たばこに関する法律が変わったようです。「バンコク週報」で下記の記事を見つけました。

 7イレブン、タバコ陳列で処罰ナタウット・マーリパン警察大尉は保健事務所職員らとともに、ムアンナコンラチャシマ郡内のセブンイレブン6店舗を捜査した。捜査団一行は、ナコンラチャシマ郊外のセブンイレブン6店舗を捜査したが、うち2店舗が規定に違反して、清算カウンターの後ろにタバコを陳列していた。
 捜査員は、タバコ広告を禁じる2535タバコ管理規定8項に従い、タバコを押収した。違反店のオーナーには、それぞれ20万バーツ以下の罰金が科されることになる。
保健省は、9月24日以降、「タバコ陳列は宣伝にあたり、タバコ販売を告知するA4紙の掲示だけが許可される」と警告し、タバコ工場や販売店への取締りを強化している。9月24日以降、これに違反した場合は、タバコ規定に従い処罰される。(バンコク週報より)


 なるほど、良く店の中を見渡せばA4の貼り紙を見つけることができます。それにしても20万バーツとは…、厳しいですね。これが当たり前で、日本が緩すぎるのかもしれませんが。いずれにしてもたばこは百害あって一利なし、わかっちゃいるのですが…。

 また酒類も販売時間が制限されたようです。詳しい時間帯は忘れてしまいましたが、リムピンスーパーでその貼り紙を見掛けました。ただし大量購入(10リットル以上?不正確かも)の場合は、時間帯制限がないとのこと。どーゆーこっちゃ、何だか良くわかりません(笑)。



 友人のY氏から仮面ライダーのDVDを預かりました。パッタヤーに住むお子さんへのお土産です。ご自身でダビングされたとのことで、ちゃんと見られるかどうかチェックして欲しいと頼まれていたのですが、我が家の機器はVCDプレイヤーのみでチェックできませんでした。DVDプレイヤーを持っていないことを失念していました。ならばとPCでチェックしてみましたが、ディスクを認識しません。仕方ないのでこのままパッタヤーへ送ることにします。Yさん、ここを見ていましたらそういう訳ですのでご了解ください。
 
 さて今日からローイグラトン、デジカメを持っていないので写真が送れず残念ですが、精一杯身体で感じたことをお知らせしたいと思っています。詳細は次回以降で。
それでは。<らいぶ>







洪水のこと
 これはぼくが借りていたアパートから見下ろした隣家。
 チェンマイは毎年これぐらいの洪水(ナム・トワム)が起きていました。この辺りはいちばん川に近く低いところです。

 まあこれぐらいは毎年のことだったので慣れていますし、なんてことはありません。毎年8月の歳時記みたいなもんです。いや、でした。

 ちょいとした雨降りでいつもこんなことになるのを自然増水と思っていました。低い土地だからしかたないと。
 それがダムを守るための放水と知ったときはさすがに立腹しました。雨降りが続いてダムが決壊しそうになるので水門を開けるのだそうです。それによって低い土地が水浸しになるわけです。
 藤沢周平の時代物に、颱風のとき同じような理由でわざと堤防を壊して水を荒れ野に流し、水田の被害を最小限にとどめようとする話が出てきます。それと同じようなものでしょう。しかしこれは今の時代です。タイというそこそこの国の話です。乾期が半年あるんだからそのときにダムを補強しろよと思ったものでした。だって毎年毎年同じなんだから。


 この写真はアパートの玄関。暗い向こうが駐車場。クルマは水に浸かり、バイクは玄関に非難しています。
 ボートを漕いで玄関から出ます。
 この水門を開けるのは、バイクのエンジンがやられてしまうので、それだけが気がかりでした。

 ところがこれら毎年おなじみの洪水と違って、今年のチェンマイの洪水は未曾有と言えるほどのひどいものだったと誰もが言っています。
 水があふれた地域や通りの名を聞いても、ぼくの経験では冠水しない地域ばかりでした。いかにすごかったかがわかります。

 となると、たいしたことがないときでも市内でいちばんひどかったこの辺りは水没してしまったのではないでしょうか。すくなくともこのバイクのある玄関の中まで入ってきたのはまちがいありません。
 水害対策はどうなっているのか気になります。どうせまた喉元過ぎれば熱さを忘れるで、乾期になると忘れてしまうのでしょうか。まあそれもそれで国民気質と思いますが。

---------------

コムロイのこと
 昨日の深夜、今朝の明け方のニュースで、チェンマイの熱気球の話題が流れていました。
 あれはロイカトンの前にやるのでしょうか。

 ぼくはロイカトンは15年前に一回見ただけです。静かないいお祭りでした。でも最近ではバクチクを鳴らしたりしてかなりうるさいとか。いやな話です。ソンクランも氷水が流行ったり、超強力な水鉄砲が出たりしてからおかしくなりました。ミャンマーのソンクランで死人が出たので氷の販売を禁止したという記事が数年前にありました。

 競馬物書きとしてGⅠレースの連続するこの時期は日本にいねばならず、また自分としてもいたいと思ういちばん競馬のいい季節ですから、その後もこの時期の訪タイだけはなく、ロイカトンは最も縁遠いものでした。
 その代わりトウカイテイオーとライスシャワーが惨敗し、逃げ切ったメジロパーマーとレガシーワールドで史上空前の大波乱となった年から、それまで一番好きなレースだった有馬記念に愛想を尽かし、有馬を観ずに訪タイするようになりました。お蔭で正月のチェンマイに関しての思い出はたっぷりとあります。昨夜テレビで見た熱気球も本来はロイカトンのものですが、ぼくには新年を祝って大晦日のカウントダウン時に飛ばすものの記憶が強いです。
 中でもメイピンホテルの中庭から見た年越しの情景は忘れられません。カウントダウンと共に浮かんだ何百ものコムロイは夜空に鮮やかでした。抜群にうまかったフィリピンバンドと共に(笑)今も覚えています。フィリピン人の音楽センスはアジアの中じゃ抜けてますね。

 ソンクランは10回近く参加しているのにロイカトンは縁がないですね。いつの日かもういちどぐらい行きたいと思いますが……。<kamezo>

-------------------------------

 【附記】 コムロイについて
 熱気球の名前をど忘れしてmomoさんに質問しました。momoさんが口にしていたことを覚えていたからです。コムロイと教えてくれ、ああそうだったと思い出しましたが、「一説ではコムファイ」ともmomoさんは書いています。この場合のファイは灯りでしょうね。
 らいぶさん、タイ語の解説をよろしくお願いします。
11/15(火)  第二便 グラトンを作る

 ローイグラトン第一夜は、我がムーバーン主催のイヴェントへ参加しました。特設ステージには「プラペーニー イーペン(ローイグラトンの伝統行事)」と書かれた看板が立っています。「イーペン」は北部地方の方言でローイグラトンのことです。北部地方の方言は「パーサーヌア」「パーサーチェンマイ」「パーサーラーンナー」などといいます。

 まずはグラトン作りからです。購入することもできるのですが、ここはやはり自分の手で作るべきと思い、娘に教わりながら初挑戦。
 販売しているグラトンは硬く焼いたパンを土台にするのが最近の流行だそうですが、本来の土台はバナナの木の輪切りです。それをバナナの葉で丁寧に包んでいきます。楊枝やピンできちんと留めて、バナナの木が見えないようにします。土台ができたら飾り付けです。バナナの葉を丸めたり折ったりと綺麗に加工し、デコレーションケーキのように土台の周りにピンなどで留めていきます。そこへ花を飾り付けます。忘れてならないのは線香と蝋燭、線香3本と蝋燭1本が基本で、グラトンに突き刺します。さらにお好みで花火をトッピング、これもグラトンに突き刺し完成。初めてにしてはうまく作れました。

 近所の子どもたちも「スワイ(きれい)」と褒めてくれました。コインと身体の一部(爪、髪の毛)をグラトンに載せ、線香・蝋燭・花火に点火してローイ(水に流す)します。爪や髪の毛を載せるのは、身に纏わる不運を水に流し幸運を願う、といった意味合いがあるのだそうです。私は髪の毛一本無駄にはできないので(笑)、爪を切って載せました。ムーバーンの中に流れている小川で、願い事を唱え水に浮かべ流しました。バランスが悪かったり重すぎたりすると、沈んでしまったりひっくり返ることもあるそうですが、幸い私の作ったグラトンはちゃんと水に浮かび流れていきました。小川にはたくさんのグラトンが流れ、幻想的な雰囲気を醸し出しています。



 イヴェント会場ではたくさんの料理とソフトドリンクが無料で振る舞われ、ステージでは伝統音楽や歌・踊り、コミックショーなどが催されました。子どもたちは爆竹や花火でおおはしゃぎです。8時を過ぎるとコームローイが次々と空に放たれます。これも無料。私も子どもたちとコームローイに点火、願を掛け空に放ちました。空高く舞い上がった無数のコームローイは風に乗って一定の方向へ流れて行き、そのオレンジ色に輝く姿はまるで天の川のようです。いやぁ生きててよかった、何ともいえない素晴らしい眺めでした。イヴェントの最後は99発の打ち上げ花火で締め括りです。



 コームローイコームファイともいい、同じ意味で両方ともよく使われています。「コーム」は単獨ではあまり使われないようで、どういう意味かと尋ねられても一般のタイ人は首を傾げるばかり。手元に冨田先生の辞書があれば手っ取り早いのですが、それもないので娘のタイ―英辞典を見てみました。それによると「コーム」はランプ、ランタンとあります。「ローイ」はローイグラトンの「ローイ」で、「放つ」といった意味合いと思われます。「ファイ」はおっしゃるとおり灯・火・電気といった意味です。因みに、よくベッドサイドにあるフード付きの電灯も「コームファイ」と呼ぶのだそうです。



 たばこの陳列に関してですが、MSNニュースで下記の記事を見つけました。

 タバコ陳列:摘発を一時ストップ  ピニット保健相は10日、小売店向けに法律に・したガイドラインを打ち出すまで、タバコを陳列しているコンビニなどの摘発を一時中止すると述べた。保健省は12日、ガイドライン作成に向けて、警察庁、消費者保護委員会、法令委員会、検察庁の担当者から意見を聞くことにしている。消費者保護委員会によれば、タバコの陳列を違法な広告として禁止する保健省令は消費者保護法に違反していないという。しかし、新聞社の調査などによれば、販売のための陳列を広告と考えることには違和感を覚える人が少なくないようだ。(バンコク週報)2005年11月14日

 法律が変ったのではなく、新たな保健省令が出されたようですね。確かに販売のための陳列と広告は異質なもののような気がします。
 
 さて今夜は市内へローイグラトン見物、観光客や地元の人でたいへんな賑わいだそうです。子供たちや妻は毎年のことなのでもう結構とのことで、義弟と一緒に二人で出かけることになりそうです。この様子は次回のお便りで。それでは。<らいぶ>







ロイカトーンの発音について
 らいぶさんがローイグラトンと書いてぼくがロイカトンじゃ表現が一致してませんね。同じページなのに。
 らいぶさんが、最初の文字がゴーガイ(ニワトリのゴ)なので濁音表記するというのは以前からのらいぶさんの姿勢ですね。正しくは鼻濁音ですがカタカナにそれを表す能力はありません。ぼくはぼくの書いた「一所懸命」を「一生懸命」に直してしまった校正者のような不粋なことはしません。著者の意見を尊重します(笑)。

 この問題は毎度のことですがタイのことを書こうとする日本人にはいつもつきまといます。ぼくはクイッティヤオをクイッテオと簡便に書くようにここもロイカトンと最も単純に表記しています。

 タイ語の綴りを打つのが大変なのでアルファベットで代用すると、Loy Krathongのようです。二重子音なのでクラトンのクとラを一気に発音してカトンですね。



 二重子音のことを考えるといつもHさんのことを思い出します。ことばを耳で覚えたHさんは「門」のことをパトーと言い、ぼくを初めとする日本人がプラトーというのを嫌い、ある意味軽蔑していました。その理由は「現地のタイ人でブラトーなんて言う人はいない。みんなパトーと言っている」でした。
 でもこれも二重子音でプラトーを一気にパトーに聞こえるぐらいに言うのが正しく、最初からパトーと発音するのは明らかな間違いです。タイ人の発音を耳を澄まして聞けば、明らかに日本語のパトーとは違うことがわかります。これは現地主義にこだわるあまりの弊害でしょう。
 かといってHさんに二重子音なんて説明してもリクツを振りかざすイヤなヤツと思われるだろうと黙っていました。人とわかりあうのはむずかしいものです。



 さてネット上ではなにが普通なのかと調べてみました。その時点ではぼくの手抜き「ロイカトン」はないと思っていました。なにしろダイアナ・クラルで調べたらひとつもヒットせず、いったいどういうことだとDiana Krallで調べ、日本では「ダイアナ・クラール」と伸ばさないと該当しないのだと知り憤慨したばかりです。
 いちばん普通なのはロイカトーンでしょう。らいぶさんのローイグラトンもかなり異色のはずです。

 案ずるより産むが易しで、ロイカトーンは当然ですが、ローイグラトンでも、ロイカトンでも続々とヒットしました。チェンマイに何年も住んでいた顔なじみの佐竹さん(「チェンマイ通信」)がぼくと同じロイカトンといちばん安易なのを使っていたのはちょっと意外でした。
 それで思いました。らいぶさんに準じてローイグラトンに統一しようかと思っていたのですが、このままバラバラにしておいたほうがせっかくYahooが検索で優遇してくれているのだから、より効率的であろうと。よってこのままで行きます。これで3種類のどれで検索してもここが引っかかることになります(笑)。

---------------

●コームロイ、コームファイについて
《ベッドサイドにあるフード付きの電灯も「コームファイ」》は知りませんでした。勉強になりました。とはいえ今後の人生でコームファイを使うことがあるかどうか……。

 コムロイが夜空に浮かんだ美しさは先日テレビで見たばかりでもありまぶたに浮かびます。日本のニュース映像でもコムロイと同時に打ち上げ花火をやっていましたが、むかしはきっとなかったろうし、静かにコムロイが浮かんでゆく音のない世界の方がいいのにと思いました。
 あ、コームロイ、コムロイの不統一も意識的です。

 市内のお祭りはどうなんでしょう。うるさくていやになったなんて感想でないことを願っています。そういやロイカトンはアユタヤスコータイでもやってますね。アユタヤは河があるからチェンマイ的なのでしょうか。古都スコータイのロイカトンも美しそうです。

 日本は寒くなってきました。<kamezo>

---------------

【附記】まさかローイグラトングまで!
 カトーンの最後の文字はゴーグー(ヘビのゴ)かと考えていたら、「もしかしたら世の中にはローイグラトングと書く人もいるかも」と思いつきました。「まさか!」です。でも北部の町ファンをファングと言ったり書いたりする人が現にいるのですから可能性はあります。
 あれにはさすがに着いて行けません。Hさんのパトーが二重子音の発音を省いているなら、これは飲み込んで発音しないグを丁寧にも掘り起こしていることになります。

 いくらなんでもと思いつつ一応検索してみたら見事にいました。一件だけ。

http://www.diaryinbangkok.com/archives/2005/03/index.php
「バンコク留学生日記──専門書のタイ語」


 ここでの思いがけない効用はタイ語の文字を見つけたことでした。それが以下です。いまぼくの『ホームページビルダー』では表記されていませんがアップすると見えるはずです。見えない人もいるのかな? unicodeならだいじょうぶのはずです。

 ลอยกระทง / ←タイ語のロイカトン

 ネットでたったひとり見つかったこの人はバンコクに留学しているらしく、日本のタイ語本におけるいいかげんなカタカナ表記を激しく批判していました。ロイカトンもローイグラトングが正しいと主張しています。

 う~ん、しかしどうなんだろう。この人からしたらぼくのロイカトンなんて問題外だし、らいぶさんのローイグラトンですら末尾のゴーグーの発音を正しく表記していない半端なものになってしまいます。
 でもこれを言い出したらタートンはタートングだし、メーサリアンもメーサリアングだしと、そこいら中末尾のグだらけになります。ホンコンもホングコングだし。バンコクもバーングコックですか。
 だいたい飲み込んで発音しないグを表記すべきなのかとなります。



 ひとつだけ確実に言えるのは、バンコクに留学し学んでいるからと言って、居丈高に自分だけが正しいと思って意見を言っているこの人の姿勢が狭小ということです。
 この人の意見は「自分はバンコクで専門に習っているからわかる。今までの人は耳から聞いただけでカタカナに直し、タイ語の読み書きすら出来なかったのだろう。そのことによってそれで学んだこちらがいかに迷惑を受けてきたか」に基づいています。
 これはぼくの嫌いな頭でっかちサヨクと同じ論法ですね。

 言っていること自体は正しいとしても主張の方法によっては人はついてゆきません。共産党と同じです(笑)。なぜこの厖大なネット世界で「ローイグラトング」がたったひとりなのか、すこし冷静になって考えるべきでしょう。でもこんな場合共産党は、人民がバカだからと解釈します。この人もネットにひとりだけなのは、正しいのが自分一人しかいないからだと考えるのでしょう。

 先日ぼくにメイルをくれたラワンクル先生は、ぼくの乱暴な記述で不愉快になった部分もあろうに、「著書の紹介ありがとうございました」とおとなの対応をしてくれました。これぞ川もゆるやか、人もゆるやか(by『地球の歩き方』)のタイ人の心の広さです。
 日本語のカタカナ表記がまちがっている、気に入らないと言って怒っている人は、せっかくバンコクに留学しているのに、タイから学ぶ最も大事なことを忘れています。イラついちゃいけません。「こんな表記法はどうでしょう」と腰を低くして提案したら賛同する人も多いと思います。

 ラワンクルさんからメイル


============================================


●私なりの反感(11/16)
 検索で行き当たった上記「バンコク留学生日記」の「ローイグラトング」をクリックしたら、下記のようなところに出会った。

 http://www.diaryinbangkok.com/archives/2003/11/index.php
「娼婦の見分け方」

 そこで「僕はいま25歳。職業は大学院生。両親からの潤沢な仕送りと好待遇の時間給労働で、それなりに日本人としては普通の生活を送ることに成功しつつある」という著者が、ゴーゴーバーに行きたいと友人を誘って出かけ、田舎から出てきたタイ娘と娼婦に関して論じている。ご丁寧にそのあとには大学生の彼女のことも書いている。しかも彼女のほうからつきあって欲しいと言われたと彼女の家柄まで書いて。

 非常に不愉快になった。タイに関する文章を読んでこれほど不愉快になった記憶もそうはない。彼の文章には「出来るだけ高学歴のタイ人とつきあうようにしている」なんて表現もたびたび出てくる。



 共産党議員には高学歴、しかも東大卒がやたら多い。そういう人が無学で低収入な人たちを救うのだと高邁な理想論を主張している。
 でもなぜかその主張は、同じく高学歴高収入の人たちには支持されるものの、肝腎の無学歴低収入の人たちからはそっぽを向かれたままだ。議席は減るばかりである。それを彼らは「庶民は自民党にだまされていて目を覚ましていないからだ」と解釈している。
 だが現実は、目を覚ましつつあるからこそ共産党の議席が減っているのだ。

「両親からの潤沢な仕送り」で暮らしている日本人大学院生に、地方から出てきてバンコクで娼婦にならざるを得ないタイの田舎娘のことを、したり顔で語って欲しくない。

 もしもこういう人が将来、日タイに関する重要な役職に就くようなことがあるなら、お先真っ暗である。でもそうなるのかもしれない。外務省の闇を思った。

 最新の日記を読んだら、彼のことをしつこく批判する人がいるのだとか。
 その人の気持ちがわかる。タイに関する文章を読んでこんなに心がささくれだったのは初めてだ。いわば最もタイに行ってはならない人が行ってしまい、しかも「潤沢な仕送りと好待遇の時間給労働」で、タイをわかったつもりになっている。高所大所からわかったふうなことを書いている。最悪である。

 救いはブログで赤裸々に自分をさらしていることだ。これなら反論が出来る。まともなタイ好きなら批判したくなる。もっともこういうタイプは鉄面皮なのでなにを言っても通じないのだろう。共産党員がそうであるように。

 いやはや気分が悪い。

---------------

【附記】超有名人だった!(11/17)
「ローイグラトング」の検索で知った人だったが、この人のブログタイトルで検索してみたらすごい数がヒットした。それがみな2ちゃんねる。行ってみると「危ない海外」だった。
 それでこの人が2ちゃんねるで「千件のレスで満杯になるスレッドがすでに13も立てられている超有名人」だと知った。こんな人もめったにいない。

 是否はともかく、彼の語る「タイ論」が多くのタイ好きから反感を持たれたことは確かなようだ。かくいうぼくも遅れてきたそのひとりになったわけだが。

 もう過去の2ちゃんねるのそれらは読めないのだが、唯一読める現在進行形のものから知ると、出身は多摩大学で東大系のエリートではないようだ。多摩大学という名は初めて聞いたがたいした大学ではないだろう。だからこそタイ最高のチュラロンコン大学に留学して浮かれているのか。
 大学を出てから就職して7ヶ月で退社。どういう経緯なのかチュラへの留学が叶い、親からの仕送りでそうなったらしい。そのとき23歳でいま27歳ぐらいか。
 どうやらチュラへの留学はタイ語講座の受講であり、これは誰でも出来るようだ。初期のレヴェルを読んでみるとぼくでもまちがいなく入れるだろう。よってこのことはたいしたことはない。そこからがんばって外国人用の修士課程枠に入ったらしい。これはがんばったのだろう。

 タイ語の表記だが、最初のころは普通に「チュラロンコン大学」と書いている。それがタイ語を学ぶに従って「ヂュラーロンゴーン」と変化してくる。それは学ぶことによって得た変節だから良い。問題はその人の姿勢だ。「むかしのおれはまちがっていた。恥ずかしい。まちがった知識を教えた語学教科書が憎い」を前面に出すと、「戦前は暗黒だった」と同じ単細胞になってしまう。



 脱線するが、戦前の昭和がよい時代だったことは生きている人たちがみな口にしてくれるようになった。野球のストライクなんかも敵性語だからと使ってはだめになり「よし」にせねばならなかったなんて嘘も今ではバレている。政府にごまするプロ野球では一時それにしたが、当時プロ野球より人気があった学生野球では相変わらず英語だったと高島俊男さんも書いている。マッチだってパーマだってみんな使っていた。ことばとはそんなものだ。これらは戦前を闇黒と伝えたいサヨクのデマゴーグである。

 昭和17年、18年でもネオンは灯っていて、真にひどい時代は昭和19年から敗戦、その後の復興期だけと言われている。それは競馬のような贅沢な遊び、その象徴である日本ダービーが中止されたのが、敗戦の昭和20年と21年の2年だけであることからもわかる。
 なのに「昭和ということばからは戦前の暗黒時代を思い出す」と「昭和の日」制定に異を唱えるのだから社民党あたりは正気と思えない。昭和の63年間にどれほどの暗黒があったというのだ。
 日教組の教師に指導され、「戦争中はストライク、ボールとも言ってはならなかった」と覚えさせられた身が悔しい。



 この人も同じように「ヂュラーロンゴーンをチュラロンコンと言っていた自分が悔しい。ローイグラトングをロイカトーンと言っていた自分が恥ずかしい。教えたタイ語教科書の著者が憎い」と思ったのだろうか。

 初期の日記を読んでひとつ感じたのは、この人は今まで熱心な勉強をしたことがなかったらしいということだった。タイの大学に留学して語学コースから退学させられないよう初めて本気で一日に何時間も勉強したようだ。そのことを「高校生のときにこれだけ復習していれば、きっと僕も一流大学に入れていたに違いない!」とビックリマーク付きで書いている。この辺が解明の糸口だろう。

 ぼくは最初この人をその口ぶりからエリートかと思ったのだけれど、そうではないようだ。熱心に勉強したことのない人がたまさかして、そのことによって目覚め、なにか勘違いしたと採るのが適切のようだ。いわば本当は貧乏育ちの叶姉妹が整形手術をして偽セレブを演じているように、たまさかの熱心な勉強で自分を高いところに到達したと思いこんでしまったのであろう。悲劇と言えば悲劇。喜劇と言えば喜劇。


 
 その今でも読める2ちゃんねるを読んで笑った書き込み。

トムヤムクン の検索結果 約 52,100 件
トムヤムグング の検索結果 約 9 件 ケイイチのHPだけしかヒットしない


 トムヤムクンもトムヤムグングと表記しているらしい。ことばの基本は通じることである。トムヤムグングと言われてわかる日本人はいない。またこれからも決してトムヤムグングになることはあるまい。ローイグラトングにも。
 またこの人はチェンマイのことは「チアングマイ」と表記している。
(註・「ケイイチ」というのがこの「バンコク留学生日記」を書いている人の名らしい。)

 ただし、そういう主張はそれなりに意義あることだと思う。がんばってタイ語の教科書を書き自説を主張すればいい。
 考えるべきことは、なぜそれほどまでにタイ好きから反感を持たれるかだ。大事なのはそっちである。

 ぼくがこの人を知るきっかけはタイ語のカタカナ表記だった。そのこと自体に問題はない。だがその文章から唯我獨尊的なイヤな印象を受けた。ついで前記の娼婦に関する文を読んで反感を抱く。何様のつもりだ、と。2ちゃんねるに書き込んだ多くの人もそうだったろう。問題はこの人の「タイを語る視点」にある。

 30以上の日本人男はタイに長期滞在するな、が持論の彼からするとぼくのようなのは絶対にタイに行って欲しくない人物になるわけだが、その言葉はそっくりそのまま彼に返そう。こんな人はタイに行っちゃだめだ。タイのためにも、この人のためにも。
 でも心配した外務省はないようだ。よかった。

============================================

参考──2004年1月2日の日記文──「バンコク留学生日記」より

タイ留学を始めてから約2年2ヶ月。周囲にいる日本人の友人たちには声高に主張できずにいるものの、依然、僕の「タイ人とは結婚すべきではない」という考えには変わりはない。無論、他人がどのような人生を歩もうが、僕はそれに対して難癖をつける気はないし、再考を促すものでもないけれども、やはりどうしてもタイ人が日本人社会に本当の意味で受け入れられるのかどうかという点には疑問が残るのだ。・・・正直なところ、疑問どころか、確信を持って「それは不可能だ」と断言すらできる。

僕にとっての、タイ人との結婚を可能とする条件。それは、タイに永住するか、もしくは多国籍国家「アメリカ合衆国」で永住することしかない。しかし、僕にタイに永住する気が全くなく、かつアメリカへの帰化がきわめて困難である以上、必然的に残された選択肢は「日本で共に暮らす」ということに限定されることになる。ところが、その日本における地域社会がアジア人との結婚に対して根強い偏見を持っている以上、僕の力では周囲の偏見に対して全くといって良いほど打つ手がないし、それでは彼女があまりにも気の毒すぎると思えてならない。また、他人が自信満々で言う「俺の力で周囲の考え方を変えるのだ!」という宣言は単なる妄想の類にしか聞こえてこないし、「愛し合う二人が一緒に人生を送ることが人間としての至上の喜びだ」という主張も、今ひとつ現実を直視せずにものを言っているようにしか思えない。

そもそも、「彼はフィリピンから奥さんをもらってきてね、・・・」という表現があること自体が、日本人社会のアジア人蔑視を象徴しているような気がする。

結婚を余儀なくされるという事態を回避しながら続ける現地での女性関係。こういった前提がある以上、僕としてはどうしても自分を納得させられるような行動をとれずにいる。

「それならば、現地の女性と関わらなければいいじゃん?」

という主張が実際にあるのも事実なのだけれども、そういった主張を入れられないのは僕が弱い人間だからなのだろうか?

 ぼくのこの人への反感は決してここに書かれていることに対する異論があるからではない。その奥にあるもの、タイ人との国際結婚の否定という具象的なことに限らず、その奥底にある根元的なこの人の狡さが見えるからである。
 でもこういう人はよくいるし、そしてまたこういう人に限っていつも女には不自由しなかったりする。この人も訪タイしてすぐに女子大生と16ヶ月も同棲する。彼女と別れてからも不自由していないようだ。
 もてようがもてまいがどうでもいい。断言できる。つまらん男だ。
 あ、男から見てつまらん男ほど女にはもてるというのも悔しい真実である(笑)。

---------------

参考②──2004年2月9日──「バンコク留学生日記」より

日本語を勉強して、日本人を知れば知るほど、日本がどんどん嫌いになっていく。そんな話は日常生活の中でよく聞く話だ。

今晩は、日本語検定2級を持っていて、バンコク市内の日系企業で働いているタイ人の友人と長電話をしてしまった。彼らの話を簡単に要約すると、「日本人労働者はタイ人をなめている」ということだった。

そんなことは当然の話で、タイに進出してきている企業は「若干質が低くても構わないから、とにかく安価な労働力で」生産活動をするためにここタイに来ている。さらに、貧しい日本人中産階級はわずかな所得の違いにより他者との優劣を評価する傾向にあり、日本国内よりも所得水準が低い現地採用とはいえ、それでも日本人とタイ人との所得差は2-5倍程度ある。

とりあえず、「俺がタイ人だったら絶対に日本語を勉強することはないだろうし、日系企業で働くことなんて絶対にあり得ないはずだ」と答えておいた。必死に日本語を勉強してきた外国人が、日本人により日本に失望させられてしまうとは非常に気の毒な話だ。

しかし、それがタイにおける日本人社会というものだ。仮に、僕ひとりが努力ようとも、事態を改善することなどとてもできそうにない。

 なにもしゃべる気にならん。《「俺がタイ人だったら絶対に日本語を勉強することはないだろうし、日系企業で働くことなんて絶対にあり得ないはずだ」と答えておいた。》を読んで気分が悪くなった。

 なお無断引用はよくないことですので、親しいみなさんに読んで頂いたら数日後に引用文は削除します。
 一部を読んだだけでは失礼なので、確認のため4年分の全日記を読んだ。流し読みだが朝までかかってしまった。疲れた。なんともちいさな文字にどうでもいいよけいな情報が詰め込まれた読みづらいホームページである。

11/17(木)  第三便──ローイグラトン自重の日
 
 ローイグラトンのイヴェントは14日(月)から始まり17日(木)で終りです。16日が満月でこの日が最大の山場となります。
 市内へローイグラトン見物に出かけようと思ったのですが、某軍人筋からの情報(マスコミではなく)でイスラム過激派がチェンマイに入り込み、テロを起こす計画があるとのことで取り止めました。

 私はさほど心配ではなかったのですが、妻がとても心配し、TVでも見れるからと説得されやむなきに至りました。実際のところ何も無かったのですが、いや停電があったのですがテロとは無関係でした。タイ南部ではつい先日も9人の市民がテロにより銃殺されています。テロに対して敏感にならざるを得ない状況が現実的にあるので、たとえガセネタでも慎重になってしまいます。

 さて今日はローイグラトンの最終日、昨日一昨日と何も起こらなかったので、決死の覚悟(笑)で今日は市内へ出かけてみることにします。さて、どうなることやら…。この様子は次回のお便りで。

---------------

 「私なりの反感」拝見しました。バンコク留学生ですか、ただ一言「おとついきやがれ、バーロー」の世界です(笑)。
 まあ、世の中にはいろんな人がいるもんだ、ということで気にしないことにします。それにしても「トムヤムグング」には思わず失笑してしまいました。こんな表記方法に一体どんな意味があるのでしょうかね。子音の「T」「P」などの有気音・無気音の区別や母音の「U」、長母音の「O」などの区別はどう表記するつもりなのでしょうか。一度尋ねてみたいものです。いや、こんな人とは関わりたくないのが本音ですが(笑)。実はかくいう私もタイ語学習当初は、彼と同じような表記をして自己満足にふけっていたものです。青かったなぁ…。

 二重子音や発声時の「ローリン(L)」「ロールア(R)」の省略ですが、確かにHさんのおっしゃるとおり「現地のタイ人でブラトーなんて言う人はいない。みんなパトーと言っている」(様に聞こえる)のですが、発声の際二重子音を意識するのと意識しないのでは大きな違いがあります。
 またTV番組を見ていれば、ニュースキャスターや俳優がきちんと二重子音やL・Rを発声していることに気づくはずです。このところのTVニュースはローイグラトン関連の報道が多いのですが、ニュースキャスターはみなはっきり「グラトン」と言っているのが聞き取れます。

---------------

 話は変わりますが、先日のTVドラマに女優のワッサナーさんが出演していました。「タイ語学習の思い出」に出てくる旧姓水野ワッサナーさんです。若い頃はヒロイン役をはっていた彼女ですが、このところは老け役(失礼)でしばしば目にします。
 水野氏とはもうとっくに離婚し、タイ人と再婚され幸せな生活を送っておられるとか。
 水野夫妻は私がタイ語学校に通っていたときの教師でした。私は直接水野夫妻に教えてもらったことが無かったのですが、学校に通うたびに見掛けていました。可愛い娘さんが一人いらしたのですが、もう成人し立派な大人になっていることでしょう。別の教師(日本人)が「水野先生のお子さんはまだあんなに小さいのに、有気音と無気音の発声が完璧よね」と褒めていたことを思い出しました。私は未だにその区別が上手に出来ず、よく子どもたちに発音を直されます(笑)。



 さて、まもなく義弟がオートバイで迎えに来るようです。妻からはくれぐれもアメリカ大使館や関連施設には近づくなと念を押されました(笑)。それではローイグラトン最終日の市内へ行ってきます。  <らいぶ>







テロのこと
 あれだけ賑やかなお祭りですし、イスラムの嫌いな白人キリスト教徒も大勢来ていますから効果的なテロかもしれません。ありうることだと思います。ヒンドゥー教のバリでもありましたし。
 バーミヤン遺蹟の破壊でもわかるように彼らは佛敎徒も認めてません。無事であることを願っています。奥さんの心配がわかります。

 タイは穏やかな外面とは違って意外な軍事国家ですよね。徴兵制もありますし。イスラム諸国との軋轢はあるのでしょうか。不勉強にして知りません。
 こちらでは──といってもそちらでも流れているでしょうが──韓国を訪問したブッシュ大統領が北朝鮮贔屓のノ大統領にうんざりしていました。韓国のあの大統領はだめですね。

---------------

ワッサナーさんのこと
 ぼくはタイ語テープの美しい声に惹かれて熱心に勉強しただけなので、ワッサナーさんが女優であったことすら知りませんでした。さらにはらいぶさんがタイ語学校に通っているころ、水野夫妻(当時)を見かけていたことも初めて聞きました。二十年ぐらい前でしょう?
 そのころらいぶさんも獨自の表記に凝ったりしていたんですか(笑)。まあ誰もが罹るハシカみたいなもんなんでしょうね。ぼくも若かったら罹ったように思います。若いときは「おれはその他大勢の他人とは違う」と思いたがるんですよね。まだ確立した自分がないし、それしか自己主張がないから。そのうち過ちに気づきます。若いことはほろ苦いです。

 ワッサナーさんの容姿を知りませんが、今も中堅女優として活躍しているのなら、ぼくもチェンマイのテレビで見かけたことがあるのかも知れません。タイ語の勉強と思い、おもしろくもないタイのドラマ(好きな人ははまるようですが)を見るように心がけていた時期があります。教えてもらったら「ああ、この人なの」となるのでしょうか。
 いやさすがにあれだけ聞き込んだテープだからテレビから流れてきたら声で気づくはずです。やはり見たことはないのでしょう。

 タイのわざとらしいメロドラマは韓流ドラマに似ていますから、売り込みによっては日本でも受けるかも知れませんね。ぼくは韓流はもちろん日本のテレビドラマも見ませんが。

 一時は電車の中でウォークマン、クルマの中でCD、寝るときにもテープを繰り返しで流しっぱなしにするほど凝ったタイ語の勉強ですが、今ではすっかりご無沙汰です。それでも先日、北朝鮮拉致被害者の増元さんがチェンマイの同じ被害者のお兄さんを訪ねたとき、お兄さんのことばが字幕いらずでわかったときはうれしかったです。

---------------

義弟
 早いもので彼の結婚式に出てからもう3年、というか年明けで丸4年ですね。夫婦仲がいいようで安心しています。らいぶさんはあの結婚式だって結納から費用までもった陰の主役でした。でもでしゃばらず、うしろにいて、ほんとうに立派な義兄だと思います。奥さんはしあわせですよ。もっと感謝しろ! です。でも現実はらいぶさん、尻に敷かれてますけど(笑)。ただ、奥さんを持ち上げていばらしておくのが家庭円満の秘訣なのかも知れませんね。ぼくもそんなことがわかるようになりました。

 本物の結婚式に出られたことを今もうれしく思っています。そしてまたチェンマイであの日、らいぶさんの結婚式にニアミスで出られなかったことを残念に思います。あの日の『サクラ』は覚えていますから、今も。
 
 ぼくが子供のころ、田舎の結婚式はタイと同じく自宅でやりました。家の襖障子を外して結婚式場とし、紋付き袴の新郎と、文金高島田の花嫁が並んでいました。近所にそれがあるとみんなで見に行ったものです。
 新郎新婦に三三九度のお酒を注ぐ儀式があり、それは親戚の7歳前後の子供が男女で担当します。正装して。ぼくも何度かやったものでした。
 今じゃ町のホテルでウェディングケーキのようです。つまらん国になって行きます。キリスト教徒でもないのに教会で結婚式を挙げる感覚がわかりません。


自宅内の結婚式場。僧衣のお坊さんが壮観。


新郎新婦の固めの儀式。ともにタイの民族衣装が美しい。


出席者全員が新郎新婦にサイシン(手首に糸を巻き付ける)をし、お祝いの言葉をかける。
ぼくも参加しました。


庭に設けられた宴会場

 いい結婚式でした。早いなあ、もう4年か。
11/19(土)  第四便──ローイグラトン最終日──旧友と
 ローイグラトン最終日、市内へ出掛けました。義弟と車で市内まで行き、オートバイに乗り換えて市内見物へ。どこもかしこも人だらけでバイクでも思うように動けず、バイクを預け徒歩で行くことにしました。久しぶりに再会したタイ人男性のY君も合流し、三人でまずはビールで乾杯。昔話に花が咲きます。

 ここで初めて今年9月にプーカムインホテルが倒産し、銀行に差し押さえられたことを知りました。室内の調度品やエアコンまで全て持ち去られたそうです。1階にあった日本食レストランは、同じ名前ですぐそばに移転していました。縁があるのでオーナーのTさんにご挨拶、お元気そうでなによりです。後で聞いた話ですが、新しい場所は家賃がべらぼうに高く経営も大変だとか。心中お察し申し上げます。

 さて、まずはターペー通りのパレード見物からです。きれいに厚化粧をした(笑)、民族衣装を纏った娘さんたちが主役です。輿に乗った娘さんや、伝統音楽を奏で踊りを披露しながら行進する娘さんたちを眺めながらピン川へ向かいます。
 アルコールも手伝って、Y君は日本娘を見掛けると得意の日本語でナンパしまくり(笑)。橋の袂まで着くとコームローイ売りの若いお兄ちゃん、娘さんたちがたくさんいます。大・小さまざまな大きさのコームローイ、中には花火付のもあります。値段は35~75バーツぐらいで、交渉しだいでは値引きも可能。私たちも大盤振る舞いで一人1個のコームローイを手に入れ、願いを込めて夜空に放ちました。さすが最終日だけあって、たくさんのコームローイが夜空一面にオレンジ色の輝きを放っています。ときどき打ち上げ花火もあがり、夜空を彩っていました。

 ピン川の川岸に下りて、息子が学校で作ったグラトンを流します。ピン川にはムーバーン内の小川とは比較にならないほどたくさんのグラトンが流れ、その眺めは言葉に尽くせません。今年から大きな花火は原則的に禁止されたと報道されていましたが、川岸では大勢の人が川面に向かって花火を打ち上げています。暫くその場に佇み、流れ行くグラトンや夜空を彩る花火・コームローイを眺めていました。
 さてボツボツ行こうかと話していたところでアクシデント、ずるりと滑って川にボッチャン…。幸い両脚だけですみましたが、義弟とY君は大笑い。少し酔っ払ってしまったようです。パレード以外にも市内のあちこちに特設ステージが設けられ、さまざまな出し物が催されているようですがもう十分、今夜はお開きとしました。

 花火や爆竹で大騒ぎするファランは見かけませんでしたが、まだ年端の行かぬ若いタイ人男女が、奇声を上げてオートバイで市内を走り回っている姿をたびたび目にしました。おそらく免許を持てる年齢ではないでしょう。行く末に一抹の不安を感じます。

 さて、翌朝。子どもを学校まで送った帰りにピン川の川岸を通りました。まだいくつかのグループが川岸で花火をあげたり、車座になって談笑していました。徹夜でもしたのでしょうか。また、川岸や道路はまさにつわものどもが夢のあと、たくさんのごみが散らかっています。ここ数日のローイグラトン騒ぎの大きさを物語っていました。

 上記のY君のことに少し触れておきます。
 彼はほぼ獨学で日本語を学び、日本人の娘さんを娶り幸せに暮らしています。難関の日本語ガイド試験にもパスし、来月にはツアー会社への就職も決まりました。彼の人生は日本語を学ぶことによって大きく開けようとしています。
 一面的な捉え方や相手への迎合は、自らの弱さの証左であることを誰かさんは学ぶべきでしょう。  <らいぶ>






 
 らいぶさんへ。18日に第四便をもらっていながらアップが遅れたことをお詫びします。理由はご理解ください(笑)。

 ロイカトンは思ったよりも乱れていないようですね。よかったです。誰だったか、バクチクが鳴り響き、今じゃソンクランよりも大騒ぎだと書いていた人がいたので気にしていました。でも十五年前にぼくが観たときよりはだいぶ賑やかのようです。

 ブーカムインが倒産ですか。ぼくは10回も泊まっていないし、さしてなじみのあるホテルではありませんが、知人のMさんやIさんの定宿だったので、出入りした数はかなりになります。当時からフロントの応対はあまり感心したものではありませんでした。ロイクロー通りという、あれだけのいい場所にありながらの倒産はよほど経営に問題があったのでしょう。まあ没個性のつまらないホテルでしたね。

 日本食レストランは移転したのですか。でも存続していて安心しました。なにしろ前経営者の奥さん(笑)と現経営者Tさんの条件面での通訳をやったのはぼくですから。
 Tさんは経営が難しかったら割合あっさりと手放してしまうのではないかと案じていましたが、けっこう腰を据えているようですね。その意味では見直しました。日本食レストラン乱立とはいえ立地は最高なのですからがんばってもらいたいと思います。

 Y君の順調なことをうれしく思います。日本語ガイド試験に受かったのですか。たいしたものです。ぼくも会いたいですね。彼は多くの使用人の中でもらいぶさんが褒めていた青年でした。逆にその人柄をらいぶさんが認めていなかった長野に婿入りしたR君はどうなったのでしょう。ルポ的に気になります。

「俺がタイ人だったら絶対に日本語を勉強することはないだろうし、日系企業で働くことなんて絶対にあり得ないはずだ」と答えておいた。
 これは、誰かさんの文章の中でも特に不愉快になった一節です。親に金をもらってバンコクに行き、こんなことを得意気に書いている日本人青年がいることに絶望します。しかし決して彼のような人ばかりではありません。今回は2ちゃんねるの書き込みに救われました。

 一ヶ月前ぐらいだったでしょうか、クライン孝子さんが2ちゃんねるに誹謗中傷されたと激怒したことがありました。そうしてご自分の日記で2ちゃんねるをボロクソに書きました。
 するとすぐに2ちゃんねるに出入りしている何人かの青年から生真面目なメイルが届きます。要約すると「よく読んでみてください。むしろ肯定的な人の方が多いはずです。この流れはクラインさんが作った価値あるものなのです」となります。そうして、数少ない誹謗中傷に激怒していたクラインさんは、全部を読むことにより、しっかりした青年たちが育っていることにむしろ安心し、軽はずみに2ちゃんねるを否定したことを反省します。

 今回のことでぼくが得た最高のものは、ああいう困ったヒトが勘違いで吠えていることに憤懣やるかたない気分になったけど、その欺瞞性と俗臭、下衆の部分をしっかりと見抜き、的確に批判している青年が大勢いるということでした。これは本当に人生に勇気をもらった気がします。こんな時代だけど若者もあんなのばかりじゃないんだと元気が出ました。なにしろぼくが書こうとしたことをみんな先に書かれてしまいましたから。
 そしてまたそういう彼らを引っ張り出したのだから、彼は彼で存在価値があったのかも、と今は思っています。思うしかありません。そうとでも思わないと(笑)。

11/22(火)  第五便──公文式のことなど

 ローイグラトンも終り、平静な日々がやってきました(笑)。
 土曜日は下の息子のコンピューター教室です。ここではコンピューター以外に絵画やピアノ・ヴァイオリン・チェロや民族楽器など、主に子どもに対する情操教育のための教室が開かれています。息子はことのほかこの教室がお気に入りのようで、いつも早めに到着し授業が始まるまでネットゲームに熱中しています(笑)。コンピューター教室といっても、WORDによる英語やタイ語のキーボード操作が中心のようです。

 遅めの昼食をとりに、娘も一緒にサクラレストランへ。表の丸テーブルには常連さんの姿は無く、私の知らないタイ人のおじさんが一人ポツンと腰掛けていました。新しい主人でしょうか。従業員も知らない人ばかり、ピーシーのことを尋ねるとタラード(市場)へ買い物に出ているとのこと。ならばとクンルングはこのところお店に顔を出すのか尋ねてみると、「ナーンナーン マー」との返事。解釈に迷うところですが、あまり来ていない様子です。
 暫く粘ってみましたが結局旧知の人とは誰とも会えず、お会計を済ませ店を出る段になってやっと開店当初からの従業員の娘さんに会うことが出来ました。あのころのまま全く変わらぬ様子でした。

---------------

 日曜日は子どもたちが通う公文(タイ語でもクモン、最後にゴーグーが付きます。でも英語の綴りはKUMON)の表彰式がエムプレスホテルで催されました。チェンマイだけでなく、北部タイの公文教室の生徒さんとその保護者が多数参加してのセレモニーです。会場となったのは私が結婚式を行った同じ宴会場で、思わず懐かしさが込み上げてきました(笑)。

 アジア・オセアニア地区総責任者のDVDによるスピーチやタイ地区責任者によるスピーチのあと、生徒一人一人に金・銀・銅メダルなどが授与され、公文のテーマソング(?)である「DREAMS COME TRUE」を英語で合唱し、教材を最後まで修了したマヒドン大学医学部のお嬢さんによる激励のスピーチなどが続き、お茶とお菓子で歓談。
 なお、地区責任者の二人はいずれも日本人で、スピーチも全て日本語でした。二人とも公文の理念として三つの事柄をあげています。
 第一に学校で学習する内容より2学年、3学年先を自分の力で学ぶこと。第二に両親に感謝せよ。第三に…、忘れました。どーでもいいことのように思えたもので(笑)。
 公文式では教材や指導方法が確立されているにも関わらず、地区責任者が全て日本人というのはどういうものかと疑問を抱かざるを得ません。たまたまなのかも知れませんが…。

 私は中学校の「お受験」を経験したり、進学校に通っていた関係で、数々の塾や進学教室、通信教育による自宅学習などを経験してきましたが、公文式は全く知りませんでした。TVコマーシャルで羽生棋士の「やってて良かった公文式」で初めて公文を知ったほどです(笑)。
 小6の娘は現在公文で一次方程式を、小3の息子は分数を学習しています。当然学校での学習より先を進んでいます。私が小6の頃は、やれ鶴亀算だとか植木算だとかで、方程式を使わずに算数の問題を解くことが正しいと教えられてきました。でも実際に受験戦争に勝ち抜いた子どもたちは、方程式で算数を解いていたのですから、公文のやり方が正を得ているのでしょう。
 いずれにせよ公文式を殆ど知らないので、公文の是非を論ずるには至りませんが、私にとっては子どもたちに勉強を教えられるのは算数ぐらいしかないので、最後まで続けてもらいたいと思っています(笑)。

 本日(火曜日)やっと郵便局から、Yさんに頼まれたDVDを発送しました。すぐに送ると言っておきながら今日になってしまいました。タイ式ということでお許しください(笑)。
<らいぶ>

 追伸
 「バンコク留学生」のHPを見てみました。読むに耐えない文章が延々と続き、管理人さんのように「4年分の全日記」にはとても耐えることができませんでしたが、我慢してかなりの部分を読みました。気力も失せて何も言う気分になれません。
 気晴らしに普段は近づかないことにしている、2ちゃんねる「【祝】在タイに喧嘩を売る留学生」も見てみました。中には相変わらず誹謗中傷の類もありましたが、真っ当な書き込みも多く気分が少し晴れました。
 管理人さんが相手にするほどの男でないことは誰の目から見ても明らかですが、「わずらわしいが迷わず踏み込む」決意をなさった管理人さんに、心からの喝采をお送りします。相手の出方次第では私も黙っていません。







数学の価値

 先日、ビートたけしの教育問題に関する3時間特番がありました。ぼくはヴィデオに録っておき、石原慎太郎との対談の部分のみ真剣に見ました。あとは流して見ただけです。
 そこで「因数分解なんか実人生ではなんの役にもたたない」と言われる世間の風潮に関し、たけしが映画制作を例に取り、こんなことを言っていました。

「aとbとcという三件の殺人事件の現場を撮るとする。殺人事件をXとすると、因数分解を知らないと、ax、bx、cxと三件の殺人事件を全部撮影せねばならない。でも因数分解を知っていると、x(a+b+c)と出来るから、三人の存在に殺人事件を絡ませると一気に三件が処理できる。数学はこんなふうに役に立つ」と。

 ぼくなりの再現文なので半端ですが、言いたいことは伝わると思います。数学的思考というのは確実に人生に役立ちます。よくぞ言ってくれたとたけしに拍手を送りました。

 トムヤムグングとスイミンがイコールであることがわからない人、サヨクと同じ論法という比喩からオレをサヨク呼ばわりするのかと逆上してしまう人は、きっと子供時代から算数が出来なかったのでしょう。公文式を紹介してやってください。今からでも勉強すべきです。


11/23(水)  第六便──「チェンマイ便り」の基本

 今朝はだいぶ寒くなってきました。朝晩は上着が必要です。これでやっと乾季の入りを実感できるようになりました。日本はさぞかし寒いのでしょうね。我が家にもやっとケーブルTVが入りNHKが見られるようになったので、日本の様子がよく分かるようになりました。
 こちらではケーブルTVと呼んでいるようですが、実際にはケーブルで繋がっているのではなくアンテナを立てて衛星放送を受信しています。安い契約だったのでNHK以外にはインド、アラブ系、中国、韓国の番組だけで、漫画等が見られると思った子どもたちはがっかりしています(笑)。

 さて、今日は朝から実に気分爽快です。何故って、「バンコク留学生日記 ケイイチ氏の05年11月16日の文に関して」を拝見したからです。普段ならこの種の輩を全く相手にしてこなかったこのWEBサイトの主宰者(以下管理人さんと呼ぶことにします)が、私を始めタイに関わる多くの人々の思いを冷静沈着かつ理路整然と述べてくれました。感謝に耐えません。

 管理人さんによると、この「チェンマイ便り」へのアクセスが急増したとか。大勢の方がご覧になっているようなので(笑)、誤解の無いように少し書き記します。
チェンマイ便りbyらいぶ」は、私(らいぶ:プロフィールは冒頭)が管理人さんに宛てた私的なメイルを、管理人さんが往復信の形で手を加え、ご自身のWEBサイトに掲載されているものです。もともとは私的なメイルですので、誰かに読まれることを想定して書いたものではありませんし、親しい友人にも知らせていません。先日偶然WEB検索で辿り着いたという友人から、「この“らいぶ”っていうのは、おまえのことだろ」とメイルを貰いびっくりしたほどです(笑)。

 私は留学生氏が生まれる以前からタイと関わり、タイ人と結婚し二人の子どもを儲け、管理人さん始め多くのタイと関わる友人に恵まれ、タイにあっても多くの友人・親戚を作ることが出来ました。
 今回の騒動(いえ騒動などではなく、ただ単に留学生氏の一人芝居にすぎないのですが)の発端は私にあるので(笑)、将来日本とタイを結ぶであろう子どもたちの名誉のためにも、一言だけ言っておきます。
 ごく一部の世界を垣間見ただけで、全てが解ったような高慢な態度を改めなさい、そのためにタイまで来て学んでいるのだろうから。

 そもそも何故管理人さんのWEBサイトを「政治思想ホームページ」と決めつけるのでしょうか。少なくとも管理人さんは「4年分の全日記」を読破しています。最低限の礼儀すら知らない人間に、論争を挑む資格などあろうはずがありません。ありゃ、一言のつもりが二言三言になってしまいました。まっ、いいか(笑)。<らいぶ>





 

●ホームページ閲覧に関する考察

 彼が「政治思想ホームページ」と書いたのは、いわゆる「おまえのかーちゃんでべそ」路線ですね。なんとか相手を傷つけようと一所懸命考えて見つけた精一杯のそれが、あのような書きかただったのでしょう。なんかかわいいです(笑)。それに、ぼくの思想は右左で言ったら右だから、左の人に攻撃させようと思ったのかも知れません。

 らいぶさんがあらためて上記のことを書いてくれたのは、2ちゃんねるにおけるいいかげんな解釈に対する意味合いが強いように思います。それはぼくも感じていました。でもなんで今更そんなことを書かねばならないのかと考えると、興味深い事実が浮かんできます。

 今回ぼくは初めてアクセス解析なるものを経験しました。とはいえアチラのようにどこから来たのかわかるなんてスゴイものではありません。Yahooの各ファイルへのアクセス数がわかるだけのオーソドックスなものです。それを見てちょっと呆れました。
 このファイルだけが異様なアクセス数になり、その前後のファイルはまったく動いていないのです。2ちゃんねるでもぼくとらいぶさんの往復書簡という形式すら理解できず、アチラのシンパなのでしょうが、奇妙なことを書いている人がいました。「本名も学歴も書かず言いたい放題をしている」とか。

 あれは今時の若者の悪い例ですね。「なぜなのだろう、どうしたらいいだろう」と考えることが出来ないのです。
 この「チェンマイ便り──05年11月」を読んで思うことがあったら、「他はどうなっているのか」と思い、過去の「チェンマイ便り」を読めばらいぶさんのプロフィールもわかるし、そこからTopPageに行けば、ぼくの本名も仕事もみんなわかるようになっています。ぼくはそういうふうにこのサイトを作っています。ネットには、ひとつのファイルには行けるけど、そこからはどこにもリンクがなく動けないというサイトが多く、そういうふうにはしないように心がけました。
 このファイルの下部にはが着いています。それすら気づかない人にわかったふうなことを言われたくありません。いやわかっていても興味がないから行かないだけですね。要するに火事場見物の人にとって、興味は派手な火事を楽しむことであり、焼けた家の住人が誰であるかはどうでもいいわけです。それと同じ感覚なのでしょう。単なる賑やかしだから。
 この一部分だけを読み、ぜんぶをわかったような言いかたをするのは愚です。点の思考です。こちらは70MBのホームページをさらしているのだから、100kの1ファイルを読んだだけでわかったようなことを言われたのではたまりません。

 かといってぼくは70MBぜんぶ読めと言っているのではありません。人にそんな苦行を押しつけるつもりはないし、自分のホームページにそれだけの価値があるとも自惚れてはいません。
 言いたいのは「100kの1ファイルを読んだだけなら、発言も100kの1ファイルレヴェルにとどめるべきだ」ということです。最低限の礼儀の世界ですね。

---------------

 2ちゃんねるの書き込みに、ぼくがここに書いたアチラの「高校時代にこれぐらい復習していれば一流大学に入れた」を引き合いに出し、「みんなこんなこと知ってた? おれ初めて知った」と書いている人がいました。雰囲気で参加しているだけでまともにアチラの文を読んではいないのでしょうか。それとも読んだけれど見逃したのでしょうか。かくいうぼくも意地で通読しただけで心に残っているものはほとんどありませんが。

 お詫びと訂正──11/24

2ちゃんねるより

997 名前:806[sage] 投稿日:2005/11/24(木) 02:18:50 ID:Kf0DJNtr
今チェンマイ便りを読んだが、
『2ちゃんねるの書き込みに、ぼくがここに書いたアチラの「高校時代にこれぐらい復習していれば一流大学に入れた」を引き合いに出し、「みんなこんなこと知ってた? おれ初めて知った」と書いている人がいました。雰囲気で参加しているだけでまともにアチラの文を読んではいないのでしょう。その意味ではアチラに同情します。』
と書いていたけど、833で書いたことかな。2002年1月4日のでしょう。あの台詞は。

998 名前:806[sage] 投稿日:2005/11/24(木) 02:23:07 ID:Kf0DJNtr
実は大体どのへんにあるかしか覚えていなくて、急いで斜め読みして見つけたんですが。
あの日記は本当に目が疲れる。


 あの日記は目がチカチカして疲れますね。ましてくだらん自分自慢と見当違いのタイ批判で内容のないサイトですし、一々その内容を把握するのは疲れます。まあ「把握」なんてことばは必要ないですけど。
 ぼくも一応通読したけど覚えている箇所はすくないし、見逃しているところも多いでしょう。同じく急いで斜め読みしただけですから。
 この件に関して、たまたまぼくは目にとめ、あなたは見逃しただけですね。事情も知らずかってなことを書いて失礼しました。「アチラに同情します」を削除し、お詫びして上記のように訂正します。

-------------------------------

 ぼくは彼のことをここに書いたとき、最低限の礼儀と思い4年分をぜんぶ読みました。いやそりゃつらかった(笑)。あの文を4年分を読むんですからね。それとはべつに、フォントがちいさいので、ブラウザで150%に拡大せねばならず、ファイル毎のその処理が面倒でした。それでも字が小さくて目がしょぼしょぼしました。なんで「ローイグラトング」なんてのを検索したのだろうと悔やみましたよ(笑)。それさえしなきゃこんな不愉快な思いをすることもなかったのにと。しかしそれでも読破しました。それが礼儀ですから。つまらなかった。

 『日刊ゲンダイ』というのは、「いつでも反対」をテーマにしています。それが姿勢です。とにかく目立ったものはぜんぶこきおろします。いま小泉政権をボロクソに言っていますが、誰が政権をとっても同じです。今は民主党政権を望んでいますが、民主党が政権を取ったら今度は平然と「まだ自民党のほうがよかった」と書き始めるでしょう。創刊した三十年前からずっと同じです。

 2ちゃんねるにもそういう傾向があります。こんなことに関わっていたら、今度は「おっ、こいつをいじめよう」とこちらに向かってくる輩が必ず登場します。そろそろ登場する頃でしょう。文章が本人ととてもよく似た人が(笑)。そんなのとは関わらないようにしないと。
11/26(土)  第七便──誕生会

 既に乾季に入っているというのに、南部では降雨による洪水の被害が深刻のようです。ソンクラー県では実に20数年ぶりという洪水に見舞われ大きな被害が出ています。チェンマイではこのところ全く雨は降らず、朝晩寒さを感じる日々が続いています。

 今回の里帰りに、この時期を選んだ主な理由は三つありました。
ローイグラトン初体験
②息子の誕生日を祝う
③ワンポー(国王陛下誕生日)を子どもたちに祝ってもらう、です。
 今日は息子の誕生日、コンピューター教室や公文教室は早めに済ませ、午後からお誕生会の開始です。

 この日のためにデジカメも購入しました。こんなことなら早く購入し、ローイグラトンの風景を写しておけばと後悔しきりです(笑)。
 実は先週行われた公文のセレモニーで気づいたのですが、フィルムカメラを使っている人は皆無でみなデジカメだったのです。前回の里帰り時にはデジカメはまだ少数派でした。あっという間に普及したようです。子どもたちも大喜びで、まるでおもちゃのように二人で奪い合いそこらじゅう写しまくっています(笑)。

 さて、近所の子どもたちがそれぞれ思い思いのプレゼントを持って三々五々集まってきます。PCでゲームをしたり、外で遊んだりとおおはしゃぎ。
 お腹もすいてきたところで、妻の手作りの日本料理が並びます。日本米は知り合いの日本料理店から譲ってもらい、その他の食材はロータスやマクロ、リムピンなどで掻き集めました。
 家の子どもたちも近所の子どもたちも日本料理が大好きで、あっという間に売り切れ。最後にケーキで締め括り。ケーキに蝋燭を立てるのは日本と同じですが、タイでは年齢より一本多く立てるのが慣例だとか。子どもたちの笑顔に救われた一日でした。  <らいぶ>






 

 今年の洪水被害は異常のようですね。地球温暖化も関係あるのでしょう。

 らいぶさんがロイカトーン初体験とは知りませんでした。かくいうぼくも15年前に一度あるだけです。それはこの時期に旅行することがむずかしいからでしょう。フリーランスのぼくですらそうなのだから勤め人だったらよけいに11月の真ん中に休みを取るのはたいへんですよね。

 デジカメ購入ですか。たしかにねえ、こんなことになるならロイカトンのコムロイの写真が欲しかったですよ(笑)。

 今日は競馬に行ってきたのですが、今はパドックのカメラ子僧(というかカメラおじさん、おばさんも多いです)もみんなデジカメです。手のひらサイズのものから豪華な一眼レフまで、みなそうです。しかしあんなに馬の写真撮って楽しいんでしょうか。

(【附記】11/27
 パドック内にいる外国人プロカメラマンもみなデジカメでした。これは現地の新聞に電送するのが楽だからでしょう。速報性を重視する新聞、週刊誌はもうみなデジカメのようです。)

 デジカメのいちばん便利な点はいらない写真をすぐ消せることですね。子供に好き勝手に撮りまくらせるのもデジカメゆえの餘裕です。
 送ってもらった写真は2MBありました。なかなかの性能ですね。60K時代から使っているぼくからすると超高級機になります。あのころ保存メディアはスマートメディアの3MBでしたから、らいぶさんのこの写真だと1枚しか撮れないことになります。
 気に入った写真があったらパソコンからすぐCDやDVDに焼いておいた方がいいですよ。なにか事故があったら一瞬で消えますから。便利だけど怖いです。

 誕生日にロウソクを一本多く立てる慣習ってのはいいですね。来年までの約束をするようで。
 なかなか豪華なご馳走です。そういえば奥さんは、日本でも地元のみなさんにタイ料理を紹介したりした料理上手でしたね。

 『サクラ』の常連はどうしたんでしょうね。すこし心配です。まあひとつの時代が終ってしまったことはとっくのむかしに確認しているにせよ。

 今日は秋晴れでしたが、夜は冷え込みます。らいぶさんも帰国したら寒さに震えることでしょう。ぼくはまだ暖房なしでがんばっています。

11/29(火)  第八便──自然を満喫

 インターネットカードが切れたのでパンティッププラザへ行きました。ここは場所も良く清潔感溢れる建物なのですが、コンピューター関連の品物を手に入れるには適していないようです。いくら探してもお目当ての品は見つかりません。店員も知識が不足しているようで、やる気の無さを感じます。昨年PC一式を購入したお店も既に潰れてしまったようで、空きスペースも多くなっています。

 パンティッププラザはあきらめ、いつものコンピュータープラザへ。ここは相変わらず賑わっています。インターネットカードもすぐに見つけることが出来ました。いつものお店でQuickPCを購入、85まで出ていました。ほぼ一年振りにもかかわらず店員も私の顔を覚えていて、値引き交渉もすんなりまとまりました。

---------------

 上の娘が何処か自然たっぷりの場所へ遊びに行きたいと前から言っていたので、日曜日は朝からドライブに出かけました。妻は昨日の料理作りで疲れ果てダウン。代わりにクン・ター(妻の父)が道案内に加わり四人で出発です。



 まず最初に訪れたのはメーグラン滝です。市内から国道108号線を4、50キロぐらい行った所にあります。まずは清流の渓谷で水遊び。水着を持っていかなかったので、短パンを購入し最初は膝までジャブジャブ。そのうち浮き輪を借りて川下り、全身びしょ濡れです(笑)。清流の上に設けられたクレー(座敷)で昼食、川面からの涼風がとても清々しいです。
 有名な滝は入場料を払って歩いて登っていかなければなりません。料金はタイ人20バーツ、外国人200バーツ。歩くのが面倒だったので、滝見物はあきらめ次の場所へ向かいました。



 メーグランから更に5、60キロぐらい進み山の中へ入っていき、オーブ・ルアン国立自然公園へ。ここも入場料がかかりますが、チケットは息子に買わせてタイ人料金で入園。我ながらせこいなぁ(笑)。大きな岩を切り裂いた狭い渓谷に急流が渦を巻いています。

 定員5人の吊り橋(!)から下を眺めると目が眩みます。遊歩道が設けられており、その途中には先史時代の遺跡などもあります。しばし散策、子どもたちは自然が造りあげた景観に圧倒されていました。
 またここではキャンプ設備や、急流下りのラフティングもできるようで、次回訪れるときはテントでお泊りを子どもたちと約束。大自然にあまり触れる機会の無かった子どもたちは大満足の様子でした。私は慣れない山道の運転で疲れ果ててしまいましたが(笑)。<らいぶ>





 
 インターネットカードを使ってるのですか? 家の方にプロバイダーを契約したとばかり思っていました。ぼくもこのあとの云南からの通信をどうしようかと迷っています。あちらにもプリペイド式のカードがあります。
 パンティッププラザよりコンピュータープラザが賑わっているのは感覚的にわかる気がします。コンピュータープラザ派のぼくとしてはうれしいです。
 「ほぼ一年振りにもかかわらず店員も私の顔を覚えていて」はぼくも経験しています。あれはけっこううれしいものですね(笑)。意外にタイ人はしっかり者です。おみやげのQuickPC楽しみにしています。

 オーブ・ルアン国立自然公園は知りませんでした。まだまだ知らないところがあるものです。これは山のないタイにしてはなかなかの渓谷のように思います。でも外国人値段がタイ人の10倍はちょっと高すぎますね。

「タイ人になりすました」は、前に一緒にディズニーランドに行ったときも、子供たちとタイ語でやりとりしているらいぶさんを、周囲の人が異国人を見る目でちらちら見てましたから、自然だったんじゃないですか(笑)。ぼくはあのとき、堂々としているらいぶさんと比して、目立たないように小声でタイ語を話している自分を恥じたものでした。

 初めて行ったころからナム・トック(滝)にはさんざん裏切られました。国土の七割強が山の国に育った日本人が、自分のもっている「滝」の感覚で平地ばかりのタイの「ナム・トック」に期待するとがっかりします。ほんの数メートルの高さでしょぼくれた水が流れているのを見たときはひどく落胆しました。いや落胆じゃなくてどっちらけ、です。ずいぶんとナムトックには出かけています。チェンマイ県、チェンライ県の。

 そういえば「ナムトック」ということばを知ったとき、ことばの構成が英語の「Waterfall」と同じだなと思ったことを覚えています。日本語は「水」とも「落ちる」とも関係ない「滝」ということばを覚えねばならないから外国の人はたいへんだなと。

 らいぶさんの帰国とぼくの出発の合間に、みんなで集まろうという話が出ています。もちろんテーマはアレですね(笑)。みんな燃えています。果たしてどうなるか。日程が非常に微妙です。

12/7(水)  第九便──ワン・ポーの日

 昨日、今日(火・水)と、チェンマイは雨に見舞われています。特に火曜日は激しい雨が断続的に一日中降っていました。この時期の降雨は極めてまれなことです。日本でも大荒れの気候だったとか、異常気象はあちこちで起こっているようですね。

 去る5日はワン・ポー、国王陛下78歳の誕生日でした。12月に入ってからは祝賀モード一色です。前日のパレードに続き、誕生祝賀では国王陛下自らがお言葉を述べられました。その様子は全てのTV局で放映され、国民に大きな感動を与えたようです。妻もお言葉にいたく感動し、WEBサイトから陛下のお言葉全文をプリントアウトし、繰り返し読んでいます。陛下のお言葉を私も理解したいのですが、私のタイ語能力では少し難しすぎます。日本へ持ち帰り、辞書を片手にじっくり読み返したいと思っています。

 このところタクシン首相とソンティ氏の闘いが、連日新聞やTVニュースを賑わせていました。自分に対する批判を一切封じ込める強権的な姿勢を崩さないタクシン首相、それに対し「我々は国王のために戦う」とのスローガンが書かれた黄色いTシャツを着て、「ムアンタイ・サプダー(週刊タイ)」の公開収録などで首相批判を繰り返すソンティ氏、この戦いは告発・訴訟合戦にまで発展し国民の注目を集めています。

 タクシン首相は以前にも記者会見の際、「○」と「×」のプラカードを用意し、自分の都合の悪い質問には「×」を掲げて一切答えないという失態を犯し、大ひんしゅくをかったばかりです。
 つい先日も

「『水星の位置が良くない。星が動くのを待って』。タイのタクシン首相が、親しい占い師が星の巡りの悪さを指摘しているとして、記者へのコメントや定例会見を、来年まで取りやめる方針を示し、物議を醸している。(読売新聞) - 11月21日」

 との報道がありました。仮にも一国の首相として、こうしたことはあってはならないことと強く感じます。

 国王陛下のお言葉にもどります。陛下は時にはユーモアを交えながら、様々なことに言及されたそうです。上記のことにも触れられ、暗に首相を戒めたとか。
 WEB検索をしても陛下のお言葉の日本語訳が見つかりません。まもなく帰国ですので、早く自分の目で確認したいものです。

 さて、我が家のワン・ポーです。子どもたちから手作りのカードや造花を貰い、思わずにんまり。あとは家族サービスの一日でした。パターゴルフ場で遊んだり、カラオケつきのタイスキで夕食したり…。カラオケはタイ語のポップスばかりで、私に歌える曲はありませんでした。マイクは子どもたちが奪い合い。子どもたちは大喜びでしたが、私は疲れ果てただけの一日でした(笑)。   <らいぶ>

追伸
 帰国日も迫ってきました。今回の便りはこれが最後になると思います。帰国後の再会が楽しみです。




inserted by FC2 system