2004年末~2005年正月
12/22(水)  ご挨拶

 19日にチェンマイへ到着しました。今年は特に朝晩の寒さが身にしみます。こちらの人も、今年は例年に比べて寒い、と言っています。タイ北部では冷え込みが厳しく、凍死者も出ているとの報道もありました。

 今回の訪問で最初に気づいたことは、政党の看板がやけに目立つことです。それもタクシン現首相のひきいるタイラックタイ(タイ愛国党)の看板だけがやたら目に付きます。市内中心のお堀の回りは、タイラックタイの看板で埋め尽くされています。その数といったら半端じゃありません。数メートルおきに看板がたっており、まさにタイラックタイ一色といった様相です。来年の2月に総選挙が行われる予定ですが、引き続き政権を担当する意欲に固執するタクシン首相の権力欲(財力といってもいいでしょう)を強く感じました。

 市内各地で行われている道路の立体交差化工事は、前回訪問時からあまり進んでいません。完成までにはあと2年かかるといわれており、市内の交通渋滞はしばらく続きそうです。

 小2の息子は今週が試験ですが、小5の娘は試験も終わり、しかも学校がキリスト教系なのでクリスマス休みにはいるため、のんびりとすごしています。ちなみに佛敎国のタイでは、普通の学校にクリスマス休みはありません。息子は姉をうらやましく思っているようです。年末には、かつて結城さんと一緒に旅した、メーサイ方面への家族旅行を計画しています。子供たちのリクエストです。あの旅がよほど楽しかったのでしょう、子供たちからはよくクンルングユキのことを尋ねられます。

 寄せ集めPCソフトは76以降を入手するつもりです。JAZZのMP3も再度聞いてみます。それら以外になにかありましたら、どうぞご遠慮なくお申し付けください。奥様のご滞在のご予定はいかがでしょうか。私は12日に帰国の予定です。できれば奥様にもお目にかかりたいと思っています。
 ますます寒くなっていきますが、お身体にお気をつけください。それでは。

註・クンルングユキ=ユキおじさん

-------------------------------


 19日は北海道でしたが、きょうはらいぶさんの出発の日だなと意識していました。「チェンマイ便り」のお願いはしなかったけれどきっと書いてくれるだろうと期待していたので豫想通りメイルをもらえてうれしく思っています。
 Jazzはもうタイ人の感覚に期待しないことにしたのでどうでもいいです(笑)。寄せ集めPCソフトは期待していますのでよろしくお願いします。あとあのマルチヴィタミンのシルバー(泣笑)を2本お願いします。まだありますがどうやらなくなるまでにチェンマイに行けそうにないので。今度海外に出るとしたらやはり妻を送って云南でしょう。

 先日、またもYahooからADSLは不可と連絡が来て、今度こそだいじょうぶだろうと思っていたので気落ちしました。ぼくはこういうとき会社に抗議するとかをしたことがないのですが、今回はYahooの苦情センターのようなところに電話をしてはっきり意見を言いました。というのは勧誘者が「いままで出来なかった人でも今回のシステムならだいじょうぶです」のような言いかたをしたからです。それを確認して入会申し込みをしました。どうやらアルバイトが成績UPのために言った詭辯を真に受けてしまったようで、自分の無知を嗤うだけですが、そういう勧誘はやめてもらいたい、悪質であろうとすこしばかり激昂しました。(すこしばかり激昂ってヘンですが。)
 あちらが電話の向こうでも平身低頭しているのが見えるぐらい申し訳ありませんでしたと謝ってくれたので(あれがテクニックならたいしたもんです)矛を収めましたが、さすがに今回は期待しただけにがっかりしました。
12/26(日)  Vol.1──スパイウェアのこと

 PCの不具合がみつかり、問題解決に手間取ってしまいました。インターネットに接続すると、次から次へと勝手にポルノサイトを立ち上げます。ポルノサイトを遮断すると、今度はやれバイアグラとか、ネットカジノとかネットポーカーとか関係ないサイトがどんどん現れます。また、URLを勝手に書き換えたり、假想メモリーが極端に不足したり、CPU使用率が100%になったり、どれもこれも遭遇したことの無い現象なのでかなりとまどいました。問題を特定するため、あちらこちらのWEBサイトを検索するのですが、これも極端にスピードが遅いのと、上記のようにURLを書き換えて別のサイトに接続しようとするので、時間ばかりが過ぎていきます。

 やっとのことで問題を特定することができました。スパイウェアが紛れ込んでいたようです。これはウィルスではないので、通常のアンチウィルスソフトでは検索、削除ができないそうです。またまたスパイウェア関連のサイトをかなりの時間をかけて検索し、フリーウェアのスパイウェア検索、削除ソフトをダウンロードしました。
SpywareDoctor、Ad-Aware、Spybotの三つです。SpywareDoctorはスパイウェアの検索はできるのですが、削除するためには料金が必要とのことで(なんじゃそりゃ-笑)、丸1日かけてダウンロードしたソフトが無駄になってしまいました(笑)。Ad-Aware、Spybotの二つのソフトでおよそ100個以上(!)のスパイウェアを削除しました。中にはどうでもいい(危険度が殆ど無い)ものもあったようですが…。また、今後のスパイウェア対策としてpywareBlaster、SpywareGuardの二つのフリーソフトをダウンロードしました。ここまでに5日もかかってしまいました。

 餘談ですが、Ad-Aware、Spybot、SpywareBlaster、SpywareGuardのフリーソフトは、アップデートも可能で、使い勝手も良好です。また、スパイウェアを削除すると、他の不具合が現れると警告がありましたが、いまのところなんら問題は無いようです。スパイウェアは他のPCには感染しないと関連サイトでは言っていますが、貴PCは大丈夫でしょうか?もし私がお送りしたメイルでスパイウェアが紛れ込んでしまったとしたら申し訳ありません。もし何か問題があれば、私がダウンロードしたURL等をお知らせしますのでご一報ください。

 せっかくチェンマイ便りを掲載するとのお返事をいただきながら、上記のような理由でお便りが遅くなってしまいました。ご容赦願います。と、ここからやっとチェンマイのことをお知らせします。今回は交通違反の取り締まりについてです。市内のあちこちで交通警察官総出で、違反の取締りを行っている現場に遭遇します。シートベルト不着用、オートバイのヘルメット不着用はよく見かける光景ですが、排ガス規制まで行っています。古い車や、トラック、ロットカバ(ピックアップトラック)などは、軒並み止められています。マフラーになにやら器具を当てて検査しているようでした。それにしても交通警察官の数の多さには目を見張ります。

 聞くところによると、交通違反の反則金は、5%が国庫に入るそうですが、残りは交通警察官の間で分配されるのだそうです。年末を迎え、臨時ボーナスの獲得に必死なのでしょう、あまりの熱の入れようもこれで納得です。タクシン首相も以前警察官だった経験があるそうで、その給料の低さに、このような制度を認めているのだそうです。いわば政府公認のぼったくりですね。

 ところで、交通警察官という言いかたをしていますが、タイでは警察官のステータスは、日本とは異なっています。交通にかかわる警察官は、生涯交通違反や交通整理が任務で、犯罪捜査にはかかわりません。また同様に犯罪捜査にかかわる警察官は、犯罪捜査しか行いません。このように幾種もの警察官が存在するのだそうです。犯罪捜査の警察官は役得が無いかというとそうではなく、わいろを受け取ることにより刑を軽くしたり、あるいは免除したりということがしばしばあるそうです。また警察官の間では、上司や上級役人への付け届けも公然と行われており、その程度によって出世や勤務地に影響があるとのことです。勤務地は(不正な?)収入に大きく影響します。こうした体質を嘆くタイ人も多く存在しますが、変革を期待するのには無理があります。かくいう私も、堂々と無免許で毎日車を転がしているのですから(笑)。念のため、もうとっっくに期限が切れている国際免許は携帯していますが(笑)。

 子供たちの送り迎え以外は、ほとんどPCにかかりっきりでしたのでチェンマイの情報があまりありません(笑)。これからいろいろと仕入れることとします。しばしのお待ちを願います。それでは。


-------------------------------




 スパイウェアですか、たいへんでしたね。ぼくは何度か書いているようにパソコン雑誌オタクであり、同じようなことが書いてあるパソコン雑誌を重複して月に何十冊も買ったりしていました。いまは買うのはせいぜい数冊ですが立ち読みでは相変わらず全冊制覇しています(笑)。
 二年ぐらい前だったでしょうか、スパイウェアの怖さとそれを削除してくれるソフトがよく記事になりました。そのときすぐにSpyBotを入れました。それからこまめに使っています。いちばんの感染源であるエロサイトのようなところに出かけることがないので(これはぼくが高潔な人であるというアピールではなく、ああいう画像中心のところは遅い回線じゃ行ってもしょうがないからです=早くADSLにして行きたいです))、入れはしたもののあまりSpyBotは能力を発揮できていないように思います。削除修正をしても毎回ほとんどなにも発見されません。そういう意味ではソフトウェアオタクとしては、百も発見できてスパイウェア削除ソフトを大活躍させられたらいぶさんをうらやましく思ったりします。しかしそれもすでにその原因を知っている身から見たことであって、原因が分からないらいぶさんはたいへんだったことでしょう。ともあれ解決してよかったですね。

 クルマのチェックですが、ぼくはやるべきだと思っています。先日、真っ黒い煙を吐くディーゼル車に前を走られ、ひどい目に遭いました。なんでこんなクルマをいまどき走らせているのだ(許可されているのだ)と腹が立ったものです。それは古いトラックなどではなく普通のワゴン車でした。もうあそこまで行くと毒ガスです。信号で止まり、発車のたびに真っ黒な煙を吐きます。それが窓を閉めていても入ってきて臭くて煙くてむせてしまいます。あまりのひどさに我慢できずクルマを停めてやりすごしました。石原都知事のやったことは英断です。
 タイの場合はまだまだ貧しいし矛盾も抱えているから、今の時点で排気ガスをチェックするような形にまで徹底するのはすこし先走りすぎかなとも思います。でも地球の汚染を考えたら毒ガスを吐き出すひどいクルマの走っている発展途上国こそやるべきかなとも思います。

 ピックアップトラックを俗に「ロットカバ」というのはなんででしたっけ。ピックアップトラックの代表的な車種から来たんでしたっけ? カリブ? 覚えたけど忘れました。正解をお願いします。
12/27(月)  Vol.2──スマトラ島沖地震のこと

 スパイウェアをすべて駆逐し、必要なアップデートも完了し快適な環境にもどりました。ここ1週間の苦労がやっと報われた思いです。しかし、悲しいニュースが飛び込 んできました。スマトラ島沖で発生した大地震と、それにともなう大津波です。タイ では南部沿岸のプーケット、クラビーなどで津波による大きな被害が出ています。ここチェンマイでは被害はまったく無く、平常どおりですが、26日朝、軽い地震を感じました。スマトラ地震との関連があったのでしょうか?

 TVでは朝からこの話題をひっきりなしに放映しています。時間がたつにつれ、その被害の甚大さが伝わってきます。先ほど水に流されていく子供の映像がTVで流れていました。その悲惨さは言葉にしようもありません。こちらの情報ではタイ全土で、被害にあった70%が外国人だと報じられています。クリスマスや年末年始の休暇で、いつもこの時期は西洋人や日本人でにぎわっているプーケットなどでは、多くの観光客が被害にあっています。タイ王族の一員も亡くなったとのことです。プーケットは日本人観光客が好んで訪れる人気観光スポットです。多くの同胞が被害にあったことと思われます。亡くなった方々のご冥福と、被害にあわれた方々のご回復をお祈りします。

 ところで、津波はタイ語で「クン・ヤック(上がる・鬼)」もしくは「ツナミ」といいます。たしか英語でも「TSUNAMI」だったように思います。日本語の「津波」からきているのでしょうか。日本では津波関連の情報を直ちに伝達するシステムが構築されていますが、ここタイでは津波は非常にまれで(妻の話によると建国以来とか…)、そういったものは一切無いようです。被害にあった地域では、情報や警報などが一切無く、逃げる間もなく被害にあったといいます。そういった意味では人災ともいえるでしょう。

 なにか事件が起こるたびに、直ちにTVカメラの前に登場し、言い訳や責任回避に終始するタクシン首相は、今回は全く姿を現しません。「責任者を派遣し、回復に当たる」との短いコメントを発したにとどまっています。来年2月のタイ下院総選挙を控え、事態の重大さに恐れをなし、逃げまわっているとしか思えません。一国の責任者としては情けない限りです。

 多くの企業や個人から義援金が寄せられ、また献血をするタイ人が後を絶たないと報じられています。TV会社のチャンネル3からは1000万バーツの義援金が寄せられたそうですが、タクシン一族所有のTV会社、i-TVからの義援金は200万バーツだそうです。タクシン一族は下記に報じられているように、タイでは有数の資産家です。自己の利益ではなく、国民の利益を守ってほしいものです。

 タクシン一族の資産増大マネー&バンキング誌は、タイで最も裕福なのはタクシン一族で、その資産は前年比で70%以上増加していると報じた。一族の保有株は315億4000万バーツ相当。同誌の長者番付には、タイ愛国党関係者が名を連ねた。タクシン首相の縁故主義や一族への利益誘導を批判する声も上がっている。 (バンコク週報 12月13日)

 タクシン首相の長女、株資産トップ【バンコク藤田悟】タイの経済誌「マネー・アンド・バンキング」がこのほど発表した株式保有額調査で、タクシン首相の長女ピントンタさん(22)が昨年の2位からトップになった。首相一家の総株式資産は昨年から7割増えて315億バーツ(約835億円)に達し、タクシン政権下で一族は順調に資産を増やしている。 ピントンタさんは、タクシン首相が創設し、通信事業や不動産業を展開する「シン・コーポレーション」の最大株主。株式保有額は昨年から76%増え、180億バーツ(約477億円)。首相の義兄バナポットさんが153億バーツで2位、首相の長男パントンテさんが4位で、首相一族3人がトップ10入り。首相の二女で大学1年生のペトンターンさんも14億バーツの株式を保有している。一族の資産膨張は国民の間から不信の念も招いている。
(毎日新聞 2004年12月18日 東京夕刊)

 全く、この国の首相は何を考えているのか、本当ににトホホ…の世界です。しかし、持てる者は現金を、そうでない者は自らの身体を、という助け合いの精神が、個人の義援金や献血によく現れていることに、ひとときの安堵を感じます。


-------------------------------



 津波の被害はこちらでも新聞の一面を飾っています。年末にまたも大災害が起きました。たいへんな一年です。
 行ったことのない地の被害だと比較的冷静なのに、タイのプーケットが登場しパトンビーチの情況が映されると思わず身を乗り出してしまいます。より大きな被害の地の方々には申し訳ないと思いつつ、やはりなじみのある地を案じてしまうのはしかたないことかと思っています。
 航空機墜落やこういう災害のとき、必ず「日本人乗客はいない模様」「邦人の被害者は確認されていません」とテレビがやり、するとこれまた必ずと言っていいほどアサヒシンブンに「命の重さには変わりはないのになぜ日本人のことだけを報じるのか。日本人にさえ犠牲者がいなければいいという考えはウンヌン」と投書が寄せられます。日本には心のひろい人が多いようです(笑)。かといってそれをやらなかったらこれまたなぜやらないのかと抗議が殺到するでしょう。国という基本的な概念を理解できなくなってしまった国民はかなしいです。日本人ほど自分の国の悪口を言う国民はいません。外交なんて国の利権をかけた駆け引きの場なのになんともお寒い現状です。

 TSUNAMIは「日本語が世界語になった例」として有名ですね。でもぼくはまだ白人との会話でTSUNAMIという単語を聞いたことがありません。きっと海岸部の人なら知っているけどアメリカ人でも内地の人間は知らないんじゃないでしょうか。だからこそ海洋島国の日本語が世界的になったわけで。逆にまたアメリカ内地だとタツマキに関する予報は発達していますよね。世界中どこでもそういうものでしょう。

 このことで思い出すのは、三十年前のことですが、プロレスラのスタン・ハンセンがソフィストケイト(sophisticate)という言葉を知らなかったことです。ハンセンは一応大卒で教師の免状も持っています。でも当時私なんかでも知っているその英語を彼は知りませんでした。たぶんそれはミュージカルの「ソフィストケイティッド・レディ」あたりから来た新語であり流行りコトバのようなものだったのでしょう。コトバってそんなものです。だからTSUNAMIを知っている海岸部の子供もいれば知らない内陸部のインテリもいることでしょう。

 今回の被害でインドネシア等でも津波警報が一般化すると思います。津波のこわさを知っていたら死亡者は半減したのではないかと日本の識者が語っていました。その通りだと思います。予報の大事さを思いました。かといって地震があったらすぐに速報され、同時に津波の有無も報道される日本にいて、ぼくもどれほど津波の怖さがわかっているかとなると疑問です。遭ったことがないですからね。人間なんでも基本は痛い目に遭って覚える、でしょう。

 タクシンがお金持ちなのは知っていましたが想像以上でした。すごいですね。彼のことをぼくも好きでないけれど、金があって力のあるヤツがトップに立つのは、わりあい当たり前なのではないかと思っています。
 むしろ今の日本のように、週刊誌が首相の月給が高くてけしからんと極悪人ののように報じている国のほうが問題です。首相の月給なんて四百万円ほどでしかなく、まあアメリカ大統領も同じぐらいの額ですが、二十代の野球選手やサッカー選手が三億、五億と稼ぐ時代に、ずいぶんとすくないでしょう。これじゃ「ぼくは将来日本の総理大臣になって日本をもっともっといい国にしたいと思います」なんて子供は減る一方です。
 タクシンのように金をばらまいてのし上がった首相といえば日本は田中角栄になります。あの人が今太閤ともちあげられた時代より、月給四百万の小泉首相が濡れ手に粟の極悪人のように『週刊現代』や『週刊ポスト』で報じられる今のほうがまともな時代なのだと言われたなら、そんな気もしてきますが……。いやいややっぱり今の日本は狂ってますよね。

 今年は天皇陛下の国家と国旗に対するご発言もあり(陛下があんなことを口にすべきではないと話し合ったことが父との最後のそういう会話になりました)、皇太子殿下の妃殿下を庇い宮内庁の体質を責めるご発言もあり、さらにはそれを批判する秋篠宮殿下のご発言もありと、日本の皇室も揺れた一年でした。先日、それを特集した本を何冊か読みましたからやはり異例だったのでしょう。ですよね、皇太子殿下のあのご発言にはちょっとおどろきましたもの。いろいろあった一年ももうすぐ終わりです。
12/29(水) Vol.3──タクシン政権のこと

 寒かったのはこちらに到着して最初の数日のみで、このところ快適な日々が続いています。しかし、大津波の被害で、タイ国民は深い悲しみとともに喪に服しています。大勢の尊い命が奪われ、プミポン国王のお孫さん(長女の長男)も命を落としました。国旗が掲揚されている場所ではすべて半旗が掲げられ、多くの国民が喪服を着用しています。こちらの報道はかなりストレートで、TVや新聞では、見るに耐えない悲惨な情景がしばしば報道されます。砂浜に打ち上げられた数々の遺体、病院の廊下に延々と並ぶ白い袋に入れられた遺体等々…、その悲惨さには目を覆うばかりです。

 一方救いを感じるのは、この国の国民性です。多くの義援金や救援物資、献血、罹災地へ向かうボランティア等々、みな一丸となって救いの手を差し伸べています。私も献血に出かけました。ターペー門のそばで、タイ赤十字が臨時の献血センターを開いています。タイ人のみならず、たくさんの外国人が献血に訪れていました。しかしRH(-)はもう十分集まっており、RH(+)のみの受付とのことで、丁重に断わられてしまいました。そこで、ささやかながら義援金を送ることにし、銀行から送金しました。これもタムブン(佛敎的なタイの慣習・徳を積む行為といわれている)です。また、年末にメーサイ方面への家族旅行を予定していましたが、今回の災害で遠方への旅行は自粛することにしました。タイ人的な感覚なのか、妻の意見なのですが、私もやむなく賛同せざるを得ませんでした(笑)。

 さて、訂正が一つあります。前回のお便りで、タクシン一族の所有する会社からの義援金を「i-TV」から200万バーツと書きましたが、正しくは携帯電話会社の「AIS」でした。この一族は実に多くの会社を所有しているため混乱してしまいました。話が横にそれますが、このi-TVという会社はタイでは新興のTV局で、開局当初は一般市民からの投書・苦情を基に、政府や役人の不正・腐敗を追及する報道姿勢で、国民からの支持を集めていたTV局でした。これを煙たがったタクシン首相が、その財力に物を言わせ強引に買収し、今やタクシンの手先と成り果ててしまいました。

 ついでです、もう少しタクシンの悪口を聞いてもらいましょう(笑)。普通の家庭で育って、警察官になったタクシンの出世物語は、妻を娶ることから始まります。大の資産家で良家の子女、しかも高い学歴を持つこの人との結婚により、今の地位までも登りつめることができたのです。典型的なあげまんですね(笑)。今でも奥さんには頭が上がらないし、すべて彼女に相談しないと何もできないといいます。最後にバンコク週報からこんなニュースを。

元議員への金銭提供
 ラノン県選出のウィラット元民主党議員は、3000万バーツの金銭と引替えにタイ愛国党から総選挙に出馬するよう、ネウィン副農相から申し出があったと発言。同副農相とタクシン党首は、この発言を事実無根だと否定した。(バンコク週報 12月13日)

地域リーダー取込み
 タクシン首相は、地方で行われる移動閣議の際、閣僚は事前に県内の地域リーダーの家に泊まり、じっくりと話を聞く必要があると述べた。この発言に対して、地元リーダーを金銭提供で取り込むタイ愛国党の総選挙対策だ、だ、との批判も出ている。(バンコク週報 12月14日)

 先日コンピュータープラザへ行き、寄せ集めPCソフト最新版(76)を入手しました。JAZZのMP3は、前回同様22までしかありませんでした。このコンピュータープラザの隣に、新しくコンピューター関連のテナントが多数入っているビルが建ちました。しかしここも健全なお店(笑)しかなく、パンティッププラザのミニ版といった感じです。

 「ロットカバ」の語源は、妻も(子供たちも)知りませんでした。「ロットカバは昔からロットカバだ、なんでそんなことを聞く」と怪訝な顔をされました(笑)。私も大昔に、日本車の車種の名前から来ている、と聞いたことがあるような気がしますが、定かではありません。娘のタイ英辞典にも載っていません。近々車のメンテで工場に行く予定ですので、そのときにでも尋ねてみようと思っています。

 作業日誌の再開に喜びを感じています。それでは。


-------------------------------



 チェンマイからの楽しいお便りを待っていたのになんとも重いニュースの年末となってしまいました。

 これはスポーツ報知からスキャンしたものです。あまり美麗ではありませんがぼくには印象的だったので載せます。
 震源地がインドネシアなのに最大の被害地がスリランカなのが不思議でした。これを見ると一目瞭然です。震源地から波動が拡がって行き最大効果となるところがスリランカだったのですね。逆に近すぎるところはそれほどの津波にはならなかったのでしょう。日本は逆側だから助かったことになります。フィリピンの日本側で起きたら九州から高知、和歌山がスリランカと同じ状態になることが分かります。

 みんなが敬愛している国王のお孫さんが亡くなったのでは国中で喪に服していることでしょう。日本ではそれが報じられたのかどうか、ぼくはまだ読んでいません。知りませんでした。親しい国の王族の死なので確実に報道されたと思いますが……。
 日本はいま、年末のお気楽なヴァラエティ三時間特番のようなのが連続しています。といって世界的な大災害があったからそれらを自粛せよと言うつもりはありません。おもしろくないから見ないだけです。いろんなことがあるけど「それでも地球は回っている」が実感です。(本来の意味とは無関係な解釈ですが。)

 さきほど『竹林亭白房』を読んだら、きょうはchikurinさんも「生きていることは奇蹟だ。そして無常」と、いつもと趣が違っていました。ほんとに災害もそうだけど、いつなんの縁もないキチガイに刺されて死んでもおかしくない時代ですからね。

 災害に対してすなおに力を合わせるタイ人と、語源のようなことを聞くと「なんでそんなことを聞くの?」と興味を示さないサバーイサバーイ主義のタイ人と、今回のお便りには「タイ人らしさ」が出ていましたね(笑)。

 ぼくはその語源とか先祖とかの話が好きなので、そういうことを嫌いな人にはよく疎まれます。その典型が北海道人と東京人です。
 北海道の場合はまあ「日本のアメリカ」みたいな新しい地だからわかりやすいです。こちらから訊かなくても「うちは××藩、いまの××県の武士で、××年に入植してきた」と家系図を出してくる人がいる一方(ぼくはこういう話が大好きだからこれはありがたいのですが)、「おれの家? そういえばオヤジってどこの生まれなんだろ。いちども訊いたことないし知らないや」という人もまた多いのです。それが三十代の人であったりするので、気安く「××さんちってどこの出身なの」と訊いてしまった私とのあいだには気まずい沈黙が訪れます。
 いま吉永小百合のそういう映画が話題になっていますが(なんだっけ「北の零年」とかそんな題)、歴史的な藩を挙げての入植を除けば、北海道にはあまり自慢できる経歴の人もそうはいないのでしょう。札幌の金持ちのNなんかもそういう話になると「うちは福井でなんか悪いことをやって逃げてきたのが先祖らしくて」と口を濁してしまいます。だからなのかどうか「でっかいどう北海道」を彼らはまた異常に自慢します。こちらからするとそんなに自慢するほどのところでもないだろうと思っているので、この差は大きいです。

 北海道はわかりやすいのですが、意外なのが東京です。ぼくの知り合いの作家・吉川良さんは、チャキチャキの神田っ子であるとしばしば口にし、物心着いたときにはもう水洗トイレだったと都会育ちを自慢します。ぼくなんか中学生になって初めて水洗トイレに接しましたから年齢差を考えるとかなりの差です。その吉川さんも父親がどこから来たかわからないと言います。江戸の時代から東京ってのは花のお江戸であると同時に、無宿人の吹きだまりでもありました。吉川さんに限らずぼくと同い年のTってのもオヤジがどこの生まれでどうして東京に来たのか知らないと言ってました。

 気楽に他人様にそんなことを訊いて苦い思いを何度かしてきた(=相手にいやな思いをさせてしまった)ので、さすがに年の功か最近はむやみにそんなことはしなくなりました。
 先日momoさんと飲んだとき、momoさんが新潟出身なのはずっと前から知っていましたがそれ以上の質問はしていなかったので、初めて佐渡島と知り、曽我ひとみさんの近くだとかで、その辺の話が弾みました。どうしても出身地や苗字のことに興味があるので、この悪癖(本人はそう思っていないのでたちがわるい)はまだまだ治りそうにありません。
 そういえばらいぶさんの奥さんのルーツに関しても、お父さんやお母さんの出身地から、チェンマイ人ではなく、××県人になるのか、なんて話をしたことがありました。ああいうのも興味のない人から見たら、そうとうヘンなヤツに思われることでしょう。
12/30(木) Vol.4──お勧めのお店

 今日30日で子供たちの学校も終わり、明日から正月3日までお休みとなります。ずいぶん短い正月休みかとも思いますが、一般企業や公務員等も同様です。31日は「ワン・シンピー(日・年末)」、元旦は「ワン・クン・ピーマイ(日・上がる・新年)」といい、この二日間は国民の祝日になっています。本来、タイの正月は「ソンクラーン」といい4月です。来年は4月13日から15日までで、この日もまた国民の祝日にあたります。

 ところで、タイには「コンクワン・ピーマイ(贈り物・新年)」といって、ご近所や親しい人、日ごろお世話になっている人などへ、贈り物を贈る習慣があります。贈り物といっても、そんなに高価なものではなく、お菓子や果物など食べ物が主流です。贈り物にはリボンをかけ、カードを添えます。デパートに行くと、コンクワンピーマイ用にあらかじめリボンがかかったチョコレートやクッキーの箱が山積みにされています。遠方の場合を除き、郵便等で送るのではなく手渡しが普通です。今日もこのコンクワン・ピーマイを届けるため、あちこちへつき合わされました(笑)。

 このところ暗い話題ばかり続いたので、今回は少し趣向を変えてお勧めのお店を紹介しましょう。一軒目はクイッティアオ屋です。場所はスーパーハイウェイからラーム2病院の角を曲がってチェンマイ-メージョー通りに入り、最初の大きな交差点を左折、約200メートルぐらい行ったところの左側にあります。お店の名前は長すぎて覚えられませんでした(笑)。開店間もない人気店で、路肩にたくさん車が止まっているのですぐわかります。ここのクイッティアオ(米粉麺)、バミー(中華麺)は、麺もスープも他の店と一味もふた味も違います。しかもギアオ(揚げワンタン)がおまけでもれなく付きます。料金も他の店と同じ1杯20バーツほどです。閉店時間が早く、午後3時ごろには店じまいをしてしまいますが、ともかくおいしいので一度お試しあれ。

 二件目はタイ料理のビュッフェ(日本ではバイキングといいますね)です。クイッティアオ屋から、さらに3~4キロぐらい進むと左手にあります。店の名前はピサヌローク(地名)です。入口で一人当たり39バーツの料金を支払うと、お皿と小鉢を手渡されます。あとは、カーオ(ご飯、炒飯等)、ゲーン(おかず)、スープ、麺類、サラダにデザートまで、およそ30~40種類のタイ料理が食べ放題です。駐車場も完備で、いつも大勢の客で賑わっています。ツアーでの客(タイ人)も多いようです。またここにはステージがあり、昼間からタイポップスなどの生演奏があります。味は特別おいしいというわけでなく普通ですが、料理の種類の多さ、コストパフォーマンスは抜群です。タイ初心者向きかもしれません。

 上記二軒のお店は、おそらく日本のガイドブックには載っていないと思います。載っていたらごめんなさい、なにせガイドブックなぞ見たことがないので(笑)。また、クイッティアオ屋の並びにはファーハーム通りにあるカーオソイ(チェンマイ郷土料理、カレーラーメンもどき)屋の支店が新規に開店しました。このカーオソイ屋はチェンマイでは知らない人はいないという超有名店で、おそらくどのガイドブックにも載っていると思います。そういえば、「マネーの虎」だったか、このカーオソイを日本で開業するという人がいたんですが、その後どうなっているんでしょうか。ガティ(ココナッツミルク)などを使用した、かなりこってりとした味なので、日本人に好まれるとは思えないのですが…。私は好きで、こちらに来れば一度は食べますが、繰り返し食べたいとは思いません。

 車のメンテでトヨタの工場へ行ったのですが、対応した若い整備工は「ロットカバは語源もタイ語だよ」と言っていました。ピックアップトラックの多くに表示されている「CAB」が語源かと再度尋ねたら、「それは違うよ、カバとCABは別」とさらりとかわされました。どうもよくわかりません(笑)。

-------------------------------


 ADSLと契約できて、ホームページを300メガのところに引っ越したら、らいぶさんの「チェンマイ便り」も本格的な公開になります。それまではご自分の文章パターンを探すつもりで、こんな感じで書いていてください。せっかくの文章が今はまだ日の当たらない情況になってしまっていることを申し訳なく思っています。ご容赦。

 妻に聞くと、云南ではこの1月1日はまったくなにもないとのこと。タイ族人は基本的に四月のソンクランが正月ですし、どこにでも漢人が入り込んでいますから旧暦での正月は爆竹がなって大騒ぎです。正月はそのふたつですね。暦は世界と歩調を合わせるために西洋風に変えても自分たちの祭事をたいせつにするこの姿勢はうらやましく思います。それこそが人間だと思います。
「キリスト教徒でもないのになんでそんなにクリスマスだって大騒ぎするの?」というぼくの感覚は日本では変わり者になってしまいますが、世界的には極めてまともですよね。異教の教主の誕生日を信者でもないのに祝う習慣はどこにもないですから。やはり日本て特殊な国です。このごろはタイもクリスマスだってけっこう騒ぎますが、あくまでもあれは観光客と商売のためで内心はしれっとしてます。
 この西洋暦による新年もほんの数日サラっとすごすだけなのもタイらしくていいなと思います。タイ人は自分たちの民族衣装も大事にしますしね。やがて日本的に汚れてしまうとしても、もうだいぶいいものを捨ててしまったとしても、民族的なこだわりをもつぼくのようなものには、まだまだ魅力的な国です。

 そうそう、ロットカバにはあのCABがぜったい関係あると思うんだけどなあ。タイ人てのは頑固で認めないですからね。
Vol.5──タイの大晦日と新年

 新年明けましておめでとうございます。
 大晦日の晩のTV特別番組は、大津波の関連で例年とはだいぶ趣が異なっていました。どの局も娯楽色を極端に抑えたものになり、例年この時期はひっぱりだこのコ メディアンたちは姿をあらわさず、大津波被害関連のニュースが主流で、繋ぎに歌手 たちが歌を歌うといった趣向です。ニュースキャスター歌手たちはみな黒い衣装を 身にまとい、歌い終わった後は必ず大津波被害に関連するコメントを発していまし た。みな悲痛な面持ちです。チャンネル3やチャンネル7では、局専属の俳優たちが勢 揃いし、それぞれ義援金や救援物資の呼びかけを行っていました。いまだにタイの芸能事情がよくわからないのですが、タイでは一部の有名俳優を除き、殆どの俳優が局 専属となっているそうで、他の局のドラマには一切出演できないそうです。

 それでも、深夜12時が近づくとカウントダウンが始まり、新年を迎えるとともにサワディー・ピーマイの挨拶とともに花火が打ち上げられました。ここチェンマイでも あちこちで花火の音が聞こえます。我が家の近所では、数箇所で「コームローイ」が 空高く舞い上がっていきました。コームローイというのは、1m×1.5mぐらいの大きさで紙で出来ており、熱気球みたいなものです。お願い事をして空に放つというタイの 風習です。空高く上がったコームローイはオレンジ色の光を発し、まるで光り輝く星 のようです。よく空を見上げると、十数個の新しいオレンジ色の星が確認できまし た。新年よりもローイクラトン(11月)のときにより多く放たれ、そのときはチェン マイだけで二千個を上回るコームローイが放たれるといいます。私はローイクラトンの時期にタイに滞在したことがないので、その姿を見たことがありません。きっと、 空一面にオレンジ色の星が出現するのでしょう。一度は眺めてみたいものです。

 さて、タイのお正月特別番組はどんな塩梅になっているのでしょう。TVを見ようと 思ったら、朝から子供たちがアニメ番組、その後は妻と子供たちが韓国ドラマに夢中 で、チャンネル権は私にありません(笑)。近頃タイでも韓流ブームで、韓国ドラマ がよく放映されています。私はこの方面には全く興味がないので、日本と同じドラマ が放映されているのか、全くわかりません(笑)。

 図書館のお休みのことに触れられていましたね。日本では「御用納め・御用始め」 といった言葉があるように、公務員の年末年始の休みは決められています。一部のカレンダーには、12月28日が「官庁御用納め」、1月4日が「官庁御用始め」とあらかじ め印刷されたものもあるようです。それに習い多くの公共図書館でも12月29日から1 月3日まで休館とするところが多いようです。ちなみに私の勤務する図書館では、12月29日から1月4日までが休館日となっています。お怒りはごもっともだと思います。ご指摘には頭が痛いばかりですが、変革までにはまだまだ時間がかかりそうです。


-------------------------------



 日本はいつもどうりのお笑い番組ばかりの正月を迎えています。次々と日本人犠牲者が確認され、数が増えていますが、みな旅行者であり国内の被害ではないので、どうにも対岸の火事、の趣が強いように思います。暮れから正月はニュース番組が片隅に追いやられ、民放などほとんどないも同然で、見るのに苦労する状態です。べつに正義漢ぶるつもりもないですが、これだけの世界的大災害なのだからもっと時間を割くべきと素朴に思います。
 それにはらいぶさんも書いていた報道の姿勢も関係あるでしょう。もしもタイのように屍累々の現場を隠すことなく流したら日本の輿論も一気に変ると思います。日本人てのは素直だから、その辺のネーチャンを引っかけることにしか興味のないようなアンチャンだって(引っかけられる側のネーチャンだって)衝撃的な映像を見たらコロっと変りますよ。

 サヨク系の女が殺人者の減刑に熱心に活動していたそうです。頻繁に訪ねてきてあまりにわずらわしいので、ある刑事がその殺人現場の血まみれの被害者の写真を見せたら、二度と来なくなり、その減刑運動もやめてしまった、という実話があります。大阪池田小での殺人鬼タクマってのと獄中結婚したバカ女がいました。あの人を救ってあげられるのはわたしだけだ、なんて思いこみです。あんなのもいたいけなこども八人を殺した凄惨な現場写真を見たなら決してその気にはならないでしょう。

 ぼくは残酷写真を掲載するタイの姿勢を支持します。毎度の意見ですが、子供がナイフでエンピツを削り、まちがって指を切って血を流す、ということから学んで行くまともな時代なら、今のように残酷なものは一切隠してもよかったのでしょうが、それらをみんな封じてしまい、自分の躰から血を流すこともなければ、それこそ自分の排泄物を見ることもなく機械がお尻の穴を洗ってくれ乾かしてくれるという今の時代には、もっと人の生死をリアルに見せてやったほうがいいでしょう。
 日本の年末の話題としては、七歳の女の子を殺した変態野郎(女の子の遺体はひどいいたずらをされていたと言われています)が捕まり大きく報じられました。逮捕が年を越さずによかったと思いました。三十六歳の新聞配達員でした。こういうキチガイはこれからますます増えてくるでしょう。増えてくるような環境を作っているのだから当然です。教育の基本を見直さねばなりません。

 ひさしぶりにコームローイということばを聞きました。チェンマイの夜空を思い出します。メイピンホテルの野外ラウンジで、メキシコ人の演奏する「ホテルカリフォルニア」を聞きながら夜空を見上げた日を思い出します。あれはロイカトーンじゃなくて正月でした。momoさんもコームローイが好きだからチェンマイを懐かしんだかも知れません。キーワードです。

 韓流ドラマについて意見を書いているとき、タイのことも考えました。タイも、くっさいこてこてのドラマが好きですよね。ママハハにいじめられてじっと耐える美少女主人公だとか、事故で顔が変わってしまってわからなくなってしまったり、とか。韓流がタイで流行ることは納得です。

 年末年始の図書館の閉館日はそれでしかたないと思っています。出来れば30日まで、とお願いしたいところですが。でもぼくの田舎の隣町の、「27日の月曜日が休館日だから、28日も休みにして一気に4日まで」はひどいでしょう? 29日から休みだからこそぜったいに28日は開けるべきだったと憤っています。
1/2(日) Vol.6──チェンマイの元旦

 元日はまずタムブンに行くことから始まりました。タラード(市場)でタムブン セットを買い込み、お寺へ向かいました。郊外の小さなお寺ですが、妻と子供たちがたびたびタムブンに訪れるお寺です。ここの住職さんは子供たちの名前をしっかり覚えていて、子供たちの名前を呼んでにこやかに招き入れてくれました。一通り読経を終えると、しばしの雑談です。私は初めての対面でしたので、住職さんに日本のこと をいろいろ聞かれました。やはり話題の中心は津波のことになります。そんなこといわれても、東京生まれの東京育ち、津波に関しての知識は殆どありません。拙いタイ 語で、警報システムや防波堤のおかげで大きな被害はそれほどないと説明するのが精 一杯でした。

 タイのお坊さんは、訪れる人々に何でも気さくに声をかけてきます。最初に出会った若い僧侶は、私が日本人だと知ると「オゲンキデスカ」と、唯一知っている日本語 で歓待してくれました。また住職さんは「アジノモト」を連発します(苦笑)。タイ ではよくある話ですが、日本人だとわかると、こちらが喜ぶと思うのか、知っている日本語をちょくちょく口にします。「コンニチワ」や「アリガトウ」などはよいので すが、「アジノモト」「ホンダ」「ヤマハ」などと繰り返されるのは、あまり心地よ いものではありません(笑)。

 タムブンの後は、妻の実家があるメーテーンに、一泊のお泊りに出かけました。家族旅行の代わりです。市内から車で約30分ほどのところです。近くにエレファント キャンプなどの観光地はあるのですが、外国人ツーリストにとっては通過地点、その姿は殆ど見かけません。もう本当に田舎です(笑)。また、ここには大きな観音菩薩像があります。広大な敷地の中には無料接待所などもあり、訪れる人々に食事が無料で振る舞われます。信者や篤志家の寄進によって運営されているのだそうです。ここにも外国人の姿は殆どありません。ちなみにタイ佛敎の中でも、プラ・ポーティーサット(観音菩薩)を信仰する人々は牛肉を食べません。私の家族が牛肉を口にしな いのはそのためです。

 年を明けてお正月のTV番組は、多少娯楽色が出てきたものの、依然として控えめな 内容となっています。ドラマ等の放映中も、テロップが流れ続け、だれそれがいくら寄付したとか、行方不明になっている人々の情報を求める声が画面の下部に流れ続け ています。また、安否に関する情報や行方不明者の情報が、多くのインターネットのWEBサイトで公開されています。経験したことのない大規模な自然災害に、タイ中が あらゆるメディアを活用しているのがうかがえます。タイ国内で亡くなった方は五千人近くになり、そのうち半数強が外国人だそうです。また行方不明者も六千人を超え ています。

 さて、訂正があります。以前のお便りで、津波をタイ語で「クン・ヤック」という と書きましたが、正しくは「クルン・ヤック(波・鬼)」でした。耳で聞いたまま、 綴りを確認しなかった私のミスです。タイ語ではLやRの音が省略されることが多く、 また私にとっては、有気音(KH等)と無気音(K等)の聞き分けができないため間違 えてしまいました。お詫びして訂正します。

 夕刻には近所の子供たちが我が家に集まり新年会となりました。妻が作った巻き寿 しやお味噌汁はタイの子供たちにも大好評でした。毎年元日はさくらレストランで、お雑煮がサービスとして振る舞われます。今年はご相伴にあずかれなかったのが残念 です。

-------------------------------



 らいぶさん、市場=タラートは、英語綴りにするなら、TALADですが、この場合のD(ドーデック)は、Tの発音になるのではなかったでしょうか。ですからカタカナだと「タラート」だと思います。どちらにしろ飲み込んで発音しない音ではありますが。ちょっと気になっています。奥さんか娘さんに確認してください。
1/3(月) Vol.7──タイ式マッサージのこと
 昨日から持病の五十肩が再発し、痛みのため首が回りません。通常放っておいても2、3日で良くなるのですが、痛みが強かったのでヌアッドペーンボーラーン(タイ古式マッサージ)へでかけました。場所は元日にタムブンに行ったお寺の隣です。先日の便りで書き忘れましたが、このお寺には託児所や図書室、子どものための玩具等が揃っていて地域に貢献する、地元密着型の寺院といえます。妻がたびたびタムブンに訪れるのも納得がいきます。ご住職の「アジノモト」はご愛嬌ですが(笑)。

 さてマッサージ店の看板には、お寺の名が冠されているので、寺院付なのでしょう。観光客とは全く無縁で、地元のおじさん、おばさんが世間話をしながらちょっと揉んでもらう、といった場所になっています。仕切りのない大広間に、十枚の煎餅布団が敷かれています。当然、替え着のサービスなどありません。市内にある観光客がよく利用するマッサージ店とは大違いです。モー(マッサージ嬢)はみな、かなり年季が入っており、ぺちゃくちゃと世間話に花を咲かせています。でもそれが、なんともいえない暖かい雰囲気を醸しだしています。技術も中々なもので、客に媚びてチップを要求するといったこともありませんでした。料金は1時間60バーツと、かなりリーズナブルです。またここにはオプションで、薬草を使った温湿布療法(クルンテープのワットポーと同じようなもの)もあり、私のお気に入りの場所となりました。2時間のマッサージで、新年のチップも含め150バーツ渡すと、にこやかなワイが返ってきました。こちらも肩がすっきり軽くなりました。コープクンマークカップ。

 タイ文字の日本語標記についてですが、私の場合は自己流です。すなわち、語尾がドーデックなら「ド」、トータオなら「ト」としています。娘に確認したところ、タイ式の発音はどちらもドーデックで全く同じとのことでした。例えばゴーガイ、コーカイ、コークワーイ、コーラカングなどの文字が綴りの末尾に来た場合は、これをメーゴック(แม่กก)といい、すべてゴーガイの発音と同じとのことでした。他にも、メーゴ**(แม่ก**)というのが多数あり、例えばタラードのドーデック、ピーセットのソールーシーはメーゴッド(แม่กด)といい、ドーデックの発音になるそうです。これらは小学校2~3年生で習うそうで、今息子がちょうど習っているところです。私も全く知りませんでした。

-------------------------------


 四十半ばで隊長が替わり、ン? おいおいATOK、体調が変り、ガクっと体力が落ちたのは人生の中で印象的な出来事でした。そろそろその年になるらいぶさんやchikurinさんには気をつけて欲しいと書いたことがあります。浅田次郎さんが『週刊現代』に連載したエッセイにもそれがあります。それに関連して使い慣れた四十肩より聞いたことのない五十肩のほうがことばとして正しいと知りました。らいぶさんが五十肩になっているとは知りませんでした。持病というからにはけっこう長いのでしょうか。あのつらさを思い出します。
 ちょうど妻とつきあい昆明や景洪で落ち合っているころがそれでした。ぼくの場合は右肩の痛みでした。上がらなくなる人もいるそうですが、ぼくの場合は上がるのだけれど痛いというもので、いつもごりごりと不機嫌に腕を回していました。毎日が梅雨空のように憂鬱だったものです。

 景洪の池の周囲に、石のベンチを利用した街頭マッサージ師が十数人出ていて、10分10元でよくやってもらいました。中国語では按摩はそのまんま「按摩=アンモゥ」です。日本では字の通りの按摩という意味のあるすばらしいコトバを、目の不自由な人の差別に繋がるということからマッサージという西洋語に置き換えてしまいました。くだらんことです。ぼくはよくこういうことばの置き換えをくだらんことだと書きますが、日本の中韓との外交姿勢、靖國問題等、すべてこの「波風立てないようにとのことばの置き換え」に象徴されているのではないでしょうか。

 中にあの「ガラス球とアルコールを利用した吸い出し治療」をする人がいて、新日本プロレスの連中が背中にどす黒い痕をつけていたころから興味があり、すでにヴェトナムやカンボジアでやったことのあったぼくは、何度かそのおばさんにやってもらったものでした。そのご日本でもやってみました。日本の鍼灸院ではアルコールを使わず機械で空気を吸い出す真空式になっていました。痛いところはどす黒くなり、そうでないところはいくら吸っても色が変わらないというのは、原始的であるからこそなかなか説得力がありました。
 半年から一年を経てなんとなく治まりましたが、あれは生き物として、注意信号をもらうという(誰から?)なんとも忘れられない出来事でした。ぜんぜんその注意信号を活かしていませんが。

 昆明や景洪ではホテルまで按摩に来てもらったこともありました。これは50分で50元だったでしょうか。物価的にはタイの2時間200バーツのほうがずっとリーズナブルです。チェンマイでもずいぶんと苦しんでなじみのおばさんのところに通ったのですが、五十肩というとまず昆明、景洪を思い出します。
 ということで醜い背中の吸い出し痕の写真を初公開しようと思ったのですが見つかりません。どうでもいい写真ですが確実にあったものが見つからないとなるとみょうに気になるもので……。このごろしみじみとデジタル保存の無惨さを感じています。昨年父と一緒に行った護国神社の写真もなくなってしまったし。

 タイ文字のらいぶさん流の表記法を理解しました。せっかく書いてもらったのに文字化けしてしまって載せられません。というかぼくが工夫すれば出来るのですが、いまタイ文字を表記するための努力をする気力がありません。ご容赦。
 らいぶさんの表記に対する割り切りは一理あります。ぼくがベトナムをヴェトナムと書くのはその国や表記に対するこだわりでもなんでもなく、単にVietnamという単語がVで始まるということを覚えておきたいためです。その意味で末尾がドーデックの単語はドにするというのは、綴りをわすれないために有効ですね。とはいえピーセットのソールーシーのようにとんでもないものも多く、対処しきれませんが。(ご存じない方のために簡単に書いておくと、タイ語にはSの文字が単語の最後に来た場合はTの音になるという文法があります。今回ぼくがらいぶさんに質問したのは、末尾のDをらいぶさんはドと発音しているが、あれはトの発音になるのではなかったですか、というものです。それに対してらいぶさんは、綴りから自分はドと表記していると返事をくれたわけです。)
 以前、文法用語をど忘れしたぼくがらいぶさんに質問したららいぶさんもど忘れして、奥さんに訊いたら奥さんも忘れていて、すると小学生の娘さんが即答してくれたことがありました。今回も現役は強いって事ですね。
1/6(木) Vol.8──五十肩のこと

 4日から子どもたちの学校も始まり、お正月モードも、はや終了です。朝6時起床、外はまだまっ暗です。6時40分頃に子どもたちを学校へ送るため家を出ます。まだ薄暗く、車のライトをつけての出発です。市内に入るころにスモールライトに切り替え、学校に到着するころにはライトを消します。学校へは大体7時すぎの到着となります。

 タイの学校は、曜日ごとに着て行く制服が異なり、標準の学生服、体操着、ボーイスカウト(ガールスカウト)の制服などがあります。また小学校4年生までは、タイの伝統的な民族衣装を着て通学する日もあります。子どもの民族衣装は、デパートなどではなかなか良いのが見つからず、結局ナイトバザールの観光客用の土産物屋などで購入しており、なんだか奇妙な気分になります。それでも民族衣装着用の日は、色とりどりの衣装を見ることができ、それがまたタイらしさを象徴しており、この日に学校へ行くことは私の楽しみでもあります。

 持病の五十肩ですが、3年ぐらい前でしょうか、突然の激しい肩の痛みとともに、両腕が全く上がらなくなってしまいました。その日は一晩中眠れずに、ただただ横になりながら唸っているばかりでした。翌日整形外科を受診し「先生、これって四十肩ですか」と尋ねたところ、「四十肩という言いかたは無いよ、正しくは五十肩というんだよ」と教えてもらいました。私もこのとき初めて、五十肩が正しいと認識したわけです。レントゲンを撮り、肩の骨にカルシウムが付着しているといわれました。カルシウムを散らす注射でぐんと楽になりました。二日後にチェンマイへ出発することになっていたので、翌日も念のため注射を打ってもらい、その後は痛みも無く過ごしていました。

 2、3か月後にまた痛みが襲いましたが、腕が上がらなくなるほどではなく、医者にもかからず放っておいたら2、3日で痛みも治まりました。その後も時々痛みがやってきますが、我慢できない痛みというわけではありません。私の肩痛が医学的に五十肩と呼べるものなのかはっきりしませんが、便宜上「持病の五十肩」と自分勝手に呼んでいるわけです。

 子どもたちが勉強を見てもらっている家が、同じムーバーンの中にあります。そこの飼い犬が昨晩お産を迎えました。子犬の誕生の瞬間を見るのは初めての経験です。経産婦ならぬ経産犬なのですが、思ったより難産になり、獣医を呼びました。子犬の口の辺りが見えているのですが、なかなか出てきません。母犬は苦しそうに時々うなり声を上げ、またお腹の辺りがぴくぴくと震えています。獣医が子犬の頭をつかみ、外に引っ張り出そうとします。母犬は痛みのためか、大きく声を上げます。

 獣医がやっとのことで引き出した一番目の子犬は、残念ながらすでに亡くなっていました。お産に時間がかかりすぎてしまったため、息ができず亡くなったとのことです。飼い主がその遺体を処分しようとすると、母犬は悲しそうに泣き声を上げ、そのあとを追いかけようとします。母犬は床に落ちた羊水でしょうか、どす黒い血の塊のようなものですが、それをぺろぺろと一生懸命舐め回していました。本来なら生まれてきた我が子犬を、こうして舐めてあげるのでしょうか。悲しい光景でした。

 獣医の話では、やがて二番目の子犬が産まれるであろうとのことでしたが、なかなかその兆候がありません。この日はもう遅かったので、帰宅しました。翌朝、二番目の子犬を自力出産したそうですが、またこの子もすでに亡くなっていたそうです。結局胎内にいたのはこの二匹だけで、二匹とも生を得ることはかないませんでした。母犬は快復し元気とのこと、せめてもの救いです。


-------------------------------



 あの民族衣装を着て行く日はいいですよね。タイの民族の誇りに対する姿勢をすばらしいと思います。日本で今そんなことを法令化しようとしたら、「戦前の暗い日々にまた」「軍靴の響きが」とサヨクマスコミが大騒ぎすることでしょう。きょうの『週刊新潮』で高山正之さんがマッカーサーがいかに日本を骨抜きにする政策を実施したかについて触れていました。あまりに効果があがりすぎてアメリカも呆れたことでしょうが同時にまた田中角栄のようにすこしでも逆らう気配を見せたものは今も昔も躊躇うことなくつぶしに来ます。まさに属国です。負けるというのはかなしいことです。歴史観があちらのものになってしまいます。
 きょう電車の中で大声でわめきちらしているいわゆる「ヤマンバギャル」を見かけました。東京から茨城に帰る常磐線なので田舎のヤマンバです(笑)。髪は茶と銀のまだらでした。
 ヤマンバの隣に成人の日が近いからか和服を着た娘がいました。それがまた最初から最後までケイタイのメイル画面を見たままで、これもこれでけっこう笑えました。このごろいやなものを見るとすぐに逃げてしまうのですが、きょうは電車が混んでいてせっかくの席がもったいないのでずっとすわっていました。つらかったです。

 らいぶさんの五十肩がそんなに本格的なものだとは知りませんでした。あれこれ話しているようでいて話してないこともまだまだあるのですね。もっとも躰の具合については悪いときにしか話題にしませんが。ぼくもいまは痛みがないので忘れていますが、あれは思い出すだけで憂鬱な経験でした。そうして思うのは「躰の弱い人は強い」ということです。子供のときからどこかが悪く、常にそれを意識する感覚で生きていたら、人生観への影響は大でしょう。すこし足が悪く全力疾走できないだけで人生観はまったく変ってくるように思います。ぼくのようなバカがいい年こいて「借金はあるが貯金はない」などと寝ぼけたことを言っているのも躰に痛みがないからだと気づきます。同じ視点で、憂鬱な暗い空を見て育った人は強いです。耐えることも知っているし春のありがたさもわかっているし。と書いてくると、ぼくは茨城のバカさを批判しつつ、ぼくこそが茨城そのままなのだと気づき、落ち込んでくるのでもう止めます。

 犬は安産の象徴なんですけどね、そんな難産の犬もいるんですか。腹帯=岩田帯も戌の日から締めたりします。ぼくの近所のおばさん(今はおばあさん)には、その日も山に出て作業をしていて、そこで産気づき、山でひとりで産んで、抱いて帰ってきた、なんて人もいます。子供も無事に育っています。今みたいに産院でおおさわぎしなくても女というのはもっと強いものだと思うのですが(最近でも女子高生がトイレでひとりで産んでそのまま捨てたなんて話もあります)、一方で安産の象徴なのにそういう犬もいるんですね。子犬の死は残念ですが、子供さんの情操教育に役立つことと思います。
1/7(金)  Vol.9──パスポート更新のこと

 今日は、2月に行われるタイ下院総選挙の抽籤日でした。政党の番号(順番)を決める抽籤のようですが、TVニュースはどの局も朝からこの話題で持ちきりで、津波関連のニュースは暫しお休みといった感です。各政党の代表者が籤をひくたびに、会場につめかけた支持者から大歓声があがり、まるでお祭り騒ぎです。タクシン首相率いるタイラックタイ(タイ愛国党)が9番をひき当てると、会場は昂奮の渦に包まれました。タイでは「9」という数字が最も運が良いとされているからです。この人の強運を羨むべきか、何か裏工作でもあったのか、いずれにしてもたかだか抽籤会で、これほど大騒ぎするのは理解に苦しみます(笑)。

 娘のタイのパスポートが有効期限切れとなったので、更新手続きに行ってきました。子どものパスポート手続きには、両親の同行が求められます。法律でそう決められているのか定かでありませんが、私がタイに滞在中でないと手続きができないというのはおかしな話だと思っています。そういった理由もあり、チェンマイ県庁のパスポート窓口には何度も行ったことがあります。チェンマイでパスポートを申請するタイ人はそう多くはなく、いつもがらがらで、ものの数十分で終っていました。

 しかし今回は少し様相が違っていました。大勢の人が順番を待っており、手続きが完了するまで2時間半もかかってしまいました。その時は、たまたま日にちが悪かったのかとも思いましたが、このところチェンマイでパスポート申請をする人が増えているのだと後で知りました。好調経済で小金持ちが増えているといった事情もあるのでしょうが、不正に申請するケースが目立ってきているとのことです。死亡したタイ人になりすまし、タイ国籍を持たない人、中国系や山岳民族などがバンコックは遠すぎるので、ここチェンマイに訪れるのだそうです。

 さて、私の子どもたちはいわゆる「二重国籍児」です。日本の法律では二重国籍を認めておらず、未成年者が二重国籍になった場合は、成人してから2年以内に(成人の場合は2年以内に)国籍を選択しなければならないと定められています。ですから22歳までに日本かタイ、どちらかを選べばいいということになります。それまでは、子どもたちが日本に来るときは、タイと日本、2冊のパスポートを使い分けることができます。すなわち、タイの出入国の際はタイのパスポートを、日本の出入国の際は日本のパスポートを、といった具合です。そうすれば、面倒なヴィザの問題などは全く無い訳です。

 ところが以前、チェンマイの出入国管理官は、タイのパスポートの使用をどうしても認めようとせず、日本のパスポートしか受け付けようとしませんでした。理由は明確です。日本のパスポートで入国すれば、出国の際に「オーヴァーステイ」と難癖をつけ、罰金を取れるからです。勿論、その罰金は国庫に入るのではなく、自分たちで山分けする訳です。当然そういったことが許されるはずもなく、断固として抗議するのですが、むこうもなかなか譲らず、いつも大喧嘩、時間ばかりがかかってしまいました。こうした対応に嫌気がさし、わざわざバンコックで手続きする、私と同様の二重国籍児を持つ友人もいたほどです。バンコックではこうしたことは一切無いようでした。

 私の妻はもめごとを回避するため、つてを頼ってチェンマイイミグレーションの高官を紹介してもらい、難癖をつける(下級)出入国管理官には、直ちにその人の名を告げ(あるいはその場で電話し)、スムースに事を運んでいました。チェンマイのイミグレーションは、こうした悪評が高かったのですが、現在ではかなり改善されているようです。今では子どもたちの出入国も、滞りなく行われているとのことでした。裏の世界が全く無くなったとは思えませんし、それがまた都合が良い場合もあるのですが(笑)。


-------------------------------



 ラッキーナンバと言えば、今回父の件で病院に日参しましたが、以前は不吉とされた四(死)や九(苦)の番号がいまはどこにでもあるんですね。私の父が最初に入った四人部屋なんて、それこそ死階の苦号室でしたがお年寄りはみな気にしていなかったようです。時代です。
 西洋から来たラッキーセブンよりも自分たちの幸運の数字である9を大事にするタイ人の感覚をいいなと思います。でもタクシン、どうも数字をいじったような(笑)。あの人ならやりそうです。

 去年の七月に切れ、週明けに新たに申請するつもりのぼくのパスポートは六年前にチェンマイイミグレで作ったものでした。なんだかつい昨日のことのように思えます。当時もう日本のパスポートはいまのように、なんというのですか、パスポートに直接顔写真が印刷されたようになる最新型でしたが、チェンマイで作るそれは、むかしのような写真にビニールを被せたラミネート加工のものでした。それはそれでいとしく、いつもパスポート発行欄にはThilandと書くたびにそのときのことを思ったものです。ぼくのパスポートの発行地はいつも東京でした。今回作ったら初めて入国カード等にIBARAKI Prefと書くことになります。

 チェンマイイミグレ(=田舎役所)のだらしさなはむかしから有名でした。『サクラ』の有山パパのように海千山千のヴェテランは、ビザ延長の際にさりげなくパスポートに500バーツ札を挟んでおきます。すると20冊以上も積み上げられたパスポートの一番下なのに、ああら不思議数分と待たずにやってもらえるのでした。そういう手管を知らない白人若者がやたら早い処理の日本人老人に首をかしげていたものです。他人事として見てはおもしろく、ぼくもそのテクニックを教えてもらいましたが、金が惜しいのではなく、どうにもそういう手段を使うことを潔しとせず、順番通りに待っていました。(そういう自分を愚とも思い同時にまた好きでもあります。)すると今度は「日本人というのはこちらの気持ちが分かるのに、あの日本人は金が惜しくて払わないのか。ケチなヤツめ」と逆に意地悪をされていつまで経っても番が来ないのでした。ぼくより後から来た白人が次々と終って行くのを見て事なかれ主義者のぼくもさすがに抗議したものです。それからは日本で一ヶ月のVISAを取って行くようになりました。二週間ノービザでいられて、イミグレで二週間延長すればよく、目黒のタイ大使館まで出かけて一か月のVISAを取るのは面倒でしたが、あのチェンマイイミグレでの不快を思うとそちらのほうがよほど気楽でした。当時の思い出を語ると血圧が上がるので止めます。(現在は一ヶ月ノービザ滞在可能。)
 六年前にパスポートを作るころには、あの誰っていうんでしたっけ、不美人だけど日本語がうまく漢字も書ける女性係員がいて、だいぶ改善されていました。いやあれはイミグレじゃなくて領事館のほうか。空港近くのイミグレのろくでもなさはいまも変らないのでしょうか。

 ちょっと話がずれますが、何度かその領事官主催の新年会に出席しました(かってに押しかけただけですが)。日本人領事の新年のあいさつが一見叮嚀のようでいてじつは投げやりだったことが印象に残っています。つまりチェンマイに惚れ込んでいるぼくからするとチェンマイ領事なんて最高だなと思っているわけですが、出世を夢見て外務省に入った彼からすると典型的な窓際とか島流しなのであろうと、その態度からわかりました。そういう人の奥さんてきっと「××さんなんかイギリス大使ですって。あ~あ、わたしチェンマイなんて恥ずかしくて言えないわ」なんて愚痴を言うようなタイプではないかと想像したものです。あれはけっこう勉強になった瞬間です。
 『サクラ』に集っている図々しい連中がただ飯が食えると呼ばれてもいないのに押しかけたのに野次馬となって便乗参加しました。その連中が品のないぼくの大嫌いなバックパッカーであり、恥ずかしい思いもしましたが、今となっては引っ込み思案のぼくはそういうことがなければ体験することはなかったし、いい経験をさせてもらったと感謝しています。

 国際結婚という難儀なことを楽々とこなしているように見えるらいぶさんですがいろいろとご苦労はあるのですね。奥さんの強さが印象的です。ぼくも数多くの困難にこれから立ち向かわなければならないのですが、きっと妻が強くなってくれるだろうと期待しています(笑)。
 それにしても有山パパやT漁撈長のような世代が、異国での生活でも上手に権力者につけとどけをして、日々の暮らしを円滑に進行して行くのを見ると、戦前戦後を経験して苦労をしてきた世代は強いなと感心したものです。(=彼らの築いた社会に安穏としている自分のようなのは弱いなと実感しました。)

 帰国の日が迫ってきましたね。パソコンソフト寄せ集めCDとヴィタミン剤(シルバー)をよろしくお願いします。
1/10(日)  Vol.10──ワンデック(こどもの日)のこと

 1月8日はワンデック、子どもの日です。タイの「子どもの日」は国民の祝日ではな く、1月の第二土曜日に固定されています。あちこちで子どものためのイヴェントが 催され、去年もそうでしたが、今年もそれらをはしごして来ました。ホンダからユー ザー専用招待状が今年も届いたので、まずはホンダへ。実はホンダのシビックはもう 売り払って、今はトヨタのソルナ・ヴィオスなのですが、名義変更しても販売店には 情報が伝わらないようです。会場へ着くと、なんとソルナの多いこと(笑)。気にせずに、無料のドリンクや軽食をごちになり、子どもたちはお土産のおもちゃに大満足の様子でした。

 続いてロビンソン・エアポートへ行き、昼食に「8番ラーメン」へ入店。これまた 定番ですが、子どもたちはこの店の大ファンです。娘は冷麺、息子は味噌ラーメン、 迷うことなくいつもこのメニューとなります(笑)。一緒に行った甥っ子は、初めての入店ですが、味噌ラーメンがいたくお気に入りの様子。息子と二人で、最後の一滴 まで食べ尽くしていました(笑)。

 さてここにはホンダの人型ロボット、アシモが来ておりショーが催されています。 このアシモ君、オーストラリアやシンガポール、フィリッピン、マレーシアなどを巡 回し、タイへやって来た模様です。タイではなんと(!)、国王陛下に謁見するとい う名誉に預かったそうで、なんとも信じ難い話です。タイ用にワイ(合掌)もプログ ラミングされていたようで(笑)、その様子がショーに先立ち、ヴィデオで紹介されていました。またタクシン首相と握手するシーンなども流れていました。ホンダもこ のアシモの巡回ツアーには、かなり力を入れていたことが窺えます。お金もずいぶん 使ったんだろうな、などと邪推したりもします(笑)。

 ショーはアシモが流暢なタイ語をしゃべり、歩いたり、手を振ったりと他愛の無い ものでしたが、入場整理券を手に入れるのも大変なほど大盛況で、会場は大勢の人で埋め尽くされていました。笑いや拍手が耐えないほど、タイの子供たちにはうけていたようです。アシモのタイ語はどう考えてもタイ人による吹き替えですが、わが子ど もたちは、アシモはタイ語が上手だと感動していました。子どもの夢は壊さないほう が良いと思い、「さすがだろ、日本の技術は」などと適当に相槌を打っておきました (笑)。

 夕食はロビンソン・エアポートで偶然一緒になった娘の友達親子とともに、ムー・ ガタ(タイ式焼肉)のお店へ行きました。ここは一人89バーツで食べ放題です。メ ニューも多種取り揃えてあり、いつもタイ人で満席状態です。この日は特に子どもの姿が目立ちました。子どもたちも、学校の友達に随分出会ったようです。お腹も一杯 になり、帰宅。タイのワンデックは、まさに子どもの日です。どこへ行っても子ども たちで大混雑、親たちもこの日だけは子どものために一生懸命な様子がありありと表 れていました。私と妻も疲れ果ててしまいましたが(笑)、子どもたちは大満足の様 子でした。


-------------------------------



 きのうがタイのこどもの日であることを知っていました。なぜかというとテレビで見たからです。
 日本ではいま毎日、かつてないほどタイのニュースが流れています。「スマトラ沖地震」の被害報道関連です。インドネシアの地震なのに当初インドネシアの死者数が5千人、それに対して遙かに離れたスリランカが1万2千人と出たものですから、ぼくはそれに驚き、上掲のスポーツ紙からの図を使ってその理由を探ったりしました。いまは罹災国全体で死者数15万人にもなる歴史的災害となり中でも発生国であるインドネシアの被害が最大であると確認されています。

 日本の報道は圧倒的に「現地プーケットから」が多く(当初はそれだけだったとすら言えます)、なにも知らずにテレビを見たなら地震が起きたのも最大の被害国もタイだと思ってしまいそうです。現に私の妻はいまもその感覚が強いように思います。だって毎日流される被害の映像と、テレビに出てきて語る現地の被害者がタイ語なのですから。
 そのことでいかに日本とタイが近い国であるかを(=インドネシアやスリランカが遠いかを)実感した次第です。ゆくえをつかめていない日本人は五百人以上いるそうで、そういう中、タイのプーケットがいちばん確実に日本人観光旅行者の死が確認されたからでもありますが、とにかく連日タイからの報道ばかりでした。同じ自由主義国家として、佛敎的な繋がりとして、皇室王室をもつ国として、日本とタイの親密さを知らされた思いです。
 俗な言いかたをするなら、むかし「クイズ 世界はShow by、ショーバイ」だったか、そんな番組で──友人が関わっていたのでとくに印象的なのですが──最初のころは世界の中のその他大勢の国でしかなったタイが、やがてどんな四択問題でも必ず顔を出し、まるでタイの特番のようになってしまい、スタッフがタイにはまっている(おそらく性風俗でしょう)のが見え見えで笑ったものでした。そういう関連からも、多くのテレビスタッフにとってタイは近しい国であったのでしょう、とにかくタイからの報道ばかりでした。イラクで殺された(あえて亡くなったとは言わないようにします)橋田さんが事務所を構えていたのがバンコクであるように、世界のハブ空港であり便利な地であるのもたしかです。ここにきてやっとインドネシアからの報道が増えつつあります。
 そんなわけで、地震災害の報道がいつものようにプーケットからあり、そこでなんども「きょうは、タイはこどもの日です。被害に遭ったこどもたちはお菓子をもらい……」と言っていたのでぼくも知っていたわけです。初めて知った日本人も多いことでしょう。

 今回らいぶさんはチェンマイでこの災害のニュースを知りました。ぼくが思い出すのは阪神大震災の日にチェンマイにいて、朝から「イープンがペンディンワイで」と大騒ぎになっていたことです。語学本で習って知っていたペンディンワイ(地震)というタイ語をタイ人の口から初めて聞いたときでもありました。
 多くの有名人が義捐金を送っていますがシューマッハの10億円にはおどろきました。運転手ってお金があるんだなと知りました。ぼくも普通免許はあるんですがシューマッハのようになるにはどんな免許が必要なのでしょう。大型特殊とかでしょうか。

 「食べ放題 ムー・ ガタ(タイ式焼肉)」は残念ながらぼくには合いませんでした。れいの焼き肉店「すずらん」とかでぼくが毎回600バーツぐらい使っているのを聞いた日本人が、そんな高い金を使うなら(それだって日本から比べたらとんでもなく安いわけですが)食べ放題で69バーツだと言って紹介してくれました。牛と豚のちがいはありますが格安には違いありません。なぜか、タイ式豚の焼き肉はぼくには合いませんでした。まあ「焼き肉の本場、韓国」と言いますが、ぼくは韓国の焼き肉より日本のほうが好きですし、好みが偏っているのでしょう。でも本物真露とうまいキムチはいいですよね。ああ、ひさしぶりに韓国も行ってみたいな。でもいまはヘンにブームだからやめておくか。
 ところで「甥っ子」って誰ですか。当然奥さんのきょうだいのこども、ですね。弟はまだのはずですし、記憶にありません。

 らいぶさんからお便りをもらえるのも、あと一回でしょうか。
1/13(木) Vol.11-最終便──タイの選挙のこと

 10日はタイ下院総選挙の立候補届出開始日でした。TVニュースで見ると、会場周辺には各候補者の支持者が、のぼりやプラカードなどを持って大勢集まっています。こ れもまたお祭り騒ぎです。タイの選挙は、どうしてこうもお祭り騒ぎばかりなので しょうか?おそらくかなりのお金が動いているのでしょう。「票を買う」という行為 が、ごく当たり前に行われているこの国では、選挙がお祭り騒ぎになるのも分からないわけではありませんが(苦笑)。バンコックではちょっと前に物議をかもしたあの 「ソープ王」も、チャートタイ(タイ国民党)から立候補しているようです。前回の 選挙でも立候補しており、落選したもののかなりいいところまで迫ったとか。まあど うでもいい話ですが(笑)。そうそう、政党の番号を決めた抽籤のあと、お堀端のタイラックタイの看板はすべて立て替えられていて、しっかり9番の数字が入っていま した。これにも相当お金をかけているようです(笑)。

 さて娘の社会科の宿題で、「地場産業を調べる」というのがあります。実際に地元の製造業を訪ね、作り方などをレポートし、写真を撮ってくるというものです。娘が学校から帰ってくるのは5時を回ってしまうし、土日には製造業者がお休みといった事情で、仕方なく私と妻とでレポートしてきました。宿題を手伝う親は、日本もタイ も同じなのでしょう(笑)。訪れたのは、地元でカイケム(アヒルの卵の塩漬け)を製造している小さな工場です。責任者に事情を説明すると快く応じてくれました。従業員にサクラになってもらい、作業しているところを数枚写真に撮り、製造方法などを聞き取って親の手伝いはここまで、あとは娘に任せることとしました。

 受験と競争について触れられていましたね。全く同感です。日本とタイの学校教育の大きな違いは、ひとつにはこの競争です。しかし最近ではタイの学校教育でも、競争心をあおるのは良くないといった論調も現れており、少し心配しています。また二つ目には罰を与えるということです。日本では体罰などもってのほか、といった教育に変わってしまいました。私が小学生のころは、よく悪さをし教師に尻叩かれたも のです(笑)。タイでは軽い体罰は当然のごとく容認されているし、体罰以外の罰、 例えば清掃奉仕や居残り、といったものですが、こういったものもごく当たり前に行われています。先日息子の学校でも、ボーイスカウトの制服がきちんとしていない(ベルトが違う、帽子を忘れた等々)といった理由で、生徒数名が罰を受けているのを目撃しました。また人気のTVドラマで、怖い女先生が生徒に罰を与える場面がしばしば登場します。我が家の子どもたちはそれを見て大笑いしています。

 aiさんからメイルが届き、お昼を妻ともどもご一緒しました。カノムチーンのブュッフェです。カノムチーンというのは、日本のそうめんに似た麺に、タイ式のナームチム(タレ)をかけて食べるものです。この店は39バーツで、タレの味もなかなかなもの、またお気に入りのお店が一軒増えました。aiさんも相変わらず、お元気そうなご様子でした。話題が夫婦喧嘩の話になり、私と妻は車の運転をめぐってしば しば口喧嘩をするのですが、aiさんにチェンマイでは奥さんの言うことを聞かなきゃだめよ、とたしなめられました(笑)。娘がいつも喧嘩の仲裁に入り、それがまた楽 しいので、ついつい口喧嘩をしてしまう、といった側面もあるのですが(笑)。

 後日、妻と二人でヴェトナム料理のビュッフェでお昼を食べました。タイでは食べ放題のブュッフェが大流行ですね。このところ連日のビュッフェで、お腹がはちきれんばかりです(笑)。ここは一人80バーツとやや高めなのですが、ブュッフェコー ナーには無い一品料理も、注文し放題なので割安感があります。どの料理もおいしく大満足でした。場所はプレジデントホテルの前です。

 コンピュータープラザへ立ち寄ったら、QuickPCの77が出ていたので購入しまし た。またヴィタミン剤も入手しました。この手の薬は、どの店も同じ値段かと思った ら大間違いです。因みに手に入れたヴィタミン剤は安いところで750バーツから、高 いところで1200バーツとかなりの開きがありました。センタン地下の安売り薬局が一 番安いようです。この店には外国人ツーリストには消費税をお返しします、と張り紙がありましたが、気づいたのは購入した後、あとの祭りでした(笑)。それでもこの 価格は、ほかのどの店でも見つかりませんでしたので、よしとしておきます。

 妻の弟は結婚したものの、子どもはまだです。かわりに「すし」という名のミニ チュアダックスフンドを飼っており溺愛しているようです(笑)。携帯電話の店も順調なようで、義兄としては安心しています。妹は相変わらず、山奥で山岳民族の子ど も相手に教師をしています。最近恋人ができたとか、これもまた義兄としては安心で す(笑)。「甥っ子」というのは、妻が姉と呼び慕っている親戚の長男です。どういうつながりなのか、私にもいまいちわからないのですが(笑)、幼少時に同じ家で一緒に育ったこともあり、本当の姉妹のように親しくお付き合いしています。私も今の 家を建てる前は、チェンマイに行くといつも泊めていただいていたので、お姉さんと 呼び親しくしています。そこの一粒種が「甥っ子」です。
  
 さくらレストランに顔を出してみたものの、またまたパパはご出勤前でした。子ど もを迎えに行く時間と、ご出勤の時間が重なるため、なかなかお会いできません。こ んなことなら、元日に無理をしてでもお雑煮をいただきに出向くべきだったと悔やん だりもしますが、機会は次の楽しみにとっておくことにします。

 今日は朝から貴ホームページに夢中です。私は高校卒業後18歳で一人住まいを始めましたが、それまでは家で常に犬か猫のどちらかを飼っていました。よくいわれることに、犬は忠実で主人に良くなつくが、猫は勝手気ままで主人になつかない、などといいます。私はどちらかというと犬派でしたが、経験からもそうであると思い込んで いました。猫との熱い愛情物語を拝見するにつれ、誤りであったと深く反省していま す。
 chikurinさんの「天皇制…どちらとも」楽しく拝見しました。私も元サヨクモド キでしたので(笑)、思わず唸ってしまいました。「前代の王を抹殺して新たな国家 を打ち立ててきた中国の王朝と大きく異なるところであり、日本人の精神性の特徴を指摘し得るところ」のあたりには感銘を受けたしだいです。チェンマイ最後の日に、 良い文章を読ませていただくことができ感謝しています。
 
 本日12日の夜便にて帰国します。チェンマイ便りもこれが最後となりそうです。お 土産も入手しましたので、日本でお会いできる日を楽しみにしています。

-------------------------------



 娘さんの宿題を夫婦で手伝う、には笑いました。まあ親ってどこでもこんなものなんでしょうね。なんか写真を撮ってるらいぶさんの姿が浮かびました。

「甥っ子」の件、了解しました。やはりそうなんですよね、だって奥さんの本物の甥っ子が思いつかなかったから。
 タイのあの感覚は不思議です。タイ娘と親しくなり、「ピーサーオ=おねえさん」と紹介されてほんとにそうだと思っていたのに、何年も経ってから、じつはまったくの他人だったと知ることがよくあります。その理由は、バンコクで知り合い、同じ村の出身と知って、それからは姉妹同様のつきあいをしてきたから、おねえさんと読んでいた、とかね。ヤクザ社会における「アニキ」と同じでしょうか。それが男の取り合いでケンカ別れして、もうおねえさんでもなんでもない、とか(笑)。いい感覚だなと思う反面、おいおいと言いたくなるものもずいぶん見聞きしてきました。

 ぼくは食が細いのでビュッフェ、日本で言うバイキングはあまり経験がありません。チェンマイで、なんどか誘われていったのがエンプレスホテルの昼食ビュッフェになります。みなさん、この値段でこれだけ食べ放題だから最高だろうと同意を求めてくるのですが、決められた時間の中で食べ放題定額制、というのはやはり食いしん坊の世界なのでしょう、どうもぼくにはあわただしくてダメでした。

 でも「プレジデントホテル前のヴェトナム料理ビュッフェ」は記憶の引き出しにしまいました。機会があったらぜひ行こうと思います。ヴェトナム料理もしばらく食べてないな。
 プレジデントホテルというのは初期に連泊した思い出のホテルです。中華系の経営なので「大統領大旅社」とか描かれた金色のプレートがありました。古い建物でベッドに芯がなく寝心地は最悪でした。でもあのころのチェンマイは、いま思うと、うっとりするぐらい楽しかったです。
 その前の通りというと、ちょっとエッチなカラオケ「シンユウ」のあるところですね。シンユウはどう書くんだっけ、真友かな、ちがうな。親友でないのはたしか。「ちょっとエッチ」というのはホステスが下着の透けて見えるシースルーのドレスを着ているからです。健全ならいぶさんは言ったことがないでしょう。Hさんと何度か行きました。売り物がそれだから値段が高くて、それでいてカラオケの設備はひどくて、あまり好きなところではありません。まあお色気目的なのだからカラオケなんかどうでもいいんでしょう。あまり好きじゃないはずなのに、いま下着の透けて見えるシースルーのと書いていたら猛烈に行きたくなってきました(笑)。

 ビュッフェと言えば、ナンシー(『宇宙堂』ナベちゃんの奥さん)がチェンマイランド(←通りの名)に店を出して、それが食べ放題のビュッフェで大人気、というのが前回チェンマイに行ったとき話題になっていました。エビを使ったような高い食材の料理ばかり早くなくなるとのことでした。店名はなんでしたっけ、「あのね」かな。そんなタイ人にとっておもしろい日本語(日本人にはそれほどでもない)の名前でした。うまいネイミングだなと思ったことを覚えています。
 思わずチェンマイランドに通りの名と註を入れてしまいましたが、これはぼく自身「ランド」から最初のころ地名だと思い、通りの名前だとわからず戸惑ったからです。

 このチェンマイランドの件では、その出店がカミヤさんの焼き肉屋「北門」の隣だったので、日本人経営の食堂の隣に日本人経営の食堂とは、あまりに仁義知らずだとカミヤさんが激怒していたことが印象的でした。
 そのしばらく前、『宇宙堂』でヤキソバを食べたとき、『サクラ』よりうまいと褒め、ナベちゃんに同意を求めたところ、ナベちゃんが「むかしの本屋だけの『宇宙堂』ならともかく、いまはウチも同じ食堂だからそういうことに意見は言えない」と応じたことが、ナベちゃんらしいおとなの意見として記憶に残っています。同時にまた軽々しくそういうことを言った自分を恥じました。たしかに、『宇宙堂』でそう言い、今度は『サクラ』で別のメニュウでそう言ったら、それは単なるコウモリ男です。ナベちゃんはおとなだと思いました。

 ナベちゃんと言えばチェンマイに渡る前、武蔵小山に住んでいました。武蔵小山商店街の裏手、小山台です。仕事は新宿の喫茶店だったかな。ぼく自身が武蔵小山に六年住んでいて、その当時は旗の台でしたが(といっても歩いて二十分程度の距離)、金沢のKの住んでいたアパートがここにあり、毎日その近辺をKと出歩いていました。確実にナベちゃんと武蔵小山でニアミスしているはずで、なんとなく縁を感じたものでした。(その小山台の公園でKやMと酒盛りをしていて出会ったのが先日書いた猫になります。)

 ナンシーの出店は物議を醸していました。いまも繁盛しているのでしょうか。
 チェンマイにいる日本人のやる商売は、タイ人客も対象に入れるにしても、基本は観光日本人の取り合いです。ということは日本人仲間の誰かが商売を始めるということは、敵が一人増えるということであり、かつて『サクラ』で同じテーブルを囲んでいた人たちが、次々とライヴァルになり、不仲になって行きました。その今ではチェンマイの一国一城の主たちが『サクラ』で同じテーブルを囲んでいた時代を知っていることが、ぼくのささやかな誇りになります。以前も書きましたが、そのテーブルで「きょうは××さんの結婚式だ」と、おしゃれして出かける有山パパが言っていたことを覚えています。××さん、つまりらいぶさんです。それから出来た子供さんがあれだけ大きくなったのだから、時は流れています。
 らいぶさんのように日本食食堂「一休」の経営者でありながらみんなと仲良くつきあえたのは稀有な例でしょう。らいぶさんがチェンマイ定住者ではなかったこと、「一休」がちょっと高級で直接的な客の取り合いがなかったこと等いくつか理由はあるでしょうが。

 ADSLになり、300メガのホームページに移ったら、やりたいと思っていることがいくつかあります。「しま物語」はその筆頭でした。らいぶさんが夢中で読んでくれたと言ってくれたことに意を強くしています。
 ぼくのホームページも、「チェンマイ話」から、「云南話」、自分の考えを前面に出した「日々の日記」とメインが変遷してきました。昨年後半は恥知らずにも赤裸々に骨肉の愛憎劇を書いてみました。
 父がいなくなってしまったことで家族話はもう終りです。
 一区切りついたら、自分なりの創作発表の場をメインにしたいと思っています。
 チェンマイは任せました(笑)。
 今までの連載も「チェンマイ便り by らいぶ」としてきれいにまとまっています。引っ越してまともなホームページになったら大々的にひっそり(?)公開しますので楽しみにお待ちください。

 昨年の四月はいっしょに大洗水族館に行き、潮来で船遊びをしましたね。桜の季節でした。らいぶさん一家がうちに泊まって、帰るとき、門のところから父が手を振って送ってくれました。きょうは父の三十五日で親戚が集まって供養があるのですが、いまだに父がもういないのだという実感がありません。

 昨年ビザを更新したから今年は奥さんと子供さんは来日しないのかな。まあその辺は会ったときに話すとして。
 ひさしぶりにみんなで飲みたいから、後藤さんにお願いしてオフ会をやってもらいましょうか。
 現在午前五時。いまごろは飛行機の中で眠っていることでしょう。
 「チェンマイ便り」お疲れ様でした。次は夏ですね。
1/16(日)  帰国報告

 13日の朝、無事帰国しました。思えば長いようで、あっという間の4週間でした。確かに日本は寒いのですが、熱いお風呂に入れることが、これほどの喜びとは思いませんでした。あちらでは、たとえ寒くともシャワーだけでしたので。私の移住後は、お風呂を増築することを妻と約束しました。やはりこれが無いとつらいと思うのは、私が年をとったせいでしょうか(笑)。

 ところで、ロットカバの語源ですが、冨田竹二郎氏編集の「タイ日辞典」によれば、カバとは、手箱、小箱の意でアラビア語からきており、「縁のある木製の四角い盆で花や野菜を植えることもある、手押車、ピックアップ」とありました。これが正解なのでしょうか、今度はタイの図書館で調べてみようかと思っています。 


-------------------------------



 らいぶさん、お帰りなさい。
(註・「確かに日本は寒いですが」は、私の「日本は寒いでしょう」というメイルへの返信です。)
 ロットカバは、富田先生の辞書にありましたか。持っているのに調べませんでした。まったく半可通は困ったものです。
 となるとやはり「木製の四角い盆」ということから、純粋タイ語なのでしょうかね。
 お会いできる日を楽しみにしています。お仕事がんばってください。



inserted by FC2 system