らいぶさんのチェンマイ便り──2004/9/19

 無事チェンマイへ到着しました。あいにくこちらのPCが不調で、ご連絡が遅くなり申し訳ありません。出発前はあわただしく、いただいたメイルにもお返事が出来なく申し訳なく思っています。(作業日誌でご心配なさっていたようですが、無事到着しています。) こちらへ到着したらすぐにお返事を差し上げようと思っていたのですが、PCが極端に不安定で、復旧に今までかかってしまいました。日本語環境のほうはやっと何とか使えるようになったのですが、タイ語環境のほうは全くダメで、子供たちにも文句を言われっぱなしです(笑)。また、日本語環境のほうもいつダウンするかわからず、PCの電源を入れるたびに祈るような思いでいます(笑)。どうしようもなくなったら、弟のPCかインターネットカフェに乗り換えることにします。

 さて、チェンマイの様子ですが、現在雨季の真っ最中で、連日雨が降っています。ピン川が氾濫寸前で、あと数センチで溢れ出しそうです。川沿いのブラッサリーを始めとしたバーなどは、いつ営業ができなくなるか、戦々恐々の状態です。洪水の被害は全土に広がっているようで、TVでは連日スコータイでの洪水の被害を放映していました。
 市内ではあちこちで道路工事が行われていて、大渋滞を引き起こしています。幹線道路の数箇所で立体化(トンネルを掘っての)を図っており、そのため道路が封鎖され、大きく迂回しなければなりません。聞くところによると、完成までにはあと2年はかかるとのこと。完成後はスムーズな車輌の流れが期待できそうですが、それまでの交通渋滞に耐えるのは大変です。また、チェンマイ空港では新しいターミナルビルの建設が進行し、こちらは本年末には運用を開始するそうです。こういったインフラの整備は、タクシン首相の戦略でしょう。お膝元のチェンマイだけに、来年(だったかな?)の総選挙を控えた、人気取りといった側面が強いように思われます。




 我が家の新車ですが、トヨタのSOLUNA‐VIOS(今、妻が車で外出中のため、スペルが確認できません)でした。同程度の他社の車輌に比して、割安感があるため、タイでは人気の車種だそうです。実際市内でも良く見かけます。本体価格が約60万バーツで、他社製品は約90万バーツといったところです。弟も同じ車を購入しました。2台とも「クルンテープ」ナンバーです。わざわざ、バンコクまで出かけていって購入したそうです。妻いわく、クルンテープナンバーだと、市内で不慣れな運転をしても、他人に「この車は、よそ者だからしょうがないか」と思わせる効果があるとのこと。そんなものかとも思いますが、日本でも「品川ナンバー」にあこがれる人がいるように、クルンテープナンバーには魅力があるのかもしれません(笑)。てなわけで、運転中は我が家も弟も、クルンテープ人になりきっています(笑)。

 お土産はクイックPC最新版とジャズのMP3でよろしかったでしょうか。ジャズのほうは何番からかお知らせください。以前購入した番号を忘れてしまったので。そうそう、マルチヴィタミン剤はいかがでしょう。まだ残っていますでしょうか。長くなりましたので、今回はこの辺で。続きはまた。


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云南も大雨


 云南の妻のところで稲刈りが始まった。日本の米は猛暑の夏で豊作だとか。ところがあちらのそれは実りの秋とはちょっと違うようだ。例年にない大雨続きで稲が腐ってしまうゆえの取り入れであるらしい。私は子供のころにそれを経験している。颱風による大雨で田んぼが水没してしまう。一面、湖だ。刈り取らないと腐ってしまうから満足できる出来ではないが刈るのである。みな腰まで水に浸かって稲刈りをした。あのころは数年に一度そんなことがあった。人は自然には勝てない。ちっぽけな存在だ。だがだからこそあのころは、農民のあいだに助け合う連帯感があった。水没した田んぼの稲を救うために、みんなで助け合って一気に稲刈りをした。今はない。かつて十数人で稲刈りをした田んぼを、役場勤めのかたわら、日曜日に青年が機械に乗り、ひとりで片付ける。大勢の一日仕事だった一大イヴェントを、たったひとりで午前中に済ませてゆく。人の繋がりが稀薄になり心は渇いていった。

 云南はまだ違う。妻はきょうから稲刈りだがそれは近所の人の手伝いだ。妻の家の稲刈りは八日目だそうだ。田植えも稲刈りもみんなで力を合わせ一斉にやる。だが云南にも機械化の波は押し寄せている。日本の田舎で見た人の繋がりが消え、心が渇いてゆく様を云南でもういちど見ることだけは勘弁してほしい。まだまだ親戚や一族の感覚、助け合いが日本よりも強いのでしばらくはだいじょうぶと思うが。

 チェンマイも大雨のようだ。私が例年世話になっていたナティコートも水没していることだろう。なにしろ川に近いのでいちばん早く水没しいちばん遅くまで水没している。センターンのほうが洪水状態だと「チェンマイ通信」の佐竹さんが書いていたからナティコートは間違いなく沈んでいる。

 SOLUNAのこと。
 タイランドトヨタのホームページに行き、写真を得る。カローラに似ているとのことだ。おどろいたのはこれがアジア戦略車として97年から発売されていたことだった。つまりかの有名な「日本では廃止ブランド、タイで復活したホンダシティ」と同期だったのである。シティのほうは有名だったがこちらはまったく知らなかった。タイ関係のサイトでは「バンコクで売れており、タイでいちばん有名な日本車」なんて記述もある。私が無智だったのだろう。97年というとレンタカーを借りてはタイを走り回っていたころである。でもレンタカー屋でも出会わなかった。不思議である。

 らいぶさんへ
 Jazzは23まででした。24以降が出ていたらお願いします。寄せ集めPCのあれは67です。68以降が出ていたらお願いします。これはらいぶさんも買った方がいいでしょう。
 マルチヴィタミンはプロビタがあったらお願いします。いやプロビタじゃなくてもいいんですけど、とりあえずそれを第一候補にお願いします。八月に切れてしまってそれ以来飲んでいません。
 違法コピーソフトの現状をよろしくお願いします。ポルノCDの取り締まりはどうでしょうか。「そのうちみんなDVDになるだろう」と『サクラ』で話しあって二年になります。そのとき私は「まだまだ素材が高いからそう簡単にはならないでしょう」と言いました。この気持ちはまだ変わりません。100バーツで売るにはまだ原材料が高いように思います。MPeg-CDではなくDVDの時代になったのか、その辺も見てきてください。
 『サクラ』の皆さんの近況もよろしくお願いします。


 らいぶさんのチェンマイ便り──2004/9/24

 電話会社の人がやっと訪れ、回線が復旧しました。原因は雨季の今の時期にはよく起こるショートだそうです。3日間も待たされたのは、あちこちで同様な問題が起こっていて、作業員の手が足りなかったとのこと。今とりあえず、自宅のNEW-PCでこのメイルを書いています。機種はAcerPowerS210シリーズで、スペックはPen42.8GHz、128M、40GHDD、17モニター、CD-RW付です。OSはLinuxだったのですが、WinXP-proに変えてもらいました。また日本語IMEや、その他おまけソフト、子供用のゲーム等々、いろいろ入れてもらいました。しかしXP自体に不慣れなのと、英語もしくはタイ語のソフト表示なので、何のソフトが入っているのか、未だによく理解できずにいます(笑)。価格はUSBのメモリースティックやプリンターも含め全部で23000バーツほどでした。これが高いのか安いのか、最近日本でもほとんどPCショップへ出かけないので、とんと見当がつきません(笑)。

 このPCを購入したパンティッププラザについて少し触れておきましょう。場所はナイトバザールの先、チェンマイプラザホテルへ向かう交差点の手前です。ここは、コンピュータープラザとは違い、かなり健全な雰囲気です(笑)。4階建てで、1階にはS&Pベーカリーや日本食レストランFujiなどが入っています。違法ソフト等を扱うお店は皆無で、また周辺機器や部品を専門に扱うお店もありません。PC本体(あるいはセット販売)の専門店が多いように思われます。開店して日にちがたっていないのか、こぎれいでさっぱりしており、まるでデパートのような雰囲気です。売り場面積が広いお店が多数を占めています。また空きスペースも目立ちました。

 壊れてしまった旧PCは、弟の手により見事復活しました。RAMが壊れていて、交換したそうです。このPCは、Tさんの自作機で、システムコマンダーで、タイ語環境と日本語環境を分けていました。調子が悪くなるたびに、日本語を理解できないタイ人によっていろいろいじられていたので、私が訪れるたびにソフトやハードまでもが変わっていて、私の手にはおえないものとなっていました。PCを買い換えた原因はここにもあります。このPCは日本びいきの弟の愛機となりそうです。

 さて、次はコンピュータープラザです。前回訪れたときとは雰囲気が変わっており、以前の活況を呈していました。2階の違法ソフトを扱うお店には、元通り店先にパッケージが堂々と陳列され、MP3もH(な)VCDも比較的堂々と売られています。前回訪れたときは、こうしたディスプレイは皆無でしたが、おそらくあのときは警察の集中取締りがあったためと思われます。店員に尋ねたところ、警察の取り締まりは現在もあるので、隠れて売っているのよ、なんていっていましたが、その表情は明るいものでした。タイではよくあることですが、本腰を入れての違法ソフトの駆逐というわけではなかったようです。そうそう、JAZZのMP3では摩訶不思議なことがおこっていました。どのお店にも、22までしかなく、以前購入したはずの23もありません。あるのはポップスやダンスミュージックばかりでした。何でやねん、と言っても店員も首を傾げるばかり…。QuicPCの方は75まで出ていました。言い値は1枚130バーツ、5枚で1枚サービスとのこと。70から75までを600バーツで購入しました。MP3はかないませんでしたが、こちらを楽しみに待っていてください。
 
 DVDの状況ですが、やはりまだ普及しているとは言い難いように思えます。レンタルヴィデオショップやセルヴィデオショップでも主流は依然としてVCD(あるいは音楽CD)です。それは売り場面積やディスプレイに顕著に現れており、DVDは店の片隅で、面積も広くはありません。値段が600バーツ前後と高いことが原因と思われます。ただし、違法コピーDVDは150バーツほどで取引されているようです。ひょっとしたら、マニアの間ではこうした違法DVDが流行っているのかもしれませんが、その辺は確認できません。もっともこの違法DVDがどの程度存在するのかもわかりません。この価格は、たまたま尋ねたお店で、ナン(グ)ピーセッ(ド)、いわゆる裏VCDのことですが、そのDVD版もあるよ、とのことで値段を尋ねたときの話なのですが(笑)。因みに裏VCDは1枚80バーツほどで取引されているようです。もっとも言い値は1枚100バーツと以前と変わらないのですが。

 今回はこの辺にて失礼します。次回はさくら(まだ行っていないのですが…)の様子や、TUTAYAについてお知らせする予定です。

 お父様の看護でお疲れの身に、この便りが一服の清涼剤にならんことを祈っています。  <らいぶ>


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 23000バーツは3倍して69000円。もっと安いでしょうから65000円ぐらいでしょうか。私はパソコン雑誌でショップブランドの最安値の29800円からデュアルXEONの70万円までこまめにチェックしていますが、この値段はそこそこだと思います。ディスプレイがないとメモリやHDDがもうすこしよくなるでしょう。

 パソコンオタクとして断言できるのは「是否ともメモリを256メガにしてください」ということです。PC98時代はともかく、FMVの8メガからさんざん苦労してきた私の試行錯誤による結論だと、256メガが最低快適ラインになります。あくまでも私程度の利用と限定してですが、1ギガを積んでもあまり効果はありませんでした。以来、512メガで満足しています。
 重要なのは192メガ(デフォルトの128メガに64メガを買い足してマックスにしたもの)のノートで、いつもスワップが起きて苦労したということです。512メガのデスクトップのタスクマネージャーで観察すると、使用量は220メガぐらいで一定しています。常に複数のソフトを起動して作業し、常駐ソフトも多い私でそうなのですから、この「256」というのはかなり強烈な境界線だと思います。私のノートも、128がくっついていて、もう一枚足すところがなんで128ではなく半分の量限定なのだと恨みを言いたくなります。ここが128だったなら足して256となり、おそらく私のノートへの不満は半減すると思います。チェンマイのメモリは日本より高めですが、機会があったらぜひ増量してください。メモリ増量は最も簡単で効果的な改造でもありますし。

 Tさんの自作機はほとんどコンピュータセンタで買いそろえたものです。何台か作ったそれには私のソフトもいくつか入っているので、弟さんのところに行ったそこにもいくつかありますね。麻雀や将棋があったらまちがいなくそうです。あと辞書類ですか。そういう中、その「システムコマンダー」はなぜか珍しくあいさんがもっていた正規品でした。Tさんはそれをコピーして私にくれ、私はインストールするのを楽しみに帰国したのですが、残念ながら開いてみるとWin98用で2kには対応していず、私は使えませんでした。
 マイクロソフトのヴァーチャルPCが、QuickPCに入っています。システムコマンダーよりこれのほうが強烈です。なにしろ起動時に選択ではなく同時に使えますから。ただこれを使うのにはかなりのCPUパワーとメモリが必要になります。

 パンティッププラザは期待していたのですが、どうやら私とは無縁のところのようですね。
 ジャズCDですが、タイでは売れないだろうし、そんなものでしょう。期待していなかった(らいぶさんが購入してくれることにではなく中身にです)ので、さほどがっかりしていません。いちばん欲しかったのQuickPCの最新版なので楽しみにしています。

 裏物を「ナン・ピーセット=特別映画」と呼ぶのは知りませんでした。小さな事ですが、らいぶさんがピーセッドと濁っていたので、あれってドー・デック(=子供のD)だっけ? と調べてみたところ、綴りの最後は「ソー・ルーシィ=行者のS」でした。末尾にくるSの発音はTですから、ピーセッ(ト)でしょう。このSの綴りが語尾にくるとTの発音になるってのは、タイ語文法でもかなり強烈ですよね。
 そういえば一昨年の旅行の時、らいぶさんと私がタイ語文法用語を忘れてしまい、ああでもないこうでもないとやっていて、奥さんに尋いたら奥さんまで忘れていたのに、娘さんがサラッと教えてくれたことがありました。あれぞ現役の力だと感心したものです。
「8番ラーメン」の様子も見てきてください。ついでに「横濱」も(笑)。
らいぶさんのチェンマイ便り──2004/9/26

 この2、3日雨が降らない日が続き、ピン川の水位も30cm~50cm位下がりました。とりあえず、氾濫の危機は去ったようです。暑い日が続いています。娘は試験休みに入り、朝から家でゴロゴロしています。息子の方は、来週の月、火が試験で、その後休みに入ります。息子の試験が終わったら、家族旅行へ出かける予定です。私のTGのマイルが貯まっているので、フリーチケットを入手し、バンコク、パッタヤーへ遊びに行こうかと話し合っているところです。
 さて、以下いくつかのトピックを紹介します。

ナン(グ)ピーセッ(ト)
 タイ語でポルノのことを「ポ」もしくは「ポッポ」(タイ語によくある繰り返し)といいます。管理人さんとメーサイへ旅したとき、タチレクのVCD屋で、最初にCD「ポ」を見せろと言ったら全く通じず、ナン(グ)ピーセッ(ト)はあるか、と聞き直したらすぐに裏の部屋へ案内されたことを思い出しました(笑)。このとき、「ああ、こちらの方がよく通じるんだな」と実感した次第です。ピーセッ(ト)の綴りは忘れていました。ご指摘のとおり(ト)でしたね。

8番ラーメン
 小2の息子がこの店の大ファンで、私が日本にいるときも、妻と娘は別の店で、息子一人で8番ラーメン、なんてパターンもよくあったそうです。今回もエアポートにある8番ラーメンへ行ってきました。このときも、私と息子が8番ラーメン、妻と娘が別の店というパターンでした(笑)。息子は大好物の味噌ラーメン、私は新メニュー(?)の「ざるラーメン」を食しました。細麺の上にきざみ海苔がのっていて、少し甘めのつけ汁に薬味が長葱、わさび、大根おろし、とまるでざるそばの麺がラーメンの麺に変わっているだけ、という代物でしたが結構いけました。ここの味噌ラーメンにはたくさんの野菜が入っているのですが、野菜嫌いの息子は、うまいうまいとすべてたいらげていました。タイ人にも評判はそこそこのようで、結構繁盛しているようです。

横濱
 エアポートのクーポンレストランの中にも、横濱があります。ここは、コストパフォーマンスが抜群で、鶏から揚げ定食30バーツ、カツカレーやとんかつ定食40バーツ(だったか?)等々、ともかく安いのです。タイ人にも好評のようで、私が行ったときには女子学生風のグループがこの店の前にたむろし、ソース焼きそばなどを注文していました。ただ味の方は、あいかわらずいま一つで、餃子も油で揚げたものです。さすがにこの店には「日本語話せます」の表示はありませんが(笑)、「らーめん」と書かれた赤提灯がぶらさがっています。また、「五月あん排焼きそば」の誤字もそのままでした(笑)。(「月」は「目」に直っていたかも?)タイでの日本食ブームはまだまだ続いているようです。

緑茶
 タイでは緑茶がブームです。ペットボトル飲料等の種類もますます豊富になり、蜂蜜入り、レモン味、ストレート(加糖していない)等々、以前より格段に増えています。がん細胞抑制や高脂血症、高血圧などに効果があるとのことで、好まれて飲まれているようです。TVのCMも盛んに流れており、OISHI(おいしい)ブランドの緑茶CMには日本語がたくさん出てきます。このCMのことは、以前にも書きましたが、「しんべぇ、ちょうだい」あるいは「死んでぇ、ちょうだい」「せんべぃ、ちょうだい」等々、何を言っているのかよくわかりませんでした。が、今回やっとその意味がわかりました。「新芽(しんめ)、ちょうだい」と言っているのだそうです。おい、ちょっと待てよ、その言いかたはないだろう、と文句を言いたくなります(笑)。「新茶」ならわかりますが「新芽」とは…。因みにこの言葉はタイの子供たちに大うけで、よく冗談のネタになっています。

日本語教科書
 我が家に日本の小学校で使用している教科書があります。なんでこんなものがあるのかと不思議に思っていたところ、先日、在チェンマイ日本領事館から娘と息子宛に手紙が来ていました。前回まで郵送配布だった教科書を、今回からは取りに来てほしい、といった内容でした。勿論無料です。そういえば、前回チェンマイに来たとき、子供二人の「在留届」を領事館に提出しておいたのです。「在留届」にこんな効果があるとは思ってもいませんでした。現在のところ、我が家の子供たちには難しすぎる(日本語がほとんどだめなので)代物ですが、ありがたく受け取りに行こうと思っています。とりあえずは、日本語を勉強中の弟のよきテキストになりそうです。因みに、領事館からの手紙は、日本語とタイ語の併記で、親切丁寧なものでした。感謝…。

<TSUTAYA>
 管理人さんが9月4日付の作業日誌でチェンライの<TSUTAYA>に触れていたことを思い出し、また最近水戸の<TSUTAYA>がよく登場するので、チェンマイのロータス内の<TSUTAYA>へ行ってみました。やはり本物のようです。タイの<TSUTAYA>は、     www.tsutaya.co.thに詳しく出ています。やはりここでも主力はVCDでした。訪れたのは土曜日の午後の時間帯で、比較的客も多かったのですが、DVDのコーナーは狭い上に人っ子一人いません。ほとんどの客はVCDもしくは漫画本のコーナーにたむろしていました。今、手元に入会申込書があるのですが、面白いのは月収やクレジットカードの種類、店まで何で来たか、何分かかるか等の記入欄があることです。月収の欄は5000-15,000バーツ、15,001-30,000バーツ、30,001-60,000バーツ、60,000バーツ超の四つのチェックボックスがあります。また、店まで何で来たかの欄は車、バイク、タクシー、電車、バス、自転車、歩き、その他、といったチェックボックスがあります。一体何の目的なのか、理解に苦しむところです(笑)。

 さくらへはまだ顔を出していません。様子は今しばらくお待ちください。マルチヴィタミン剤ですが、何軒か尋ねてみましたが「プロヴィタ」は見当たりません。「CENTRIUM」(綴りが違うかもしれませんが)ばかり目に付きます。TVのCMにもよく登場します。もう少し探してみますが、見当たらない場合はこちらを購入したいと思っています。ご容赦ください。NEW-PCは子供たちに占領されている時間が多いのですが、暇を見計らい、またお便りします。それでは、くれぐれもご自愛くださいますように。   <らいぶ>


 <TSUTAYA>は本物ですか!
  チェンライで見たとき、マークが同じなのでたぶんそうなのだろうと思っていました。でもだったらチェンマイにもあるはずと思い、見た憶えがないので、もしかしたらニセモノとも思っていました。らいぶさんの情報で本物とわかったわけですが、こういうのってなんなのでしょう。たとえば8番ラーメンが進出する感覚はわかるのですが(それでも単価を考えてアメリカへ行った方がいいように思います)、<TSUTAYA>のような店の場合、タイ人でも簡単に真似できますから、あえて進出する意味がわかりません。また中国に進出したセブンイレブンの意味もそれなりにわかります。本部とチェーン店が連結した獨自商品網をあらたに立ち上げた起業が真似して追いつくまでにはずいぶんと稼げるでしょう。
 でも<TSUTAYA>の場合はどこにでもある、誰でも手に入る商品の販売やレンタルだから、あえてタイに進出する価値はあるのでしょうか。いやもちろんあるんですよね。プロによる綿密な事前調査の結果、商売になると判断しての進出なんでしょうから。でも獨自の食べ物や衣類ならともかく、販売とレンタルの<TSUTAYA>に席巻されたらタイの企業の名折れですね。タイにはまだ全国展開する<TSUTAYA>のような企業はないのでしょうか。

 レンタルヴィデオというと十数年前のチェンマイを思い出します。一気に何軒か開店して、日本人経営の店も複数軒ありました。そこには日本のテレビ番組を録画したものを日本人向けにレンタルしていました。「なるほど・ザ・ワールド」や「ハウマッチ」の時代です。最初は大人気でしたが、すぐにみな画質が悪いと嫌い始めました。テープはダビングが面倒でジェネレーションで画質が落ちるし、さらには再生の回数でも落ちてゆくから、当然そうなります。意気揚々と開店してすぐに潰れてゆく店が哀れでした。そのころぼくは友人に出店したいのだがと相談を受け、やめたほうがいいとアドバイスしたことがあります。

 8番ラーメンは本店のある金沢のKと話していたとき、「野菜系ラーメンだ」と聞いたことを思い出しました。私はミソラーメンとタンメンが好きなのですが、タンメンのように野菜がたっぷり入ったミソラーメンが8番ラーメンですから、好きになるのは当然だったように思います。

 暑さ寒さも彼岸までとはよくいったもので、記録的な猛暑だった日本も彼岸が過ぎたら一気に涼しくなりました。遅めの夏休みも残り一週間となりましたね。楽しんできてください。
らいぶさんのチェンマイ便り──2004/9/29

 このところ、まとまった雨が降っていません。きょうも午後から暑くなりました。市内を流れるピン川の水位はさらに下がり、ナワラット橋の橋桁には土砂や流木が堆積しています。流域で水没していた木々も、その根元までがはっきりと見てとれます。
チェンマイでの洪水の心配は無くなったように思えますが、タイのほかの地域では依然として洪水の被害が広がっています。 前回のお便りで、雨季の終わりを感じさせると書きましたが、正確に述べれば、タイの暦の上では「ワン(=日)オーク(=出る)パンサー(=雨季の最中、僧侶が修行のため寺院にこもる期間)」、パンサーの最終日をもって雨季の終焉ということになります。カレンダーを確認したら今年は10月28日で、まだ1ヶ月近く雨季が残っていることになります。佛敎の国タイでは、暦にも佛敎が深くかかわっていることを感じさせます。

  さて、 先日のTVバラエティ番組で、日本料理の作り方が紹介されていました。題して「寿司わさび」(笑)。これがとんでもない代物で、まずタイ米ともち米を混ぜ、油を引いたフライパンで炒めます。そこへ、大量の(!)わさび、砂糖、お酢を加えさらに炒めます。冷めたところで、握り寿し風に握り、あとはお好みで上にすしネタを載せます。えび、しめ鯖、えび子、サーモンなどなど…。驚いたことに、キムチも載せていました。これを、さらに大量のわさびをといた醤油をたっぷりつけて食します。そのあまりの辛さに(まずさか?)、試食したコメディアンも顔をしかめていました(笑)。「わさび」はタイ語でも「ワサビ」で、スナック菓子等にもワサビ味があり、タイではかなりポピュラーな「日本の味」となっていますが、それにしてもこの料理を考えた人は、どんな人なんでしょうか(笑)。冗談ではなく、まじめに紹介されていましたが、これを日本料理と紹介して欲しくはありません。

 娘が通う学校では、試験結果の中間発表がありました。正式な通知表は後日配布されるとのこと。掲示板に各クラスごとの試験結果一覧表が掲示されており、縦軸には全員の氏名、横軸には各教科名が表示されています。及第点に達しなかった教科の欄にはチェックが付いています。誰がどの教科で落第したかが、直ちに分かってしまうシステムです。及第点に達しなかった教科については、追試があるそうです。幸い我が家の子供たちは追試を免れ、心置きなく遊びに行けると喜んでいます。というわけで、明日からバンコック、パッタヤーへ家族旅行です。私はバンコックから直接帰国することになりました。バンコック、パッタヤーで時間が許せばインターネットカフェからお便りしようと思っていますが、とりあえずこれが最後の「チェンマイ便り」となります。

 さくらへ顔を出しましたが、あいにくパパにもピーシーにも会えませんでした。パパはほぼ毎日、午後の3時ごろには顔を出すとのことでしたが、運が悪かったのか、私が訪れた日はお休みだったようです。さくらの情報が無く申し訳ありません。次回
は「バンコック/パッタヤー便り」にて。でも、あまり期待しないでくださいね(笑)。
 それでは。                   <らいぶ>


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 根付いている佛敎

 きょう、「チェンマイ日記」の一項に「らいぶさんのチェンマイ便り」を作ることを思いつき、作業していました。昨年八月の「8番ラーメン」の話がおもしろいのですが、あのころはまだ今回のようなやりとりをしていなく、なんとなく半端な出来になってしまったのが残念です。らいぶさんも自分のメイルが公開されるとは思わずに書いているし、しかたないのかもしれません。今はもうすっかり公開を前提としたプロになりきっているので安心して観ていられます(笑)。昨年の12月篇、今年のこの9月篇は文句なしです。

 雨季明けの話は興味深いですね。『お言葉ですが…』で高島さんが書かれていた旧暦のことを思い出しました。旧暦も毎年動くわけですが、それを知らず単純に一ヵ月違いのように考えている人がいて、知ったかぶりで吹聴しているそれがまた大学教授だったりするものだから、その無智に対し高島さん、お得意の痛烈な一発をかましていました。

 9月28日は十五夜でした。ちょっと曇りがちですこし笠をかぶったような感じでしたが、とりあえずまん丸のお月様を見ることが出来ました。毎年この時期は、父は詩吟仲間と月を愛でる会を、田舎の旅館の屋上で行い、仲間内に配るその日吟じる詩をワープロで打ち、表には自分で書いた簡略な水墨画を載せたりしてきました。その水墨画をコンビニで20枚ほどコピーしてきて、父のパンフ作りを手伝ったりしたものでした。今年はベッドの中の父と、そんな思い出話をしました。何事も言いだしっぺが動くものです。それがいなくなった今は、そんな月見の会も今年はなかったようです。という父の思い出はともかく、言いたかったのは次のことです。

 妻と電話で話していたら、妻が「きょうは十五日だから月がきれいだ。日本もそうでしょう?」と言うのです。彼女の家にはカレンダーすらなく、妻は電話で話していてもきょうが何曜日か忘れていたりするものですから、いきなり「きょうは十五日」と太陰暦の日附を言われたときは驚きました。十五夜の日はしっかり覚えているようです。タイ族の中にしみこんだ太陰暦の歴史を感じました。おそなえとは違うんだな、なんだろう、なんだか妻の母は、近くのお寺に行くのだと明け方からなにかを作っていたようです。
 私は中国籍の女と結婚したけれど、それは無宗教支那人の共産国家の娘ではなく、辺疆に追いやられ苦労しているけれど、中国の少数民族・タイ族の佛敎徒の娘なのだと、そこのところにはこだわりたいと思います。母に妻をチャンコロと呼ばれても短気な私が平然としていられたのは、妻は支那人=漢民族の蔑称であるそれには該当しないからでした。母の心が下衆であることにかわりはありませんが。

 『サクラ』の現況が聞けなかったのは残念ですが、まず盛り上がっているはずはないから、諦めがつきます。
 チェンマイのいい時期に関われたなと、しみじみ思うこのごろです。
らいぶさんのチェンマイ便り──番外クルンテープ篇──2004/10/1

 パッタヤーに到着しました。今、友人の家のPCからお便りしています。この家もタイ人妻と日本人夫のカップルで、旦那さんは私と同じように、通い夫をしています(笑)。我が家の子供たちと同年代の男の子が二人、子供たちは朝から一緒にはしゃぎまくっています。

 さて、パッタヤーのことは後日に譲り、まずはクルンテープ(バンコック)から。朝7時のTGでクルンテープに到着。TGの国内線は経費削減のため、朝と夕方の時間帯しか食事サービスがありません。その時間帯を狙ってのフライトでした(笑)。まずはタクシーでホテルへ。市内まで250バーツ、というところをメーターで行くように交渉。50バーツ増しで話がまとまり、結局150バーツほどでホテルに到着。特にあてもなかったので、運ちゃんの薦めるホテルでした。ところがこのホテルがとんでもなくひどかった!汚い上に1600バーツもするといいます。おまけに従業員もやる気がなく、無愛想、不親切このうえないのです。空港でたむろするタクシーが連れてくるホテルなんてこんなものでしょう。即刻別の(流しの)タクシーでヤワラート(チャイナタウン)へ向かいました。目に入った「白蘭大酒楼(ホワイトオーキッドホテル)」へチェックイン。朝食つきツインで900バーツ、決して綺麗とはいえませんが、夕食はヤワラートと決めていたので妥協しました。このあたりの交通渋滞は有名で、特に夕刻になると、タクシーも行きたがりません。それなら、はなからヤワラートに泊まっちゃおうというわけです。ところでこのホテルは別の意味で有名なホテルですが、それはまた別の話(笑)。中国人宿泊客だらけでしたが、従業員の態度は比較的親切、良好といえます。

 ところがここで大問題発生。旅行用大型スースケースの鍵を、家に忘れてきてしまったのです。ホテルマンに相談すると、「大丈夫、まかせとけ、そんなことはしょっちゅうあることだから」と合鍵の束をじゃらじゃら鳴らせながら、ニコッと微笑んで見せます。ところがどの鍵も全くだめで、ホテルマンの焦る顔、おかしい、こんなはずじゃ…、これで開かなかったことなんかなかったのに…。そりゃそうだろう、中国製の南京錠ならそれで開くだろうが、こちとら日本製の頑強旅行鞄だぜ。開いてたまるもんか!などと心の中で思っていると、やはりお手上げの様子。仕方なく、鞄をごろごろ押しながら、ホテルマンに教えてもらった鍵屋さんへ向かいました。ところがそこは、屋台の鍵屋です。大丈夫かなと不安に見つめていると、針金の先を曲げたような器具を二つ使って、あっというまに見事開鍵。その間わずか数十秒といったところです。日本製頑強旅行鞄が泣いています(笑)。おまけに合鍵まで作れるとのこと。何か流し込んで型でも取るのかと思っていたら、適当な大きさの鍵を選んで、機械でゴリゴリ擦り、あっという間に完成。これには驚きでした。山勘で削ったと思われますが、多少使いにくいものの、十分使用に耐えるものでした。旅行鞄の鍵なんてこんなものでしょう。プロ(アマチュアでも?)の手にかかれば簡単に開くものだと、改めて実感した次第です。

 さて、一息ついたところで、子供たちが楽しみにしていた「サファリワールド」へ向かいました。ここでもタイ特有(?)の外国人・別料金制です。料金表はタイ語(数字も)と英語表記で英語の方はタイ語の入場料の約2倍弱です。チケットの購入妻に任せ、タイ人料金で入場(笑)。大きく分けて二つのエリアに分かれており、一つ目は「群馬サファリパーク」のようなもので、自家用車もしくはサービスバスで、放し飼いの野生動物を見て回る趣向です。ちゃんとライオンや虎のコーナーもありました。子供たちは間近に見る野生動物(野生なのか疑問ですが-笑)に大昂奮の様子でした。二つ目はショーが主体のエリアで、「ウエスタンショー」や、アジアではここと日本にしかないと自慢している(笑)「イルカショー」を見物しました。ほかに「オランウータンショー」や「スペースショー」などがあるようです。因みにタイの新聞で、ここのオランウータンが密輸の疑いがあるとして、全頭DNA検査をすると報じていました。パンフで見るとオランウータンのボクシングなどがあり、動物愛護団体から抗議殺到なのではないかと、いらぬ心配などしてしまいます(笑)。

 市内にもどると、雷混じりの大雨です。雨脚が少し弱まったところで、夕食へ。屋台の食べ歩きです。ここチャイナタウンでは、夜遅くなればなるほど賑やかさが増します。歩道や車道までもはみ出した屋台の群れまた群れ…。目に付くもの何でも食べる、と張り切っていた妻も子供も2軒目でギブアップ。私も楽しみにしていたフカヒレをあきらめて、クルンテープ一日目はこれにて就寝となりました。

 二日目はこれも子供たちが楽しみにしていた「スワン サヤーム」へ。「豊島園」のようなもので、水泳エリアと乗り物エリアがあります。ここはタイでは珍しく、外国人もタイ人も同料金でした。子供たちは水着に着替え、早速プールへ。「流れるプール」のような円形のプールと(実際には流れていませんがー笑)、海を模した「波のプール」(ほんのささやかな波が立っていましたー笑)、ウオータースライダーなどがあります。乗り物エリアの方は、ほとんどのアトラクションが機器調整中で使用中止になっていましたが(なんだ、そりゃー笑)、子供たちはプールだけで大満足でした。因みに入場料も大人200バーツ、子供100バーツ(身長1m以下無料)と安価で、大人は来年末まで有効な再入場券(5回入場可)付きと、タイでは珍しい大判振舞いです(笑)。ここでまた突然の雷を伴う大雨。まだ帰りたくない、とむずかる子供たちをなだめて、パッタヤーへ向かうことになりました。クルンテープとチェンマイでは気候がだいぶ違います。

 使用しているPCが旧式で、OSもかなり古く、このお便りが無事届くか多少の不安があります。ご主人様、ごめんなさい。勝手に使わせてもらっています。どうかお許しを。
 さて、この続きはまた後日に。それでは。           <らいぶ>

 思い出のホワイトオーキッドホテル

「白蘭大酒楼(ホワイトオーキッドホテル)」は私が初めてタイに行ったときに泊まったホテルです。渋谷HISでチケットを買い、土地勘のない私は一泊だけホテル予約をお願いしました。6500円でした。それまでの私は海外旅行はヨーロッパがメインであり、しかも貧乏旅行をしたことがなかったので、ずいぶん安いと思ったものです。

 バンコクに行ったら真っ先にヤワラー(中華街)に行きたいと思っていたので、ホワイトオーキッドホテルにチェック・インするやいなやチャイナタウンはどこだとフロントで聞いたらここだと言われたときの衝撃は今も忘れません(笑)。最初のホテルが中華街のホワイトオーキッドホテルでなく、スクンビットやラマシー方面だったなら、私のタイライフもまた違ったものになっていたかもしれません。いえいえけっきょくは同じなんですけどね。でも多少中華街に嵌るのに時間が掛かったでしょう。
 翌日から楽宮旅社に泊まりつつ、ホワイトオーキッドホテルもそのままにしておいて、たまに風呂に入りに帰るという二重生活を始めました。なにをやってんだかねえ。ジュライ組と楽宮組の仲の悪さにわらったものです。日本人てのはどこでもこじんまりとまとまり、必ずそこで勢力争いのようなことを始めるのだと痛感しました。バックパッカーをリクツでコバカにしていた私は、現実がリクツ以上にコバカに出来る存在なのだと確認して苦笑したものです。

 あの頃はまだ冷気茶室がたっぷりとあり80バーツでした。日に四回も五回も通いビールを飲みつつタイ語の勉強に励みました。かっこつけるつもりもないですが、茶室のああいう狭い汚い部屋でチェンマイ・チェンライ出身の十五歳ぐらいの貧弱な体つきの子供相手にそういうことをする気にはなれませんでした。私は客として、仕事をしなくてすみ、そのうえチップまでくれるので娘達に喜んでもらえました。みな親切にタイ語を教えてくれたものです。私が彼女らの待つひな壇の前に現れると拍手が湧くほどでした(笑)。みんなで「今度は私の番ね」と仕事せずに済み、チップをくれる私の取り合いです。価格破壊だとジュライに籠もっているジャンキーに絡まれたこともありました。

 といって清廉潔白だったわけではなく、そっちはマッサーパーラーに通っていました。見事に「アタミ」でふっかけられた被害者です(笑)。しょうがないよね、まだタイ語も話せないし、トゥクトゥクに乗ったらもう「アタミ」一直線なんだもの。授業料だと思っています。
 その後もかなりの回数、泊まっています。ホワイトオーキッドホテルはプリンスホテルと並んで私のバンコク思い出ホテルの二大巨頭です。私のバンコクホテル経験では、いちばん安いホテルが楽宮でいちばん高いのがバンコクリージェントでしょうか。もちろんリージェントは仕事です。自費じゃなく(笑)。
 せっかくのらいぶさんのほのぼの家庭通信が下品になってきたのでこの辺で。
らいぶさんのチェンマイ便り──番外パッタヤー篇──2004/10/3

 パッタヤーでは、曇った日が続いています。このところ日に一回は大雨が降るそうで、こちらでは雨季の真只中であることを感じさせます。チェンマイとは違い、クルンテープと同じような気候です。

 さて、以前は(といっても、十数年前ですが)クルンテープからパッタヤーへは、エッカマイバスターミナルから直行バスで行ったものですが、最近ではモーチットバスターミナルからも直行バスが出ているらしく、こちらの方が渋滞が少なく便利とのこと。クルンテープから北方面へはモーチット、南方面へはエッカマイ、というのが常識として私の頭の中には強く残っていました。ともあれ、スワンサヤームからモーチットへ向かおうと、タクシーに乗り込みました。このタクシーが新車で、車内も広く快適だったこともあったのですが、試しにパッタヤーまでの運賃を尋ねると1200バーツとのこと。荷物も抱えていたので、そのまま直行することになりました。高速道路網も整備され、快適なドライヴが続きます。タイの高速道路の最高速度はどのくらいなのか、以前から疑問に思っていました。ここでは120kmと標示されています。

それにしてもこの運ちゃん、飛ばすこと、飛ばすこと。ちょっとでも前の車が遅いと、すぐさまパッシング、それでもどかないと今度はクラクション、さらにはジグザグ運転で強引に追い越しと手に汗握るカーチェイス(笑)の連続です。途中、2~3回激しい雷雨に見舞われ、前方がほとんど見えなくなってもスピードを落としません。こうなると恐怖さえ覚えます。約180kmの距離を1時間半で突っ走りました。早く着いたね、と皮肉混じりに言うと、「雨が降らなきゃ、もっと早く着いたさ」と軽くいなされました。子供たちと妻は後ろの座席でぐっすり眠っていたようですが、助手席の私はそれどころではありません。死ぬほど怖かったです(笑)。

 ともあれ無事にパッタヤーへ到着。正確に言うと友人の家はパッタヤーから更に南へ下ったジョームティアンにあります。一休みの後、夜のパッタヤー散策に出かけようとしたところ、再び激しい雷と雨。この日は遊び疲れもあったので、パッタヤー繁華街を軽くドライヴして就寝となりました。
 十数年振りのパッタヤーは大きく変わっていました。以前には無かった大型スーパーが乱立しています。BIG Cとロータスが各2店舗ずつにカーフーやTOPS等々。人口は多くは無いし、旅行者の需要もそれほどあるとは思えません。狭い地域にこれほどの沢山のスーパーが混在し、経営が成り立つのか疑問を感じます。また、コンドー(日本で言うところの分譲マンションでしょうか)も建設中のものを含め、数多く見かけました。

 ガトゥーイ(おかま)ショーで有名なアッカサー(アルカザール)も建て直したのか、規模が更に大きくなっていました。ここへ向かう道は、以前は相互通行でしたが、今は一方通行になっているようです。餘談ですが、ここパッタヤーはガトゥーイが比較的多い地域といえます。立ち寄ったセブンイレブンの店員もガトゥーイで、服装や言葉使いは男性ですが、長い髪を束ね、濃いアイシャドーに真っ赤なルージュで接客していました。タイ社会では彼ら(彼女ら?)の社会的地位が比較的認められている証左といえましょう。
 現在タイでは原油価格高騰からくる節電政策がとられています。一般店舗の深夜営業は認められていず、スーパーも21時閉店です。ここに住む友人の話では、パッタヤー繁華街の明かりも以前と比べるとかなり暗くなり、寂しくなったとのこと。こうした観光地は除外してもいいのに、と友人はこぼしていました。

 翌日はジョームティアンのパッタヤーパークへ。子供たちのリクエストです。ここはクルンテープのスワンサヤームのミニチュア版といったところです。違いといえば外国人観光客目当ての、絶叫型アトラクションが目立つことです。これらのアトラクションに興味が無い子供たちは、朝から夕までプールで遊んでいました。ここもタイでは珍しく、タイ人・外国人同一料金です。もっともパッタヤーに住むタイ人はそれほど多くは無いので、同一料金でも大差無しとの判断があるのでしょう。
 朝から市場へ出かけ、その日にあがったばかりのとびきり新鮮な海老、蟹、イカ等を仕入れ、この日の夕食となりました。チェンマイでは新鮮な魚介類はあまりないので、久しぶりのご馳走に、子供も大人も無言でむさぼり食べました(笑)。シーフードレストランより格段に安く上がり大満足です。

 いよいよ最終日を迎えました。午前中はジョームティアンの海岸で海遊び、午後1時の空港直行バスでクルンテープにもどります。妻と子供たちはチェンマイへ、私は帰国です。パッタヤーは砂浜も狭く、綺麗でもないので海遊びには向きませんが、ジョームティアンの海岸は砂浜も広く、清潔で人も多くありません。海水浴にはお勧めです。参考までに。 
 振返ればあっという間の里帰りでした。家族に元気をもらい、帰国後の仕事に励みが出そうです(笑)。
 それでは、これにて。           <らいぶ>



エカマイ、ポンの思い出

 十七年前、初めてパタヤに行くとき、あれは東南バスステーションでしたっけ? ガイドブックにパタヤに行くバス乗り場がそう書いてありました。
 詐欺にあってすっからかんになっていたところにお金を貸してやったことが縁となり、旅の道連れとなった大阪の青年がいました。トゥクトゥクに交渉させます。単語帳を引きつつ「私たちは東南バスステーションに行きたい」と言わせます。トゥクトゥクの運ちゃん、首を捻ってます。通じません。二人で単語帳を見ながら、東はタワンオーク、南はタイ、東南はこうだし、バスステーションはサタニーロットメーだろ、と確認して何度も言いますが通じません。困りました。
 すると同行していたポン(かの有名なポンちゃんですね)が「パイ、エカマイ(エカマイに行って)」と言ったら簡単に通じました。これはけっこう目から鱗の出来事でした。大事なのは文法に則った堅苦しい言いかたより名詞です。その後のタイでこの時のことは役立ちます。たとえば「ビールをください」より「ビアシン」と言ったほうが早いように。

 さてではなんで最初からポンを使わなかったか、ポンが助けてくれなかったかというと、彼女は昼間からもうヘロインでぶっとんでいるのでぎりぎりにならないと助けてくれないのでした。酔っぱらいみたいにふらふら歩きつつ、自分の服をびりびりと引き裂いて行きます。手首の自損傷なんてすごいもんでした。

 この一週間滞在した初めてのパタヤで、その青年はポンと同室、私は同じく同行した獨協大学のアンチャンと同室でした。数日後、大阪の青年が「ずっとゴムをつけてたんですけど、ポンがいやがるんで、ゆうべ生でやっちゃいました、えへへ」とにやけました。
 ジュライに帰ってから彼はポンと大げんかして別れます。そこでポンに「あたしはAIDSだ。おまえももうAIDSだ。死ぬぞ!」と脅され(事実ですから脅すとはちがいますか)、そのとき台北に泊まっていた私(けっきょく楽宮から始まった私は楽宮派でもなくジュライ派でもなく台北派になっていました)の部屋に来て、ぼくはもうだめです、死ぬしかありませんと一晩中泣きじゃくったこともいい思い出です。ってこらこら、いい思い出じゃないか。青年が泣きながらインドに去ったあとは、今度はポンが私の部屋に押しかけてきてまいったものです。あの青年は感染せずに今も生きているのでしょうか。ポンが死んで何年になるだろう。

 その後も私はポンをチェンマイに招待したり、ずいぶんと親しくつきあっていました。不思議なことに、それらのつきあいの中で、ポンは私のことはだませないと判断したらしく、紳士的な友情が保たれたことです。ずいぶんといろんなことを話しました。ジュライとポンのことを書いているネットの文章を読むたびに、ああこりゃおれのほうが詳しいやといつも思います。果たして私が彼女のことを書くことがあるのかどうか。

 あ、またまたらいぶさんのファミリームードとはほど遠い文章になってしまいました。正規UPの時はすこし書き直しましょう。らいぶさん、楽しいお便りをありがとうございました。次の連載は正月ですかね。なんとかそれまでにプロバイダを引っ越して、らいぶさんの文章もひとまとめで読めるようにしたいと思っております。引っ越しは今すぐにでも出来るのですがADSLが片づかなくて難儀しています。

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