らいぶさんのチェンマイ頼り──2003/12/17

 昨日午後、無事到着しました。成田9:45発で14:20にはチェンマイに到着しました。NRT-CNX直行便が10月から就航し、BKKに寄らずにすんだのは楽でした。ただ飛行時間が6時間20分と、BKKまでの時間と変わらないのには多少の疑問を感じます。ひょっとしたら飛行ルートは変わっていないのかもしれません。

 こちらについて早々に、大きなニュースが飛び込んできました。我が家と同じムーバーンの男が、きょうの早朝3時ごろ、警官に射殺されたのです。彼は麻薬の売人で、ムーバーン一の大きな家と、車4~5台(高級車ばかり)を持っており、近所でも噂の人物でした。射殺されたのはこの家ではなく、別の場所だったので私たち家族は何も知りませんでした。新聞は1面トップの扱いだったし、TVでもさかんに放映していました。子供たちと家へ帰るころには、ムーバーン中で噂になっていました。聞くところによると、警察も最近高級な家を購入した人をターゲットに、麻薬関係の捜査を重点的に行っているようで、私の住むこのムーバーンは、いわば警察から狙われている場所だそうで、今年になってからもうすでに10件程度の逮捕者を出しているとか。なんとコメントしてよいのか頭を悩ませます(笑)。

 「百円札」への落げへのご推察には感服しました。私は自分で考えようとは思ってもみず、よっしゃ、これこそレファレンス、私の出番だとばかりいきんで調べたのですが…。結果、図書館資料ではかすりもせず、WEBサイト検索でもわかりませんでした。かといって、都立や国会にレファレンス依頼をするのにはためらいがあり、あきらめていたところでした。

 今年のチェンマイは寒いです。またお便りさせていただきます。



 いいですねえ、ついに直行便である。なんといってもバンコクで乗り換えないですむのがいい。今までも形だけの直行便はあった。でもそれはバンコクで飛行機を替わり、しかも一時間以上待たされたりした。それが正真正銘の直行便就航である。
 私は意外に心配性なので、飛行機が替わると、無事荷物は移ったろうかと心配になる。最近では、チェンマイ(インターナショナル)でチェック・インすると、タイ航空からバンコクでのエアインディアへ荷物を移してくれるというのだが、どうにもタイ人もインド人も信じられず、成田で受け取るまで気をもむ。だったら重くても自分で国内線から国際線へ移動し、移し替えたほうがずっと安心できる。その点この直行便ならそんな心配もない。早く利用したいものだ。

「ムーバーン」ウンヌンの箇所を説明すると、らいぶさんの家は、「建て売り住宅団地」のようなところにある。ひとつの世界として獨立していて、入り口にはゲートがあり、警備員がついている。といってとんでもなく厳しいわけでもない。ぼくのようなのが行ったら、まず止められるのだが、「友人のらいぶさんの家に行く」と言えば通してくれる。怪しい風体やクルマではなくボロボロのバイクだったりしたら入れてもらえないのかも知れない。
 その建て売り住宅にはいくつかのランクがあり、購入してからみな好き勝手に直したりしている。らいぶさんも昨年だったか大枚を投じて修築した。その同じ建て売り団地の中に住む人から逮捕者が出ているというけっこうアブナイ話なのだ。そりゃコメントにも困る(笑)。何度もおじゃましている私も、コメントに困る。

 私的なことなので省いたが、らいぶさんが早速私のためにコンピュータプラザに行ってくれた。やはりタクシン政権の影響で、音楽やソフトウェア等、違法コピー商品は店頭から姿を消していて、中には「当店にはそんなものはありません」とわざわざ張り紙をしているところまであったとか。タクシン首相は「水清きに魚住まず」がわかっていない。保険制度等もキレイゴトを連発している。近々破綻するだろう。資産家なので有力者に金をばらまいて地位を保っているが、そうは長く続くものでもあるまい。

 きょうはいっぱい書いた。落語「百円札」の話は明日書こう。今宵はここまで。


 らいぶさんのチェンマイ頼り──2003/12/19
《コンピュータプラザの現状》
 きょう、コンピュータプラザへ注文しておいたJAZZのMP3を受け取りに行きました。中に足を一歩踏み入れると、いつもと少し雰囲気が違います。ハード機器を扱っている店は通常通りの営業なのですが、いわゆる「違法ソフト」を扱っている店の店員が、店の中には一人もいないのです。なんというか、店の外にたむろして、一見客を装っているのです。注文した店の店員を見つけ声をかけたら、手招きして裏側の通路へ連れていかれました。「出来てる?」と声をかけると、「きょうは警察が来てるの」と、すばやく手提げ袋を渡されました。中を確認しようとしたら、「見つかるとやばいから速くしまって」といわれました。中をちらりと確認すると、ビニル袋に入った23枚のCD-ROMがむきだしで入っています。「解説書(というか、パッケージというか)はないの?」と尋ねると、「警察にみんなもっていかれちゃったの」とあっけらかんとした返事。
 ははぁん、これでわかりました。確かに8月に来たときは1枚のCD-ROMに10枚以上の音楽アルバムを詰め込んだMP3の見本(外パッケージ)が、どこの店でも店中に掲示してあったのに、今回はそれがすっかり姿を消していたのです。「MP3はありません」の張り紙の意味、というか謎も解けました。
 タクシン政権の「いじめ」がここまできているとは…。



 午前三時過ぎまで開いていたゴーゴーバーが午前一時になったらいそいそと閉店したり、タクシンの締め付けが厳しくなっていることは前々から感じていました。ますます全方面に厳しくなっているようです。いわゆる発展途上国が一流になろうとする時期、理想家肌の政治家が現実を無視してやろうとする政策です。昭和三十年代の日本の風俗規制、ソウルオリンピック時の韓国の犬肉規制等が代表でしょう。
 しかし売春禁止法を作ってもすぐにトルコ風呂が登場したり、犬を食うという文化は消せなかったように、それはそれで民族の持つ本来のエネルギーです。取り締まりでどうこうできるものでもありません。
 イギリスの百科事典に「バンコクは世界一売春婦の多い街」と書かれたことは誇り高いタイ人にとって不愉快だったでしょう。でもだからといって、それらをいきなり力づくで流れを変えようとしたら、必ずひずみが生じます。それに、観光立国でもあるのに、おとなしく清潔なバンコクになったら、誰も来なくなります。まあ麻薬の取り締まりや違法コピーの排除等は賛成できる範囲ですが、どうにもタクシンのやっていることは、「水清きに魚住まず」がわかっていないように思えてなりません。明け方までやっている風俗店の営業を午前一時で閉店とやったって、それは街から活気を奪うだけです。

 チェンマイへはいまバンコクのパンティッププラザ(コンピュータ街)が進出しているようです。本家も取り締まり強化で火が消えたようだというのに、だいじょうぶなのでしょうか。いま建築中。オープンはいつなのかな。
 らいぶさんのチェンマイ便り──2003/12/21

 パンティッププラザの場所は、ナイトバザールから一方通行をナコンラーンナーの交差点に向かう右側です。長い間(10年以上でしょうか)放置されていた、建設中の建物があることはご存知ですよね。あそこです。完成予定図によれば、4階建ての立派な建物になるようです。現在は重機が入っての基礎工事の段階ですので、オープンはいつ頃になるのかわかりません。来年中にはオープンするのではないでしょうか。

 12月23日から28日まで、家族旅行でBKK-ホアヒンへ遊びに行く予定です。当初は車で、と思ったのですが、さすがにしんどそうなので飛行機にしました。新規参入のオリエントタイが、キャンペーン価格でCNX-BKK片道999バーツというのを売り出していて、このチケットを購入しました。チケットの購入は空港のみで扱っており、長蛇の列が出来ていました。ちなみにオリエントタイはJALの中古機を購入して参入した会社だそうです。CNX-BKKは毎日4便運行しています。

 タイでは航空会社の新規参入がブームのようです。タクシンも自分の会社を起こすのだそうです。となると、日本のように大手航空会社のダンピングで新規参入が苦境に立たされる、ということはなさそうです。これは旅行者やタイ人にとっては喜ぶべきことなのかもしれませんが、タクシンが自己の利益のためのみに、法律をいじくりまわすのことには恐ろしさと怒りを感じます。

 家族旅行中は「チェンマイ便り」はお休みとなりそうです。



 さすがにパンティッププラザの場所は一等地ですね。ぼくはコンピュータプラザばかりだけど、街外れのヘンな場所に、もう一カ所同じようなパソコンセンタがあるんですよね、一度行ったことがあります。便利なナイトバザールに出来たら、誰もがそこに行くようになって、またそういう店も再編成となるでしょう。パンティッププラザのひとり勝ちかな。あ、でも場所がよすぎてクルマがおけないか。ぼくはバイクだからいいけどね。とすでに出かけている気分。

 不況で、どこもかしこもシャッターが降りているので「シャッター街」なんて新語が出来ました。田舎町の現状で言うと、昔の町の中心地──お定まりでぼくの田舎も××銀座といいますが──は閑古鳥が鳴き、たしかにどこもかしこもシャッター街になっているけど、おおきな駐車場をそなえた町はずれのホームセンター、総合型本屋、廉価な衣類チェーン店等がある新市街は賑わっています。100円ショップも元気です。
 シャッター街が出現した現状は、不況とは関係なく、商売の形態が変ったということでしょう。以前がビールやコーラを必要なだけ近所で買う形だったとするなら、いまは郊外の大型店舗からクルマでダース購入するアメリカ型の時代です。国がそういう風に道路を造り、クルマを売ったのだから、こうなるのは当然の帰結でした。

 チェンマイも日本と同じで、街中の商店は軒並み「シャッター街」ですが、続々と開店する郊外の大型店舗は賑わっています。
 そして、これは日本にもチェンマイにも共通することですが、そういう大型店舗の進出により今までの中型店舗は軒並み閉店に追い込まれたけど、真に庶民の生活に密着している町中のちいさな店は、わりあい元気にやっていたりします。ぼくの田舎でも、ちいさな八百屋がおなじみさんに支えられて意外に元気だったりします。チェンマイでも庶民的な市場の中の雑貨屋は今まで通り客がついています。ピックアップトラックで郊外の大型店舗に買いに行ける人ばかりではありません。

 日本の田舎の現状を考えると、ダメなのはまず電気屋。これはもう値段で太刀打ちできないから再興は無理でしょう。それから洋品屋。これも郊外の大型店舗と比べたらメリットがないからだめですね。がんばっているのが八百屋、魚屋。こういう買いだめしないものはまだまだがんばれます。がんばってほしいと思います。
 結局クルマ社会になったら現状のようなアメリカ型になってしまうのは必然だったのではないかというのがぼくの結論です。だってダース単位でクルマで買ってくるなら、コーラやカンコーヒーの1本あたりの単価は信じられないほど安いんですから。
 気の毒なのは若者が同居していない(=クルマがない)年寄りだけの家庭で、最近印象的なのは、宅配の牛乳が再注目されていることです。うちでも、ぼくがいないときのことを考えて、今までは1リットルのパック入りをまとめ買いしていたのですが、宅配を契約したようです。何十年ぶりかで。まさか過去の遺物のような宅配の牛乳が、老人社会になって復活するとは思いませんでした。牛乳瓶すらなくなると思っていましたから。

 航空チケットの話。バンコクチェンマイ間は1950バーツが今年いきなり2300ぐらいに上がったんでしたか。あがってから一度利用しているはずなのに、はるか昔のような気がして現実感がありません。タイのその安売り航空券は旅行関係のサイトで話題になっているようですね。次にチェンマイに行く予定がないので興味が湧きません。これはどうせおれなんかには縁がないと思う男が美人から目をそらすようなものでしょうか(笑)。

 らいぶさんに、「フアヒンに行くからチェンマイ通信はお休み」ではなく、「フアヒンだからこそインターネットカフェを探して書き込んでください」とお願いしました。
 らいぶさんのチェンマイ便り──2003/12/29
 ほぼ1週間ぶりのお便りとなってしまいました。「フアヒン便り」や「クルンテープ便り」をお届けしようと思ったのですが、家族旅行という制約(?)のため、一人の時間がなかなか持てずにきょうになってしまったことをお許しください(笑)。いま今回の旅を振り返りながらこのメイルを書いています。

 まずはオリエント・タイの感想から。乗務員の制服が、客室・地上、男・女ともお揃いの白のポロシャツというスポーティーなスタイルで、他の航空会社には無い新鮮さを感じさせます。皆年齢が若く、笑顔やワイ(タイ式合掌)にも心がこもっているように思え、一生懸命さを覚えさせます。機内サーヴィスは、スナック菓子とソフトドリンクのみで、他の国内線とさほど変わりません。ただ、機体が古くてどうしようもありません。外装も内装もボロボロで、あちこち剥げ落ちています(笑)。往路の機体は757-200(聞いたことがありますか?私は初めて乗りました―笑)で、イギリスの航空会社の中古機だそうです。以前、JALの中古機云々と書きましたが正確ではなく、あちこちの中古機を集めているようです。JALなら10年落ち、といったところでしょうが、この機はそれどころではないようでした。不安さえ覚えます(笑)。またこの機体は座席の前後幅が極端に狭く、膝が前の座席の背にくっついてしまいます。詰め込めるだけ詰め込んだのでしょう。トイレにも行けません。短いフライトですので、安全性さえ確認できれば機体には我慢できます。心のこもった接客に努め、「安かろう、悪かろう」の航空会社にだけはならないよう切に願った次第です。そうそう、オリエント・タイの名誉(?)のために断っておきますが、帰路の機体はこれほどひどくはなく、座席の前後幅も普通でした。機種はわかりませんが(尾翼の中央にエンジンがついているタイプです)、機体もそれほど古くはなさそうです。こちらはJALの中古機なのかもしれません。

 ほぼ定刻にクルンテープに到着。リムジン(殆どがトヨタのカムリでした)でホテルへ。この日はもう遅かったので何もせずにそのまま就寝。翌日午前中、黄金佛で有名なワット・トライミットへ参拝したあと、ヤワラート(チャイナタウン)へ。金行(金の装飾品店)でかみさんにネックレスをプレゼント。コンクワンピーマイ(新年の贈り物)です。これはタイの風習で、日ごろお世話になった人や、隣近所の人、職場の上司などに新年の贈り物をします。日本でいう「お歳暮」みたいなものですが、こちらでは義理めいたところがあまりなく、ごくごく普通に行われます。純粋に「新年を祝う」という気持ちが強いのだろうと思います。日本でも本来はそうだったのでしょうが…。

 午後から列車でフアヒンへ。前の便りで「ホアヒン」と書いてしまいました。日本のガイドブックがそう書いてあるように…。タイ語の発音により近いのは、ご指摘していただいたとおり「フアヒン」です。タイに関わっている者として、こだわっていたつもりなのになぁ…。私のこだわりなんてこんなものです(苦笑)。
 フアヒンへはロッドトァ(高速バス)のほうが速いのですが、子供たちがタイ国内で列車に乗ったことがなく、バスよりは列車のほうが風情もあるだろうとのことでこちらにしました。子供たちは車内販売の売り子たちに興味津々。ひっきりなしにやってきます。「えー、○○はいらんかね、××バーツ。」売り子の口調を真似て面白がっていました。定刻より30分遅れで、約4時間半の列車旅でフアヒンへ到着。乗客の約半数がここで下車。殆どがファラン(白人系)でした。私たち家族の宿泊地は、ここから約25キロもどったところにあるチャアムです。フアヒンは初めてだったのでよくわからなかったのですが、一口にフアヒンといっても広いのですね。このあたりはすべて海岸線なので、リゾート地が点在しています。

 長くなってしまったので、今回はこのあたりで。この続きは次回の「チェンマイ便り」でお届けしようと思います。
 思うように時間がとれず、有山パパと会う機会にも恵まれません。情報を仕入れずにいることを心苦しく思っています。持参したお土産もまだお渡しできていないので、新年には無理をしてもパパに会いに行きます。情報は今しばらくお待ちくださいますようお願いします。


 列車の件。フアヒンに行ってからチャームにもどったとありますが急行だったのでしょうか。というのは、ぼくの場合、大晦日でどこもかしこも満員で、北へは行けず、とりあえずなんでもいいからないかと探したら、フアヒン方面に行く鈍行下り、全席自由席が空いていたので乗ったわけです。
 列車の中は酒盛りとギターを弾いて歌を唄ったりと大いに盛り上がっていました。その連中が皆、フアヒンの手前の駅で降りてしまったのです。一気に車内はガランとなりました。それが不思議であり、いつものぼくなら彼らにその事情を聞き、一緒にそこで降りたでしょう。それぐらい、いきなりぞろぞろとみな降りてしまったのです。でもそのときはM美と冷戦状態でしたから、なるようになれと、しらけて横目で見ていただけでした。

 いま思えば、そこがチャームビーチへの最寄り駅だったのですね。鈍行だからその駅がありました。らいぶさんはフアヒンまで行きそこからもどったのだから、きっと急行だったのでしょう。鈍行なら、その駅で客の大半が降りるので気づくはずです。
 フアヒンでチェック・インしてから、ぼくはレンタルバイクでチャームビーチまで走り、それを知りました。フアヒンは皇室御用達で有名なように、金持ち老夫婦がのんびりと海を見て過ごすような美観の場所であり(ハッパ好きのファランも大勢いましたが)、ごく普通に賑やかに海を楽しむなら断然チャームビーチなのでした。事前に調べないとこんな失敗もあります。
 そんな経験から「フアヒンに行く」というらいぶさん一家に「チャームのほうがいいですよ」とメイルで書いたのですが、もともとチャームビーチだったのですね。正解だったと思います。

 『サクラ』情報をお願いします。
 らいぶさんのチェンマイ便り──2003/12/30

 きょう30日が子供たちの学校の最終日で、明日から5日間のお休みに入ります。学校によって年末年始の休みは違っているようで、すでに休みに入っている学校の方が多いようです。息子(小1)の学校は、試験も終わり明日からの休みで、サバーイ状態です。が、娘(小4)の学校の方は休み明けが試験となっており、休み中もしっかり勉強せねばならないため、娘はぼやくこと、ぼやくこと…。まったく、いじわるな学校です(笑)。
 タイの教育制度が大きく変るとのこと。定期の試験がなくなり、日ごろの学習成果をその都度得点化していくのだそうです。とはいっても実は中身がよくわかっていません。私のタイ語能力では上記のように理解しているのですが、あるいは少し違っているのかも…。完全なヒエラルキーのタイ社会で、試験を廃止することにどういう意味があるのか、全くもって疑問です。日本でいう「ゆとり教育」の流れなのでしょうが、すでにその間違いに気づき方向転換を図っているというのに…。

 旅行記の続報です。
 フアヒンとチャアムが別物だとは知りませんでした(笑)。いずれにせよこのあたりは王室のリゾート地です。パッタヤ―やプーケットのような猥雑さは無く、静かでひっそりとしています。ゴーゴーバーなど影も形も見当たりません。よく探せば見つかるのかもしれませんが(笑)。インターネットカフェさえ見つけることが出来ませんでした。クリスマスイヴだというのに騒ぎ立てるファランもいず、のんびりとビーチを楽しむ家族連ればかりです。
 このあたりの砂浜には貝殻が層をなしており、海の無いチェンマイ育ちの子供たちは貝殻集めに夢中です。かつての国王の居所を2箇所ほど見学し、ペッチャブリーの山の上のお寺(名前は失念しました)も参拝しました。ここで2泊し、高速バスでクルンテープへ。約3時間で到着。列車より格段に速く便利です。

 クルンテープでチョンブリー在住のもうひとつの家族と合流。こちらも日本人旦那さんとタイ人奥さんのカップルで、男の子が二人。男性は私と同じように日本に職を持ち、通い夫をしています。かみさん同士が以前同じ職場で友達同士です。ロッドファイ・ファー(スカイトレイン)でサラデーンへ。一人40バーツ。子供料金の設定が無く、身長で有料・無料の区別をします。高い!タクシーだと約60バーツの距離です。夕食にフカヒレでもと思い、ヤワラートへ行こうと思ったのですが、ひどい交通渋滞のため断念しここで総勢8名での食事となりました。世界一(?)の交通渋滞といわれているクルンテープでは、高速道路網の整備やこのスカイトレインなどで、交通渋滞の緩和を図っていますが、タクシーの運ちゃんの話では日曜日以外はどこもかなり渋滞するそうです。特に年末のこの時期はひどいとのこと。地下鉄も本来は開通していたはずだったのですが、かなり遅れているようで来年3月ごろ開通予定とのこと。

 翌日はロッドトゥー(ワゴン車)をチャーターして、タラードナーム・ダムヌーンサドゥワック(有名な水上マーケット)へ。チャーター代2500バーツ(ガソリン代込み)。私たちはかなり手前から舟をチャーターして(チャーター代1500バーツ)行きました。中心地はかなり観光化されていて、観光客とそれ目当てのお土産売りの小舟ばかりなのですが、中心を外れると昔ながらの水路に沿った生活風景が見られ、それは楽しいものでした。約2時間の舟旅で子供たちも大満足です。クルンテープへもどり、王室御用達のワットプラゲーオ(エメラルド寺院)へ。タイ人は拝観料無料ですが、外国人は200バーツ。ここはちゃんと料金を払っての参拝。因みにここでは短パンや肌もあらわな服装では入ることが出来ません。由緒あるお寺なのです。ここで時間となり、本日の観光は終了。

 夜は男同士で、お楽しみのお遊びに。両人ともかみさんの承諾すみです。タイ人のかみさんは怖い、一応断っておかないと、あとで何をされるかわかりません(笑)。
 まずはソイ・カウボーイへ。私も彼も初めてだったのですが、パッポンとさほど代わり映えが無く、おじさん二人にとってはあまり楽しいものではありませんでした。気分を変えてタニヤへ。タクシーの運ちゃんには「タニヤ」が通じず、「サラデーン」で通じました。昔は「ソイ・タニヤ(タニヤ通り)」や「ソイ・イープン(日本通り)」で十分通じたのですが。
 この若い運転手は信号待ちの際に、物乞いにお金を与えて、物乞いがありがとうとワイをすると、丁寧にワイを返していました。ちょっと驚きましたが、タイも捨てたものじゃないぞ、と思わせる瞬間でした。

 ここ、サラデーンでは若いお兄さんが盛んに声をかけてきます。よく聞き取れなかったのですが、なにやら怪しげなものを売っている様子。危ない薬かシンナーでも売っているのかと思い、念のため聞いてみると「CD」と声をかけていたのでした。そう、裏VCDのことでした。興味半分に値段を聞くと1枚50バーツと言います。チェンマイが100バーツ、タチレク(ビルマ内)で20バーツですから、それほど高くはないと思い「見せて」と言うと、裏路地の汚いビルの一室へ連れていかれました。すでに先客のタイ人が熱心に品定めをしています。もう一度値段を確認すると、50バーツというのはホモもので、男女絡みのものは100バーツ、5枚買うと1枚サービスとのことでした。
 さて、タニヤでは呼び込みのお兄さんのオール込み(飲み放題、カラオケ歌い放題)で1時間600バーツを500バーツに値切っての入場。新しい日本の歌は殆ど無かったのですが、おじさん二人にはこれで十分。ホステスさんを2人はべらせての歌い放題。追加料金無しの明瞭会計でした。

 翌日は郊外の「ドリーム・ワールド」へ。ディズニーランドのようなものですが、規模はずっと小さく、際立ったアトラクションもありません。入場券売り場にはタイ語の表示(値段の数字も!)ばかりで、英語の表示が殆どありません。外国人には450バーツのパスポートを買わせようという魂胆です。タイ人は入場のみの券(90バーツだったかな?)や殆どのアトラクションが1回限りOKという券(250バーツだったかな?)を購入しています。これで十分です。パスポートを買う馬鹿は、タイ文字が読めない外国人や海外からのツアー客ばかりです。ほんとにせこいぞ!(笑)。
 アトラクションで日本と大きく違うところは水物です。乗り物に乗って水上をめぐるアトラクションでは、パンツの中までずぶ濡れになってしまいます。こりゃ、日本人だったら怒るわな(笑)。よくできたもので、そういったアトラクションのそばでは、ビニル合羽(20バーツだったかな?)を売っています。タイ人には怒る人は無く、びしょびしょになりながら歓声をあげて喜んでいました。食事については持ち込み制限も無く(あたりまえか)、中のレストランも外の値段とさほど変わらず、ディズニー…のようにボルということはありませんでした。

 ここは空港からも程近いので、そのまま空港へ直行し空路チェンマイへ。タイ航空が定刻どおりどんどん出発していく中で、我がオリエント・タイは約1時間の遅れで離陸。待合室ではタイの有名なテニスプレイヤー、パラドーンの両親がいたようで、タイ人同士では大いに盛り上がっていました。外国人には何のことかわからなかったようですが。これにて、クルンテープ―フアヒンの旅日記は終わりとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました(笑)。


 ゆとり教育──日本を亡国に導くこのアヤマチにはさすがに日本人も気づいたようですね。詰め込み教育の有効性がいま見直されています。たとえば犬をかわいいかわいいと溺愛すれば、心優しいよい犬になるかというとまったくそういうことはなく、自分勝手なだらしない犬になるだけです。鞭が必要です。子供の教育も同じ。無理矢理につめこんで記憶させることが後々役立ちます。そうせねばならない時期があります。そういえば千葉県の小学校だったか、子供を大人と同格に扱う学校が話題になりました。大人と同格です。だったら小学生にも働かせて税金納めさせろって反論がありましたが。この辺の人権ウンヌンも勘違いサヨクの獨壇場です。

 たぶんタイのそれも、タクシン一派による勘違いなのではないでしょうか。それが欧米先進国のやることだと粋がっているのでしょう。
 アメリカのような国は、私服で登校し、授業中机に脚を投げ出しているようなのがいてもいいのです。でも日本のような国は、制服を着せて、厳しくしつけねばならない時期があります。日本にはキリスト教国家、イスラム教国家のような生活に根付いた宗教がないからこそ、社会の規律を厳しくしないと際限なくだらしなくなって行きます。実際に今の現実がそうですが。
 タイも、基本的にのんびりしたおだやかな人柄の国であり、自然に恵まれた気候風土であるからこそ、競争社会で尻を叩くことが必要だと私は思います。タクシン政権の勘違いはひどいものですね。

「タニヤ」が通じなかったのは、その運転手がまだ地理に疎いだけと思うのですが……。

 私的な部分なので省いたのですが、このあとらいぶさんは「今年の春、チェンマイからバンコクに居を移したfさん」とスクンウィットのデパートで再会したそうです。公称人口800万人、難民を入れると実際は1千万以上と言われるあの大都会でそんな偶然があるものなのでしょうか。いやはやおどろきました。
 らいぶさんのチェンマイ便り──2004/1/1

 新年明けましておめでとうございます。
 タイには新年が三つあるといわれています。新暦の1月1日、主に中国系の人々が祝う旧正月、そして水かけ祭り、ソンクラーンです。私の印象では、一番盛り上がるのがソンクラーンだと思うのですがいかがでしょうか。
 大晦日の晩は、同じムーバーンに住む隣近所の人たちが我が家に集まってのパーティーとなりました。子供たちも大勢集まり、それは賑やかなこと(笑)。普段は早く就寝するタイの子供たちもこの日は特別です。ゲームやビンゴで獲得した景品を比べあったりして、遅くまではしゃいでいました。

 パーティーのあとはTV観賞。タイでもこの日は特別番組ばかりです。かみさんも子供たちも、お笑い番組で大爆笑。笑いのセンスが違うのか、私には何が面白いのかてんでわかりません(笑)。お笑い番組のあとはタイ版「行く年来る年」です。チャンネル3はクルンテープのチャオプラヤー川沿いの特別会場からの実況放送。チャンネル7はここチェンマイのサナームギーラー700ピー(陸上競技場)からの実況放送です。チェンマイ会場には大勢のダラー(俳優)やナックローン(歌手)が来ていて、聴衆もTV観賞の我が子達も大喜び。私が知っていたのはニコルぐらいかな。タニヤでもニコルのブッサバーを歌っていましたので(笑)。あの頃は少女だったのが、今ではすっかり大人の女性へと変貌しており、婚約者である男性歌手と競演していました。というと聞こえがいいのですが、私の感想では「あの頃はかわいかったのに、今じゃちょっと太めでたいしたことないなぁ」です(笑)。
 新年が近づくとカウントダウンが始まり、年が明けた瞬間、タイの夜空に花火が舞います。クルンテープにもチェンマイにもそして他の多くの都市で。我が家からも「ドーン、ドーン」という大きな音とともに打ち上げられる花火がしっかり確認できました。

 先日コンピュタープラザへ行ったら、QickPCv.67が出ていたので早速購入しました。v.66にはなかったアンチウイルスソフト「RAV2004v.16.04.20」を発見。ノートン2004もあったのですが、これもうまくいかなかったのでRAVをインストールしました。これはなんと中国製で、日本語表示機能もついています。日本名「瑞星アンチウイルス2004」です。ご存知でしょうか?2003年12月の発売らしく、一応最新版です。中国人のプログラマーは優秀と聞いたことがあるので、当面はこれでマイPCを守ろうと思っています。

 ウインドウズのアップデートでドライヴァーを一つ更新したら、大トラブルに見舞われ大変でした(笑)。原因はディスプレイドライヴァーだということがやっとわかったのですが、それが入っているCD-ROMが見つからず、やっとのことで何とか復旧しました。が、16色640×480ピクセルの最低条件での復旧でしたので、どこを見ても読みにくいこと、トホホホホ…(笑)。完全復旧はコンピュータに詳しい人に頼むしかなさそうです。

 先日あいさんとお茶しました。Tさんのことも、Uさんのこともご存知で無かったようです。もっともTさんについては、きっぱりと関わりたくないと言っていましたが。さくらへも寄ってみたのですが、あいかわらずパパには会えません。ピーシーのお話では、やはり午後3時過ぎのご出勤とのこと。この時間は子供たちのお迎え等でなかなか時間が取れません。きょうは元旦、後ほど家族連れで訪ねるつもりです。お雑煮が楽しみです。

 それでは、本年もよろしくお願いいたします。



あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
大洗海岸の初日の出。平成十六年一月一日。
 こちらはひたすら「格闘技番組」に追われた大晦日でした。けっきょくは三つとも録画し、いまあれこれと感想をまとめているところです。書くことがありすぎてとんでもない量になっています。もしもチェンマイに行っていたらインターネットカフェに張り付いて、2ちゃんねるの同時進行書き込みにしがみついていたことでしょう。
「曙サップ」は感動的ないい試合でした。しかしそれも転身の時から大晦日まで熱心に一喜一憂してきた(さらには曙の相撲人生も見てきた)からであり、ひしゃげたカエルのような無様な負けかただけを外国で知ったなら、それみたことかとしらけた感想を抱いただけだったでしょう。そうしたり顔で言っている外国で正月を迎えた日本人は多いように思います。
 下記の小泉首相の靖國参拝は、すでに連続劇であることを身をもって知っているから安心して楽しめますが、「曙サップ」に関してはそのことを強く思いました。かなりズレている他者の感想を読むほどに、「感想とは物事への関わり度あいでこんなに違うものか」と感じた次第です。試合後の曙のさわやかな笑顔は、なんともいいものでした。

 中国製のウイルスソフト「瑞星アンチウイルス2004」はパソコン雑誌で読んで知っていました。使えるのを楽しみに待っています。
 ディスプレイドライヴァーがなくなっての「16色VGA表示」というのは、ぼくもトラブル時に経験していますがものすごく惨めですよね(笑)。だいたいがセーフモードって惨めです。ドライヴァーはCDが見つからなくてもメイカのサイトに繋いでDownloadすれば簡単に解決するはずです。やってみてください。
 らいぶさんのチェンマイ便り──2004/1/2
 新年の作業日誌のトップ、初日の出の写真拝見しました。さぞかし綺麗なのだろうな、と思うのですが、なにせこちらのPCは16色の最低パフォーマンス。全くトホホホホ…の世界です(笑)。これは帰国後の楽しみとしてとっておくことにします。


 元旦はさくらレストラン恒例のお雑煮をご馳走になりに行きました。我が家の裏の、ママー御曹司御一家(タイ人ご夫妻と男の子2人)が大の日本食ファンということなので、連れ立って総勢8名で出かけました。大人数ではご迷惑かと思い早めの到着。朝から日本人客がたくさん訪れています。運良く4人掛けテーブルが二つ空いていたので、無事席を確保できました。
 お雑煮はお餅が二つに鶏肉、野菜などたくさん入っておりボリューム満点です。これをすべての客に振る舞うのですから、お店の負担も大変でしょう。パパの優しさには本当に頭が下がります。お雑煮だけでも満腹なのですが、申し訳ないのでお雑煮は大人の人数分だけにしてもらい、あれこれ注文。タイ人ご一家は初めて食するお雑煮に興味津々です。
 すべての料理を平らげ、味、ボリューム、コストパフォーマンスすべてに皆大満足でした。パパはまだご出勤ではなかったのですが、お昼近くになると次から次にお客さんがやってくるので、日本から持参したお土産の梅干とヴィデオテープはピーシーに託して早々に退散。因みにヴィデオはパパが大好きな時代劇ものです。1954年大映の「銭形平次」です。主演は長谷川和夫、私が生まれる前の古い映画です。たまたまケーブルTVのチャンネルNECOでやっていたものを録画しておいたものです。喜んでいただけると良いのですが。

 食事の後はサーラーピーにあるヴィアン・グムガームへ。700年以上前の寺院群の遺跡です。チェンマイが707年といいますから、この遺跡群はそれよりさらに古いものということになります。ピン川の氾濫や洪水により、地中に埋まっていたものを発掘したのだそうです。乗合自動車に乗っての約40分の観光でした。
 タイ人ご一家とはここでおわかれして、新年のご挨拶まわりに。あらかじめ買い揃えておいたコンクワンピーマイを持参して、市内はもとよりメーテーンまで半日がかりの小旅行となりました。

 夕方帰宅すると、早速パパからお礼の電話。電話口でさかんにお礼を述べるパパに、送った側まで嬉しくなってしまいます。これもパパのお人柄でしょう。
 さて、Tさんの件ですが、パパも御存知ないとのことでした。もしチェンマイに来ているとしたら、さくらに顔を出すであろうし、そうでなくとも何らかの情報が入ってくるはずなので、おそらくこちらへは来ていないのだと思われます。浜松での件といい心配です。
 Uさんの件は、パパも詳細はわからないとのことでした。9月ごろ、これからメーサイ方面に行くと、学生を連れてさくらに顔を出したのが最後の出会いだったとのことでした。その1ヶ月後、その学生からUさんが亡くなったとパパに電話があったのですが、どこでどのように亡くなったのかはその学生も知らなかったとのことです。結城さんから手紙をもらっておきながら、いまだに返事を出せないでいることを心苦しく思っているご様子でした。いずれにしてもこれから詳しい情報を集めて、必ず結城さんに返事を書くとおっしゃっていました。

 休み明けに始まる娘の試験の面倒を見なければならず、当面の間の外出禁止を言い渡されてしまいました(笑)。といっても私には小4のタイ語さえ教えることが出来ず、英語のみの指導となります。といってもこの英語もかなり難しく、きちんと教えられるか大いに不安を覚えます(笑)。こんな調子なので、パパに会えるのはいつのことになるのやら見当もつきません。TさんやUさんの情報も、これが限界となるやも知れませんがお許しください。それでは、今回はこのあたりで。



 昨年の元旦はらいぶさん一家と一緒に『サクラ』の雑煮をごちそうになったのでした。あれは昼だったのでパパがいましたね。らいぶさんが話していたら、娘さんが「パパ、話し声が大きい。下品だ」と注意したのを覚えています。娘ってのは口うるさくてイヤだなと思いました(笑)。ちょうどそのころ「最近息子がかわいくって」と何度か聞いていたので納得した次第です。娘は女になって行くんですね。やはり男同士ですか。
 暮れの番組のプロレス物まねがおもしろく、笑い転げ、それが今年で三回目と知り、なんでこんなおもしろいものを見過ごしていたのだろうと本気で悔やんだあと、見過ごしたんじゃなくて日本にいなかったんだからあたりまえだと気づきました。こういうボケ具合がほんと怖いです(笑)。

 サラピーの遺跡って知りませんでした。シーちゃんの長姉の家があり、なんども行ったことがあるのですが、それは近年開発されたものなのでしょうか? 次回行ってみます。

 昨年、いやもう一昨年かな、らいぶさんが息子さんに国語(タイ語)を教えている現場を見て、いいなあと思っていました。宿題だったかな。「一休」で食事をしていた時です。もうらいぶさん経営ではないときでした。
 そんならいぶさんの語学力に感心していたのですが、小四の娘さんだときついですか。だよねえ。ことばは現地の人にかなわないですよね。だってぼくらにとっては教科書で学んだものであるのに対し、娘さんはネイティヴなんだもの。
 そういえばゴールデントライアングルに旅行したとき、タイ語の文字記号をぼくらがど忘れし、あれはなんていうんだっけと奥さんに問うたら、奥さんまでど忘れしててんやわんやしていたら、娘さんがピシっと教えてくれたことありましたね。あれはサラなんでしたっけ? 発音記号の文字の上に附く+のマークです。マイチャタワー? さすが現役と思ったものでした。
 ぼくはベルギーに赴任している友人の家で、息子の国語の宿題(日本語)を見てやったら、意外にむずかしくて閉口したことがありました。それと、チェンマイで「クイズ ミリオネア」を見ていたら、答がわかるんだけどタイ語で言えないってのがけっこうありました(笑)。
 らいぶさんのチェンマイ便り──2004/1/5

 ここタイでも正月モードの終わりが近づいています。明日、月曜日からは学校も会社も平常どおりとなります。我がムーバーンでも、タイ国内のあちらこちらからチェンマイへ遊びにやってきた人たちが、昨日の土曜日中にほぼそれぞれの生活地へもどり、朝からすっかり静まり返っています。

 こちらのPC環境は相変わらずのままです。ディスプレイドライヴァーは、お教えいただいたとおりメイカーのサイトから最新のものをダウンロードしましたが、インストールすると更に深刻な事態を招いてしまいます。タイ語環境の方は正常に作動してるので、日本語環境の方をタイ語のと同じデバイス、ドライヴァーを使ってみたりしましたが、それでもうまくいきません。どうも原因は別のところにあるようです。PCにうとい私にとってはこの辺が限界でしょう。音声にもトラブルがあるし、以前はあったOFFICEやメモ帳さえもが消えてしまっているので、ここはひとつ一念奮起しOSも含めた大リニューアルを、と思っているのですがいつのことになるのやら…(笑)。

 ダンカンの「何でも屋…」は、私も録画し持ってました(笑)。確かに内容はくだらないものでしたが、当時は夢中になって何度も繰り返し見ていた記憶があります。内容もよく覚えています。アユッタヤーの遺跡に登るツアーとか(笑)。2,3年前、ということはないと思います。というのも、私がこの手のものを録画していたのは10年位前までで、ここ数年は全く興味を失っているからです。正確なところは忘れましたが、おそらく10年以上前のものではないでしょうか。

 サーラピーの遺跡群は、開発され始めてから2年は経っていないと聞きました。現在も整備中で、更に開発が進むのだろうと思われます。実際に見てきた感想ですが、あのあたりは掘れば掘るほどまだまだいろいろ出てきそうな雰囲気です。全く手付かずの場所にも(おそらく個人の土地なのでしょうが)、煉瓦のかけら(旧寺院の一部でしょう)が露出していたりします。日本のガイドブック等ではもう紹介されているのでしょうかね。

 依然外出禁止令は解かれていません(笑)。きょうもこれから娘の勉強を見てやらねばなりません。社会や道徳などは本当にちんぷんかんぷんです。算数は出題のタイ語の意味さえわかれば、何とか教えられます。それでもわからないタイ語がかなりあります。英語は意味がわからない英単語があったりして、その都度娘に意味を尋ねながら教えています。これって、本当に教えていることになるのでしょうか、逆に教えられていたりして(笑)。小1の息子のほうの勉強も似たり寄ったりです。やはり算数、英語以外は厳しいものがあります。 


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 PCはもうOS再インストールをしたほうがいいですね。それにしても怖いと思うのは、「まともに動いていたのにWindows UP Dateでドライヴァーを更新したらおかしくなったこと」です。やはり「まともに動いているPCによけいなことをするな」は金言のようです。と言いつつあいかわらずあれこれやってはぼくも問題を起こしていますが。日本語版OSがあるなら思い切ってやったほうがいいですね。どんなパーティションになっているかわかりませんが、メイルアドレスやメイルを別に保存して。

 ダンカンの「なんでも屋」ってそんなに古いですか。でも十年前ではないと思いますよ。小渕政権時代だから真ん中とって五年前でしょうか。これはぼくのほうにもリクツがあって、十年前ならぼくも何度も熱心に見ていたはずなんですよ、それぐらいタイに夢中でしたから。それが録るだけ録って見ていないというのはもうそれなりに冷めていた(というかかなり知識が増えてクールになっていた)時期だったと思うのです。
 鼻を整形したきれいなカトゥーイが出てきますよね。妻は顔の整形もわからず女だと思っていました。ぼくは一発で見抜きました。だてに経験(?)は積んでいません。
 何年前か確定できないいちばんの理由は、ダンカンが変っていないということです。普通十年前だったら容貌から読めるのですが、「韃靼人みたいな顔をしたダンカン兄さん」は、今も昔も顔が同じです。あれはあれで老けないというのか……。

 お子さんに教える社会や道徳の勉強はむずかしいでしょうね。それでもタイと日本には不幸な過去がないのでうらやましく思います。あるとしてもカラパオの反日ソングレヴェルでしょう。日本のサヨクはタイの売春問題すらも日本製品が進出したために、と発端を日本にしたりします。貧しい地域の人々が電気製品やホンダのバイク欲しさに娘を身売りした事実はありますが、それは日本製品がなかったら他国製品があっただけの話です。最初に「日本は悪」と決めつけた人とは話し合えません。

 中国で教育を受けた妻と話すぼくは難儀しています。正月なので皇室関係のニュースが流れます。これは誰なのだと質問されます。説明します。
 妻の感想は「かつて中国にも皇帝がいてひどいことばかりをしていた。人民はみな苦しんでいた。それを毛沢東が救った」になります。そういう教育を受けてきたのだからしかたありません。当然「皇帝(=天皇)なんてのはいないほうがいい」になります。ぼくとしては、「毛沢東もまた皇帝なのだということ。自分に逆らうものにはいかにひどいことをしてきたかは過去の皇帝となんら変らないこと」を伝えたいのですが、妻にはそれが理解できないし、強く言うと気まずくなってしまいます。
 国際結婚なんて考えたこともなかったときは、売春問題や不法入国問題があり、タイ人との結婚はたいへんだと同情していました。しかし今、それより遙かに問題の多い中国籍の娘とこうなると、自由主義国家同士の結婚であるタイ人はなんて容易なのだろうと羨望しています。
 らいぶさんのチェンマイ便り──2004/1/8

 あれこれPCをいじっているうちに、ディスプレイがやっと復旧しました。見違えるほど見やすくなり、とりあえず胸をなでおろしているところです。音声のほうは相変わらずダメなのですが…。
 今週土曜日の10日はワンデッグ、子供の日です。国民の祝日には指定されていませんが、子供たちの通う学校では催事が行われます。娘の学校では9日に、息子の学校では7日に繰り上げての実施となります。いずれも午前中は平常どおりの授業で、午後から学芸会やプレゼントの交換会が行われます。
 
 タイ南部では連続学校放火事件や陸軍襲撃事件等で戒厳令が敷かれている模様ですが、ここチェンマイは平穏そのもの。そういった緊張感は微塵にも感じさせられません。タイ政府は「テロ」としているようですが、もともと南部の政情不安はタクシン政権の失政がもたらしたものとの見方もあり、詳細はこちらでもよくわかっていません。政府の政策に反対する南部住民(一般市民)の抗議行動の模様は以前からTV、新聞等で報じられていました。タクシン首相は7日以内の犯人逮捕を厳命したと伝えられていますが、犯人に関わる続報はまだ入っていないようです。

 さて、そういったきな臭い話は終わりにして、生活観あふれるニュースです。ガソリン代がまた値上げするとのこと、リッターあたり18バーツ強になるそうです。10数年前には9バーツそこそこでしたからまさに2倍もの高騰、全く頭が痛い話です。値上げはとどまるところを知らず、近いうちには20バーツを超えるのではとも噂されています。イラクでの政情不安や、イランでの地震など、タイ政府はいろいろと言い訳をしていますが、どうもそれだけではないようです。ここにもタクシン政権の失政が現れているのでしょうか。

 話は大きく変わってパンダの話です(笑)。チェンマイ動物園の入場料収入がここ2ヶ月で、なんと5千万バーツを越えたとのこと。中国からのレンタル料が10年間二頭で1千万バーツ、新パンダ舎の建設資金が3千万バーツといいますから、もうすでに元を取った模様です。果たしてこの利益はいったいどこへ…。動物園は県の所有といいますから、県の財政に入るのでしょうか。それとも国家プロジェクトとして招致したパンダですから、国のものになるのでしょうか。はたまた誰かの懐へ…。気になるところです(笑)。
 TVではパンダ見物に訪れた人々の姿を盛んに映し出しています。カメラやヴィデオを手に一生懸命撮影する人々、肩車で覗き込む子供たち、「お静かに」の看板を高く掲げる係員等々…。パンダを見に来たのか、他人の背中を見に来たのか、それにしてもものすごい人込みです。あれ、これって上野動物園にパンダが来たときと一緒じゃないの(笑)。当時小学生でカメラ小僧であった私は、親にせがんで買ってもらったばかりの一眼レフ、キャノンFTをぶら下げて、早起きして上野まで出かけました。肝腎のジャイアントパンダサマサマは撮影禁止ということで、代わりにレッサーパンダを写して帰ってきたことを思い出してしまいました(笑)。お国柄写真好きが多いタイでは、さすがに撮影禁止にはできなかったのでしょうね。

 帰国まであと数日を残すのみとなってしまいました。3月には妻と子供たちが訪日する予定です。皆、「クンルングユキ」にお会いすることを楽しみにしています。その頃は奥様もまだ在日中と存じます。また皆でどこかへ遊びに行けるといいですね。奥様のヴィザ更新がつつがなく運びますように。



 ディスプレイが直ってよかったですね。ああいうものはまともな状態の時はとりたてて感謝もしないんですが、ひどい状態になってからいかにかつてがよかったかを思い出します。停電もそうですよね。停電になり、ロウソクをともしていて電気がもどってくると、こんなにも明るかったのかと感激します。ですから子供の時はもちろん、今でもチェンマイでは嵐の時にたまにある停電が決して嫌いではありません。ただし三日も一週間も続くという妻の田舎の停電には関わり合いたくないですが。
 ぼくもOS再インストールのたびにディスプレイドライバは入れ直しですが、Win2kを入れたばかりのVGA表示が、ディスプレイドライバを入れていつものSXGAになると、やっと復旧したと思います。というか真っ先に入れるドライバですね。音よりも何よりもこれが先です。VGAのままではソフトウェアを入れる気にすらなりません。
 
 「きなくさい話」と言えば、タイもイラクに派兵しているんですよね。死者も出ています。日本のマスコミは相変わらずイラク派遣反対の大合唱をしています。フランスが行っていないと言いますが、あそこは原子力発電設備をイラクに時価の10倍の値段で売った過去もあれば、武器を売ったりする都合があるわけで、そういう外交姿勢を無視していかにも平和国家のように都合のいいときだけ外国をもちあげる日本のマスコミ(および野党)ってのはヘンです。フランスなんて自己中のしたたかな国ですよ。
 タイはいかに政治でもめようといざとなったら王様がいるからいいですね。どんな悪党政治家もみんなひざまづいてにじりよっちゃいますから。
 ガソリンの話はタクシンの政策失敗の象徴じゃないでしょうか。東京都を大赤字にした美濃部都政みたいに財政のことを考えずきれいごとばかりやってますものね。破綻しますよ。

 パンダの話、知らなかったのでおどろきました。5000万バーツってすさまじい金額ですね。全国から来ているんでしょう? ってことはバンコクにはいなくてタイではチェンマイだけってことでしょうね? その理由は涼しさでしょうか。なにしろ日本でもパンダを見たことがないので(笑)。考えてみると並ぶのがいやなのはラーメン屋だけじゃなくて、こういうのも若いときから反発するタイプだったようです。らいぶさんはすなおな少年だったんですね。おぼっちゃま時代でしょ?(笑)。

 帰国してから新年会をやれる日を楽しみにしています。

附記・先ほどのニュースで「イラクでテロがあり、タイ兵士他7人が死傷」とやっていました。タイにも今、戦争で夫や父を亡くす人がいる現実を重く感じます。
 らいぶさんのチェンマイ便り──最終便──2004/1/21(成人の日)

 いよいよ帰国の日を迎えてしまいました。きょうはワンデッグ、子供の日です。この日は動物園へパンダ見物に出かけようと、以前から子供たちと約束していました。しかし、息子は学校の校外学習ですでに見学済み、娘も行きたくないと言い出し、しかもきょうは大混雑が豫想され、いまさら他人の背中を拝みに行ってもしょうがないということでやめにしました。
 きょうはあちこちで子供向けイヴェントが催されます。我がムーバーンでは、プールの一日無料開放に加えアイスクリーム、ソフトドリンクが振る舞われるとのこと。郊外型量販店のCarrefour(タイではカーフーと呼ばれています)や、ホンダ等々でも飲み物やお菓子等の無料サーヴィスやショーがあるらしいので、それらをはしごするつもりです。タイの「子供の日」は、子供たちにとっては天国のようです(笑)。帰国便は夜ですので、最後の家族サーヴィスに努めに行ってまいります。

 タイ南部の政情不安は依然収まらず、今度は警察署が武装集団によって銃撃されるという事件が起きました。使用された武器は、陸軍襲撃事件の際に強奪されたものらしいとのことです。幸い死傷者は出なかったのですが、チンチョック(ヤモリの一種、あれイモリ?どっちだったかな)が一匹犠牲になった模様です。TVの画面では警察署の壁に残った弾痕と、犠牲となって壁にへばりついて息絶えている哀れなチンチョックの姿が大きく映し出されていました(笑)。ニュースキャスターも思わず笑みをこらえていました。

 TVのCMに関する感想です。最近のタイでは中国語学習が大ブームらしいのですが、日本語もまだまだブームのようです。因みにこの「ブーム」という言葉はタイ語化され、タイ語でも「ブーム」といいます。本来は「ニヨム」というタイ語があるのですが…。
 話がそれてしまいました。まずはソニーのCMから。最新テクロノジーを使った新製品のプロモーション画面の背景に流れるのは、日本語の歌のみです。タイ人女性が歌っているのか、はっきりいって上手ではありませんが、日本人なら歌詞の内容は理解できます。しかしタイ語による字幕はありません。最後に「SONY」の文字と英語によるナレーションがほんの一言。これでタイ人に理解できるのでしょうか?

 もう一つは緑茶のCM。これはいくつかのバージョンがあるのですが、音声は日本語です。ただしこちらにはタイ語の字幕が付いています。理解できないのが、幾度も念佛のように唱えられる日本語で(これにはタイ語字幕が付きません)、私には「シンベェー、チョウダイ」もしくは「センベェー、チョウダイ」あるいは「シンデェー、チョウダイ(笑)」としか聞こえません。子供たちに「パパ、これなんて言ってるの?」と尋ねられるのですが、答えようがありません。本当に意味不明です(笑)。以前からタイ製品のパッケージ等に、意味不明の日本語を見つけることがたびたびありましたが、ついにここまできたか、といった感想を持ちました。ただ単なる「ブーム」なのでしょうが。

 流血の民主化運動のさなか、プ-ミポン国王が民主化運動のリーダーチャムロンとスチンダー首相を平伏させ、事態を収めたのは記憶に残るところです。それも現国王が、国民の厚い信頼を得ているからこそです。実際タイのいたるところ、個人の住宅、お店、公共機関、工場、事務所等々すべての場所に、国王の肖像画や写真が掲げられており、国民はそのことを誇りに思っています。確かに、現国王のご在任中は「どんな悪党政治家もみんなひざまづいてにじりよっちゃう」のですが、その次はというと…、私のタイ永住計画に関する唯一の気がかりです。お~っとこれ以上は言えません。タイには「不敬罪」があり、王室に関する論評はタブーなのです。
 タイでは王室関係のニュースが多く報じられています。先日のTVでは、チュラーロンコン王子と奥方様が、プローイノック(鳥を籠から解き放つ行為)、プローイタオ(亀を…)、プローイプラー(魚を…いずれも佛敎的行為で得を積む行為といわれています)をなさる姿が報じられていました。印象的だったのは豪華な衣装と華麗なお化粧姿の奥方様…、それと対象的なシリントン王女のお姿です。本当に地味な服装と全くお化粧をなさらないお姿…。「浜崎あゆみ不敬事件」でも、「全く気にしていない」とおっしゃったシリントン王女のお人柄を改めて思い起こしました。あー、この人だったら…と深く感じた次第です。

 長いようで短かった4週間が、あっという間に過ぎてしまいました。チェンマイ便りも今回が最終号となります。お土産をいっぱい持って帰国します(笑)。新年会でお会いすることを楽しみにしています。 





 フランスの世界展開する量販店Carrefourの名をチェンマイで覚えたぼくは、タイの発音そのままに「カーフー」と記憶したのでした。しかしこれは「R」をすべて飲み込んでしまうタイ獨自の発音であり、タイしか通じません。日本ではフランス風に「カルフール」なのでした。フランス語は語尾の「R」を、単にのばすだけの英語と違い、しっかり「ル」と発音します。のばす英語ですらだいぶ違うのにすべて飲み込んでしまうタイ式発音とは対照的です。英語ではどう発音するのでしょう。キャーフォーとかでしょうか?
 北京語では「家楽福」でした。中国には30店舗以上進出しています。そういえば先日、日本のセブンイレブンが中国進出とか書かれていました。

《云南でじかめ日記》──「謝々、家楽福!」

 こういう発音変化の例は競馬の世界にもあります。種牡馬リィフォーは英米式の発音、フランス語だとリファールになり、本によってカタカナ表記が違うため、どっちに統一するかでもめたものでした。だって別の種牡馬と思う競馬ファンが続出しましたから。かくいうぼくもこんがらがりました。しかしもめたのはカタカナ表記の第三国である日本だけだったのがなさけないところです(笑)。

 「民主化運動のリーダーチャムロンとスチンダー首相」とスラっと出てくるのはさすがですね。ぼくはあの膝を崩して女のように国王ににじりよった気持ち悪い映像しか記憶していません。らいぶさんとの基礎知識の差を感じます。
 らいぶさんは不敬罪のこともあって筆を抑えていますが、タイのことを知らない友人も読んでいるので簡単に説明しておくと、次期王様になる皇太子よりも王女のほうが人間的にも出来ていて国民の信望も厚いって話ですね。もっと正確に書くと皇太子にはいろいろ問題あり、となります。まあ秘密のホームページだからこれぐらい書いてもいいでしょう。

 CMのことですが、日本の外国語を使ったCMでもあちらの人が見たら相当おかしいものがまだまだあるんじゃないでしょうか。けっきょく外国語ってのはそんなもん、とぼくは結論づけています。特に今、妻といると、彼女が興味を持つ日本語(テレビを見ていて感応することば)がぼくとは感覚が違うので、なるほどなと感心しています。CMを作る側からすると大切なのは同国人が興味を持つインパクトなので、正しいことば、正しい発音なんてのは、広告屋にとってはどうでもいいんですよね。

 イラクで亡くなったタイ兵士の遺体がバンコクに帰国する様子をニュースが流していました。大きな国旗に包まれた棺を見たとき、奥さんと井ノ上さんのことを思い出しました。
 同じく日本国旗に包まれていたのですが、ちいさな国旗だったので半分以上も棺がはみ出していました。なんか、育ち盛りの子供がつんつんるてんのちいさな服を着ているみたいで痛々しかったです。産經新聞はなぜもっとおおきな国旗で包まないのかと書いていました。同感でした。あんなところにも関係者の心遣いが現れます。もっとも棺を大きな日の丸で覆ったなら、今度はサヨクがなぜあんなことを、と騒いだでしょう。やっかいな国です。

 昨年の夏に続く「らいぶさんのチェンマイ便り──第二弾」も今回で終了ですね。お疲れ様でした。奥さんと子供さんが三月に来るんだったらさびしくはないですね。ほんのすこしのお別れです。子供さんももう一人前の航空料金になるんでしょう。来日費用もばかになりませんね。なんかそんなセコいことを考えてしまいます。連載、ありがとうございました。

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