云南移住計画

さくら咲く 弥生の空に
 これからの人生を云南で過ごす可能性が高まってきた。ほんとうにそうなのか、それは可能なのか、ということをひとりでぶつぶつと呟きつつ考えてみようと思います。
 え~と、この「可能なのか」とは物理的にそれは可能なのだけれど果たして私がその生活で我慢できるのか、という意味ですね、その我慢できるか否かの物心的な対象を、書きながら考えてみようと決意したわけであります。背景は揺れる心同様にアンビバレントな気持ちを象徴する二色のものを選びました(笑)。マークは花開くことを夢見てチューリップにしました。仕切り線もお花にしましょうね。あかるくあかるくつとめましょう。まずはそのお花のことから。





 仕事で長年香港に住んでいた友人が「さくらを見ると涙が出る」と言っていた。彼はまだ三十代前半だったが、両親も既になく、中国の娘と結婚していた。機械現場の仕事は順調で、終生あちらで暮らすことをもう覚悟していた。日本へは何年に一度か墓参りに帰郷するだけである。そんな折り、たまの帰国で話しているとき、さくらの花を見ると涙が止まらなくなると、恥ずかしそうに言った。それは異国に長年いるからこそすなおに言えるひとことだったろう。

 私にとってもさくらは就学の季節から今現在の年齢に至るまで、美しい日本の春の象徴である。春は始まりの季節であり、その折々の思い出に語りかけてくるのがいつもさくらの花だった。
 今年、さくらの季節に新聞を読んでいたら、左がかった連中の「桜ってのは狂っている。なんであんなに一斉に咲くのか。戦前の日本を象徴している」なんて記事が目についた。そんな形でしか見られない人をかわいそうに思う。「昭和の日」制定に反対する人は、その理由として「昭和ということばからは戦争を思い出すから」と言う。六十三年間あった昭和時代からそれしか思い出せないとは、なんと貧しい人生だろう。

 その友人は心臓病で夭逝してしまった。香港で果てた。日本で死にたかったろうなと思う。異国で果てるとき、まぶたに浮かんだのはなんだったろう。私も今、それを考えねばならない状況になってきた。

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 こどものころから花のある暮らしの中で育ってきた。今になって思う数少ない自慢できる環境である。
 およそないものはないと言えるぐらい母が草花好きだった。
 大学生時代から三十ぐらいまではコンクリートの都会生活を楽しんだが、老父母の面倒を見たいと、田舎で暮らすようになったら、血のなせるわざなのか、花がないといられなくなってしまっていた。今では母からも兄姉三人の中でおまえがいちばん花が好きだとお墨付きをもらうほどになった。

 云南で暮らすようになったら、そのへんはどうなるのだろう。云南で暮らすことの利点のひとつに「広い庭」がある。日本でも親からもらった土地に家を建てれば十分に広い庭を確保できるが、肝腎の上ものを建てる資金がないのでは話にならない。広い敷地に掘っ立て小屋もちょっとなさけない。これはもうあきらめよう。なにより私の判断では、この閉鎖的な地域で異国人の妻がやって行くことは無理である。

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 といっても、あちらだって十分に閉鎖的だし排他的だ。むしろ日本よりもひどい。基本的に日本人ほど心優しい民族はいない。なんでもすぐに「水に流して」しまう。そんな感覚は異国人にはない。広島長崎の原爆投下、東京大阪空襲の無差別大量殺戮にはほっかむりをして未だに仕掛けられたパールハーバーがどうのこうのと言っているアメリカ人を見ればわかる。

 どこにでも差別はあり、人はみな排他的だ。なのに異国に移住する決意をしたのは、その種のものに対応できる能力が、妻よりも私のほうがあると判断したからである。
 理由は簡単だ。私には知識がある。あいかわらず中国のテレビでは、極悪日本人が無垢な中国人を殺しまくり悪逆の限りを尽くしているところに正義の味方の中共軍がやってきて、なんてひどいドラマをやっている。妻の地域の文化度は日本の昭和三十年代だから、子供の頃の私たち世代がそうだったように、みなテレビ以上の娯楽はないという時代だ。そこで毎晩そんなドラマが流される。影響を受けないはずがない。無垢な泰族の民である妻も両親も、中共の捏造するそのままの歴史を鵜呑みにしている。たまにそういう場に一緒にいると、向こうが気を遣ってたいへんである。なんとも説明のしようがない。

 笑ってしまうのは日本兵が殺した中国人を食ったりするのである。そりゃおまえらの文化だろうよと言いたくなる。人はすべて自分を基準に物事を語る。が、そのことによって嘘がばれたりする。支那人は天安門事件あたりでも人肉を食っていた。まあそれが悪いとは思わない。殺した相手をざまあみやがれと食い尽くすのも、あるいは勇敢な敵を食ってそこから勇気をもらおうとするのも、それはそれで文化(?)だろう。だが日本人を食肉人種にしてくれるなよとは思う。南方の飢餓地獄で同胞の死体を食った事実はあろうが、日本人は殺した敵を食い尽くすなんてことはしない。

 こういうことに関して支那人と論争し論破しようとは思わない。それは出口のない闇だ。だが正しい知識があれば、かりに南京大虐殺などという白髪三千丈の大嘘でからまれたとしても、平然と対応できるだろう。妻には知識がない。学ぶ手段を知らない。日本に住み、心ない人に差別されても悔し涙を流し、帰国したいと嘆くしか手段がない。私には正しい知識がある。支那人の偏見にも耐えられる。よって、私が行くことにした。





 あちらで過ごす数少ない利点に、家と庭がある。なにしろとんでもない田舎だ。家も土地も問題ない。資金は日本の土地を処理したお金でたっぷりとおつりが来るだろう。今すぐにでも実現できる。もちろんすべての権利(登記)はあっちのものになる。この件に関してひとつだけ不安があるのだが、それは次回に考えよう。

 東京のマンションのヴェランダで花を育てるなら、云南の広い庭で好きな花々に囲まれた暮らしのほうが楽しい。「この件に関しては」そう結論した。そう、この件に関してはだ。「広い庭に好きなだけ花を作れる」は、雲南に住むために生じる百の缺点に対して数少ない利点のひとつになる。ただしそれは「庭」ではない。ただの「土地」だ。

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 花の種類等は問題ない。昆明で花博覧会が開催されたように、気候的にも品種的にも日本と同じように楽しめるだろう。
 まだまだ云南の貧しい農民は花を育てて楽しむというところまではいっていない。妻の家の近所や、かなりの数の親戚等を訪ねたが、農作業のかたわら、草花栽培を趣味にしている人にはまだ会っていない。

 それは日本でも同じだった。昭和三十年代に庭に四季折々の花を満開にしていたのは近所でも私の家ぐらいだった。教員の妻として専業主婦だった母だからできたことだ。母と親しい農婦は、たまに私の家でお茶を飲むと、濡れ縁に座って庭の花を見、よゆうができたら自分もいつかこういうふうに草花を育てるのだと口にしていた。
 時が流れ、身上を息子に譲ったいま、それは実現している。豊かになった経済で、石垣を築きお城のような家を建てた人もいる。家の普請はさておいて、庭一杯の花作りを叶えた人もいる。人それぞれだ。私と親しい人が後者であることはいうまでもない。

 と、ここでまた考える。なら妻の実家近くの人々がより裕福になったら、庭に花を咲かせるかと假定してみると、どうにもそのイメイジが浮かばない。よくもわるくも彼らは、花とは「野に自然に咲いているもの」ととらえていて、自分たちで苦労して咲かせるという感覚がないように思うのだ。ましてそれが作物のように銭金にならないなら決してやらないだろう。そう推測している。まあこれは私には関係ない話になる。





 草花は問題ない。問題は「さくら」なのだ。上は妻の実家近くで見かけた桜。なんという種類なのか、云南にもさくらはある。それはそれで美しく、しばし見ほれていたのだが、冒頭写真のような私の望んでいるさくらではない。日本からソメイヨシノをもっていって植えることは可能なのだろうか。庭にソメイヨシノを何十本も植え、何年か後には毎年庭で花見をやるのが宿願なのだ。
 基本的に、船便で本を送る以外は、ものにはこだわらないつもりでいる。愛用の品、日本製品にこだわるのはパソコンとギターだけの予定だ。なにしろとんでもない山奥である。とてもじゃないが大荷物では行けない。そのかわり花にはこだわりたいのである。

 植物には検疫がある。桜の苗木をもちこむことは可能なのだろうか。それはネットのどこで調べればいいのだ。早速今夜やってみよう。
 いやそれよりも、つい先日それを念頭において園芸店で花木(へえ~、ATOKはカボクで花木が出ない。どうでもいいことばは山のようにあるのにね)を見てきたのだが、さくらの苗木ってかなりの大きさだ。土も附いていて重い。どうしたらいいんだろう。生き物だから船便じゃ送れないし、なにしろ私の移住予定地は、日本から昆明に飛び、そこから国内線で景洪か思芽に飛び、そこからバスで十数時間の僻地なのである。ほんとはさらにそこから山奥にはいるのだが、私はそのバスで行ける町に家を建てようと考えている。これは妻も賛成している。山奥には住めない。その町でも十二分に山奥だけれど。

 さくらの苗木三本で、ゴルフバッグぐらいの大きさだから、それなりの料金を払えば運んでくれるのか。でも飛行機を降りてからもこれの持ち運びはつらい。となると空港まで妻の甥を迎えに来させるか、とひとりがってな話は次々と進んで行くのだが……。



柿の木、春の新芽

 私の生まれ育った環境で、もうひとつ自慢できることがある。それは果物に恵まれていたことだ。これは父が好きだった。柿、栗、枇杷、桃、梨、柚子、石榴(本来は観賞用だがあの当時は食べたよね)、蜜柑、金柑、無花果(いちじく)、葡萄、あとはなにがあったろう、温暖すぎて林檎が育たなかったことはよく覚えている。常に人にうらやましがられるだけの果樹に満ちていた。桃は、産毛の生えた甘い香りの実もおいしいけど、花もうつくしいよねえ。

柿の木、秋の紅葉


 そんな環境で育ったから、云南に家、広い庭、と考え始めてから、果樹を植えることが気になってきた。果樹といっても、食べることにはそれほど興味はない。愛でたいのである。「いいぷん日記」のトップページに柿の葉の写真がある。そこに使うぐらいだからいかにそれが好きかはわかっていただけるだろう。

 春に芽を出し、夏に青々と茂り、秋に実をならせ、晩秋に紅葉し、落葉して冬を迎える柿の木には特別の愛着がある。「里の秋」の象徴は柿の実だろう。食べるよりも観賞用の樹木として柿の木が欲しい。あの四季の移ろいを映し出すへんげが、なんとも言えないほど好きなのである。
 と書いてやっと気づく。「云南には四季がないじゃん……」

 ともあれ、栗の木や柿の木は、あちらで買った物を植えよう。そこは割り切るしかない。割り切れる。問題はさくらだ。ソメイヨシノでなきゃいやなのだ。今も庭には、緋桜、しだれ桜、黄桜といろいろなものが咲いている。それはそれで美しい。でも私の好きなのは、桜色の花びらを風に散らす、ごくフツーのさくらなのである。ソメイヨシノがないと、私もきっとさくらの写真を見て涙ぐむ故郷を喪失した日本人になってしまうだろう。果たしてどうなるか。
 以下続く。(03/4/21)




 我が家の庭のさくらから。

 下は黄桜。酒の名前で有名ですね。これはこれでかわいいし、


 下は八重桜。このぽってり感もすてがたい。


 これは楊貴妃という名のさくら。あっさりとして気品がある。近年人気。


 でも私は、下の写真、近所の小学校で満開になったソメイヨシノがいいんです。これ、天気の悪い日で色が出てないけど。
 云南の私の家に桜吹雪が舞う日は来るのでしょうか。(03/5/7)



   



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