云南移住計画




 云南に私の欲する品々があるかないかについて書いてきたが、ここではなくてもいっこうに差し支えないものを考えてみた。


  

 上の仕切り線、ちょっとわかりづらいがマイクである。マイク以前に仕切り線とわかりづらいが、そうなのである(笑)。
 よってカラオケから考えてみる。私の場合カラオケはあくまでもごく限られた親しい人と過ごすときの遊びのひとつである。なくてもべつになんてことはない。が、まったくないのもさみしい気もする。

 本題とすこし外れるが先日それに関して思うことがあった。



 数少ないカラオケに行く友人のIさんのことだ。私とIさんが歌うのは昔懐かしい二十代、三十代の人ならまず知るはずのない古い歌ばかりである。先日会い、ひさしぶりにカラオケでもやりますかとなった。そのときIさんが案内してくれたのはスナックだった。店の中央にステージがある。客はいない。ママさんとマスター、ホステス二人が手持ちぶさたにしていた。気乗りしない私はちいさくなっていた。しばらく酒を飲んだ後、私はカラオケボックスに行かないかとIさんにいい、歌わないままに店を後にした。Iさんはもうすこしそこにいたかったようだ。すこし歌ってから、とも言った。私がここでは歌いたくないといって出た。
 そうしてカラオケボックスに行ってからは私はおおいに盛り上がったのであるが、帰路、Iさんとの交友をふりかえってすこしばかり反省した。

 Iさんは、ステージのようなところで歌い、ママさんやホステスから拍手をもらうのが好きなのだと気づいたのである。
 対して私は下手な歌を見ず知らずの人に聞かれたくない。ふと思い出した子供時代の流行歌、あるいは先日テレビで耳にした最近流行っているらしいCMに使用されている曲、そういうのを半端なままだが歌えるかどうか試してみたい。練習したい。そのためには友人以外いず、リズムや譜割りを外しても恥をかかなくて済むカラオケボックスがいいのである。
 カラオケに向かうIさんは、すでに練習してきたのであろう得意な曲をいくつか用意している。いわばそこは晴れの舞台だ。当然観客がいるほうがいい。一方私はこれからマスターしたい曲を練習してみたい。そこは練習の場だ。他者はいないほうがいい。その違いである。この差は大きい。

 かといって私が上がり性で、とても人前では唄えないとか、そういうわけでもない。若いときから人前で自作の曲を人前で唄ったりしてきたのである。歌に対する認識の違いであろう。タレントの赤熱トム(関根勤──おもしろいねえ、誤変換は)はひとりでカラオケをやるのが好きなそうで、そりゃいくらなんでもおかしいと番組で笑いものにされていた。私の感覚は彼と同じになる。笑いものにされていたから、一般にはそれはへんなことであり、私とIさんの場合では、Iさんがまともになるのだろう。そのときは私の妻もいたので男二人だけではなかったが、私は男二人でいっこうにかまわない。



 私はよく自分を「精神的ホモ」と言ったりする。そういう男は多い。それを憎々しげに(笑)指摘する女評論家や女精神科医も多い。「男ってのはみんな潜在的にホモなのよ!」と。たぶん彼女らはそれまでつきあった男に、男友達以上に大事にされたことがないのであろう。その感覚もわかる。

 私の親しい友人は、男との約束があったら女との先約を断っても駆けつけるようなタイプばかりである。といって最初からそういう友人ばかりだったわけでもない。かわいがっていた学生時代の後輩には、女との約束が出来たから男との先約をキャンセルするようなのもいた。そういうのとは自然に疎遠になる。そうして今の関係が出来上がった。
 要するに男同士で遊ぶのが好きなのだ。といっても性的にはノーマルである。よって「精神的」となる。酒もカラオケも男同士で十分であり女を必要としない。その意味ではIさんは精神的ホモではないことになる。きれいな女が隣にいて、拍手をしてもらいたいと願っている。

 世の中には「男同士で酒を飲むなんてきもちわるい。女がいない場で酒など飲む気がしない。誰が歌なんて歌うものか」という人もたくさんいるのだろう。私の親しい友人はみな類は友を呼ぶで同じ感覚だったから、つい盲点になっていた。Iさんの気持ちがわからなかった。反省した点である。

 なにしろ三十年来のつきあいになるM先輩やO後輩、金沢のK後輩とも、女の絡んだ遊びなんてただのいちどもしたことがない。キャバレーやスナックに一緒に行ったこともない。でもみんなしっかりと女とはそれぞれつきあっていた。それなりの問題を起こしたりもしてきた(笑)。みなまともな年齢で結婚し複数の子供もいる。私だけひとりの時期が長かったが。
 M先輩と飲むのは、今は二ヶ月に一度ぐらいである。最初が和食屋、二軒目がショットバーと決まったコースを歩む。もちろん女っ気はない。私としてはたまに会う先輩と話したいことが山ほどあり、終電まで話しても百分の一も話せないのに、なんで女のいる店に行ってじゃまされようかとなる。

 何年か前、Kと一緒に香港旅行をしたことがある。数年前にはチェンマイのソンクランを一緒に楽しんだ。するとやはり奥さんは心配するらしい。男二人で香港だのチェンマイだので夜遊びするのだから、そんなことがあって当然だろうと。たしかに夜遅くまで遊び歩いたが、奥さんに心配されるようなことはまったくなかった。香港だと屋台街を散策していたし、チェンマイだとブラッセル(ミュージック・ホール)で遅くまで飲みながら音楽を楽しんでいた。Kと会えるのは年に一度もない。おんなあそびどころではないのである。いや東京に住んで毎日会っていた時期にもそうだから、このたまにしか会えないことは関係ないことになる。

 そういう性格のよしあしはともかく、これは云南移住に関しては吉と出ると気づいた。私は酒を飲んだり、カラオケを楽しんだりする場に女はいらないのである。



 もしもそうでないとしたら、云南の山国暮らしはかなりきついものになるだろう。日本の、そういう場、ホステスのいる店で飲むことを日常としている人である。酒とはそういうものと思っている人には、とても我慢できない暮らしになる。それ以前にそんな人が山奥への移住を思うはずもないが。

 といっても中国にも女はいくらでもいる。中国というのは日本の赤線禁止法施行以前のように、それぞれの町や村に娼婦館がある。法的には禁止されているから形態は様々だが、とにかく、どこにでもある。

  

 妻の住むひなびた山奥にもカラオケが出来たというからまさかと思った。ほんとらしい。アジアにおいてはカラオケ=売春宿になる。しかし上の写真を見ればわかるように、どう考えても派手なカラオケ電飾とは無縁の山奥なのである。なんでそこにカラオケなのかと問うと、泰族の村も、日本の農村のように嫁不足になり、三十近くになりながら嫁のいないのがけっこういるのだそうだ。きちんと働いているから貧しいなりにもそこそこの金はある。それを吸い上げようと、そんな村にもカラオケが開店し、漢民族の娘四五人が商売を始めたのだという。ちょっといまだに信じがたいのだがほんとらしい。こういう店は表向きは普通のカラオケスナックだが、奥に何室か個室があり、交渉が成立すると奥の間で事に及ぶことになる。獨身の泰族の男は月に一度か二度のそれを楽しみに農作業に励むのだろう。

 といってこれ、格別奇妙な話でもない。私の生まれ育った村でも、赤線禁止になるまでは村に数軒そういう店はあったらしい。私が高校に通った隣町には、娼婦館が軒を連ねたそういう地域があり、近隣からも集ってくる有名なところだったという。高校時代、下校の途中にかつてのそういうところを覗くと、なんとなくそんなあやしい雰囲気が漂っているような気がしたものだった。かつてはあった。今はない。なぜか。
 これに関してはすっきりと理論が完成されている。私が完成したわけじゃないけど。つまり「素人とただで出来るようになって、玄人と金を払ってする必要がなくなった」のである。素人未婚女の股がゆるくなることによって存在価値がなくなったのだ。

 中国でも都市部においては日本と同じであろう。田舎の、男女バランスのとれていないところでは、このような事態が起きることになる。なんでも泰族の娘は、色白で小柄でかわいく、漢族の娘のように性格かきつくないので、漢族の男にたいそう人気があり、嫁入り先に不自由しないのだそうな。泰族の娘も貧しい泰族の農民よりも、商売をやって金のある漢族の男に嫁ぎたがる傾向が出てきたとのことだ。中国政府は中国人すべてを完璧に漢民族100%にしたいのだから、してやったりであろう。
 それはわかる。なぜなら私も農村地帯で、長男に農家から嫁をもらいたいと願いつつ、自分の娘は農家には絶対嫁がせないという農民の矛盾をさんざん見聞きしてきたからである。よって泰族の村でも、年頃の娘は街で商売をしている漢族の男に嫁ぎ、地元で農業をしている男は嫁に恵まれず、こういう場所に通うことになる。
 まだ直接目にしていないこともあり、いまだにあの山奥にカラオケが出来たとは信じがたい。今度行ったら写真を撮ってこよう。

 脱線しそうなので急いでまとめると「酒やカラオケ遊びに女を必要としない私は、その件に関しては、云南に住むのに向いている」と、そういうことである。
 カラオケの要不要を書いている内に、いつのまにかそれにともなう女や色気サーヴィスがいらないという話になってしまった。流れはともかく、それがいらないことは異国の山奥で暮らすのにはかなりのアドバンテージ(?)になるはずである。



 と書いていたら「でもカラオケをやりたくなるときがあるのでは」と思い始めた。純粋に歌としてである。赤熱トム(関根勤)的にだ。ともだちがいなくてもいい。もちろん色気なんていらない。自分の家で十分だ。さてどうしよう。
 心強いのはやはりカラオケのオンラインサーヴィスだ。とにかくネットさえあればなんとでもなる。そう思っているのだが、どうなるかわからない。いちばんいいのは歌いたくなる可能性のある曲を日本でダウンロードして用意して行くことだろう。早速始めることにしよう。ちまちまと溜めて行き、リムーバブル・ハードディスクに保存して行けばいい。

 

 日本人おやじの楽しみとして「ナイター観戦とビール」ってのがある。もちろんこの観戦はテレビである。春から夏の夜の楽しみだ。こういうのっておおきい。
 チェンマイの『サクラ』で会うHさんなんて、朝会ったら開口一番口にするのが昨夜の巨人のことだ。相手が野球好きかどうかなんて関係ない。これが日本の典型的野球ファンである。いやHさんはそうしてチェンマイに二ヶ月いられるのだから軽症のほうか。真に日々の仕事と夜のナイターとビールが生活に組み込まれていたらとてもじゃないが外国になどいられないだろう。

 さいわいにも私にはそれがない。ないから假案としても移住がどうのこうのなんて言っていられる。もしもそうだったら、とてもじゃないが出来ない。生活に組み込まれたそういう習慣がどれほど強いものか身にしみて知っている。深夜のプロレス番組、早朝の将棋番組でさえそうなのだ。ましてスポーツ放送の王者であり、ゴールデンタイムに時間延長までして流される野球に埋没していたなら、それのない生活は無理だろう。








  
                          

                               

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