云南移住計画

ネットはゆずれない

 
 云南の山奥に住むということは、いまあるものがすべてなくなることである。数少ない得るものと、失うそれらを自分なりに天秤にかけてみて、それでも移住を決意したのだが、そういう中にももゆずれないものがある。
 いくつかあるそれらさえもほぼ絶望のようで目の前が暗くなるが、懸命に気を取り直して考えると、このインターネットにはわずかな光明が見えてくる。

 


      

 というか順序的にはこれが最初だった。「インターネットが出来るなら、自分も雲南の山奥で暮らせるかもしれない」と考えるようになったのだ。

 私は活字人間なのでネットでスポーツ紙の記事を読んでも、コンビニでそれをまた買っていた。ひとり酒をやりつつスポーツ紙や雑誌を読むのは欠かせない日々の楽しみになる。モニターに表示される横書きの記事と実際に手にする紙の縦書き新聞は感覚が違う。ネットで読み、コンビニで買う。そんな二重にスポーツ紙を読む生活が、インターネットを始めてからも何年か続いていた。それは新聞社側の願いでもあったろう。
 当初、無料のネットに記事を載せることに、守旧派からはそれでは売り上げが落ちるのではないかとの意見があった。現実にネットで読めるからと買わなくなった人もいるだろう。それがわかっていても他社に出遅れるわけには行かなかったろうし、私のようなそれでも買う人は買うという読みで踏ん切ったはずである。その読み通り、部数はだいぶ減ったにせよ、紙の媒体が滅亡するわけではなかった。また部数が減るからとネットに載せないわけにもゆかなかった。この辺、苦しいところである。
 私の場合はネットで読んだ後も興味のあることが載っていたら買っていた。そうすることが好きだったからだが、無料で情報を提供してくれているのだから買うことによって恩に報いねばという気持ちもあった。



 つい最近、スポーツ紙を読んでいて、その内容がほとんどネットで読んだものであることに気づいた。あたりまえである。同じなのだから。でもほんとに私は、そのことについ最近気づき、「これなら買う必要はないなあ」と思ったのである。それで今頃になってやっと数十年来買い続けていたスポーツ紙をあまり買わなくなってきた。些細なことのようで私には画期的な変化になる。朝刊のサンスポ、またはニッカン、夕刊の東スポ、ゲンダイは欠かさず買っていた。
 新聞社にはもうしわけないが、今回目覚めた「現実の新聞がなくてもネットで記事さえ読めればだいじょうぶ」というのは、移住計画者としてはかなり心強いものだった。その分、益々ネットの必然性が増してきたとも言える。
 そもそもが「移住にはインターネットが必須である」ではなく、「インターネットがあれば移住できるかもしれない」が始まりだった。


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 ムンラーの状況から推して、私が住む予定の孟連でも、私がかの地に行く何年か先までには、まず間違いなくインターネットが出来るようになるだろう。ただしそれはゲームセンターのようなあれである。それでもネットに繋がるから、新聞を読んだりすることは出来る。ニュースには触れられることになる。
 だが私がここで言うインターネットとは、自分の部屋で、自分のパソコンで、プロバイダーと契約してやるものである。今と同じ感覚でホームページも続けたい。それは可能なのだろうか。

 今すぐは無理であろう。あちらでそういうことをやっている日本人のホームページを読んでみた。北京、上海は問題ないとして、雲南だといちばん田舎でも昆明である。昆明は百万都市だ。雲南の省都だ。その昆明でもあれこれトラブルがあって苦労続きと書いてある。旅人が自分のホームページをモバイル機器からアップしようとして、西双版納の首都・景洪ですら、うまく出来ず北京まで電話を掛けて、そこから繋いだと書いてあった。技術のある人たちでさえこんなに苦労している。孟連では、今の時点では絶望であろう。今は、だ。

 単にインターネットをやるならゲームセンターで出来るだろう。今はまだ影も形もないが、新聞の閲覧は問題なしと思っていい。ホームページのアップも、日本のニフティ等とローミングしている北京のプロバイダーに電話をかけ、そこからメイルチェックをしたりホームページの更新をしたと書いている人がいたから、一回につき30元(500円)ほどかかってしまうそうだが(中国的には大きな金だ)、週に二回のアップのように割り切ればたいした問題ではない。
 その程度のことは出来る。しかし私の望んでいるのはそれではない。メイルチェックやホームページのアップのような現実的なものより、毎日何時間も新聞のサイトを読んだり、2ちゃんねるの政治記事を閲覧したりするようなネットとの関わり合いなのである。そこに逃げ込むことで異国の山奥での生活にも耐えられるのではないかと期待しているのだ。

 月極のプロバイダーはあるのだろうか、あの田舎に。銀行引き落としで払えるような……。今までの経験からの推測では、あってもプリペイドカード方式だろう。なんでもいい。自宅で出来るなら。

 

 考えるべきネット環境はまだ闇のなかなので、考えうる楽しいことの方を想像しよう。
 ハードはどうだ。まず思うのは停電が多いことだ。しかたない。昭和三十年代の日本を知っている身としてはわがままは言えない。むかしは日本もそうだった。それでも電力事情は北朝鮮よりはるかにましだ。
 停電になると、デスクトップだといきなりとんでしまうから、当然UPS(非常時電源)が必要になる。でもこんなものを用意して苦労するのなら、A-4ノートと割り切ったほうがいい。これならバッテリーがついているから停電にも耐えられる。雲南で使うパソコンは日本製のA-4ノートをメインにしよう。モデムが世界対応している安心感と丈夫さからIBMか東芝になるだろう。
 そうだなあ、中国製のパソコンより、日本のそれがいい。ほとんど停電がない時代になったら、あちらせいのデスクトップを買ってもいいが、発展途上国の電力事情というのは一朝一夕に解決するものでもない。まして中国の中でも電気が来ていてありがたいと言えるような田舎なのだ。



 パソコンとインターネットのことを思うと、なんとかなるさとほっとしている自分がいる。以前はあんなに大嫌いで接続を拒んでいた電話線が、皮肉なことに自分と日本(というアイデンティティ)を結ぶ絆になる。それほどネットの存在意義は大きい。

 思えば「チェンマイ日記」や「雲南日記」で、あれが足りないこれが足りない、あれがまずい、これがおいしいなどと好き勝手なことを書いてきたが、それらすべては「パソコンが気持ちよく使える」という前提の上に成り立っていた。いつでもどこでもノートパソコンがあった。うるさい支那人も、タバコの不快さも、まずい飯も、妻とのケンカも、すべてパソコンに日記をつけることによって克服されてきた。なにがなくともパソコンだけは欠かせない。まずそれが絶対条件になる。
 これは簡単だ。今までにも実現しているし今後も障碍はない。願うのは、あちらで壊れないでくれよと、それだけである。それにしても複数台もって行くから問題はないだろう。パソコンを使えることは確定している。あとはそれに繋ぐインターネットである。



      

 こんな感じの田舎の山奥に建てる。山はいいのだけど、そこに私の思う山の美しさがないんだよなあ。結局日本人の考える美しい山ってのは、日本の山でしかない。それは東南アジアを歩き回って実感したひとつだ。

      

 そうして、こんな感じの家に住むのである。これが妻の住む地域の泰族の代表的な新築家屋だ。どれぐらい大工に指図できるのか知らないが、私は日本風に窓のある部屋を作るつもりでいる。いくら根暗でも窓のない部屋には住めない。彼らの家はちょっと暗すぎる。とはいえ調和は大切だから、風景に不似合いなとんでもないものは建てない。周囲と同じようなものにする。

 日本人としてこだわるのは風呂とトイレだ。これはまた別項として。
 ともあれ雲南に住む数少ないよいこととして、広い庭のある二階建ての家を私でも建てられる。それは日本的な感覚ではやっていられない家なのだが言い出したらきりがない。上記のような家の庭をひとりで手入れし、草花と果樹を育てたとしても日本のような庭になるはずがない。ため息が出る。それはさておいて。

 

 こういう山奥に、日本での生活を捨てて住む日本人が、インターネットによる情報など必要とするのかと思う人もいるだろう。私は欲しい。必要である。
 そこでまた、そんなことをするより日本のことを忘れてあちらの地にとけ込んだほうがいいのではないか、半端にインターネットなどやったら益々郷愁が募るのではないか、と思われるかもしれない。

 それに関しては、そうではないと言い切れる。日本の情報を得つつ、郷愁を感じることなく過ごせる性格なのである。このホームページがその証明だ。
 なんの自慢にもならないが、私ぐらい一所懸命ホームページを作っていて、それでいて絶対に宣伝せずリンクせず、こっそりとやっているのもそうはいないだろう。こういうものの基本は公開であり、関わってくる他者の反応である。多くのホームページが盛り上がり、やがて消滅して行く過程を見ていると、他者の反応を期待したものほど脆いように感じる。それはそうだろう。掲示板のような交流をメインにしたなら、それがなくなったら消えるしかない。

 私にはそれは関係ない。作ること自体が楽しいのだ。でなきゃ金にしようとも思わない詞曲を何十年もかけてこつこつと千曲近くも作り続けてくるようなことはしまい。私はそういうひとり遊びが好きであり自己完結で満足できる。他者の評価も評判もまったく興味がない。日本の政治経済的な情報を知り、自分なりにかみ砕き、ホームページに意見を言って、それで納得する。
 かといって誰ひとり知らないホームページをやるのもさすがにつまらない(笑)。それはちょっとビョーキか。だから波風の立たないようひっそりと、親しい友人三十人とやる、という今の形は私にとって理想の形態になる。

 雲南の山奥でもそれを続けたい。日々「雲南日記」を書く。それは本来書くだけで十分であり、実は誰ひとり読んでなくてもいっこうにかまわないのだが、友人知人が読んでくれているという思いこみは欲しい。その思いこみは、電話線が繋がっていないと生まれない。

 雲南に住むのにインターネットが不可欠である理由は、ネットから今までのように情報を得たいということと、そういう自分のホームページが外界と繋がっているという思いこみが欲しいからである。
(03/5/1)



                   
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