云南移住計画
 雲南に住んでいちばん飢えるのは日本食である。
 それは最後のテーマとして、それ以外のもので、日本での現在の生活と比して飢えるものを考えたら、筆頭が活字であることは間違いない。食事の時からトイレまで新聞雑誌を手放さない。こんなやつがそれが一切なくなる雲南の山奥で暮らせるのだろうか。インターネットである程度は補えるとしても……。


  

   
        ↑こんな感じのところに住んでインターネットをやるんだからもうたいへん


 雲南の田舎町で、インターネットが出来ることを前提に話を進める。
 日々インターネットで新聞を読む。情報を得る、新聞を読む満足感はこれで満たされる。だいじょうぶだ。紙がなくてもなんとかなる。

 小説等の単行本はどうだろう。チェンマイだったならなにも問題はないのにとあらためて思う。日本の本があふれている。便利な町だ。
 しかしそのチェンマイでさえパソコン雑誌には飢えた。果たして気持ちいいほどなにもないこの雲南の山奥で私は我慢できるのだろうか。もともと一冊の本を何度も読み返すタイプではない。多くの本からおいしいところだけを読みかじる接しかただ。量がいる。それは無理だ。さてどうしよう。

 本は重い。値段も張る。といって好き勝手な乱読が好みなのだから、話題の本を一冊送ってもらい、それを首を長くして待ち、届いたからすり切れるほど読み込むなんてことをするはずもない。斜め読みですぐに放り投げる。そんな読みかたをしてきた。どうしよう。

 救いもある。ボケ具合である。忘れるのは能力だというが、どうでもいいことはよく覚えている割に、読んだ本の内容は信じがたいほど忘れている。だから、現在所有している本が何冊なのか知らないし、それを船便であの山奥まで送るのにどれぐらい費用がかかるのか想像も出来ないけど、既読のはずのそれらは、すべて未読の本の価値を持つだろう。ありがたい(?)と思う。



 ところでこのパソコン雑誌なんてものは、こういう状況になっても欲しくなるのだろうか。未体験なので想像もつかない。
 雲南の山奥でA−4ノートをたよりに過ごすわけである。(DualCpuデスクトップのことを考えると落ち込むのでそれには触れずに)。
 そのA−4ノートは基本的に改造するものではない。しようとおもっても出来ない。なにしろパソコン部品どころかしょっちゅう停電している小さな裸電球の世界だ。つまり、パソコンにはあまり興味を持たないほうがいい環境である。当然もたないように自分をし向けて行くだろう。そう出来るし、そうなるはずだ。

 この種の本に興味を持つのは、自分がそれに関われるからではないのか。東京にもどったら秋葉原でこれを買おう、あれも買おうと思うから、チェンマイでも熱心に日本のパソコン雑誌を読むのではないか。つまり「一ヶ月後の帰国を前提にした感覚」だ。改造も出来ず新品を買うことも不可能な環境で、喉から手が出るほど欲しくなるような新製品を見たり、日々自分のパソコンが非力な旧型になって行くニュースを知っても、それはすこしも楽しくないだろう。そんな気がする。

 興味を繋いでおくことは大切だ。帰国したとき餘裕があったら新型を買おう。その日への繋ぎとして、知識を錆びさせないためにも、興味は持ち続けたほうがいい。ただしその程度の情報はネットで十分だ。毎月雑誌を読むほどのことでもない。パソコン雑誌の半分はカラフルな企業広告で(それを読むのも楽しいのだが)紙質がいいから重い。航空便で送ってもらうのはあきらめたほうがいい。

 とはいえ、チェンマイのインターネットカフェ「アイコン」のハセガワさんは、日本から毎月パソコン雑誌を送ってもらっていた。あれは出版社からなのだろうか。友人からか? 海外からも定期購読できるシステムがあるならやってみたい気もする。その辺はこれから調べることにして。しかしチェンマイを基準とすることはやめたほうがいい。日本との友好国タイのチェンマイと、この中国の山奥では環境がちがいすぎる。

 パソコンを好き勝手にいじれる環境でくなくなったら、パソコン雑誌に対する興味が消えるのかどうか、自分でもわからない。でも現実に関係ないのなら断ち切るべきとも思う。


 近年で良かったなと思うことにプロレス雑誌を買わなくなったことがある。中学生時代から三十年以上かかさず買ってきた。高一の時に『ゴング』が創刊された。それまでは『プロレス&ボクシング』だけだった。二十代の時には近所には置いてない大阪発刊の『週刊ファイト』を取り寄せて読んでいた。

 それがここ数年、つきものが落ちたように読まなくなっている。買うのは月に数冊程度か。それもあまりのっていない。なんとなく、完全に足を洗ってしまうことが惜しいような気がして未練たらしく買っているだけだ。かつてはチェンマイに二ヶ月いるとき、「東京堂書店」で、週遅れで入荷される『週プロ』を1200円以上出して買っていた。顧客がいなくなったのか入荷しなくなったので、友人に頼んで航空便で送ってもらった。たった二ヶ月の滞在中にだ。それも今は昔。このこだわりが消えたのはいいことだ。

 逆に可能なら、ぜひとも『将棋世界』は欲しい。ネットで結果は知れるだろうが、それと紙にある棋譜を手にするのはまた別物だ。これは可能性を確かめてみよう。これはねえ、すごいんだ。今でも十年前、二十年前のこれをわくわくしながら読める。これほど価値のある雑誌を知らない。まったく褪せないのである。



 その他の雑誌はどうだろう。『週刊文春』、『週刊新潮』、隔週の『SAPIO』、月刊の『正論』、『諸君』、『文藝春秋』等だ。
 異国にいるとりっぱな小説などよりこういうものが恋しくなる。私はチェンマイにいるときスポーツ新聞が恋しくてならなかった。ヨーロッパにいるときニッカンスポーツが買えたから、よけいにそう感じた。野球に関する詳しい数字を知りたいわけではない。スポーツ新聞というもののもつ下世話な日本らしさが恋しくなるのだ。『サクラ』にあたらしい旅人がもってきてくれたスポーツ紙が届くと、みんなでむさぼり読んだものだ。でも実際手にすると飢えていたほどの価値はないのだった。
 そのこだわりはもう「ネットはゆずれない」に書いたように割りきれるようになった。ネットで読めるから新聞はいい。問題は雑誌だ。

 そうして思うのが「2ちゃんねる」のありがたさである。あそこは話題のニュースを逃さない。『週刊文春』や『週刊新潮』に議論沸騰の記事が載ったならすぐにそれをアップしてテーマにする。肝心な記事はコピー&ペーストされる。それによって記事を読むことが可能になる。それこそ「朝まで生テレビ」や「サンデープロジェクト」あたりの問題発言までしっかり再現してくれる。雲南の山奥に住むようになったら2ちゃんねるのありがたさを痛感することだろう。

 週刊誌はあきらめる。あきらめられるだろう。あきらめねばならない。『お言葉ですが…』等も単行本で読めばいいのだし。現在『ゴング』や『週刊ファイト』が有料ホームページをやっている。もしも『週刊文春』が有料で読めるならよろこんで申しこむのだが……。移住までにはもっともっと有料で読めるサイトが増えることだろう。それはそれで楽しみだ。



 月刊誌の価値はそれとはまたちがっている。
 先日CPUクーラーのファンを探しているとき(関連・「電脳──周り巡って元の木阿弥」)、本を入れたコンテナを引っかき回している内に、二年前の『正論』を見つけて読み始めたことがあった。引っ越しや家の掃除のときによくあるパターンである。
 おもしろくてためになり、二年の月日の差を感じることなく、しばらくの間、熱心に読みふけった。この種のオピニオン誌はレヴェルが高く、ついてゆくのに精一杯であるが、それはまた「保ちがいい」に繋がる。近年旅に出るときは必ずもってゆく。識者の意見に、自分なりの感想を述べたり、賛意したり、時には反論したりして、それを頭の中で考えたり、パソコンで文章にしたりしていると、楽に一ヶ月もってしまう。オピニオン誌と将棋雑誌のコストパフォーマンスは抜群にいい。

 果たしてそれが可能かどうかわからないのだが──誌上で海外在住の読者から定期購読の問い合わせがあり、編集部が不可能と返事をしていた記憶がある──可能なら、私は航空郵送料を払って、『正論』と『諸君』『文藝春秋』等を年間予約したい。『将棋世界』もだ。それが不可能だったとしても、まあこれぐらいならどこにでも売っている雑誌だし、月に一度、四冊の本を送ってもらうというのは友人に頼める範疇だろう。

 費用は、本代が5000円に郵送料が5000円だ。月に1万円の贅沢になる。
 もしも年間予約購読が出来たなら、約三週間で届くので(すごいでしょ、航空便で送っても三週間かかるんですよ)、発送日から逆算して、きょう届くか明日届くかと楽しみにするだろう。そういう自分を思うだけでせつなくなってくるが。

 

   

 最近知り、力強く思ったことに、ネットからの「ダウンロードによる本の購入」がある。文章をダウンロードする形式の本だ。値段も紙の本よりも安めに設定されている。そりゃそうだ。製本もしてなければなにより流通の経費がかかっていない。最初にこれを実験的にやった作家は村上龍だったか。あっというまに売り切れた。あの人は話題作りで食ってる人だから。
 今では大手の出版社からかなりの品数を購入できるようになっている。らしい。詳しくないのでうまく言えない。今夜いまから調べる。

 まだやったことがないので、ダウンロードした本を読むための周辺ソフトがどうなっているのか知らない。CD『新潮文庫の100冊』のように縦書きで読めるソフトウェアがついてくるのなら、モニターでも読める。まあかりにそんなのがあったとしても、私は一度印刷して読もうと思っている。製本された本とA-4の紙に印刷されたものでは感覚は異なるが、ベッドに寝転がって印刷された字を読む楽しみはモニターよりも楽しい。

 問題はここでもインターネットになる。ニフティのような大手プロバイダーに加入し、本代は日本の銀行から自動引き下ろしになるような形にせねばならない。それは出来る。だが通信環境はどうなのだ。ダウンロードするためのネット環境は、中国で、どんなローミングサーヴィスが利用できるのか。
 今の日本のように、月2.3千円で繋ぎ放題なら、文章も支障なくダウンロードできるだろう。テキスト文章だから容量は小さい。だが環境が整っていなかったら、1500円の本をさらに何千円も通信料を払ってダウンロードすることになってしまう。これはちときつい。



 ということで調べてみた。



 この「ウェブの書斎」でいま扱っているのは1900冊強。新潮社や文春、筑摩等の商品を扱っているようだ。話題の作品がすぐに、ではないようだ。むしろ著作権の様々な問題が起きないよう、絶版になったものを販売したり、まだまだ及び腰であるらしい。まあそれは私はベストセラー読みではないからどうでもいい。
 大事なのは、たまに気まぐれで「推理小説でも読みたいな」と思ったとき、思うようにそれが手に入れられるかだ。たとえば赤川次郎や西村京太郎のファンではないが、食べ物への渇望と同じく、妙にああいう作品が読みたくなるときがある。そのときすみやかに手に入れられるかどうかである。それはべつに最新の作品である必要はない。雰囲気のものだ。どうやらそれは出来るらしい。

 ただ、いま調べたところでは、専用のビューアーで見る形式のようだ。思うように印刷は出来ないのか。それは著作権の問題から当然かもしれない。
 ディスプレイで読む本はつまらない。ベッドに寝転がって読むという楽しみは何ものにも代えがたい。紙に印刷したレポートのような形でも、印刷したものはそれよりもずっといいだろう。それでもやはり装丁された本が欲しくなるのだろうか。それとも本格的に餓えたなら、ディスプレイで読めるだけでも満足できるのか。

 数ヵ月に一度、チェンマイに出掛けて本を購入してくるような楽しみは、それはそれでとっておきたいが。

                                                

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