サイト下書き日記

2016年8月

●私小説考──

 私は「私小説」と呼ばれるものを好まない。それでも全作を読んだひとに車谷長吉がいる。これは『鹽壺の匙』で三島賞を受賞したとき、志賀直哉の弟子である阿川弘之さんが「戦後の私小説もついにここまで来たのか」と感嘆していたのを読んだのがきっかけだった。私小説と言えば志賀直哉である。このひとの作品はそれなりに読んでいて、最初に読んだ「城の崎にて」は教科書に載っていた。こういうものが私小説というのかと知った。しかし創作品が好きで、SFファンなのだから私小説通になることはなかった。
 車谷の作品を読むと、なんだか溜め息が出る。「よくもまあ」と思う。それだけだ。しかし癖になる。憑かれたかのように全作品を読む。それでひといき。いつもの小説群読書にもどる。しかしまたたまに猛烈に読みたくなるときもある。好きなのか嫌いなのか未だによく解らない。「全作品を読んでいる」のだから、勝ち負けで言うなら(笑)、読ませたあちらの勝ちである。嫌いなひとのはぜんぜん読まないし、一応ケンカのために読んでおくか、と思っても一作目の途中で投げだすことが多い。ということからは好きなのでありファンになるのか。

 餘談ながら、全作品を読みつつ、数年前まで知らなかったことに彼の本名がある。本名が車谷嘉彦であることは本人も明かしているので知っていた。本名クルマタニヨシヒコ、筆名クルマタニチョウキツ、だと思っていた。だが彼の幼名馴染みだというひとのサイトを偶然発見して訪問し、本名は「シャタニヨシヒコ」であると知ったときは驚いた。「車谷=シャタニ」を「クルマタニ」と読みを替えての筆名にしていたのである。これは彼の地元のひとには常識であったろう。その地域の名字の車谷は「シャタニ」であり、「クルマタニ」なんてのはないのだから。

 いま確認すると、Wikipediaではまだ「くるまたによしひこ」を本名としている。間違いである。

 ところで上の「幼馴染みのひとのサイトを偶然発見した」は誤りだ。ウソになる。たしか私は「車谷長吉」で検索して、マイナーなそれを見つけたのだ。ということはやはり「熱心なファン」になるのか。それなりそれでいいのだが、といっても、彼の独自の表現に感嘆したとか、いまもすらすらと出てくるフレーズがあるとか、そんなことはまったくなく、ただただその変人ぶり(それは演出かも知れないけど)に呆れはてていた=こわいものみたさ、というのが正直なところなので、そう名乗るのは本物の熱心な読者に失礼な気がする。



 西村賢太を読み始めたのは、私小説作家としては車谷以来になる。これまたワンパターンであり、連続する家賃未払や夜逃げ、「秋恵シリーズ」のDV話は、とてもたのしく読めたものではない。うんざりし、呆れはて、それでもまた読んでいたから、これまた勝ち負けではあちらの勝ちである。

 と、私には彼らの作品を論じる資格はない。世の中には本物の支持者がいるのだろう。私は、「一応全作品に目を通している」だけ、怖い物見たさ、不快なものにあえて触れてみたくなる変質者もどき、なだけである。

 そんな私にも前々からひとつだけ興味があった。「ふたりはたがいをどう思っているのだろう!?」である。



 西村賢太は私小説の先輩であり、先に世に出た車谷長吉をどう思っているのだろうと気になっていた。どこかで触れていないかと西村の随筆集を読んだりしたが見つからない。そもそもこのひとの興味対象はみな没しているひとばかりなので生きているひと(車谷長吉は2015年に亡くなっているが)に関して触れた文は、自分のことを芥川賞で推してくれた石原慎太郎とか、ごく僅かである。

 今回「一私小説書きの独語」を読んでいたら、その中の「上原善広『日本の路地を旅する』(文春文庫)解説」にらしき箇所を見つけた。「おっ!」という感じでにんまりである。ほんとに気になり、だいぶ探していたのだ。



 と、肝腎のそのことに触れる前にいくつか。
 まずは毎度書くが、どうにも私のATOKは人名に弱い。西村賢太も上原善広も出せなかった。だがGoogle日本語入力は一発で出してくれる。すばらしい。使い分けているからなんとかなっているが長年のATOK愛用者としては不満が募る。ATOKは有料、Google日本語入力は無料なのだから。

 次いで、西村と上原の関係性はどうなのだろう、とこれが気になる。「西村賢太対話集」にも上原は登場している。というか西村が上原から大阪に招かれて、公開の場での対談になっている。つまり「上原のほうからの接触」である。上原は体育大学出身らしく、中卒を売りにしている西村に「体育大学出身のノンフィクションライターは自分だけ」と称して盛り上がっている。被差別部落出身の上原は、それを基点にノンフィクションを書いている。上記「日本の路地を旅する」の「路地」とは被差別部落のことである。
 私は、しばらく前から上原作品も西村作品も読んでいたのだが、ふたりに接点があったことは今夏西村作品をまとめ読みして知った。どうにも「上原と西村の仲の良さ」に得心が行かない。この解説で西村は《謂れのない差別が経ててきた歴史は、たださえデリケートな問題が、現代では尚と一層複雑なことになっている。》と、いかにもなことを書いているが、どうにも西村が部落問題に見識があるとは思えないのだ。(なお、上の「経ててきた」は「たててきた」と読む。ルビが降ってある。)
 なにしろこのひと、つい先日のテレビ番組でも、北朝鮮からのミサイルが九州あたりに飛んできそうだという話の時、「自分の住んでいる東京と九州は離れているから対岸の火事。あまり興味がない」と言って、周囲を苦笑させていた。ローマ字を書けないままおとなになったのでいまだに自分の名をアルファベットで書けずパスポート作りに苦労したのは有名である。興味を持つ分野が極端に狭く深いひとなのだ。そんな彼が自身の興味対象外である部落問題に興味を持ち一家言を有するとは考えがたい。もしもそうならいままでの発言でそのことに触れた箇所があるはずである。だがなにもない。見事なほどひとつもない。どうにも「被差別部落出身者の上原と親しくなったから、わかっているかのようなことを言っている」としか私には思えない。関東は関西とちがって部落問題を教えない。私自身、「同和問題」というコトバを知ったのは二十歳を過ぎてからだった。江戸川区の小学校、船橋、町田の中学校を出た「成績は1と2ばかり」という西村が部落問題に興味があったとは思えない。
 もしも、実は幼い頃から部落問題に関しては興味があり、ずっと勉強してきたのだ、となるなら、西村はまだ自身に関して書いてないことがいくつもあると言っているから、彼が被差別部落出身者であった場合のみだろう。東京江戸川区に三代住み江戸っ子だと主張する彼だが、家柄はよくないだろう。どこから流れついた三代前なのか。
 いまの時点ではわかっていないことだからここまでにするが、どうにも私はこの「部落問題を解っているかのように発言する西村賢太」に奇妙な感じを受ける。それは私が部落問題に関わりがなくなにも知らないからである。関わりがなくてなにも知らないことは、無智の恥とも言えるが、同時に差別感覚も生まれず客観的な視点を持てる、とも言える。その私から見て、西村賢太は私同様なんも知らないひと、と思えるのである。



 さて、西村が車谷長吉について触れたと思われる箇所について。
 西村の父は性犯罪を起こし服役した。そのことによって一家離散した。上原の兄も性犯罪で服役している。ふたりはその共通点でも盛りあがっていた。西村は「よくぞここまで私生活を書いた」と評されるたびに「いや、まだ書けてないことがある」と応じている。その最大のものが父の性犯罪の実態であるらしい。たしかに「父が性犯罪をお越し7年間服役した。母はすぐに離婚して母子家庭になった。苦労した」とは数えきれないほど書いているが、犯罪の中身には触れたことがない。そのことを書いた後、西村はこう書いている。

《私小説書きの中には自らにさしたる傷もない余り、親戚の自殺(は、こちらにも経験があるが)をさも自身の苦悩事のごとく、田舎者根性丸出しの深刻ぶった文章で書き上げると云う、何んとも敬して遠ざけたい作風の者もあるにはあるが、まことに笑止千万である。》

 これは間違いなく車谷長吉のことであろう。三島由紀夫賞を受賞した『鹽壺の匙』は若くして自殺した従兄弟と、そのことによって傷を受けた周囲のひとたちを描いたものだ。「田舎者根性丸出し」「笑止千万」から、西村が車谷を評価していないことがわかる。これは私にとって大きな収穫だった。



 上記「車谷長吉の全作品を読んでいる」と書いた。しかしそれは数年前までのことである。その後のなにかで、「車谷長吉も西村賢太に触れている文」はあるのだろうか。ないと思うが、これから探してみよう。


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