サイト下書き日記

2016年4月
4/1(金)
●アンジェリーナ・ジョリーの生きかた


米俳優ブラッド・ピット(52)と女優アンジェリーナ・ジョリー(40)が、離婚の危機にあると伝えられている。

度々激痩せが取りざたされているジョリーだが、夫婦仲の危機が原因で精神的に不安定となって体重が減り、まるで骸骨のようなガリガリ体系になっているとイン・タッチ誌が伝えている。

今年1月に行われたゴールデン・グローブ賞授賞式にピットが単身で出席したことを発端に離婚の危機説が浮上。その後もジョリーがピットと新作映画で共演した女優マリオン・コティヤールとの仲を疑い嫉妬しているなどとも伝えられており、複数のメディアが夫婦仲の破たんを伝えている。

女優業に加えて監督業もこなし、国連難民高等弁務官特使を務めるジョリーは、世界中を飛び回る多忙な日々で、ピットとはすれ違いの生活を送っていることも原因の一つと言われている。
また昨年はピットがプロデュースする映画に出演した女優シエラ・ミラーとの浮気疑惑が浮上するなど、度々女性問題も浮上。

映画「Mr.&Mrs.スミス」(05年)の共演がきっかけで交際が始まり、3人の養子を含む6人の子供をもうけ、2014年に交際9年目にして晴れて正式な夫婦となった2人だが、11年目を迎えて結婚生活を維持する難しさに直面しているようだ。(ロサンゼルス=千歳香奈子)


日刊スポーツ 3月30日(水)14時47分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160330-00000098-nksports-ent



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 茨城の田舎で老父母の面倒を見ていたころ、レンタルビデオをよく借りていた。田舎にも田舎版<TSUTAYA>のようなものができ、そんなことができる時代になっていた。ある日の夕方、店を訪れると、店頭にアンジェリーナ・ジョリー演じるララ・クロフトの等身大パネルがあった。「トゥームレーダー」の宣材である。なんとも迫力満点の肉感的なもので、思わず「ええおんなやなあ」と生ツバを呑みこんだ。こういうときの感想は関西弁にかぎる。いやほんと、盗めるものならそのまま持ち帰り、部屋の中において一晩中眺めていたいほど魅力的なパネルだった。それがいま、ミイラのようになっている。

 映画「ツゥームレイダー」の日本公開は2001年10月のようだ。とすると半年後にビデオになったとして、私が目にしたのは2002年の春か、うん、たしかに季節はそんな感じだった。
 2004年の暮れに父が亡くなり、私はまた東京にもどるから、父母との生活ももう末期のころだったのだなと思い出す。もう愛猫はなくしていたのか。ついこのあいだのようだがもう十数年前になる。上の写真は2003年の「トゥームレイダー2」のものだが雰囲気は同じである。

 私のジョリーの容姿に対するイメージはそこでとまっていた。だから2008年制作の「チェンジリング」を観ているとき、私はそれがジョリーだと気づかなかった。さすがに映画館に行ったりDVDを借りてきてなら気づいたろう。それは「ジョリーの作品を観るため」だから。だがそうではなく事前知識のないまま漫然と観ていた。高い評価を受けている作品だとは知っていた。ジョリーが出るとも知っていた。冒頭から年寄じみた痩せた女が出ていた。そういう展開の中、若々しく肉感的なジョリーがそういう役で出て来るものと思っていた。私の大好きな容姿のジョリーはいつ出てくるのだろうと待っていた。ようやく、しばらくしてから、その痩せた年寄りみたいのがそうらしいと気づく。実話をもとにした、なかなかに怖い、いい映画だったが、その一点のみで私は楽しめなかった。自分好みのいい女が痩せたしわしわのおばあさんになってしまったことがショックだった。



 母からの癌の遺伝に脅えるジョリーは、乳も子宮も卵巣もみんな取ってしまった。そしていま上の写真のようにガリガリの容姿になっている。

 複雑で不幸な育ちをしたジョリーは、十代であらゆるドラッグ体験、全身の入れ墨、レズビアン、と凡人には理解しがたい行動を重ねてきた。この「早めの除去」もそれになるだろう。医者から命のためにそうせざるを得ないと説得されても、「乳房を取りたくない、なんとか残したい」と願うのが女心であろう。それをそうなるまえに取ってしまうのだ。たしかにみな取ってしまえばそこが癌になるリスクは減るのだろうが……。乳腺を取っただけで乳房は残っている、という話だが、大意にちがいはない、ミイラのように痩せこけた躰の乳房がどれほどのものであるかは言うまでもない。

 歯痛に苦しんだカール・ゴッチは、「歯があるから歯痛があるのだ」と虫歯でない歯も全部抜いてしまった。その逸話を思い出す。



 母がネイティヴ・アメリカンの血を引いていることから、そちら寄りの人権活動を行ってきた。彼女は女優以前のそういう活動家である。

 そこからさらにボスニアヘルツェゴビナ問題を扱った映画「最愛の大地」を自ら監督脚本で作る。


 ボスニア・ヘルツェゴビナの地図に血を散らしたデザインが本来のこのポスター。前面に血を出したおどろおどろしいものだ。
 
 原題が「In the Land of Blood and Honey」であり、「血と蜜の地」のイメージをよく表している。

 ムスリム人、セルビア人、クロアチア人の独立闘争における民族対立、殺しあいを描いたものなのだからテーマに合ったポスターと言える。





 が、せっかく「あのアンジェリーナ・ジョリー初監督作、主演作」という売りがあるのに、それじゃ日本じゃ受けまい、金になるまいと、日本の配給会社はこんなポスターを作る。タイトルは「最愛の大地」だ。民族闘争など消してしまい恋愛映画であるかのようにしている。このへんが日本のくだらなさだ。

 直接ジョリーに許可を取っているとは思えないが、もしもしたなら、そういうことを描いたつもりのジョリーは、日本がポスターをこんなものにしたことに不快を示したろう。







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 よほど血のイメージが好きらしく、「アンブロークン」という「日本人が生きたままのアメリカ人の肉を食う」という人肉食を扱った荒唐無稽な映画のポスターもこうデザインしてきた。

 オーストラリアの日本軍捕虜収容所で虐待にあうという主人公は元オリンピック選手なので鉄条網の五輪をデザインし、真ん中の赤と背景のグレーぽい白地は日の丸だろう、そのしたに血塗れの日本列島をぶら下げる。ここまで悪意のあるデザインもそうはない。国辱であり、私がそういう立場にあったならすぐに抗議する。

 日本の配給会社は、この映画を国内で公開するとき(しないと信じているが)、今度はどんな日本用ポスターを作るのか。この映画すらもラブロマンスを装うのだろうか。

 日本人が人肉をするという設定は、私はもうシナの映画でさんざん観ているので、いまさらおどろかない。自分達が「生きた人間の肝を食うと勇気が出る」という思想の元に生きてきたから、シナの映画での日本兵は、生きたままの支那人の内臓を血塗れになって食いまくる。犯し殺しまくる日本兵の悪鬼の所業に、正義の味方毛沢東軍がやって来て、あっと言う間にやっつける、という毎度の筋書き。

 要は、政府は、日本人は、そういうことを描くシナや、今回のこのアメリカに、正面から抗議して闘うのか否か、それに尽きる。



 こういう原作を映画化し、ロケ地のオーストラリアを旅行するアンジェリーナ・ジョリーの感覚をまともとは思えないが、しかしこれはアメリカ人のふつうでもある。アメリカ人とはそういうものだ。

 ハーバード大学卒を売りにする「パックンマックン」という漫才コンビの片割れ、パックンというのがいる。一見日本通の好ましい白人のように思えるが、まともにしゃべり始めたら、どうしようもない偏見まみれのアメリカン人そのものである。彼ほどのインテリであり、長年日本で暮らし、日本で職を得ていても、本質はああいう唯我独尊の史観に支えられたアメリカ人なのだ。絶対に越えられない壁を感じる。
 ここのところ厚切りジェイソンのその種の発言が話題になっているが、彼はアメリカ人として自然に発言しているにすぎない。

 そう思うと、ケント・ギルバートの存在は奇蹟である。



 アンジェリーナ・ジョリーの行動は、私にはもうすべてが奇矯に映る。それは彼女の幼少時からの育ちによるものであろう。それを思うと気の毒になり、あまり批難する気にもなれないのだが、こういう考えこそが日本人の島国根性であり、金と力を持ち、世界中に「アンブロークン」なんて事実無根の悪質な映画を撒き散らしている権力者なのだから、蟷螂の斧であれ精一杯批難することこそが正道なのだろう。

 日本は、広島長崎の原爆投下や東京大空襲等の無差別大虐殺という事実を、正視できないような残虐な映像にして世界に問うようなことはしない。アメリカの非道に抗議をしない。それが「過ぎたことは水に流す」日本人の美意識だ。

 だけど隣国のみならず、こういう白人達と共存して行くのには、そういう形を用いても自己主張をせねばならないのだろう。シーシェパードと徹底抗戦せねばならないように。
4/10(日)
●桜花賞完敗記──メジャーエンブレム、ジュエラー1、2着固定で勝負

 下のような1、2着固定の3連単10点勝負。メジャーエンブレム4着で完敗。なんとも不可解な敗戦だった。ルメールはなぜあんなレース運びをしたのか……。



 いつもの私だと3-3-7フォーメーション30点勝負のパターン。軸の3頭は三強であり、3着に照哉さんの馬のアットザシーサイドはもちろん挿れていたから、これなら203倍が当たっていた。3万が20万になっていた。でもそれは結果論。千円の30点買い3万円が20万になったが、9千円に減ったり2万円に目減りするのを覚悟で、「よかったあ、メジャーエンブレムが負けて儲かった!」はやる気になれない。実力を認めつつ本命にはしたが、実は嫌いならそれもありだが、私はメジャーエンブレムが大好きなのだ。

 儲けねばならない。メジャーエンブレム1着にシンハライト、ジュエラー絡みで20倍から40倍の3連単が山とある。上にあるように1番人気は10倍以下だ。「クラシック第一弾の桜花賞だから、儲けなしでも、たとえトリガミでも参加しただけでたのしい」は最初から捨てた。当てて儲けたい。となると馬券は絞る。絞りつつ、キャンディバローズやメイショウイヅキで3着の波瀾を期待する。3000円10点買いだから5-13-1で決まれば78万、メイショウイヅキが来れば210万になる。



 昨年のドゥラメンテの二冠達成で、やっと関東にも風が吹いてきたと感じていた。関東馬の皐月賞、ダービー二冠は1997年のサニーブライアン以来、皐月賞、菊花賞の二冠でも1998年のセイウンスカイ以来になる。
 三冠馬はナリタブライアン、ディープインパクト、オルフェーヴルと関西馬が連続し、二冠馬もエアシャカール、ネオユニヴァース、メイショウサムソン、ゴールドシップと関西馬ばかりだった。ミスターシービー、シンボリルドルフの関東馬二年連続三冠馬時代を知っている身にはさびしい現実である。昨年の関東馬ドゥラメンテの二冠はうれしかった。二十一世紀初の関東の二冠馬だ。

 関東の桜花賞馬は、ここ十年でアパパネとアユサンがいる。アユサンは人気薄だったし、アパパネは牝馬三冠だが、歴史的名牝である関西のブエナビスタやウオッカ、ダイワスカーレット、ジェンティルドンナと比べると存在感は薄い。メジャーエンブレムはアパパネ以上であり、これらの名牝と肩を並べる逸材と期待していた。



 メジャーエンブレムの強さにはテスコガビーの再来を感じさせるものがあった。抜群のスタートセンスと大柄な馬体は、オークスはともかく、桜花賞はゼッタイと信じていた。

 クラシック第一弾を負けたのは残念だが、馬券の買い目に悔いはない。
 これは攻めの馬券だ。大本命馬を1着固定にし10点に絞ったのは守りの馬券のようにも思える。だがわたし的にはそうではない。万が一のメジャーエンブレムの負けも予測しての馬券(今回だと3-3-7のフォーメーション)を買うことこそが守りの馬券であり、絞ったのは攻めなのだ。だから悔いはないのだが……。

 ルメールはどうしてあんな乗り方をしたのだろう。どうして一度下げたのだろう。後ろから来るジュエラーやシンハライトを意識したのか。すんなりあのまま行ってしまってよかったと思うのだが……。



 来週は皐月賞。これまたたのしみだ。これだけ強豪が揃った年は珍しい。一番強いのはサトノダイヤモンドだろう。今度こそルメールか。そうなると、朝鮮人パチンコ屋の馬をアタマでは買わない私はもうこの時点で負けていることになる。いやそれ以前に「桜花賞で儲けて、それを皐月賞に転がす」予定が早くも頓挫し、桜吹雪の春爛漫に懐には秋風が吹いている。皐月賞の予算はショボいことになりそうだ。
 
●秀逸なコラージュ



 私にもこういうものを思いつく感性はあり、これを作るためのソフトも所有している。しかしこれをつくるスキルがない。時間がない。うまいひとはこんなコラージュもパッパッと作っちゃうんだろうな。DAWをやっていて自分のそっち方面の能力の無さをあらためて知り項垂れている。
4/15 ●愚痴
 右眼の調子がわるく文章を書く気になれない。かつてと比べたら十分の一、いや二十分の一ぐらいしか書いてない。しかし迷惑を掛けたままの友人に「なんとか生きています、死なずにがんばっています」と報告するために開いた場所なのだから、なんでもいいからとにかく書いておかねばならない。

 障碍を持っているひとは強い。それを受けいれて前進する心がある。未経験で生きてきたものだから、長時間ディスプレイに向かうと右眼がほんのすこし霞んで見えにくくなってくることに苛立ち、それだけで人生に絶望してなにもしなくなっている。不便を受けいれる心が必要だ。
4/20
● 「育児は親の責任」 自民党・山田宏氏の愛人・隠し子を妻が告白
2016.04.20 16:01
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/6091

 今夏の参院選に自民党公認で立候補を表明している山田宏・前杉並区長(58)の妻が、週刊文春の取材に応じ、夫の家庭人としての実像を語った。

 山田氏は3月末に、「保育園落ちた」ブログを「まあ落書きですね。『生んだのはあなたでしょう』、『親の責任でしょ、まずは』と言いたいところだ」と批判し、注目を集めた。

 山田氏は、2010年に「週刊朝日」で愛人やその子供の存在が報じられていたが、関係を否定
していた。妻は当時を振り返り、こう語った。

「当初は『知り合いの子供を、私の子供にして欲しいと頼まれた』と言い訳していましたが、その後、弁護士を通じ、山田の子であることを認めました。結局、認知しましたが、その際に交わした文書では『悪かった』と非を認めて謝っています」

 山田氏は、妻との間にも三人の子供がいるが、保育園に通った時期も含め、子育てにほとんど携わらなかったという。山田氏は、妻との離婚を求めて、昨年から裁判を起こしている。

 山田氏は、弁護士を通じて、離婚裁判を起こしたことを認め、愛人との子供の認知については「お答えできません」と回答した。

 山田氏は、子育てについて自著『第3の道』でこう持論を述べている。

<正しい生き方を自信を持って子供に伝えるには、親自身が胸を張って、正しいと言える生き方をしなくては>

 山田氏は、安倍晋三首相に口説かれて出馬を決意したと語っているが、参院選の自民党候補者として、自らの言葉と行動との整合性が問われることになりそうだ。


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 政治家としての山田さんを好きなので、こういうスキャンダルは残念だ。とはいえ男と女のことだから仕方ないのだろう。むかしならこういうのは「当たり前」だったが、人権の時代には許されない。山田さんは裁判沙汰になっているこの女房とどういういきさつで一緒になったのだろう、将来国政に出たい男の後援者の娘との政略結婚だったのか、それとも大恋愛結婚だったのか、そこのところを知りたい。

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【追記】──『週刊文春』を読む──4/25

 『週刊文春』4/28号に載っていた。
 京大を卒業し、松下政経塾時代の恋愛結婚である。政略ではなかった。奥さんはごくふつうの銀行員の娘である。
 離婚訴訟は山田側からしている。逆に奥さんは離婚しない、としている。
 山田が女癖が悪く、奥さんはひとりで子育てをして苦労したよう。

 今夏の参院選に安倍首相の肝いりで出馬するひとなので、対立陣営からのマイナスイメージ戦略かとも思ったが、記事からそれは感じられず、むしろ奥さんは立派で、山田のだらしなさばかりが浮きでてきた。

 しかしつい先日の次男の結婚式にも出席しなかったという山田を、奥さんは「わたしもこどもたちも政治家としての山田は支持しています」と言い、今後も離婚はしないと言うのだが、無名時代を支えてきた女の意地は解るが、むしろ思いっ切り悪口を言って批難し、さっさと離婚する、のほうが記事としては納得出来た。山田のほうが離婚訴訟の原告で、奥さんが離婚を拒んでいるというのは意外な事実である。

4/21(木)
●囲碁界初、七冠制覇

囲碁の七大タイトルのうち6つのタイトルを保持する井山裕太六冠(26)が、20日、東京で行われた対局に勝って「十段」のタイトルを獲得し、囲碁では史上初めての七冠を達成しました。

 将棋の羽生が七冠制覇を成し遂げたのは1995年度だった。時期的には谷川から王将を取ったのがそれであり1996年の年明けだが年度的には1995年になる。今回囲碁界でも井上六冠がついに達成した。



 2ちゃんねるの囲碁将棋スレを読んでいたら次のような意見があった。

10 名前:名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止[sage] 投稿日:2016/04/20(水) 17:34:54.17 ID:jzBsPlD70 [1/2]
これを機に プロレスの3冠ヘビーにたいにタイトル戦を統一しちゃってもいいんじゃね


 この「にたいに」というのは「みたいに」のミスタッチだろう。miと打つのを隣のキーのniで打ってしまったと思われる。かな入力にはないミスだ。こういうところから読めるのがおもしろい。<きっこさん>はよくかな入力独自のミスをしており、本人が明言しているようにかな入力であることがよくわかる。
   
●日本の不幸を祝うシナ人



 東日本大震災の時、日本の自信を祝うと南朝鮮がやっていたが、今度は熊本地震に対してシナがやっている。こういうところと仲よくできるはずがない。
   
●アサヒシンブン、発行部数水増し

朝日新聞記者の内部告発により、「発行部数の大幅な水増し」が明るみに出た。
なんと、公称発行部数のうち「3割が水増し」なのだという。

公称の発行部数は670万部なので、3割が水増しだとすれば、実際は470万部が正しい部数となる。水増しとはいっても実際に印刷はしているようで、水増し分の新聞を販売所に買い取らせているのだとか。業界用語でいうところの「押し紙」である。

マスコミ関係者によると、このニュースの詳細は人気雑誌「週刊新潮」(2016年4月21日発売)に掲載されるそうだ。以下は、マスコミ関係者のコメントである。

・マスコミ関係者の声

「朝日新聞は販売所に水増しした新聞を買い取らせているそうです。嫌々ながら販売所は仕方なく買い取るハメに。
しかも水増し分の新聞は配達する先がありませんから、未開封のまま廃棄されるのだそうです。

朝日新聞以外でもやっている可能性があるので、今回の新潮の記事は読んでおいたほうがいいですよ。けっこう大きな問題です」

http://buzz-plus.com/article/2016/04/20/news-now/

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   【追記】──『週刊文春』を読む──4/25

 山田宏の離婚裁判のことが『週刊文春』4/28号に載っていた。どういう夫婦か知りえた。
 京大を卒業した後、松下政経塾時代の恋愛結婚である。政略ではなかった。奥さんはごくふつうの銀行員の娘である。
 離婚訴訟は山田側からしている。逆に奥さんは離婚しない、としている。
 山田は女癖が悪く、奥さんはひとりで子育てをして苦労したよう。

 今夏の参院選に安倍首相の肝いりで出馬するひとなので、対立陣営からのマイナスイメージ戦略かとも思ったが、記事からそれは感じられず、むしろ奥さんは立派なかたで、山田の身勝手さが浮き彫りになっていた。

 つい先日の次男の結婚式にも出席しなかったという山田を、奥さんは「わたしもこどもたちも政治家としての山田は支持しています」と言い、今後も離婚はしないと言うのだが、無名時代を支えてきた女の意地は解るが、むしろ思いっ切り悪口を言って批難し、さっさと離婚する、のほうが記事としては納得出来た。山田のほうが離婚訴訟の原告で、奥さんが離婚を拒んでいるというのは意外な事実である。
4/25(月)
●Windows10話──UpgradeしているのにUpgrade!?

 最愛デスクトップ機のWindows10画面が突如「Upgradeしています」という時計のような画像になって固まったので焦った。すでに昨年の8月にWindows10にしているので、これはへん。なにごとが起きたのかと、とりあえずそのPCは電源を落とし、他のPCで調べてVersion Upらしいと知る。以前のWindowsで言うならSPの適用である。それを自動で演るのはいいが、あらかじめそれぐらい教えてくれないと何事かとなる。



 ということで今日、私のPCは今年の4月12日に発表になったらしい最新のWindows10に自動でUpgradeされた。去年の7月末に発表になり、11月、今年の4月と大きなVersion Upは2回目だから、SP2になる。
 それによってカスタマイズがほとんど元にもどってしまい往生している。ノートも一台自動でそうなった。あと2台もこの洗礼を受けるのかと思うと憂鬱になる。

 CapsLockと左Ctrlの位置をユーティリティソフトを使って変更しているのだが、そういうのもみなもどってしまった。やり直しである。わずらわしい。

 いまDAW(Digital Audio Workstation)ソフトを起動したら、それのアクティベーションまでもどっていてやり直しだった。ひどい話である。

【追記】──4/28──
 エクスプローラーの画像が見えなくなっている。縮小画面になっていないので撰ぶのに苦労する。どれがどれかわからない。これまたフォルダの設定からやりなおし。自動でUpgradeを適用するのはいいがすべてをデフォルトにもどしてしまうというのは、私のように自分特有のカスタマイズをしているものには甚だ迷惑である。

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●右眼のかすみで苦労中

 わずらわしいと言えば、いまこの文章はみなさんが読んでいるこの文字の大きさで書いているのだが、それが右眼のカスミでつらい。もうこういう形でのサイトやブログは無理なのだとかなしい確認をする。

 白内障や緑内障のような大きな病気ではないと眼医者は言うのだが、私には細かな文字が滲み長時間の作業ができないのはそれに匹敵する大病になる。還暦過ぎまで躰にメスを挿れることなく生きてきた。このまま傷のないきれいな躰(笑)で死んで行きたかったが、手術して治るものなら、PCで文章を書くこと、音楽を造ることはいきがいだから目玉手術をやるしかない。

 ふだんの文章はいま、左の画像のように、テキストエディターの表示を30ポイントにして、原稿用紙に書く感覚でやっている。これだとポイント数が大きいので右眼のカスミも負担にならずなんとかなる。しかし長年いまここに書いているように12ポイントでやってきた。時にはスタイルシートを使って9ポイントの文章もあった。まあ9ポイントのデザインはそのときから細かく見辛いなとは思っていたが。

 これからは左の大きさで書いたテキストエディターの文章をホームページ・ビルダーに貼る手法となる。二重手間だ。わずらわしい。必然的に更新は稀になるだろう。
 原稿用紙の大きさで仕上げることに慣れねばならない。手書きの時代はそうだったのだからむかしにもどるだけとも言えるが、原稿用紙4枚分ぐらいをディスプレイに表示して編集する生活が長かったら、1枚分しか見えないやりかたはつらい。まあ本来モノカキは原稿用紙が基本だ。いやちがうな、原稿用紙で書く作家もみな活字になったゲラでチェックする、細かい文字を読まねばならない。やはりこれは大きな障害だ。

 不幸中の幸は、つらいのはパソコンディスプレイのみ、ということだ。日常生活に不便はないし、ふつうに本や新聞も読める。しかしいちばんの愉しみというか時間的に長く接するのはPCであり、文章のフォントは上のように目に合ったものの大きさに変更して対応できるが、DAWソフトの表示はそうはゆかない。二重に歪むちいさい文字を見ているといやになってくる。いちばんのストレスはそれだ。

《memo》──ATOKは「めにあう」と入力すると「目に遭う」と変換する。「写真を撮る」「栄養を摂る」等を自動で判断するのと同じ賢さで、「ひどい目に遭う」のように「めにあう」は「遭遇」の意味だからその字を当てる。でも上のように「目に合うメガネ」のような使いかたもある。こんなときは「目に遭う」になったものをまた直さねばならない。へんに気が利くのも考え物だ。
4/29(金)


昭和の日

●目の愚痴──大型ディスプレイに希望!

 

 いま私のPC環境は上の写真のように23インチディスプレイのデュアルである。左画面を主にし、右には資料や調べ物の結果を表示する。身に馴染んだ長年の作業スタイルだ。
 このやりかたが視力低下による文字の大きさからつらくなってきたわけだが、文章書きのほうは上に書いたように左に表示するメイン画面の文字を大きくすることでなんとかしのいでいる。サイトやブログ更新はすっかり縁遠くなってしまった。こうしてこの内輪の日記に愚痴を書くのが精一杯だ。障害を抱えて書く気にならない。世の中には腕さえなく、寝た切りで、なのに口でくわえてボタンを押してPCを稼動させ、それで一文字ずつ文章を書いているひともいる。自分がいかに甘ったれているかはわかっているのだが……。



 問題はDAWソフトだ。喫緊の課題である。こいつらの表示は固定されていて自分達の表示を変えさせない。Windowsの表示フォントも変更してすべて大きめにしているのだがこいつらだけはどうしようもない。

 祝日である今日は午前3時に起きてDAWの勉強をしていた。いろいろマスターしたいので今朝はStudio Oneをやっていた。なかなかおもしろい。CubaseのSteinbergにいた連中が、より斬新なものを目ざして作ったこのソフトには意外性がある。
 「1画面」へのこだわりもそれになる。シンプルであることがひとつの売りなのだ。だから「目がいい人がちいさなノートパソコンやiPadでやるには最適」なのだろうが、私のように視力に問題が生じたものには見にくく苦痛になる。いまの私にはあらゆる情報が詰めこまれたそれを23インチ一画面でやるのはつらい。細かすぎる。loop素材を選択するのに細かな文字に焦点を合わせていたら疲れてしまった。やる気が萎えてきた。頭痛までしてきた。無理である。CubaseやSONARだと起動したVSTプラグインを隣の画面に移して拡大し、いくらかその細かさを回避できるのだがこのソフトはそれができない。

 と書いてもわかりづらいだろうから私流の喩えで言うと、食堂のあのプラスチックトレイである。飯と味噌汁とおかずの皿二品で一杯になる。CubaseやSONARはさらにあと二品おかずを購入するなら、もう一枚のトレイに載せて両手で運べばいいのだが、Studio Oneはトレイが一枚しか使えないのだ。追加の二品おかずは最初の二品おかずの皿の上に重ねることになる。Studio Oneは「何品買ってもトレイは一枚」が売りなのだ。だがそれが私には使いづらいのである。もちろん現実に重ねるのは不可能なのでおかずの皿はちいさく縮まるのである。使うときにクリックするとまた元のサイズになる。すべてが一枚のトレイで済む。目さえ良ければ便利なのかもしれないが……。



 なら、どうするか。救いはまだある。大画面だ。上のトレイの喩えで言うなら「でっかいトレイ」だ。1枚しか使えないならでっかいのにすればいい。そうすればいろんなものが載る。でかい画面で解像度をあげなければ表示文字は大きくなる。さらには、でかいものは解像度が高くなるので値段も相応になるが、でかいだけで解像度が低くてもいいのなら、安価な物もある。

 下のは43インチの4Kのもの。今の私にはこの高解像度は必要ないのだが、高性能のものは解像度を低くして使えばいいだけのことだから、将来を考えたらこちらを買ったほうがいいだろう。これを購入すればなんとかなる。というか今の環境でもテレビで表示できるので、PCからHDMIケーブルで46インチのsmartViyellaに繋げばいいだけの話だ。しかしまあそれは非常手段として。
 なんとかこの43インチを購入する日を夢見てがんばろう。このでかいのを目の前ににして作業すればStudio Oneの一画面でも問題はないはずだ。



《memo》──資力低下(笑)

 誤字がないかUP前に読み返していたら「資力低下による問題」とあった。「視力」のまちがいである。しかしすべての問題はたしかに「資力低下」によって起きており、「視力」に関することもみな「資力」で解決できるのは確か。皮肉な誤字に苦笑した。

【追記】──なぜディスプレイだけが……

 私は電子版の週刊誌も読むのだが、紙の『週刊文春』や『週刊新潮』は以前と同じく読めるのに、電子版のそれをディスプレイで読むのは苦痛でならない。一冊どころかひとつのエッセイを読むきるだけでもつらい。なぜなんだろう、不思議だ。いや智識のあるひとには不思議でも何でもなく「あ、それはね」と紙メディアとディスプレイのちがいを説明できるのだろう。なんともつらい。

【追記.2】──デカ画面もありらしい

 ネットで見る教則ビデオではみなこんな感じでやっている。ノートだ。ちいさすぎる。とても無理。



 が、あるプロはこんなことをやっていた。やはり大画面はありなんだな。がんばってデカいのを買おう。


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